青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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破(青い月編)

6節『青い月の王』

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 剣戟の音がこだまする。僕が刀を振り上げ、雫へと切りかかる。それを彼女は余裕な表情で捌いて返した。僕は力に押されて距離を取り、再び切りかかる――それを何度も繰り返していた。

 「弱者が強者に立ち向かう。いいと思います」
 「そんな顔で言われてもな!」

 なぜこうなったのか。雫は開けた場所へ来るなり、突然剣の稽古をつけると言い出したのだ。何はともかく実践からだと持ったこともない刀を持たされ、こうして切り合っている。

 「ほら、刀の軸がぶれていますよ」
 「軸って、どこだ!」

 以前も思ったが、刀は重いのだ。鉄の塊をよく華奢な腕で持っていられる。見えないだけで、彼女達には相当な筋肉がついているはずだ。

 ともかく刀を両手でまっすぐに構え、突っ込むように振り下ろす。相手の刀とかち合い、このまま力で押そうとしても雫は微動だにしない。すると、雫は刀から片手を離して「どーん」と僕の体を押す。

 「くっ」

 立て直せずに後ろに倒れてしまった。なんという無様な格好。こんな経験は初めてだ。

 「刀以外で勝負しろ!」
 「私は何だって相手にできますよ。樫崎さんは何ができますか?」

 ない。何の武器も力もない。

 「だから、守る力がいるのです。それを身につけてもらわなければ、娘はあげられません。誰だって、かつては同じ赤子ですよ。私もあなたも同じように劣等感を感じてました」
 「そのセリフは煽っているようにしか聞こえないが?」
 「違いますよ。私は霊力が弱いんです。昔の話をしてもいいですか?」

 ほら立ってと彼女は刀を構えて言う。仕方なく立ち上がると今度は彼女から切りかかった。

 「霊術も剣術も極めましたが、霊力こそ肝心の怨霊を祓う力でした。それがなければ何にもなりません。先の光景を見たでしょう? そんなだから巫女の使命感も実は希薄だったのです。生まれつきなのでしょうがないと。今思えば、なぜ霊力のない自分が巫女なのかと心のうちで不貞腐れていたのでしょうね」
 「あの戦闘のどこに欠点があったんだ」

 今でさえ、刀を振るう彼女は圧倒的だ。動きは手加減してゆっくりでも、確実に僕の防御が弱いところを突いてくる。

 「なので虚ろでした。しかし、ある事件が起こったんです。旦那に出会ったんです」
 「はあ?」

 思わず吹き出すかと思った。

 「あの人も相当な剣の達人でしたが、恋をして私は成長しました」
 「話の脈絡が滅茶苦茶だよ!」

 なんか馬鹿にされた気がした。

 「そもそも、あの神主にいいところなんてあるか?」
 「……」

 すると、雫は剣を止め少し考えると、

 「あんまりないですね」
 「認めるんだ!」

 意外にも肯定されてしまった。普通怒るところだろう、そこは。

 「堅苦しいし何を考えているかよくわからないが……」
 「そうですね。意地悪だと思います。あと嘘つきです」

 だから否定しろよ。

 「思い出せば、世間知らずの私を騙して遊んでいるところがありました。加えて何かあると、じゃあ剣で勝負しようと言うのです。私の方が明らかに技術が上のはずなのに、最後まで勝てませんでした。何なのでしょう、あのからくりは」

 遂に自分からべらべら話し出してしまった。

 「しかし、それはつまり私にはない強さを持っていること。尊敬に値するところですね」
 「また強さか」
 「ええ。あの人はそれで私の全てを見届けてくれました。巫女であることは忌むべき運命かも知れませんが、それなくして雨宮雫という人間は語れない。瞳もまた同じ。『普通の女の子』と片づけ、その全てを見ようとしないのは間違いですよ?」
 「……結局、それが言いたかったのか」

 僕は彼女から視線をそらし、鈍く光る万華鏡の空を見た。

 「確かに僕は御三家の雨宮瞳ではなく普通の十四歳の少女としか見ていない。巫女だとかその宿命は唾棄すべきものだと思っている」
 「否定しても変わらない事実です。受け入れなければ瞳を否定しているのと同じこと」
 「だが、僕は彼女に危険な戦いをさせたくない。母親にはわかるだろう? だから、この月の力で世界を、瞳を救おうと思っている」
 「その考えは間違いではないですが……あの子は意固地ですから。どんな口説き文句も、きっとあの子には届きませんよ」
 「その通りだが――」
 「あなたも恋を知っているなら、私の気持ちがわかるのでは?」
 「――」

 正論だ。間違いない。彼女の言うとおり僕は好きだと一方的にしか言ってこなかった。あの子の感情はその結果、何も変わらなかった。なら、雫の言うとおり視点を変えてみるのも手かもしれない。

