誰もいない城

月芝

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010 闇路の逃走

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 濃い闇がどこまでも続いている。
 そんな中を走り続けるうちに、本当に自分が前に進んでいるのかわからなくなって、不安に押しつぶされそうになる。
 それでも心が折れずに駆けられたのは、皮肉にも背後から迫る圧力。
 勇気なんて欠片もありやしない。
 恐怖から逃れたい。
 その一心のみがボクの体を突き動かしていた。

 ガンガンガンガン……。

 影法師にとっては、けっして広くない廊下。巨体をゆすって走っているのであろう。さっきからヤツの手にある金棒が暴れて、そこいら中にぶつかっては、うるさくってしようがない。
 走り続けているボクの中に、なんら脈絡もなく唐突に「背後をふり返りたい」という欲求が湧いた。
「ちょっとだけ」そんな誘惑を即座にふり払う。
 ダメだ、ダメだ、ダメだ!
 たぶん一度でもふり返ったが最後、バランスを崩し、足がもつれて倒れてしまうだろう。そしてボクはきっと二度とは立ちあがれない。
 だから、いまはただ前だけを向いて、余計なことは考えるな。手足を動かすことだけに集中しろ。
 ひたすら自分にそう言い聞かせる。
 なのに気ばかりがはやって、急激な運動に肝心の体の方がついてこない。
 すぐに呼吸が乱れはじめた。視界が上下にゆれる。
 胸が苦しい。心臓が痛い。肺が悲鳴をあげている。
 上体が後方へと流れて、下半身だけが先へ。
 くそっ、手にした木の棒が走るのに邪魔だ。いっそ牽制がわりに後ろに投げ捨ててしまおうか。
 なんぞと考えていたところで、これまで左肩にてじっと掴まっていた白い腕がもぞもぞと動く。
 白い腕が指し示したのは、廊下の先にあった脇道。
 直線の途中、右へと枝分かれしている箇所がぽっかりと口を開けていた。
 たぶん自分だけだったら、背後から迫る影法師に怯えるあまり、気づかずに通り過ぎていただろう。
 ボクは「シメた」とそちらに飛び込む。
 しかしすぐに派手に転倒。
 右へと進路を変更したとたんに待っていたのは、昇りの階段。
 ずっとまっ平な廊下を走り続けていたところで、急に床の形が変化したことに反応しきれない。
 数段ばかり飛び越えたところで、目測を誤り、ズルっと足もとが滑った。勢いのままにうつ伏せに倒れる。
 下は石の階段。
 鼻先、胸元、肘、腹、腰、腿、脛……。
 段々の角にて複数箇所を同時に強打。
 筆舌に尽くしがたい痛みに襲われて、ボクは悶絶する。
 瞬間、ありとあらゆることが頭の中から吹き飛んでいた。
 意識こそは保たれているものの、この場合は、それが良かったのかどうかは判断が難しい。
 ボクは涙目となって「うーうー」とうなる。
 自身の内を駆け巡る痛みがひくまでの時間を耐え忍ぶ。

  ◇

 どれくらいうずくまっていたのかはわからない。
 ようやく痛みがおさまってきたのに比例して、思考も戻ってくる。
 気がついたら、いつの間にかあの音が聞こえなくなっていた。
 背後から追いすがる影法師。その手にあった金棒が床や壁をガンガン鳴らす音。
 ひょっとして、脇道へとそれたこちらには気づかずに、そのまま先へと行ってくれた?
 おそるおそる顔をあげ、ふり返る。

 絶望はそこにいた。

 無様に転がるこちらを廊下からじーっと見ている。
 目も鼻も口も耳も、何もない顔がボクだけを見ていた。
 影法師とは三メートルと離れてはいない。
 ヤツの長い腕と金棒ならば余裕で届く距離。
 これまでにも扉越しに何度か接近遭遇してはいたものの、こうやって隔てるものが何もない状況では、初めての対峙。
 間近に接し、面と向かったからこそわかる。
 ボクの判断はけっしてまちがってなどいなかったと。
 コレには勝てない。
 愛と勇気と根性で戦ってどうにかなる次元の話じゃない。知恵や機転? ムダムダ。そんな人間の努力なんぞが到底通用せず、人が人である限りは到達しえない位置にいる存在。
 それがこの影法師だ。
 どうしようもない。完全に詰んだ。
 ボクは死を覚悟する。
 いいや、そんなカッコウのいい話じゃない。
 生をあっさり手放し、すべてをあきらめただけだ。
 ボクは目を閉じる。
 殺すなら、とっとと殺せ。
 ただ願わくば、せめて苦しまないように一撃で仕留めて欲しい。

  ◇

 いくら待てども、最期の時はなかなかやってこない。
 焦れたボクがまぶたをあける。
 不可解な現象が起きていた。
 影法師は廊下から階段へとあがってこようとしない。
 それどころかついにはのそりと向きをかえて、廊下の奥へと消えていった。
 理由はわからない。
 だが助かったのは事実。
 ボクは緩慢な動きにて倒れたひょうしに放り出していたカバンや木の棒、白い腕らをかき集めると、ノロノロと階段をのぼりはじめた。


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