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2章・間諜員としての一歩

酒の宴と近づいてくる護衛の足音

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 ミカエラは鏡の前に立っていた。処刑の際に首と一緒に切り落とされた髪は一年で肩下までのびている。その髪を編み込みにしてエゼキエルの瞳の緑に合わせた色の髪紐で結んでいく。目を強調するよう意識してメイクしていった。唇は鈍感なものでも塗っているとわかるくらい濃いピンクを使って塗る。爪も普段は仕事があるから塗らなかったが、うっすらと赤くみえるくらいには塗った。
 元から可愛らしい顔立ちだったが、今はあざと可愛く見えるように自身を飾り立てていく。香水も近づけば香るくらいには手首と耳の後ろ、鎖骨につける。

 赤系統の色と言うのは異性の気をひきたい時、相手に誘われたい思っていると思わせるのに効果的だと言われている。

(本当は服も訓練を生かした可愛い服を着たいけれど、今の体でどこまでエゼキエル王子に効くかわからない。)

 胸とお尻が大きく、足と腰が細いエゼキエルの姉の体はミカエラにはどう扱うか迷った。
 迷った末にいつものメイド服をきっちり着こんで、親近感を期待した。

「よし、やっと情報抜きにかかれるわ!!」

 魔力も十分、準備も十分だ。
 時間は深夜を迎える少し前。夕食時も終わって相手がくつろいでいるだろう。

 半分酒、半分は水とぶどうジュースの入った瓶を準備して気合十分にエゼキエルの部屋の扉をたたいた。
 彼女が部屋の中に入った時には、もうエゼキエルは席に座っていた。すでに酒や軽食がテーブルに準備されている。
 今日の彼も王子様らしくない軽装で、部屋とテーブルだけが豪華だった。それでも気品のある整った顔と瞳が雰囲気をかもしだし、彼を王族だと証明していた。

「座れ。遠慮はいらん。」
「失礼します。」

 冷静な彼から許可を得たミカエラは持ってきたカートを傍におき、エゼキエルの斜めになる位置に座った。ここなら互いに手が届く。
 隣に座る方が効果的だが、エゼキエルの位置は長机の短い方である1人席だった。この場合は正面に座ると遠くなるし、相対する状況になるので意識が反発しやすい環境になるので避けるべきと判断したのだ。

「ここ半月で怪我の状況はどうだ?」
「もう大丈夫ですよ!!元気です!」
「…とりあえず、飲め。」

 色々含んだ大丈夫だったが、両手を上げて包帯もないことをみせ元気に笑ってみせる。その返答にエゼキエルは観察するようにミカエラをみている。珍しく彼はまだ酒をあおっていない。先に酒瓶の中へ準備していたブドウジュースをグラスにそそぐ。それをゆっくりと飲んでみせた。

「例の引き抜きの話が原因だろ?クラーク家まで出てきてんのはわかっている。」
「大丈夫ですよー。もう和解しました!!」

 にこにこと笑って、ワインにみせたジュースを飲み干してみせる。その間に息をつめて、顔を赤らめてみせた。顔色を変えることなど彼女にはもう慣れたものだ。

「うそつけ!いくら俺でもお前の情報は入ってきてるんだ。その…」
「どうしました?」
「もうちょっとのめ!!瓶一本開けたら話す!!」

 予想通りミカエラの様子を伺いながら酒を勧めてくるエゼキエルに、酔いの場の駆け引きをしかけた。目を潤ませて見上げえるように赤らめた顔をして困った顔をする。

「お酒は弱いんですよ…一杯でも酔いが回ってきておりまして…」
「じゃあ、次…いや、水飲んどけ」

 かち合った目線は直ぐにそらされた。まだ飲んでいないエゼキエルの顔も赤らんでいる。

「本当に辛くないのか?クラーク家とはいえ特急命令を使えばまだ令嬢の身分なら押さえることもできるんだが…」
「本当に大丈夫です!」
「…嫌がらせもそうだが殺傷沙汰まで俺の宮の中で起きたんだろ?痕が残るかもしれないし…」

 気まずそうに彼はミカエラを見ていた。エゼキエルの宮で起きたことなので管理者がいないとは言え、エゼキエルにも責任があると考えているようだ。

「もう痕も残ってませんよー。それよりほらほら殿下!飲みません?」
「…」

 ミカエラは身を乗り出して、空になったグラスにワインを注いだ。そのワイン瓶を奪ってエゼキエルがミカエラのグラスに足すように注いでくる。ぶどうジュースとワインが混ざっていく。

