怪しい二人

暇神

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#3 指名依頼

#3-4 王

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 彼女の拳は、彼の懐に届いた……筈だった。

 通常であれば、彼女の身体能力に加え、術式、霊力による強化を受けた拳は、相手の体を内部から破壊する、正に一撃必殺。ならば、何故彼は立っているのか。
 彼の懐を見る。なんと、彼の体と彼女の拳の間には、一枚の壁が有った。彼は、避けられないと悟った時、咄嗟に術式で体を守った。それが、彼を守った。彼は、まだ戦える。
 彼女と彼の距離は、正に至近距離。伸ばせば手が相手に当たる。そんな距離。つまり、彼の攻撃も、当然当たる距離。彼は、瞬時にコンクリートの拳を作り、彼女に振り下ろした。
 集中の糸が切れた。彼は、肩で息をし、その息は、ぜえぜえと音を立てている。
「いった~い!」
 コンクリートの山の中。そこに埋もれている彼女は声を上げた。流石に白金級最強クラス。耐えてきた。
「効いたわよ……今の攻撃。だけど、今のが貴方の全力ね?その程度じゃ、アタシは倒せないわ」
 彼女は、大胆にもそう言ってのけた。しかし、彼女は大きな誤算をしている。彼には、まだ奥の手が残っている。まだ、彼はそれを出し惜しみしている。これを使えば、起死回生の一撃となるが、これが決まらなかったら、それで終わり。そんな奥の手が。
「もう満身創痍でしょ?これで、最後よ!」
 彼女は、自身の周りに、無数の武具を作り出した。斧、槍、剣、その全てが、彼に向けられているのは、言うまでも無い。
 これこそが、彼女の奥の手。先程の攻撃を耐えた相手には、これを使う。それが、彼女の『礼儀』らしい。
 彼女は、それらを一度に彼に向かって飛ばした。彼も負けじとそれらを叩き落とす。これだけでは、彼を倒す事はできない。しかし、それこそが彼女の狙い。この技は、相手を倒す技でも、相手の霊力切れを待つ技でも無い。

 この技は、彼女が最も強い状況を作り出す為の技だ。

 彼女は走り、一瞬で彼の懐まで潜り込み、大きく拳を振りかぶる。
 今度は彼も防御するリソースが無い。彼が操るコンクリートは、その全てが彼女の攻撃を弾く為に使われている。
 彼女は、拳を彼の懐に叩き込む……筈だった。彼女が拳を構えた時点で、彼は壁を作る事を諦めていた。彼は、彼女の足場を崩し、拳の勢いを削ぐ事だけに集中していた。
 結果、彼の作戦は成功した。彼女は足場を崩された事で踏ん張りが効かなくなり、彼の懐に届いた攻撃は、彼でも耐えられる威力まで落ちていた。
 この隙間。一瞬、彼女が状況を理解する為にできた隙は、彼に準備する時間を与えた。
 彼の最大出力。彼の必殺技。彼は、その場に存在している全てを操る事ができる。『闘技場』は、既に公平な決闘の場ではなく、一方的な『処刑場』に変わっていた。
「これで!僕の勝ちです!」
 彼は、彼女を取り囲む全ての物体を、無数の棘に変えている。彼女も、自身に向かってくるそれを、自身の術式で防御し続ける。
 先程と違い、今回は彼女が落ち続ける状況。彼は、地球に存在する万物が、いずれ着地しなくてはならない地面でさえ、無数の棘に変える事で、確実に相手を殺せる状況を作り出した。
「良いわあ!貴方!ゾクゾクしちゃう!」
 そんな状況下でさえ、彼女は笑い続けた。
 彼女は自身の術式で足場を作り、彼に近づこうとするが、彼はそれを許さない。足場を壊し、追撃し、彼女に時間を与えない。まるで自身がこの場を支配する王であるかのように、彼は彼女を見下ろし続ける。
 この状況は、彼が作り出した物。理不尽や他人に左右されない、彼自身が心の奥底で望む、『自由』を形にした、彼の願いを、彼自身で叶える為の技。
 彼女は、地面に近づく。決着が近づく。彼は彼女を倒す事で、この試合を終わらせようとしていた。
 彼女が地面に触れた。いや、確実には、彼女が纏った鎧が触れた。彼女はまだ生きている。
 止めを刺せる。そんな状況。しかし、彼は刺せなかった。彼は倒れ込んだ。
 彼女も、穴を這い出て来た。彼女は、彼に近づき、複数の武器を彼に向ける。
「霊力切れ……悲しいわね。こんな楽しい戦いの決着が、こんなつまらない物なんて」
 霊力切れ。この一か月、解消に努めた、最初にして最大の問題。無理も無い。彼のあの技は、彼自身の霊力を全て消費する、正に『諸刃の剣』。全力を尽くした結果、彼は倒れた。
「決着……で良いわよね?」
 彼女は、俺に問いかける。俺はそれに答える。
「ああ、有難う。これで決着だ。合否はまた今度、彼に伝えてくれ」
 俺は、倒れた彼を医務室に運が、彼女は、「大丈夫よ」とだけ言って、どこかに行ってしまった。

 霊力切れで彼を医務室まで運ぶのは二度目だが、彼への印象は全く違っていた。
 彼は、五分程で目を覚ました。
「大丈夫かい?」
「あ……八神さん……俺……そっか、負けたんだ」
 彼は、自分が置かれた状況を理解するや否や、泣き出した。
「すみません。俺、貴方に教えてもらったのに……それなのに……」
 彼は、あそこまでやって勝てなかったのが悔しいのだろう。それなのに、俺に謝って来た。
「何を泣く必要がある?君はよくやった。君は最後まで、立派に戦ったんだ。慰めにもならんが、君を誇りに思う」
 彼の嗚咽は、医務室に響いている。俺は、彼の傍に座っているだけだった。
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