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第二部・スノーフレークを探して
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「君は?」
「あの、大場――満陽です。満ちる陽って書きます。高校一年です」
「ミツハル――。ミツハルか。いい名前だね」
「そうでもないです……」
彼は目線を落とす。このままでは楽しい旅も手強くなってきたなと見えたコンビニへ車を入れて、
「何か買う? 夕食にするつもりなんだけど。お金、ある?」
押さえておきたい質問だった。
「三万円くらい、あります」
どこまで行くのかは知らないが、ヒッチハイクの高校生には十分な金額だ。
「じゃあ、おごってあげる。といっても私につき合ってもらってカップラーメンだけど。いい?」
「はい、ありがとうございます」
車外へ出てコンビニへ入ると、意外に背が高いのだと美子は彼の背中を見て気づいた。身長百五十二センチの彼女は、彼の頭を見上げる。
「お茶とかさ、大きいペットで買ってるんだ。マイボトルに詰め替えて。あ、満陽君には紙コップあるから心配しないで」
レジをすませ、無言でカップラーメンにお湯を注ぐ。
「おにぎりとかいらなかった? 男の子なんだから」
「いえ、大丈夫です」
車へ戻るとまた前後に分かれてラーメンを啜った。どうにもヒッチハイクの似合う社交的な性格でもなさそうなのにと、今後を心配しながら美子はルームミラーを覗く。コンビニの明かりが頼りなく彼の顔を照らす。
「さ、それじゃ助手席に移ってもらっていい?」
「え――」
「シート、濡れちゃったでしょ。前に来てもらうと助かるんだけど」
「……はい」
大場満陽を助手席に乗せて、ドライブは再開された。
「どうしてヒッチハイクしようと思ったの? やっぱり夏休みのチャレンジ的な?」
努めて明るく問いかけたが、満陽の反応は薄かった。
「家出……なんです」
そして重かった。
「そうなんだ。でも、そうなると私って犯罪者になるんだけど。たぶん誘拐」
「すみません……」
「でも、何か理由があるんでしょ? どうして家出なの」
彼はしばらく黙り、やがて意を決したように答えた。
「名前を変えたいって、親とケンカしてるんです」
「名前? 変えるって――お父さんとお母さんが離婚とか、そういうの?」
話が重くなることを彼女は覚悟した。が一分後、彼女は笑いだす。
「名前、変なんです。子供の時からバカにされてるんです」
「ああ、そっちの名前か。キラキラとか、そういうの?」
彼は右手でシートベルトを握りしめてうつむいた。
「その、言いたくなかったらいいのよ。色々あると思うから。私はね――」
続けようとした美子の声を彼が遮った。
「『かいぜる』っていうんです。『皇帝』って書くんです。しかも続けて読むと『おおばかいぜる』で大バカになるんです。僕は親が大バカだと思います。だから自分で名前を変えて、学校のテストにも満陽って書いてます。そうやって使い続けていくと、名前を変えられるんです」
それは確かに大変だと、しかし彼女は笑いを堪えられなかった。
「ゴメンゴメン。そうかあ、皇帝かあ。私なんて自分が美子だから、少し変わった名前に憧れるけどな。お姉ちゃんがね、いるんだけど。そっちは来実っていうの。なんで私だけ美子なのかっていつも文句言ってた」
「いいですよ。当たり前の名前が」
そう言って、窓の外へ目をそらした。
「でも、それで家出しても解決しないんじゃないの?」
当然の正論を持ち出した彼女に、満陽は決意めいた声で答える。
「この夏休みの間に、僕のことを満陽って呼んでくれる人を増やしたいんです。名前って十五歳になると自分で変えられるって最近知ったんです。だから、たくさん呼んでもらって、そしてちゃんと役所に行って名前を変えるんです。だから家には帰りません。あの名前で呼ばれたくないんです」