「何か俺に言うことはないのか?」

 それはエゼキエルに言える相談ごとはないのか、という意味に聞こえた。
 彼女は少し小首をかしげ、分離していくグラスの中身を持ち上げて揺らしてまぜる。

「実はクラーク令嬢には叩かれましたし、怖い思いもしました。」
「それなら!」
「でもあの方は第一王子殿下を好きだとおっしゃりました。私が第一王子殿下に嫁ぐのではないかと怯えていらっしゃったのです。」

 エゼキエルの手からワイン瓶が落ちる。信じられないものを見る目でミカエラをみていた。

「と、嫁ぐのか?兄さ…アーヴィングの野郎に…!?」
「まさか!第一王子殿下のメイドになること断っておりますし、私はいずれ隣国に帰るんですよ。」
「あ…かえ…。」

 今度は喜んだ顔になり、次の瞬間には落ち込んだ顔になった。百面相するエゼキエルを観察しながら、彼の視線が床に落ちた隙をみてこっそりグラスを横のカートに向ける。カートに隠すように置いた氷をつめたアイスバケットにグラスの中身をぶちまけた。
 口元にグラスをよせて残った数滴をあおり、飲んだ振りをする。

「私は第二王子殿下の下で修業を終えたいと思っています。クラーク令嬢にはさっきそれを熱弁してきて和解したんです。」
「…お前はそれでいいのか?」
「結果的に痕も残っていませんし、もう嫌がらせしないと約束してもらいました!…だから大丈夫です!」

 まだ床を見つめるエゼキエルに笑顔を向ければ、視線を感じて彼は顔をあげた。

「底抜けのお人よしだな…誰かいないと生き残れなさそうだ…。」
「クラーク令嬢とになれたんですよ!?これ以上に何を望みましょうか。」

 嫌がらせをこれ以上は受けないのは本当だが、友達など大嘘だ。利用するだけして魅了魔法で洗脳してしまった。
 エゼキエルは何か決意したような顔をしているが、本当にお人よしで人が必要なのは彼の方だ。

(本当に友達になれたらどれだけ良かったか…ううん、そんなことより彼からこの言葉がひきだせたならアンダードック効果はでている!元気な時と今でギャップ効果もだせたはず!!…これだけ手ごたえがあって、どうして彼の心がみえないのかしら)

 彼に寄り添うように酒を注いでその胸元を覗き込んでもなにもみえない。落ちている確信がもてない。

(このタイミングで仕掛けようかな…)

 ワインを注ぎきるタイミングでワイン瓶から手を放し、空の瓶をエゼキエルの膝に落とした。指先で弾いて膝から床へ、自分がいる場所とは反対に転がるようにした。

「も、申し訳ございません!!」
「ば、ばか、やめろ!?」

 酔っている、と伝えてある。
 その上で立ち上がってエゼキエルの前に手をのばす、そのまま力を抜いて相手に胴体を乗っけるように瓶をとろうとした。

 本当は一瞬だけ膝に乗っかり離れるつもりでやった。
 だったのだが、エゼキエルの反応の方が早かったのだ。彼も瓶に手を伸ばしており、乗っかってくるミカエラを受け止めようと体をそらした。
 当然バランスは崩れて二人して椅子から転げ落ちた。

「…え?」

 床に転がるエゼキエルの上にミカエラが転がった時だった。彼女の左胸に痛みが走る。

『また怖い夢を見たの?』
『うん、大きい人がね…僕に勇者になれって言ってくるんだ。お城の地下に準備してあるからって…』
『お城の地下…よく聞いてエル君、このこと誰にも言っちゃダメよ?』
『わかったよ…お姉ちゃん。』

 また記憶は数秒で終わった。見た記憶を整理するミカエラの耳に大人になったエゼキエルの声が響く。

「ミカエラ、ミカエラ!大丈夫か…頭を打ったのか!?」
「…エル君」
「そこまで強化していない!な、馴れ馴れしいぞ。」

 彼はミカエラを抱き起していたが、記憶が混乱してその名を口にしたせいで、ぐいっと引き剥がされてしまった。頭が回転しないミカエラは上手く喋れない。それをどう取ったのか、エゼキエルが悩むように早口でまくし立てた。

「…」
「どうしても、っていうなら考えてやってもいい!仕方なくだからな!」
「…どうしても??呼びたい、です??」

 疑問気味になったがやっと状況に反応して口が回る。起き上がって、手を出してきたエゼキエルの手を取る。握った彼の手は温かった。立ち上がった瞬間に立ち眩みを起して、今度は本当によろめいてエゼキエルの胸に飛び込んだ。

