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其の百五十七 初物食い
しおりを挟む江戸っ子はとかく見栄っ張りで、そのくせすぐにむきになって張り合う。
並んで凧をあげればたちまち喧嘩凧となり、芝居見物では舞台そっちのけで贔屓の役者談義で揉めに揉め、囲碁や将棋の盤を挟めば「ちょっと待った」「いいや待てない」で取っ組み合い。誰かが何かについて自慢をすれば、別の誰かが「へんっ、なんでぃ」と鼻を鳴らして負けじと通ぶって対抗する。
それが高じたもののひとつに「初物食い」がある。
旬の食べ物を誰よりも先に食べて「やはり初物はちがうねえ」と通ぶる。
茄子、きゅうりなどの野菜類、豆腐、蕎麦、海苔、鮎、茶、松茸に新酒などなど、その初物熱はとどまることを知らない。
そんな初物食いで特に持てはやされたのが初鰹(はつがつお)。「初物を食べれば七十五日も寿命がのびる」と云われ、縁起がいいと人々はこぞって初鰹を求めた。
しかし人が群がれば値が吊り上がるのは商いのつね。結果、旬になると鰹一匹が三両とかいうふざけた値をつけるようになる。ふだんであればずっと安く買える鰹が、旬というだけで知念寺の巌然和尚の霊験あらたかな御札と同じ値がつく。
この流行に危惧を覚えた幕府、食材の高騰を厭うたのだ。ゆえにお触れを出して封じ込めをはかるも、これが大失敗。御上が大々的に抑え込もうとするほどに、かき立てられる江戸っ子気質。止めろと言われるほどに返ってむきになる。
ついには根負けした幕府が、せめて売り出し期間に制限をかけるということで手打ちとなった。
ちなみに初物食いに熱狂していたのは江戸だけで、上方は冷めたものであった。
◇
ずるずるずるずる……。
蕎麦を啜る音がしていたのは、定廻り同心である近藤左馬之助の家。
左馬之助のところに信州の知人から新蕎麦の粉が送られてきたもので、「せっかくの初物。よければいっしょにどうだ?」と誘われて、ご相伴に預かっている藤士郎。
ちなみに蕎麦打ちは左馬之助の奥方である紗枝さまが担当。これが玄人はだしの腕前にて、さっきから藤士郎は箸を持つ手が止まらない。
友人の旺盛な食欲を一杯ひっかけながら眺めている左馬之助が「そう慌てんでも蕎麦は逃げんぞ」と目元を細める。
だが藤士郎の勢いは止まらない。
が、そんな落ち着きのない食べ方を続けていたもので案の定……。
「うぐっ」
喉を詰まらせた藤士郎が、どんどん己の胸を叩く。
呆れる左馬之助。これを見かねて茶の入った湯飲みを差し出したのは、左馬之助の娘の知恵。
助かった藤士郎が「ふぅ、ありがとう」と礼を述べれば、母親似の愛らしい幼女は「とうちろうちゃまは、せわがやけるのね。わたしがいないとだめなんだから」と舌足らずで生意気を言う。
これには藤士郎も「いやあ、こいつはまいったなぁ。ははは、知恵ちゃんはきっといいお嫁さんになるよ」と頭をぼりぼり。
すると左馬之助が急に真顔となって「……うちの娘はやらんぞ」とぼそりとつぶやいたもので、藤士郎は慌てて手を振り「なんでそうなる!」
じと目をする左馬之助と狼狽する藤士郎。
ふたりのやりとりをくすくす笑う知恵が「ところで」と知りたがったのは、そんな男たちの馴れ初め。
近藤左馬之助と九坂藤士郎。
片や御家人株を持つれっきとしたお役人の家の者。片や江戸剣術界から総すかんを喰らっているおんぼろ道場を営む家の者。
同じ士分とはいえ中身にはずいぶんと差がある。そんな家の者同士が親しく付き合っている。幼いながらにこれを不思議に思っていた知恵。
「ねえねえ」まとわりつきせがむ愛娘に左馬之助は「う~ん」と困り顔ながらも、ついには根負けし「わかった、わかったから。そんなに揺らさないでくれ。酒杯(さかづき)の中身が零れてしまう」
くいと呷って酒杯を空にし、喉を潤おしてから「えー、こほん」と左馬之助。
「では話すぞ。あれはまだ十代半ばの頃のこと……」
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