なるほどと得心した美子が、自分のことを語り始める。
「私はね、ある本を探してるの。本って、小説ね。春に北海道の小樽って街に行ったんだけど、ホテルのチェックインまでの空いた時間で小さな図書館に行ったのね。図書館好きだから。そこで見つけたの。『眠れる夏のスノーフレーク』っていうタイトルで。なんか気になって」
満陽はダッシュボードを眺めていたが、彼女の声にじっと聞き入っている様子だ。
「でね、何となくタイトルで読み始めたんだけど、半分読んだところであとが真っ白なの。何も印刷されてないの。なんかのミスじゃないかって思ったら、巻末に手書きの文字で書いてあったのよ。続きは尾道市の図書館にある――って。司書の人に訊いても蔵書にそういう本はないって言うし、続きは気になるし。尾道市ってね、調べたら広島なの。広島よ? 信じられないって思ったけど、この機を逃したら一生読めないかもって、大学も休学して旅に出た。そんなあやふやな本、いつまで置いてあるか分からないでしょ? 私の旅はそういう旅」
何か意味があるのか指先を開いたり閉じたりしていた彼が、
「どんな話なんですか」
少しだけ顏を運転席へ向けた。
「そうね。コールドスリープって知ってる?」
「……いいえ」
「SFとかに出てくる、人間を冷凍保存する装置のことよ。その中で人は歳をとらずに解凍されるまで眠ってるの。その装置に半年ごとに入るヒロインと、男子高校生の交流の話。舞台がね、瀬戸内の小さな――人口何千人の小島で、書いた人はきっとそこに住んでた人か関係のある人だと思うの。だって広島だもん」
高揚した気分で彼女が言うと、彼はまたうつむいた。
「でね、その男子高校生の名前が、『ミツハ』っていうの。だから少し驚いた」
満陽は何も言わなかったが、肩をピクリと動かした。
「満陽って、どうしてそういう名前にしたの」
彼はさらにうつむく。
「彼女が、『陽菜』っていうんです。同じ漢字を使いたくて――」
「へえ。彼女いるんだ。いいなあ。私、二十歳過ぎても彼氏ができなくって」
それから沈黙に落ち、車は小田原を目指した。
「あの、大場――満陽です。満ちる陽って書きます。高校一年です」
「ミツハル――。ミツハルか。いい名前だね」
「そうでもないです……」
彼は目線を落とす。このままでは楽しい旅も手強くなってきたなと見えたコンビニへ車を入れて、
「何か買う? 夕食にするつもりなんだけど。お金、ある?」
押さえておきたい質問だった。
「三万円くらい、あります」
どこまで行くのかは知らないが、ヒッチハイクの高校生には十分な金額だ。
「じゃあ、おごってあげる。といっても私につき合ってもらってカップラーメンだけど。いい?」
「はい、ありがとうございます」
車外へ出てコンビニへ入ると、意外に背が高いのだと美子は彼の背中を見て気づいた。身長百五十二センチの彼女は、彼の頭を見上げる。
「お茶とかさ、大きいペットで買ってるんだ。マイボトルに詰め替えて。あ、満陽君には紙コップあるから心配しないで」
レジをすませ、無言でカップラーメンにお湯を注ぐ。
「おにぎりとかいらなかった? 男の子なんだから」
「いえ、大丈夫です」
車へ戻るとまた前後に分かれてラーメンを啜った。どうにもヒッチハイクの似合う社交的な性格でもなさそうなのにと、今後を心配しながら美子はルームミラーを覗く。コンビニの明かりが頼りなく彼の顔を照らす。
「さ、それじゃ助手席に移ってもらっていい?」
「え――」
「シート、濡れちゃったでしょ。前に来てもらうと助かるんだけど」
「……はい」
大場満陽を助手席に乗せて、ドライブは再開された。
「どうしてヒッチハイクしようと思ったの? やっぱり夏休みのチャレンジ的な?」
努めて明るく問いかけたが、満陽の反応は薄かった。
「家出……なんです」
そして重かった。
「そうなんだ。でも、そうなると私って犯罪者になるんだけど。たぶん誘拐」
「すみません……」
「でも、何か理由があるんでしょ? どうして家出なの」