「ミカエラ!?」
「すみません、酔いが酷いので今日はもう下がってもいいでしょうか?」
「…っ、勝手にしろよ!」

 そっと体を離して見上げれば、耳が真っ赤になっている彼がそっぽを向いている。

 一礼して、部屋をでた。
 扉の前で脱力して座り込めば、床の冷たさが彼女を正気に戻してくれた。部屋の外には追加を頼まれた時用のぶどうジュースとワインをもったメイドたちが待機していたが、傍によってくる彼女たちに下がるように伝えた。


「今日はもう休むから、みんなも休んでほしいな。」
「何もなかったのね?無事でよかった。」
「ミカエラがそういうなら。」

 彼女のお願いに反応してそれぞれが持ち場や控室にいく。それを見届けて、ケニアとメイドルームに行こうと立ち上がった。色々準備していたカートを片付けてもらい、先ほど手に入れた情報について考える。

(城の地下!城の地下に勇者に必要なものが、情報がある!!)

 メイド長に地下の情報を聞き出し、出てこなければ総出で探してもらおうと考えていた。先ほど魔力をもらったので報告まで一か月ある。それまでにできるだけ具体的な情報を集めようとしていた。

 考え込むミカエラの前に大きな影が立ちふさがった。

「ミカエラ嬢。…無事だった。」
「…、ウィリー様?」
「彼女に何をするのよ、離れて!?」

 浅黒い肌の男がミカエラに抱き着いてきた。横でみていたケニアが悲鳴をあげる。今までと違ってケニアは相手が護衛だからか敬語も忘れたままポカポカ叩いている。気配は感じていたが、まさか抱き着かれると思っていなかった彼女は咄嗟に抱き返した。

「心配、した。」
「どの件で…いえ、ありがとうございます。」

 ケニアに叩かれてもウィリーはミカエラから離れなかった。お礼を言った彼女を更にきつく抱きしめてくる。

(アーヴィング様と言いこの人も距離感がおかしいのかしら…言葉が少ないし…)

 護衛なら無口の方が都合が良いだろうが、男女の交流としては言葉を交えてほしいところだ。通常だったら誤解を招きかけない。

「苦しいので話して頂いても良いでしょうか。」
「…ん。」

 彼はわずかに頷いて離れるも、ミカエラを見つめて何も言わない。エゼキエルも背が高い方だが、城で一番背が大きいかもしれない彼が黙って見つめてくるのは威圧感がある。

「…えぇと、アーヴィング様はお元気ですか?」

 首だけ振られた。元気では無いようだ。一か月以上前に会った青白い顔を思い出して、ミカエラは言葉を探す。交流したいなら自分から話しかけにいくしかない。

「今日はアーヴィング様がいないのですね。」
「さっき交代した。」
「仕事終わりでしたか、お疲れ様です!ではこれで失礼しますね。」

 また頷かれた。会話が終わってしまう。空気のように扱われて戸惑っているケニアの手を握る。気まずくなる前に笑顔でその場から去ろうと促した。

「明日。」
「え?」
「明日の午前中は休みだと。」
「…?あ、私がですか?そうなんですよー。えへへ。」

 呼び止められて立ち止まる。エゼキエルとの酒宴で何かあった時の為に、明日の午前中は休みになるように組んでもらった。第一王子ならその辺の予定も把握できるだろうし、彼の護衛も知ることは簡単だろう。

「城内を散歩しないか。」
「えっと…」
「殿下はいない。」

 彼の提案の裏をミカエラは考えた。そのまま心を覗けば、ハート型の心は恋心、独占欲、心配などで彩られていた。

(アーヴィング様の指示ではない?彼個人の意思で来たなら、護衛だし緊急脱出口とか秘密の場所とか聞けるかも?)

 ケニアの手を離し、ウィリーのごつごつした大きな手を両手で握る。

「お散歩に誘ってくれるんですか、嬉しい。楽しみにしていますね!」
「十時に来客用の宮の噴水の前で待つ」

 ついでに魅了魔法を追加がけしながら相手を見つめれば、真剣なまなざしで握り返してきた。

(あら…この人?)

