322 / 483
其の三百二十二 駆け回る
しおりを挟む黄昏刻、油問屋松坂屋の蔵の中で、ちゅうちゅうと油を吸う音がする。
三柱目の「お犬さま」を発見できたのは上々であった。だが、相手が子どもだったのは完全に想定外である。
これまでみたいに堂傑が説得を試みても、きょとんとされて首を傾げられる。
話が通じていない。よくわかっていないのは明白であろう。
かといって力づくでどうにかなる相手ではない。
幼かろうとも神獣である。それも俗世に長いこと身を置いた状態の……。
下手に刺激をしたら反動が怖い。
だというのに、さらにおっかないことを銅鑼が言った。
「おまえたちは幼い幼いと言っているが、あれは神の遣いで、つねの獣とはちがうからな。いきなり覚醒することもあるぞ」
じょじょに段階を経て育つのではなくて、子どもだったものが、ちょいと目を離しているうちにあっという間に大人になる。
いきなり荒神になることも十分にありうると教えられて、藤士郎たちは言葉もでない。
なお銅鑼はいましがた合流したところである。いっしょに松坂屋まで来ていたのだが、はや見張りに飽きて、台所に摘まみ食いに行っていたのであった。
◇
ちゅう、ちゅう、ちゅ――
油を吸う音が止んだ。
どうやら黄の「お犬さま」は腹がくちて満足したらしい。
桶の呑み口の栓をきちんと戻すのはえらいのだけれども、直のみはさすがにちょっと……ではなくって!
「いけない。このままだと『お犬さま』が逃げちゃうよ」
「こうなったらせめて寝床だけでも突き止めておきましょう」
「ちっ、しゃーねえなぁ」
まんまと逃がすわけにはいかない。
さりとて回収するいい案も思いつかない。
藤士郎たちは、とりあえず黄の「お犬さま」を追いかけることにする。
だが、これがとんだ悪手であった。
追いかけられた黄の「お犬さま」は、きゃっきゃと喜び庭を駆け回る。遊びとの勘違いしたのだ。
逃げる黄の「お犬さま」、見失うまいと追いかける堂傑と藤士郎、それに続くうちに次第に銅鑼もむきになる。
かくしてはしゃいで転げまわる白い靄の塊と、僧侶に狐侍とでっぷり猫という珍妙な集団が、松坂屋の敷地内をどたどた走り回ることになった。
騒ぎを聞きつけた女中やら店の者が「なんだ?」「どうした?」と覗きにくれば、たたたと蠢く白い靄を目にして「きゃーっ」「うわっ!」と悲鳴や驚きの声をあげる。それが呼び水となって、さらに人を集めて騒ぎをいっそう大きくする。
人が集まるほどに、ざわめきが強まり場は異様な熱を帯びる。
その雰囲気に当てられてか、黄の「お犬さま」も興奮し、さらに勢いよく走り回るもので、追いかける藤士郎たちも汗だくで必死だ。
かとおもえば、黄の「お犬さま」が急に進路をかくんと折れたもので、藤士郎たちは「あっ!」「うぉ!」「なっ!」
藤士郎と銅鑼は持ち前の機敏さにて、どうにかその動きについていけたものの、堂傑は足をもつれさせたひょうしに、ずるりと滑ってしまった。
転んだひょうしに、こつんと頭を打ってうっかり人化けの術が解けてしまい、鼬頭があわらとなる。
間の悪いことに、その姿を店の者に見られたもので、さらなる阿鼻叫喚を招くことになってしまった。
するとこれに吃驚したのか、よりにもよって黄の「お犬さま」は庭先から渡り廊下を伝って、店の方へと行ってしまったもので、藤士郎たちは「まずい!」とおおいに慌てる。
急ぎ履物を脱いで追いかけようとした矢先のことであった。
店表の方から悲鳴に怒号やらが湧き起こって、騒動ここに極まれり。
藤士郎は「あちゃあ」と天を仰ぐ。
唯一の救いは、時刻が時刻であったので、すでに暖簾を下ろして店仕舞いを始めていたこと。客が居合わせなかったおかげで、店の看板に傷をつけずに済んだ。
とはいえ店表はしっちゃかめっちゃか。
そうしたら「さっきからぎゃんぎゃんとやかましいな。いったい何事か?」と奥からのそりと顔を見せたのは、仕込み杖にて体を支えている桑名以蔵であった。美耶お嬢さまから様子を見てこいと命じられてのことらしい。
そんな以蔵の方へと白い靄の塊が向かって行く。
隻足の用心棒は手にした杖にてこれを打ち据えようとしたもので、銅鑼はぎょっとし、藤士郎は「それは駄目っ!」と手近にあったそろばんを掴んで投げた。
顔めがけて飛んできたそろばんを以蔵が杖で叩き避ける。はずみでそろばんが壊れて珠がばらけ、周囲に飛び散った。
ぱらぱらと珠の雨が降る中を、黄の「お犬さま」は以蔵の足下を通り抜けていく。
とりあえず「お犬さま」は無事だ。大事には至らずほっと胸を撫で下ろすも、以蔵からぎろりとねめつけられて、藤士郎は「ひえっ」と首をすぼめた。
1
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる