狐侍こんこんちき

月芝

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其の九 尼御前

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 せっかく派手な喧嘩が見られるかもと集まった野次馬らであったが、とんだ期待はずれ。「なんでえ」と口を尖らせ散っていく。
 茶屋の老店主とおみつからお礼にと持たされた団子の包みを手に、藤士郎も引きあげようとしたところ。

「先生」

 声をかけてきたのは伽耶次郎。
 屋敷から駆け出す藤士郎をみかけて、追いかけてきたという。
 ふたり並んでの帰り道。

「誰も傷つけることなく場をおさめるとは……。拙者、ほとほと感服しました。でもだからこそわかりませぬ。どうして先生のところには門下生がひとりもいないのでしょうか」

 一部始終を見ていた次郎は、尊敬の眼差しを向けつつも不思議そうに小首をかしげている。
 藤士郎は「はははは、本当になんでだろうねえ」と乾いた笑いにて頬をぽりぽり。
 じつのところ心当たりならば、たんとある。

  ◇

 伯天流、その歴史はとても古い。
 嘘か誠か、源平合戦よりも前から存在していたとか。
 いわゆる古流というやつで、戦場を想定したより実戦的な内容。
 だがそれゆえにいささか荒々しい面を持つ。
 これがいまの太平の世にはまるでそぐわない。
 なにせ試合開始の合図とともに、隙あらばいきなり相手の股間を容赦なく蹴りあげることすらあるもので。

 物心つくより前から父平蔵を師と仰ぎ、薫陶と愛情を一身に受けてすくすく育った藤士郎。
 そのかいあってか、かつて田沼家で催された御前試合にてついにやらかす。
 参加するはずの者が食当たりを起こしたとかで、急遽数合わせでのお声掛かり。
 もしも田沼の殿さまのお眼鏡にかなって後ろ盾を得られれば、栄達もありうる絶好の機会。
 だから参加者らはみな目の色をかえて試合に臨んでいた。
 誰も彼もが形相険しく、異様に張り詰めた空気の中にあって、ひとり飄々としていたのが藤士郎。
 だというのにである。
 そんな若者が、こともあろうに選り抜かれた猛者たちをばったばったと薙ぎ倒し、あれよあれよと十人抜きの快挙を達成してしまった。
 けれども得られたのは賞賛ではなくて、卑怯卑劣の誹りばかり。

 伯天流、遣う得物は小太刀のみ。
 目、喉、金的、脛、膝、手足の甲などなど、急所狙いもなんのその。
 太刀捌きも奇異ならば、手癖足癖がとにかく悪い。
 組み、打つ、極める、さらには倒れた相手にも追い打ちをかます。

「なんたる下劣な戦い方か! これならばまだその辺の野良犬か破落戸(ごろつき)どものほうが、よほどわきまえておろう」

 とは、門弟をぞろぞろ連れて屋敷にのり込んでいた、どこぞのえらい道場主が発したお叱りの言葉。藤士郎にしてやられた陣営もこれに同調、抗議の声をあげたものでけっこうな騒ぎに。
 悪評はたちまち広がり、「あんなものは武士の剣ではない」と後ろ指をさされ、いまや伯天流は江戸剣術界において、その名を口にするのも穢らわしいみたいな扱いとなっている。
 もっとも父の代から門下生はおらず道場は廃れており、さして影響がなかったのが悲しいところ。

  ◇

 帰りの道すがら、次郎へ正直に打ち明けるべきかを悩む藤士郎。
 でもそのうちにふと「あれ? そういえば、どうして次郎はうちにきたのだろうか」という疑問が湧いた。
 これは次郎を担ぎ込んだときにも、ちらりと頭をよぎったことではあったが、あのときはどたばたしており、それどころではなかった。
 こういってはなんだが、伯天流はたいそう評判が悪いもので寄りつく者とてなく、また道場の場所を知る者も少ない。

 広い江戸、数多ある剣術道場の中から、よりにもよってどうしてうちなのか?
 たまたまであろうか。それにしては都合のいい偶然がいくつも重なっている。 
 次郎は脇差しの付喪神。それをもっての仇討ちとなれば、遣い手はかなり限られる。なにせたいていの道場で教えるのは刀ばかりだもの。
 でも伯天流は小太刀を遣うから、その心配がない。
 あとうち以外だと、まず門前払いであったろう。それどころか、もしも正体がばれたら、その場で退治されるか、見世物小屋に売られるか。きっとろくなことになりはすまい。

 どうしても気になった藤士郎。
 いい機会なのでたずねてみると、次郎はとくに隠すでもなし。

「それは……。あの夜、拙者が泣きながら彷徨っていると、通りがかった親切な尼さまが教えてくれたのです。『くだん坂にある道場にお行きなさい。きっとあなたを助けてくれますから』と」

 探し当てるのに難儀したもののおかげで助かったと、次郎はしきりに感謝しているようだが、話を聞いた藤士郎はおもいきり眉根を寄せての怪訝顔。
 まったく心当たりがない。
 真夜中にうろつく尼さんというだけでも胡散臭いのに、そんな尼さんがうちを指定したというのもわけがわからぬ。

「その尼御前、いったい何者であろうか」

 たいそう綺麗な方にて、まるで菩薩さまのようであったと次郎はつけ加えるも、どうにも気色の悪い話。
 やはり裏で何者かの意図が働いている。
 藤士郎はまたぞろ悩みの種が増えたと、深いため息。


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