 ウィリーはうつむいているが視線がミカエラに何度か向く。
 視線に気が付かないふりをして了承の返事を返せば、頷いて去っていった。
 その大きな姿が見えなくなるまで笑顔で手を振って見送った。

 いなくなるのを確認してから、大きい胸を押さえてケニアにこっそり話かけた。

「…みてたよね。胸…。」
「みてた!すごい嫌だった!!」

 意外といやらしい視線が体のどこをみているのかわかる。それを新しい体をもって体験した。

(…あいつむっつりだわ。手を握ったとき、うつむいたふりして胸だけチラチラみてた。)

 次の相手には色仕掛けが通じそうだ。






 エゼキエルは部屋でうろうろとしていた。

「くそ!肝心なことが聞けなかった。本当に大丈夫なのか?」

 彼はミカエラが休みの申請をしてくるのと同時に実は調査に動いていた。だが、酒におぼれていた彼の命令で動く者はいなかった。彼の言葉に対して酒しか差し出してこなかった。

 それなら自分で聞きこみをしようと部屋から出れば、メイドも侍従も皆が怖がる表情をした後に作られたように笑う。まるでに頼まれたようにミカエラについては褒めこそすれ、いじめに関して触れてこない。
 宮の外の者から辛うじてミカエラらしき少女が切られたことを聞き、その話からミカエラが休んだ理由と結びつけるくらいしかできなかった。

「前より怖がられなくなったか?いや、気のせいか…」

 会話ができるようになったが、皆その目に怯えを宿している。話が終われば一目散に逃げていく。

(姉さんがいなくなって怠けていたつけがこんなところで来るとはな…)

 宰相にも手紙を送ったが、エゼキエルが行うはずだった国務の処理で忙しい、メイド1人に時間はさけない、とそのまま送った手紙が返ってきた。

「このままじゃ、次も助けられない…。」

 特急命令は本当に最終手段で、ミカエラが助けてと言ったらエゼキエルの身分と引き換えに助けるつもりでいた。断られてしまったが―

「俺はこのままじゃだめだ…。」

 エゼキエルのそばには誰も残らない。笑顔何て向けられたことなんてなかった。掃除も食事服も人によっては放置されていた。特に荒れている時は部屋の外に酒だけ準備されていただけだ。
 平民育ちの彼は空腹も慣れていたし、自分の準備も自分でできるのでそこまで困っていなかった。それでもここ数か月だけはまともな支度をしてもらって感謝していた。ついに彼に単純接触効果狙いの仕事がここで効いてきていたのだ。

「こんな俺を眩しいと言ってくれた…突き放しても、そばに来るメイド。」

 ミカエラだけが、こりずに部屋に入ってきて掃除も服も食事も行ってくれた。皆一週間と持たずに逃げる中で、彼女だけエゼキエルの下へくる。

「もう失うのは嫌だ…」

 エゼキエルには恋など知る環境になかった。平民だった頃には姉と母と生きることだけ。母が死んで姉と生き残ることを決意した矢先に王子だと言われて城に連れてこられた。勉強はひたすらに厳しく、姉以外から優しさなど与えられなかったし与え方もしらなかった。

(それでもあのメイドは笑って俺の下にいると言った。上に立つ以上はその責任を果たさなければいけない。)

 その考えは為政者の考え方だった。
 好意と呼ぶに足りているその感情を、彼が知らない。
 エゼキエルは宰相に簡単な事務作業から仕事を再開するから道具と書類を回してほしいと手紙を送った。
暴君と言われた青年が変わろうとその日から動き始めた。


「ミカエラが頼ってこられる上司になろう。嫌がらせがこちらでも対応できる環境を整えなければ…」


 宰相からの返事は翌日には返ってきて、簡単な仕事どころか裁決待ちの書類と道具一式に真面目な文官が送られてきた。
 第一王子メインで動いていた城が、再び第二王子も加えて回りだす。
 1人の魔女が城内を変え、暴君も変えていく。





翌日
 ミカエラは少し露出が多めの服をきて、数分ほど遅れてウィリーとの待ち合わせにいった。
 遅れてきたことでハラハラしていた彼は安心したようにぴったりとミカエラの横にくっついてきた。

(この手のタイプは、遅れていった方が相手のことを考えるから気をひきやすい)

 几帳面なタイプなら早めの時間に着く、庇護欲を求めてくるようなタイプなら遅めに着く方がいい。ウィリーはアーヴィングの面倒も含めて護衛を苦なくできることから後者だ。

「今日はどこへ連れていってくれるんですか?」
「四季の宮。」

 短い返事と上からの視線が谷間にささる。人によってはセクハラと感じるだろう。
 ミカエラはもう城内を練り歩いているので知っている場所だが、知らないふりをして嬉しそうに頷いた。

 2人して一時間も歩けば、見て回れるところは直ぐに終わりを告げる。

「ウィリー様、誰も知らないような通路とか、秘密の部屋とか知りませんか?」
「興味あるのか?」
「あります!2人だけの秘密がほしいんです!」

 2人だけ、を強調して頷けば相手は少し考えるような顔をした。

「いくつか、知っている。」
「知りたいです!教えてくれませんか?」

 あと一押しと魅了の魔法をかけ、腕を掴んで胸をおしつける。操るところまで行くとアーヴィングにばれそうな気もしたので、ギリギリ好感度を上げるだけに抑えた。

「地下だ。」
「地下!?」

 その言葉に彼女は情報を手にいれられると頬を向上させた。キラキラと見つめてくる彼女にウィリーはわずかに口角を上げて、つられるように静かに笑う。

「こっち。」

 案内された先は王太子宮の外れ。赤いバラ園のある先に石造りの階段が隠されるようにあった。おとぎ話のような場所にミカエラはときめきを覚えていた。

(これで任務が達成できる!?)

