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第二部・スノーフレークを探して

2・夏雪(なゆき)

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 車は道の駅から一号線へ戻り、静岡へ向けて走り出した。開いたばかりの道の駅で「朝食代わりだ」と渡されたのは、彼女が買った焼き蒲鉾だった。満陽はそれを黙々と齧った。それから蒲鉾は小田原の名物なのだと美子に教えてあげた。

「彼女って、どんな子なの?」

 不意打ちの質問に慌て、彼は口の中の蒲鉾を飲み下し、

「どんなって、ちょっと地味な子です。背もそんな高くないですし」

「ふーん。どうして好きになったの?」

 どうして、と訊かれると返答には困る。

「一学期に、席が隣同士で――。なんとなく喋るようになって。あ、同じ中学だったんです。クラスは違ったんですけど、ウチの中学からの入学が少ない高校だったんで、なんか安心できて」

「ふーん。そういう連帯感あるよね。で、どっちから告白したの」

「クラスのSNSと別のヤツのID交換してて――そこで」

「ミツハ君から?」

 横目で見た彼女は朝から嬉しそうだ。

「僕の方から……つき合ってみようかって……」

「お試しかあ。いいなあ、なんか。じゃあまだ、そんな経ってないんだ」

「そう、ですね。一か月くらいです」

「だったら彼女、心配してないの? このこと知ってるの?」

 そこまでは考えていなかったと、

「彼女、家族で海外に行ってるんです。向こうに別荘があるって」

 とりあえず話を作っておくことにする。

「ホントに? お嬢様じゃない。海外ってどこ?」

「えっと……アメリカの方……カナダだったと思います」

「そうかあ。夏のカナダ、涼しそうだもんねえ」

 満陽は早く話題を変えようと、ナユキへ質問した。

「ナユキさんは、大学って休んでるんですか」

「うーん。休みは休みだけど、ホントは働かなきゃいけないのよね。インターンシップってそういうシステムだから。職業体験。けど、今の私にはこれしか考えつかなくて」

「そんなに面白い小説なんですか」

「そうねえ。すごい面白いっていう訳じゃないんだけど、切なくなる感じがよくって。主人公の高校生はナユキさんに淡い恋心を抱いてるんだけど、彼女はコールドスリープの実験中。しかも八歳も年上で半年に一度しか目を覚まさない相手だから、じっと待つことしかできないの。だから半年に一回目覚める一週間の限られた時間が彼にはすべてで――っていう、もどかしいお話なのよ」

 彼女はそれでも楽しそうに語った。

「恋愛って、まだホントはよく分からないんですけど。楽しいことばっかりじゃないんですね」

「そうよ。ミツハ君だって、離れてる彼女に会いたいでしょう? でも今は遠く離れて会えない。そういう切ない気持ちとか、時にはケンカしたり、いろいろつらいこともあるわよ。まだケンカしてないの? あ、コンビニ寄らない?」

「いえ、大丈夫です。ていうか、ケンカするような性格じゃないんで、彼女」

「大人しいんだね。でも、そういう子でも心の中ではいろんなこと考えてるんだから、それを察してあげなきゃダメよ。じゃなきゃ、ある日突然『別れましょう』なんてことになるんだから。気をつけなきゃね」

 はあ、とため息をつき、話題を自分から戻したことに気づいて後悔した。

 八月の国道は車の列ができている。その先でも見据えているのか、彼女の視線が落ち着かない。

「そろそろだと思うんだけど……」

 何度も呟いていた。かと思うと、

「あ、あれ! は違うか……。上が白くないもんね」

「ナユキさん、何か探してるんですか?」

「何って、富士山に決まってるじゃない。位置的にはもう見えてるはずなんだけど――」

 どこか申し訳なかったが、満陽は教えることにした。

「もう、ずっと見えてますよ」

「ウソ! どこ!」

 彼女は目を見開く。

「右前の方です。今ビルの向こうに見えました」

「え? アレ? ホントだ富士山! あんな大きく見えるんだ!」

「これから先、建物がなくなればしばらく見えますよ」

「すっごーい。もっと富士市とか行かなきゃ見えないかと思ってた。ちょっと写真撮りたいからどこか止まっていい?」

「だったら箱根から見るといいと思います」

 やはりこちらの人間は富士山に慣れ過ぎているのだと、興奮する彼女を見ながら満陽は黙っていた――。



「いやー、感動した。私のスマホに初めて富士山が刻まれたわ。フレームに収まりきれないくらいだもん」

 箱根を越えた裾野からの光景に満足して、美子は車に戻った。

「さあ、それじゃ静岡目指して走るわね。お昼、ちょっと遅くなるけど。どこかよさそうなとこあったら教えて」

「だいたい海産が多いですけど」

「どんな?」

 満陽はうろ覚えの知識で答える。

「焼津とか、マグロが揚がるはずなんですけど」

「何それ行きたい! どこ?」

「静岡市のちょっと先です」

 コンビニで途中休憩を挟み、先に入った車から煙草を吹かす彼女を見ていた。背中まである栗色の長い髪が大人っぽく、間違えても高校にはいない雰囲気の女性だと思っていると彼を見て笑いかけた。つい目をそらした。理由は分からない。

「ふーん、焼津って温泉あるんだ。駅前? ホントかな」

 運転席へ戻った彼女があれこれ検索している。

「よし決まり! 今夜は焼津ね」

 と走り出した彼女に、彼は不安を覚えていた――。
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