 「だが残念。僕はサイコパスだ。僕は人の表情もわからなければ、人の気持ちもわからない。ただただ感情が外から与えられることしか覚えてこなかった。今言われたことも、実は半分も理解していないのかもしれない。僕はきっと何度だって正しいことを間違うだろう」
 「そうですか……残念です」
 「それでも勉強になった。実行できるかどうかの前に今の言葉はあなたじゃなかったら、そもそも聞かなかっただろう」
 「あら、嬉しい」

 驚いた顔をして雫は僕を見た。

 「とにかく守れるようになるさ。そして、いずれ瞳より強くなる。もちろん、雫よりも」
 「絶望的なまでの太刀筋でよく言いましたね」
 「……」

 笑顔で恐ろしいことを言う人だ。

 「そっちこそ、僕と一向に目を合わさないくせに」

 出会った時から違和感があったが、彼女は僕と目を合わせるふりをして外れたところを見ている。たぶん、瞳に対してもだ。

 「見てなくても戦えますから」

 毒を毒と思っているのかいないのか、たとえ思っていても平然と雫はそれを言う。娘といい夫といい、雨宮一家は個性が強い。

 「最強の先代巫女という二つ名は伊達ではないな」
 「私の母と比べれば、私なんかまだまだですよ」
 「聞かなかったことにするよ」

 そこで僕は刀を構え直した。

 「ともかく、やりたくないが再挑戦だ。太刀筋だけは目で追えてきたはずだ」
 「わかりました。では――」

 笑顔で雫が刀を取る。だが、その時彼女の動きが止まった。はっとした表情になり、「瞳 ――?」と小さく呟く。

 「何かあったのか!?」
 「使い魔――いえ、魁斗さんから連絡が入りました。集落の近くで何かあったようです」
 「あいつが何かしたんだな」
 「違います。おそらくは人もどき」
 「なら、さっきの兵士か。早くここから転移するんだ!」
 「いえ、向こうは私の領域ではない――なるほど、そういうこと」

 彼女は一人合点して、刀を地面に突き刺した。

 「転移するのか?」
 「集落の端にです。中には行けないんです」
 「管理者なのにか?」
 「ええ。混乱するとよくないので、言ってなかったのですが――」

 轟轟と風が沸き起こり、万華鏡の回転のように周囲の景色が移り変わっていく。青い景色が混ざりあわさり、廃墟の群れに姿を変えた。

 「非常に不本意ながら、分割統治なんです」
 「は?」

 つまり、もう一人いると?

 「きっと、瞳は彼に囚われたんです。樫崎さん、ちょっとそこに足を踏み出してください」
 「いいが……」

 言われた通り、足を踏み出す。すると、どこか妙な違和感がした。ただの変わらない地面なのに、目眩がしたのかと感じる。後ろから雫が来ると、彼女は少し苦しそうな声を出した。

 「これでわかるはずです」

 そう言って彼女は僕の肩に手を触れた。その瞬間、世界が変わった。輝く青が淀んだオレンジへと変化し、空気まで重くなる。

 「巫女が入らぬよう仕掛けられた結界のようなもの。私のように霊力が弱いと、本当に昏倒してしまうのですが……」

 彼女は片手を空に伸ばすと、何かが飛来してきた。何かと思えば、巨大な岩が地面へと落下する。凄まじい地鳴りと衝撃に目前の呪いが掻き消えた。

 「管理者の力を使えば、これくらいは。ただ、長くは持たないので走り抜けましょう」
 「ああ……」

 雫が集落へと走り抜け、僕もその後を追いかける。瓦礫の山を超え、廃屋が両脇に並ぶ通りへと入り込んだ。しかし、人もどきの姿はない。雫がさっと左右を見ると、すぐに通りを駆けていく。

 「どこに行くんだ!?」
 「塔の下です」
 「塔?」

 見上げれば、確かに尖塔が見える。走って駆けていくと声が聞こえた。人もどきがそこに集まっているのか、近づけば近づくほど声が大きくなる。さらに一本、通りの角を曲がると遂に見えた。尖塔の下、広場らしきところに大量の人もどきがいる。もはや巨大な陽炎だ。

 「人ごみの前にたくさんの兵士がいるぞ!」
 「飛び込みます!」

 雫が刀を抜き、槍を持った兵士目掛けて駆ける。彼らもこちらに気付き、槍を構えた。だが、彼女はその切っ先をかわすと間合いを一瞬で詰めるなり兵士を一閃する。すぐさま集まる兵士達を次々と切り伏せ、彼女は人ごみへ駆けた。

 「早い!」

 倒れた兵士の上を僕も走る。広場の人もどきは突然の乱入者に叫び声をあげ、一目散に逃げ出した。雫はモーゼのごとく人の波を割って、一番奥の尖塔へと足を駆けた。

 尖塔? いや、尖塔の下にそびえるのは太陽のピラミッドさながらの祭壇だ。その頂上に巫女服の少女がいる。

 「雨宮――」

 その瞬間、どこか別の光景が脳裏をよぎった。あどけない姿は氷見を幼くした姿で、彼女が廃墟ではない街を治めている。人々は頭を下げ、彼女は冷たい目で眼下を見下ろしていた。その佇まいは女王、まるで邪馬台国の卑弥呼のよう――

