青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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破(青い月編)

7節『考える変態』

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 離れの草原にまで戻ってくると萩谷が一人で待っていた。突き出た石に座り、平然と僕らを見返している。

 「何やってんだ、お前」
 「ここで待っていれば、そのうち戻ってくると思っていた」
 「瞳を置いて帰るのが護衛集団の跡取りとは。本当に拘束が効いているのか?」
 「ちょっと」

 瞳が止める声を出したが僕は続けた。萩谷の顔は変わらず平然で、それが余計に僕を苛立たせる。

 「もちろん彼女のことは守った。あの結界の中で兵士に囲まれつつあった時に、負傷した兵士を人質にした。寸鉄を首筋に向けて脅して、彼女がここに連れて帰るまでに何があったか話を盛り上げて話した」
 「そのせいで雨宮が女王みたいに扱われたぞ」
 「その非は認める。あれは予想外だったが、危害を加えられることはないと判断した。ここに戻ってきたのは、結界の内側に入れなかったのと居場所もわからない君達と合流するとしたらここだろうと思ったからだ」

 彼は僕達を見回しながら淡々と言った。相変わらず虚ろな目だが、なんだろう。僕は本性を出した萩谷のことを思い出した。彼の語感がそれを連想させた。

 「もういいわ」

 そう言って雫は離れた岩に腰を下ろした。

 「魁斗さんの言い分はわかりました。私も油断したのは確かです。人もどきについて話したくなかったことが、今回の事態を招いたのですから。樫崎さんも今後、私が注意するということでいいでしょう?」
 「まあ、そこまで責めてるわけじゃないけど」
 「母さん。それよりも、あの人もどき達は何なのか今度はちゃんと教えて。特に、もう一人の管理者と言った人のことよ」
 「そうですね。どうしても説明がいりますね」

 彼は現代語を話し、そして瞳を氷見と同一視していた。そもそも他の人もどきが陽炎のようにゆらめいているのに対し、彼にその雰囲気はなかった。

 「それは氷見さんの中で一番記憶に残っている人だからよ」
 「記憶……」
 「氷見さんはいわば、この街では神官のようなものでした。街を治めていたのはあの王。彼女は彼と祭壇で毎日顔を合わせていたから、イメージが薄れなかったのでしょう。現代語を話せるのも、それなら筋が通ります」

 「どういうことだ?」
 「彼らは氷見さんが現代の概念を知ってから作り出した存在だからです。本人ではなく記憶から再現された人達ですから。陽炎のように細部がはっきりしていないのも、その証拠です」
 「じゃあ、自分をそうだと思い込んでいる別人なのか」
 「別人というより限りなく本人に近いんですけどね」

 僕の言葉に雫はうなずいて言った。

 「特に、あの王は街にとって特別な存在である以上、氷見さんの加護が与えられたのでしょう。王はつまり街の管理者ではなくてはならない――そんなイメージが力として備わったのです。なので、二人目の月の管理者というのは本当のこと」
 「じゃあ、力が分けられたというのは、」
 「管理区域が別れているということです。私はあの街に干渉できないし、向こうも私の領域には月の力を使うことはできません。巫女の魂のよりどころである神殿も王が有しているから私が入ることも叶いません」
 「神殿?」
 「歴代巫女が眠る魂の座よ」

 瞳が雫の後をついで言った。月世界がこうなる前はそれしかなかったはずだとも。

 「今は王の力で封印されています。場所もつかめないけれど、人もどきにとって重要な場所に置き替えられている可能性もありますね」
 「氷見もそこにいたわけだからな」
 「少し皮肉ね」

 伏し目がちに瞳が言った。

 「あの王様達は氷見さんなしには存在できなかったのに、当の本人はもう月にはいない。氷見さんを求めているけど、彼女が万全だったら彼らは生み出されなかった」
 「さらに言えば無意識に作り出された哀れな魂ですからね。あの人は最後まで、その思いを胸にしまっておきたかったのに」
 「思いって、願望か?」
 「ええ。自分が巫女でなかった頃の平和な日常そのもの。絶対に取り戻せないからこそ、中身のない夢を氷見さんは見たがりませんでした」

