誰もいない城

月芝

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041 黒い衝動

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 ひょろ長い腕から逃れ続けているうちに、ある疑問がわいた。

「そういえばアレはどうやってボクの位置を捉えているのだろうか」と。

 なにせ相手は天井にある井戸からのびている腕。
 眼なんてものはどこにもない。
 あるのは井戸と、暗い穴と、腕のみ。
 なのに獲物であるこちらを見失うことなく、執拗にのそりのそりと追い続けている。
 怪異だからと片付けるのは簡単だが、奇妙といえば奇妙な話。
 最初に遭遇した影法師は、なんだかんだで人型をしていた。頭部があるということは、見えないだけであそこには目の役割を果たす何かがあったのだろう。
 空中回廊にいた巨大なヤモリにいたっては、無数の小さな目が全身どころか口の中にまであって、こちらをギョロギョロ見ていた。
 植物園のガーゴイルには、しっかりとおっかない双眸があった。
 だとすればコイツにもこちらを視認する役割を持つ目なり、器官を持っている可能性が高い。

「もしかしてそいつをつぶせれば、あるいは……」

 すっかりマンネリ化した鬼ごっこ。
 飽き飽きしていたボクは、その考えがとても素晴らしいものに思えてくる。ダメ元で試してみる価値があるのかもしれない。
 よくよく考えれば、そんな考えを抱くこと自体がかなり危険な精神状態だったというのに。

  ◇

 ひょろ長い腕の目、もしくはそれに準ずる器官。
 その位置を探るためには、極力、近づく必要がある。
 とはいえいきなり踏み込むような度胸はない。
 まずは数歩単位にて間合いを詰めていく。そうすることでじっくりと相手を観察する。
 最初に疑ったのは、六つも関節のある異様に長い指。
 が、何もない。
 ギザギザに荒れた爪。少し血がにじんでいる指先。骨とシワだらけ皮膚。その表面にはシミのような模様が浮かんでいる。
 手に中に目が! なんてこともなく、ここにも何もない。
 あるのは極端に肉付きの薄い手のひらのみにて、破れた唐笠やウチワを連想させるうらぶれ具合。
 手首から肘や二の腕にかけても似たようなもの。本当に細く、貧弱そうにしか見えない。
 それこそ蹴っ飛ばしたらポキッと折れてしまいそう。

「……もしかして、やっつけられるかも」

 ふと、そんなことを考えた。
 このままではじり貧にて埒が明かない。だったらいっそ……。
 ゆらりと向かって来るしなびた老婆の手。
 ボクはあえてギリギリまで待ってから、これをひょいとかわす。
 ひょろ長い腕は停止が間に合わずに、そのまま背後の鏡面にぶつかる。瞬間、長い腕が水を吐き出しながら暴れる水道のホースのような動きをした。
 はずみでこちらへとのびてきた指先。そのうちの一本をボクは肩かけカバンにてバシッと払う。
 細々とした品に本やら手帳やらが入っているとはいえ、たいした重さはないから、ダメージは軽微のはず。
 実際のところ手ごたえも軽かった。
 だというのに、カバンで殴られた指がおかしな方向にねじれ、折れ曲がっていた。

  ◇

 散々に自分を苦しめ脅かし続けていた相手が、じつは弱かった。とんだ見かけ倒し。
 それを知ったとき。
 ボクの中に突如として湧いたのは、ドス黒い感情。
 他者に害や苦痛を与えたいという衝動。嗜虐的で歪んだ欲求がムクリとかま首をもたげる。
 心中にたまりにたまったドロドロ、鬱積(うっせき)した憤懣(ふんまん)が奥底よりせりあがってくる。
 そんな感情に身をまかせてはいけない。
 わかっているのに、とめどもなくあふれてくる。どうしても止められない、止まらない。
 抵抗虚しく意思や理性が次々と呑み込まれていく。
 やがて火山が噴火するがごとく、すべてがあらわとなったとき。
 ボクは笑っていた。
「きゃっきゃっ」と笑いながら、ひたすら肩かけカバンを振り回しては、ひょろ長い腕を殴打し、足蹴にする。

「バカにしやがって! バカにしやがってっ! バカにしやがってぇえーっ!」

 自身を中心とした暴力の嵐が吹き荒れていたとき、たしかにボクは狂っていたと思う。
 大声で叫び、わめき、怒鳴り、吠え、わけのわからない言葉を口走り、口からは泡を吹き、ヨダレを垂らし、ひたすら相手を罵倒し痛めつけるという快感に酔いしれる。
 もしもその時間があと少しで長く続いていたら、ひょっとしたら本当に発狂してしまっていたのかもしれない。
 けれどもそうはならなかった。
 ボクをケダモノからヒトへと戻したのは、皮肉にも散々にこちらを苦しめてきた鏡の迷宮。
 鏡の中に映る世にも浅ましい人物の姿を目の当たりにした瞬間、まるで憑き物が落ちたかのようにして、ボクは正気をとり戻す。
 原因は不明だが、この怪異だらけの理不尽な場所ではボクの姿は鏡には映らない。
 記憶の中にも自分の容姿はなく、どのような顔をしていたのかも、いまだに思い出せていない。
 それが唐突に見えたのだから、ボクの驚きは相当なもの。
 けれども鏡に自身の姿が映ったのは、ほんの一瞬だけ。すぐに消えてしまった。ぶっちゃけ、チラッと目に入っただけにて、視界もブレブレでよくわからなかった。

「おいっ! ふざけんなっ。どうして」

 ボクはボロボロになったひょろ長い腕をムシして鏡に張りつくも、叩こうが蹴ろうがふたたび自分の姿が浮かびあがってくることはなかった。
 自分の姿をとり戻す好機をみすみす逃してしまった。
 そのことがいったん下火になった怒りの炎を再燃させる。
 基本的に怒りの矛先は、弱者へと向けられる。
 この場では、それはひょろ長い腕。
 新たな暴力の嵐が吹こうとした時、それはあらわれた。

 天井の井戸から、のそりと姿を見せたのは新たな腕。
 だがそれがどうした? こんな枯れ枝みたいな貧弱な腕が一本増えたところでボクの敵じゃない。来るならこい。へし折ってやる。
 好戦的になっていたボクは意気軒昂。
 でも興奮するあまり忘れていた。ここは怪異が跋扈し、理不尽を寄せ集めて固めたロクでもない場所であるということを。
 二本目に続いて、三本目があらわれる。さらに四本目、五本目とぞろぞろ増えていくひょろ長い腕。
 いつしかズタボロになっていたはずの最初の腕も、ゴキゴキ長い指の骨を鳴らしながら復活していた。
 狩る側が狩られる側へと変わり、ボクは呆然と立ち尽くす。
 一斉にのびてきた五つの手から逃れるすべはない。
 あっさりと両手両足と胴体を掴まれたボクの体は、そのまま井戸の底へと引きずり込まれていく。


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