 「瞳!」

 雫の声で我に返った。

 「お母さん!」

 瞳も気付き、ピラミッドの階段を走り下りてくる。僕も人もどきを押しのけ、彼女に駆け寄った。

 「無事か!? 何があった!?」
 「ごめんなさい。倒れていた兵士の人を集落に連れていこうとしたの。だけど、近づいた瞬間、何かの結界に囚われて――」
 「さっきのあれか。萩谷はどこ行った?」
 「わからないわ。でも、私が無事なのは彼の機転のおかげなの」
 「二人とも、ここで長話している猶予はなさそうです」

 雫の言葉に気付くと祭壇の下に兵士が槍を構えて集まり出している。雫が僕達の前に立ち、刀を彼らに向けた。おそらくさっきの焼き直しだ。彼らでは彼女に勝てない。しかし、

 「控えろ!」

 聞きなれない声が聞こえた。すると、すぐに兵士が下がり、統一された動きで両脇に並んでいく。そこを歩いてきたのはフードをかぶった男だ。

 「あれは――」

 フードをかぶり、刺繍をあつらえた厳かな衣装に身を包んでいる。あの姿は最初に集落から転移する時に見たものと一緒だ。顔は見えないが陽炎めいた様子があまりない。

 明らかに、あれは王だ。そう直感させるものがあった。

 「あなた、言葉が話せるの」

 瞳が言うと彼はそれに答えず言った。

 「本来ならかしずくところだが失礼を許してほしい。貴方はよくても後ろの巫女に隙を見せるわけにはいかないのだ」
 「後ろの……?」
 「我らは待っていた。再現された街中でただ一人いない氷見様を」
 「この子は氷見零ではありません」

 冷たい声音で雫が言った。

 「この場で奉っていたようですが。いくら氷見さんが恋しくても負傷した一兵卒を連れ帰っただけで気を許すのは早かったのではなくて?」
 「我らの支えになる存在だと民が熱望しているのだ。ならば王として応えるわけにはいくまい。本物でなくともその資格はある」
 「あなた方の単純な理屈なら、私はいつでも氷見さんになりますが」
 「お前は違う。我々から管理者の座を奪い、幾人もの兵士を葬ってきたではないか」
 「座を奪った……?」

 思わず僕が呟くと、「そうとも」と男は言った。

 「今、この月には管理者が二人いる。この私とお前だ。それも巫女から与えられた私の力を!」
 「え――?」

 瞳の表情が驚きに染まる。すると、雫は首を横に振って応えた。

 「あなたが月の管理者になったのは、あなたが特別だからです。あなたこそ正当な管理者ではありません。氷見さんから力を与えられただけ」
 「だが、力は二分された。それは事実だ」
 「私こそ、本来の居場所を奪われたのですもの。まとわりつく火の粉を払う以前に、大本を消さないといけませんね」

 そう言うと雫が刀を構えた。その瞬間、兵士が一斉に彼女の前に立ちはだかる。だが、王は彼らの前に出て手で印のようなものを刻んだ。あれも月の魔術か、オレンジの光が手の中から現れる。

 「待って!」

 間に瞳が割って入り、両手をお互いに向けた。

 「今ここで戦うのはやめて! 話せばわかるはずよ!」
 「話すも何もどちらかが倒れないと力は回収できないんですよ」
 「一つにしなくても二人で治めることもできるわ! それに今は人が――」

 瞳の視線を辿ると、廃屋の影でこちらを見ている人もどきがいる。何人ものが王と巫女の動向を見守っているのだ。

 「もしも王が倒されたら……」

 暴動が起きる。そして万が一、雫が倒されれば僕が一人で瞳を集落から救いださなければいけない。それは無理だ。

 「撤退しよう」

 雫に言うと、彼女は少し沈黙した後刀を鞘に納めた。

 「決着はまたいずれ。次は一対一でお会いしましょう」
 「結構だ」

 そして、彼は後ろを向くとそのまま兵士達と歩いていく。

 「私達も帰りましょう」

 「お母さん、今のは一体……。それにもう一人の管理者って」

 すると雫はため息をし、瞳に冷たい視線を投げた。

 「兵士は置いてこれましたか」
 「はい……」
 「瞳に気付けなかった私も悪いですが。もとより、この場所では気付けないんです。とにかく帰りましょう。そして、もう二度とここに近づかないように。私も来きません」

 踵を返し、雫は歩いていく。それを僕達は追ったが、彼女はふと立ち止まって振り返った。

 「ただ――亡霊に魅入られていなければですけど」

 そう彼女は呟いた。
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