 彼女の中ではもう隣国に帰る算段までつけていた。ミカエラのその嬉しそうで楽しそうな姿を無邪気と受け取ったのか、ウィリーは頭をなでてきた。

「すごい!ここに地下があるんですね!?」
「そうだ。」

 彼は入り口で座っていた老人に何かを話しかけ、許可を貰ってきたらしい。鍵束を受け取って戻ってきた。

「いこう。」
「はい!」

 
 結論からいうと、彼女は入ったことを後悔した。

「こ、ここは??」

 一階分の階段を下りた先では地下牢が広がっていた。今は誰もいないが、牢の中は赤茶色のシミが広がっている。

「今は使われていないが、第一王子殿下に逆らったものが収監される場所だ。」

 今までで一番長い返事が返ってきた。恐る恐る彼女はウィリーを見上げる。こんな秘密の場所など知りたくなかった。しかも連れてきたということは―

「怒っているんですか?」
「いいや?」
「私を監禁するんですか?」
「…いいや。」

 地下牢には嫌な思い出しかない。ミカエラは震えてウィリーに抱き着いた。一拍遅れた返事がまた恐怖心をあおる。

(なんで連れてきたの!?怖すぎる!)

 怖いが媚びる相手が今は彼しかいない。胸を全力で押し付けて涙目で彼を見上げた。

「ここは怖いです。」
「大丈夫。いこう。」
「…どこへ!?」

 まんざらでも無さそうなウィリーは、ミカエラの肩を抱いて地下牢を進んだ。足をもつれさせながら、連れられてミカエラは行くしかない。
 長い廊下を進んだ先には、書庫があった。

「ここに来たかった。」

 絵本から自然白書まで多種の本が天井から床までぎっしり置かれ、湿気対策で外への通気口もついている。扉を閉じれば本独特の香りがして、秘密基地にいる時のような不思議な気持ちにさせられた。さっきまでの不気味な地下牢が嘘のような場所に、ミカエラはウィリーから離れて呆然と見渡した。

「秘密の場所だ。」
「静かですね。」
「二人きりだ。」

 そこにある本棚の本を手に取れば、読み込まれている本と読まれていない本がよくわかる。

(アーヴィング様が作ったのかしら?ううん、造りはもっと古い。)

 ウィリーが抱き着いてくるのを適当にいなして、彼女は手掛かりを探した。午前中の時間はあっという間に終わる。

「ウィリー様、また来たいので鍵束を頂けませんか?」
「今度準備する。」
「勿論、アーヴィング様にも内緒ですよ?」

 頷く相手に魅了魔法を今度はしっかり操るレベルまでかけて念押し、指を絡めて約束する。

(鍵束はどうしてもほしい…この人も操るしかないか…。)

 そのまま顔と顔の距離を縮めてしーっとウィリーの唇に指をあてれば、何度も頷かれた。

「地下には牢屋と書庫だけですか?」
「ここはそうだ。」

 その言葉にミカエラは首を傾げた。まるで他にもあるような言い方だった。

「王太子宮以外にも地下があるんですか?」
「ある。」
「それはどこかお聞きしても?」

 彼は鍵束を持ち上げ、大きめの鍵を三つ見せてきた。

「1つはここ、1つは王妃の宮、もう一つは使われていないから誰もしらない。」
「そ、そうですか…。」

 話しは上手くいかないらしい。他にも地下が二つはある。

(もしかしたら、三つどころじゃないのかも…。)

 広い王城内でどれだけ探索しなければいけないのか、それを考えてミカエラは意識が遠くなった。

(じ、人海戦術でどこまでいけるかしら?エゼキエル王子からもっと情報を抜き出すべき?)

 気づけば地下から出て明るい地上にいた。

「またお散歩に誘ってください」
「無論だ!」

 ウィリーにお礼を言って別れ、午後の仕事へとミカエラは向かった。

(やっと本任務が始められる!ここからは情報を集めないといけない…)

 彼女は気合を入れて向かう仕事先が、がらりと変わっていることをまだ知らなかった。

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