 僕の言葉に雫もどこか悲しそうに言った。

 おそらく学校で見た氷見の姿と雫が知る姿はきっと全く違うのだろう。理性的でも、致命的に狂ったずれが彼女にあるのだ。

 「民間伝承の隠れた真実だな」
 「そうだな」

 萩谷の言葉に僕はうなずく。すると、少し考えるような表情を見せて雫が言った。

 「今更こんなことを言うのもよくないですが――あなた達はもう地上へ帰った方がいいと思います」
 「――え?」
 「嫌な予感がするんです。もう手遅れかもしれませんけど」
 「それはどういう……」

 聞くと、突然雫は立ち上がった。何もない空間に手をかざし、低い声で何かを呟き始める。すると次第に空間に波紋が出始め、付近に現れた泡が周囲を回転し始める。綺麗な円を描く様子がまるで天体図のようだと思った時、急にそれが弾け飛んだ。

 「今のは!?」
 「ああ、駄目ですね」

 深刻そうな顔で雫が僕達を見た。

 「月の門を開こうとしていたんですよ」
 「門って、出口?」
 「はい。ですが、開きません。駄目です。魅入られました」
 「魅入られたって……」
 「あの人達にですね」

 そう言って雫が集落の方を指さす。まさか。

 「王が月の力で鍵をかけたのか!?」
 「そうですね、はい」
 「そんな! 一生出られないことになるじゃないか!」

 思わず大声を上げてしまった。

 「まあ、いくらでも修行する時間が生まれたということで」
 「なんでそんなに冷静なんだ」

 確かにこの人、死んでるからいいけど。

 「あなただって瞳とずっと一緒にいられますよ」
 「じゃあ、別に騒ぐことないか」
 「大ありよ!」

 冷静になった僕に瞳が怒り出す。

 「確かにやけに若い姑とお邪魔虫までいるのは困るか」
 「母さん、死なない程度にこの人切っていい?」
 「いいわよお」

 よくないよ。

 「なんか月に来てから雨宮のテンションおかしくないか? それともそれが素なのか?」
 「昔は明るい子だったさ。お前が知らないだけだ」

 そこで今まで黙っていた萩谷が口を出す。この幼馴染ポジションが。

 「いろいろ言ってますけど話は単純ですよ。例えば、王の首を落とすとか。瞳を王に託すだけでも無関係なあなた達は外に出られると思いますよ」

 それは論外です。

 「幻滅させて興味をなくさせるってのも、どうかしら?」
 「樫崎くんなら得意そうね」
 「親子揃って冗談がうまいな」

 そう言って、わざとらしく笑ってみた。……少し乾いた笑いになったかもしれない。

 「あ」

 そこで思いついた。
 その場にいた三人が一斉に僕を見る。

 「妙案を思い付いたぞ」
 「母さん、私嫌な予感がする」
 「こいつの考えることにはろくなのがないぞ」

 瞳と萩谷に冷たい視線を送られるが、これは悪くないんじゃないだろうか。二人を無視して雫に向かって話し出すと彼女は馬鹿みたいに笑いだした。

 「面白いですね。やってみましょう」
 「母さん……」

 反対に瞳は吐くかのようにえずき出した。

 「ですが、もう時は閨の刻。向こうも警戒しているでしょうし、ひとまず明日になったら実行しましょう」
 「本当にやるつもりなの!?」

 自分で言いながら奇抜な発想に僕もテンションが上がっていた。「お前の欲望だろ」と萩谷は呟き、「なんでこんな目に」と瞳の顔は暗いが、きっとうまくいく。

 雨宮の服を着て女装する――考えるだけで楽しいじゃないか!

 勢いで新たな性癖に目覚めそうな気もした。
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