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その三
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男は、驚いたり気味悪がる様子もなく、
「この世の中には色んな人間がいるんだから、お前さんのその力は、不思議でもなんでもないかもしれねえよ」
そうあっさり言ったのだ。
その言葉に励まされ、千津子は安心して自分の奇妙な症状について話した。
病気だと思っていたが、『四六時中、他人の声が聞こえるのではないなら、病気とは言えない』と、医師に言われたことも話した。
千津子の話を黙って聞いていた男が、優しく尋ねてきた。
「で、お前さんは何か困ったことはないかい?」
困っている。とても困っている。
義姉に疎まれ、何より自分自身、気味が悪くて仕方ない。
千津子がどう答えようか迷っていると、「おねえちゃん!」と声がして、千津子の腰のあたりに甥が抱きついて来た。
「おっと。坊や、からくりは楽しかったかい?」
恐ろしげな顔の傷とは裏腹に、男はどこまでも優しい口調で接してくれる。
「じゃあ、これで」
男は、千津子たちに手を振って小屋に戻って行きかけたが、急に立ち止まると千津子に言った。
「明日まで、ここで興行をやってるからね」
その言葉がどういう意味なのか、千津子はすぐ理解した。
(困ってるんなら相談に乗るよ。なんなら、うちで働いてみるなんてのはどうかい?)
男の声が頭に響いてくる。
甥と繋いでいる手に力が入る。
家に帰り着く頃には、千津子の心は決まっていた。
(兄さんと義姉さんにお願いして、興行師さんのところで働かせてもらおう)
まだ十二歳の千津子は、こういう興行で働くということが、どういうことであるのか理解していなかったが、疎まれて家にいるよりもずっといい気がしていたのだ。
しかし家に帰って、いざ兄夫婦を前にすると、見せ物興行で働きたいなどということは言い出せない。
翌朝はもうすっかり、千津子はそのことは諦めていた。
弁当を詰めるために台所に行った千津子に、「兄さんがあんたに話があるって。ここはいいから、兄さんの所へ行っておくれ」と義姉が声をかけてきた。
なんだろう? と思いつつ、兄の部屋へ行くと、兄はもう一仕事終えて、キセルに煙草を詰めていた。
千津子が部屋の入り口で座ると、兄は顎をしゃくって、自分の前に座るように指示する。
煙草盆を挟んで、気難しい表情の兄の前に座ると、
「千津子、お前、昨日見せ物興行師と随分と仲良く話していたってなあ」
と言われてしまった。
甥から聞いたのか、それともあの場にいた村の誰かに聞いたのか。
「え?」
どぎまぎする千津子に、兄はなおも言う。
「ああいう連中には、気をつけないといけないよ。お前はまだ子供だから、世の中のことを何も知らないだろう? あんな商売してる連中は、儂らとは住む世界が違う。よく覚えておきな」
千津子は黙ってうなずくしかなかった。
「お前に家の手伝いさせてるのは、いずれはきちんとした家に嫁いだ時に恥ずかしくないように、って親心さね。お前は本が好きだし、やっぱり来年から女学校に進学するかい?」
兄の言い方は優しく、千津子は久しぶりに兄と心が通い合った気がして嬉しかった。
結局、千津子は来年から女学校に通わせてもらうことが決まった。彼女は、あと半年は一所懸命家の手伝いをします、と約束した。
そんな千津子の運命が急変したのは、翌月のことであった。
頑健な兄が風邪を拗らせて、あっという間に死んでしまったのである。
「この世の中には色んな人間がいるんだから、お前さんのその力は、不思議でもなんでもないかもしれねえよ」
そうあっさり言ったのだ。
その言葉に励まされ、千津子は安心して自分の奇妙な症状について話した。
病気だと思っていたが、『四六時中、他人の声が聞こえるのではないなら、病気とは言えない』と、医師に言われたことも話した。
千津子の話を黙って聞いていた男が、優しく尋ねてきた。
「で、お前さんは何か困ったことはないかい?」
困っている。とても困っている。
義姉に疎まれ、何より自分自身、気味が悪くて仕方ない。
千津子がどう答えようか迷っていると、「おねえちゃん!」と声がして、千津子の腰のあたりに甥が抱きついて来た。
「おっと。坊や、からくりは楽しかったかい?」
恐ろしげな顔の傷とは裏腹に、男はどこまでも優しい口調で接してくれる。
「じゃあ、これで」
男は、千津子たちに手を振って小屋に戻って行きかけたが、急に立ち止まると千津子に言った。
「明日まで、ここで興行をやってるからね」
その言葉がどういう意味なのか、千津子はすぐ理解した。
(困ってるんなら相談に乗るよ。なんなら、うちで働いてみるなんてのはどうかい?)
男の声が頭に響いてくる。
甥と繋いでいる手に力が入る。
家に帰り着く頃には、千津子の心は決まっていた。
(兄さんと義姉さんにお願いして、興行師さんのところで働かせてもらおう)
まだ十二歳の千津子は、こういう興行で働くということが、どういうことであるのか理解していなかったが、疎まれて家にいるよりもずっといい気がしていたのだ。
しかし家に帰って、いざ兄夫婦を前にすると、見せ物興行で働きたいなどということは言い出せない。
翌朝はもうすっかり、千津子はそのことは諦めていた。
弁当を詰めるために台所に行った千津子に、「兄さんがあんたに話があるって。ここはいいから、兄さんの所へ行っておくれ」と義姉が声をかけてきた。
なんだろう? と思いつつ、兄の部屋へ行くと、兄はもう一仕事終えて、キセルに煙草を詰めていた。
千津子が部屋の入り口で座ると、兄は顎をしゃくって、自分の前に座るように指示する。
煙草盆を挟んで、気難しい表情の兄の前に座ると、
「千津子、お前、昨日見せ物興行師と随分と仲良く話していたってなあ」
と言われてしまった。
甥から聞いたのか、それともあの場にいた村の誰かに聞いたのか。
「え?」
どぎまぎする千津子に、兄はなおも言う。
「ああいう連中には、気をつけないといけないよ。お前はまだ子供だから、世の中のことを何も知らないだろう? あんな商売してる連中は、儂らとは住む世界が違う。よく覚えておきな」
千津子は黙ってうなずくしかなかった。
「お前に家の手伝いさせてるのは、いずれはきちんとした家に嫁いだ時に恥ずかしくないように、って親心さね。お前は本が好きだし、やっぱり来年から女学校に進学するかい?」
兄の言い方は優しく、千津子は久しぶりに兄と心が通い合った気がして嬉しかった。
結局、千津子は来年から女学校に通わせてもらうことが決まった。彼女は、あと半年は一所懸命家の手伝いをします、と約束した。
そんな千津子の運命が急変したのは、翌月のことであった。
頑健な兄が風邪を拗らせて、あっという間に死んでしまったのである。
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