狐侍こんこんちき

月芝

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其の十 甘い話

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 九坂藤士郎が伽耶次郎から謎の尼さんについて話を聞いていた頃。
 茶屋で騒ぎを起こした牢人者ども。おもわぬ邪魔が入ったものの、どうにか食い逃げには成功したと思い込んでいたのだが……。

 あらかじめ決めていた場所で合流するも、そのときになって懐が妙に軽いことに気がついたのは、ふたり組のうちの片割れ。どこにも財布が見当たらない。よもやそれが先ほどの騒動のさなかに、掏られたとは露知らず。

「くそっ、くそっ、くそっ! 稼ぎそこねたばかりか、逃げる途中に財布まで落とすだなんて! 今日はとんだ厄日だっ! ちくしょうめ!」
「まぁまぁ、そういきり立つなよ。たまにはこういう日もあるさ。ほら、こんなときには酒でも飲んで、験直しをするのにかぎる」

 どうにか相方をなだめすかし、まだ陽も高いうちから男たちは場末の酒屋へと。

  ◇

 赤ら顔の呑んべえどもで賑わう酒屋。
 奥の席にどっかと陣取る牢人者ら。やたらと味の濃いあさりの佃煮をつつきながら、安酒をちびりちびり舐める。しかし値相応に水で薄められているから酔いがいまいち。
 ちっとも憂さが晴れない。やたらと杯を重ねては愚痴ばかりが増えていく。
 するとそこに「ちょいとごめんなすって」と声をかけたのは、たまさか近くの席に居合わせた男。渡世人ほどやさぐれてはいないものの、ただの町人とも少し違う。奇妙な空気をまとった油断ならぬ奴。

「きさま、まさか目明しの手の者じゃなかろうな!」

 身に覚えのある牢人者らは、馴れ馴れしく近づいてきた相手に警戒心もあらわ。
 これには声をかけた側があわてる。手を振り「ちがいやす、ちがいやす」と懸命に否定する。

「いえね、じつはだんな方、なかなかのやっとこの腕前とお見受けしやしたもので、ちょいと声をかけさせてもらいやした。よろしければいい儲け話があるんですがねえ。
 興味がおありでしたら、いまから河岸をかえてお話ししますが、どうしやす?
 ああ、もちろん御銭(おあし)はあっしが持ちますんで、どうぞご遠慮なさらずに。
 もしも話を聞いて気に入らなければ、袖にしてくださってもぜんぜんかまいやしませんので」

 なんとも胡散臭い誘いである。
 押し込み強盗の手伝いか、はたまた殺しの依頼か。きっとろくな話じゃない。
 けれどもいまは懐具合が寂しく、安酒にていくぶん酔いがまわっていた牢人者らは顔を見合わせ、「まぁ、話を聞くぐらいならば」とつい誘いに応じてしまった。
 世の中、甘い話には裏がある。
 そんなことは重々承知していたはずなのに……。

  ◇

 誘われるままについて行った先は上等な舟宿。
 竜宮城のごとき豪奢なお座敷に通され、贅を凝らした馳走を振る舞われた牢人者たち。
 当初はあまりの歓待ぶりに緊張していたものの、それも綺麗どころにお酌をされて鼻の下をのばしているうちに、自然とほぐれていく。
 そうしてほどよく酔いがまわり、牢人者たちがすっかりいい心持ちになったところで、男が目配せ。とたんに女たちは静々と席をはずし、いよいよ本題へと。
 すっと目元を細めた男が牢人者らへとにじり寄る。
 声の調子を一段落とし「じつは……」

 もちかけられたのは闇試合への参加の打診。
 金と時間はたんとあるのに、退屈を持て余しているお客さま方の前にて、真剣勝負を披露する。
 血で血を洗う凄惨な死亡遊戯。
 勝てばぽんと百両とっ払い。受けがよければお客たちから黄金色のおひねりも期待でき、同時に開かれる賭場にて己に賭けておけば、さらに儲けが膨らむ。やりようによっては、たったひと晩で千両箱を手にすることも夢ではない。
 ただしそれもこれもすべては、生き残ることができればの話だが。

「いくら刀が武士の魂とはいえ、いまのご時世、そんな建て前なんぞではとてもやってはいけませんでしょう」
「せっかく磨いた自慢の腕。ふるいどころもなく、ただ朽ちさせていくばかりなのはもったいない」
「腰の物は飾りじゃない。刀は、剣術は、生身の人間を斬ってこそでしょうが」
「えっ、負けたらどうなる? もちろん死にますね。ですが虎穴に入らずんばなんとやら。大金を得るには相応の覚悟と質草が必要ってもんですよ」
「いいじゃありませんか、べつに死んだって! このままではどうせお先まっくら、人生どん詰まり。浮かぶ瀬なんぞありゃしませんよ。ゆっくり腐って、みじめに生き恥を晒すだけなんですから」
「いっぱしの剣客たるもの、己が一刀にすべてを賭けるのもまた一興かと。武士ってのはもとはそういう生き物だったでしょうが」
「……ここだけの話。うちのご贔屓筋の中には幕閣に名を連ねるお歴々や、大大名の江戸家老なんぞもおりましてね。うまく目に留まれば立身出世の道が開けるやも」

 まるで立て板に水。つらつらと言葉を並べては、巧みに牢人者たちをその気にさせていく男。袖の陰にてにへらとほくそ笑む。


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