彼はしばらく黙り、やがて意を決したように答えた。
「名前を変えたいって、親とケンカしてるんです」
「名前? 変えるって――お父さんとお母さんが離婚とか、そういうの?」
話が重くなることを彼女は覚悟した。が一分後、彼女は笑いだす。
「名前、変なんです。子供の時からバカにされてるんです」
「ああ、そっちの名前か。キラキラとか、そういうの?」
彼は右手でシートベルトを握りしめてうつむいた。
「その、言いたくなかったらいいのよ。色々あると思うから。私はね――」
続けようとした美子の声を彼が遮った。
「『かいぜる』っていうんです。『皇帝』って書くんです。しかも続けて読むと『おおばかいぜる』で大バカになるんです。僕は親が大バカだと思います。だから自分で名前を変えて、学校のテストにも満陽って書いてます。そうやって使い続けていくと、名前を変えられるんです」
それは確かに大変だと、しかし彼女は笑いを堪えられなかった。
「ゴメンゴメン。そうかあ、皇帝かあ。私なんて自分が美子だから、少し変わった名前に憧れるけどな。お姉ちゃんがね、いるんだけど。そっちは来実っていうの。なんで私だけ美子なのかっていつも文句言ってた」
「いいですよ。当たり前の名前が」
そう言って、窓の外へ目をそらした。
「でも、それで家出しても解決しないんじゃないの?」
当然の正論を持ち出した彼女に、満陽は決意めいた声で答える。
「この夏休みの間に、僕のことを満陽って呼んでくれる人を増やしたいんです。名前って十五歳になると自分で変えられるって最近知ったんです。だから、たくさん呼んでもらって、そしてちゃんと役所に行って名前を変えるんです。だから家には帰りません。あの名前で呼ばれたくないんです」
なるほどと得心した美子が、自分のことを語り始める。
「私はね、ある本を探してるの。本って、小説ね。春に北海道の小樽って街に行ったんだけど、ホテルのチェックインまでの空いた時間で小さな図書館に行ったのね。図書館好きだから。そこで見つけたの。『眠れる夏のスノーフレーク』っていうタイトルで。なんか気になって」
満陽はダッシュボードを眺めていたが、彼女の声にじっと聞き入っている様子だ。
「でね、何となくタイトルで読み始めたんだけど、半分読んだところであとが真っ白なの。何も印刷されてないの。なんかのミスじゃないかって思ったら、巻末に手書きの文字で書いてあったのよ。続きは尾道市の図書館にある――って。司書の人に訊いても蔵書にそういう本はないって言うし、続きは気になるし。尾道市ってね、調べたら広島なの。広島よ? 信じられないって思ったけど、この機を逃したら一生読めないかもって、大学も休学して旅に出た。そんなあやふやな本、いつまで置いてあるか分からないでしょ? 私の旅はそういう旅」
何か意味があるのか指先を開いたり閉じたりしていた彼が、
「どんな話なんですか」
少しだけ顏を運転席へ向けた。
「そうね。コールドスリープって知ってる?」
「……いいえ」
「SFとかに出てくる、人間を冷凍保存する装置のことよ。その中で人は歳をとらずに解凍されるまで眠ってるの。その装置に半年ごとに入るヒロインと、男子高校生の交流の話。舞台がね、瀬戸内の小さな――人口何千人の小島で、書いた人はきっとそこに住んでた人か関係のある人だと思うの。だって広島だもん」
高揚した気分で彼女が言うと、彼はまたうつむいた。
「でね、その男子高校生の名前が、『ミツハ』っていうの。だから少し驚いた」
満陽は何も言わなかったが、肩をピクリと動かした。
「満陽って、どうしてそういう名前にしたの」
彼はさらにうつむく。
「彼女が、『陽菜』っていうんです。同じ漢字を使いたくて――」
「へえ。彼女いるんだ。いいなあ。私、二十歳過ぎても彼氏ができなくって」
それから沈黙に落ち、車は小田原を目指した。
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