パンドラの予知

花野未季

文字の大きさ
上 下
18 / 52

その三

しおりを挟む
 男は、驚いたり気味悪がる様子もなく、
「この世の中には色んな人間がいるんだから、お前さんのその力は、不思議でもなんでもないかもしれねえよ」
 そうあっさり言ったのだ。

 その言葉に励まされ、千津子は安心して自分の奇妙な症状について話した。
 病気だと思っていたが、『四六時中、他人の声が聞こえるのではないなら、病気とは言えない』と、医師に言われたことも話した。

 千津子の話を黙って聞いていた男が、優しく尋ねてきた。
「で、お前さんは何か困ったことはないかい?」

 困っている。とても困っている。
 義姉に疎まれ、何より自分自身、気味が悪くて仕方ない。

 千津子がどう答えようか迷っていると、「おねえちゃん!」と声がして、千津子の腰のあたりに甥が抱きついて来た。

「おっと。坊や、からくりは楽しかったかい?」
 恐ろしげな顔の傷とは裏腹に、男はどこまでも優しい口調で接してくれる。

「じゃあ、これで」
 男は、千津子たちに手を振って小屋に戻って行きかけたが、急に立ち止まると千津子に言った。
「明日まで、ここで興行をやってるからね」

 その言葉がどういう意味なのか、千津子はすぐ理解した。
(困ってるんなら相談に乗るよ。なんなら、うちで働いてみるなんてのはどうかい?)

 男の声が頭に響いてくる。
 甥と繋いでいる手に力が入る。
 家に帰り着く頃には、千津子の心は決まっていた。

(兄さんと義姉さんにお願いして、興行師さんのところで働かせてもらおう)

 まだ十二歳の千津子は、こういう興行で働くということが、どういうことであるのか理解していなかったが、疎まれて家にいるよりもずっといい気がしていたのだ。
 しかし家に帰って、いざ兄夫婦を前にすると、見せ物興行で働きたいなどということは言い出せない。

 翌朝はもうすっかり、千津子はそのことは諦めていた。
 弁当を詰めるために台所に行った千津子に、「兄さんがあんたに話があるって。ここはいいから、兄さんの所へ行っておくれ」と義姉が声をかけてきた。

 なんだろう? と思いつつ、兄の部屋へ行くと、兄はもう一仕事終えて、キセルに煙草を詰めていた。
 千津子が部屋の入り口で座ると、兄は顎をしゃくって、自分の前に座るように指示する。

 煙草盆を挟んで、気難しい表情の兄の前に座ると、
「千津子、お前、昨日見せ物興行師と随分と仲良く話していたってなあ」
 と言われてしまった。

 甥から聞いたのか、それともあの場にいた村の誰かに聞いたのか。
「え?」
 どぎまぎする千津子に、兄はなおも言う。

「ああいう連中には、気をつけないといけないよ。お前はまだ子供だから、世の中のことを何も知らないだろう? あんな商売してる連中は、儂らわしらとは住む世界が違う。よく覚えておきな」
 千津子は黙ってうなずくしかなかった。

「お前に家の手伝いさせてるのは、いずれはきちんとした家に嫁いだ時に恥ずかしくないように、って親心さね。お前は本が好きだし、やっぱり来年から女学校に進学するかい?」

 兄の言い方は優しく、千津子は久しぶりに兄と心が通い合った気がして嬉しかった。
 結局、千津子は来年から女学校に通わせてもらうことが決まった。彼女は、あと半年は一所懸命家の手伝いをします、と約束した。

 そんな千津子の運命が急変したのは、翌月のことであった。
 頑健な兄が風邪を拗らせて、あっという間に死んでしまったのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

怖い話短編集

お粥定食
ホラー
怖い話をまとめたお話集です。

凶兆

黒駒臣
ホラー
それが始まりだった。

没考

黒咲ユーリ
ホラー
これはあるフリーライターの手記である。 日頃、オカルト雑誌などに記事を寄稿して生計を立てている無名ライターの彼だが、ありふれた都市伝説、怪談などに辟易していた。 彼独自の奇妙な話、世界を模索し取材、考えを巡らせていくのだが…。

怖い話

かもめ7440
ホラー
野暮なので、それ以外言えない。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

死にたがりオーディション

本音云海
ホラー
アイドルやら女優、俳優、歌手、はたまた声優など 世の中には多種多様なオーディションがある。 一度は誰もが夢をみて受けたいと思うのが、オーディション。 だか、世の中には夢も希望もない人種もいる。 そんな人が受けるオーディションがあるのをご存知だろうか? その名も、死にたがりオーディション。 この話は、とある冴えない少年達の何気ない会話から始まる。

人を選ぶ病

崎田毅駿
ホラー
治療法不明の死の病に罹った男の、命を賭した“恩返し”が始まろうとしている。食い止めねばならない。

真夜中血界

未羊
ホラー
 襟峰(えりみね)市には奇妙な噂があった。  日の暮れた夜9時から朝4時の間に外に出ていると、血に飢えた魔物に食い殺されるというものだ。  この不思議な現象に、襟峰市の夜から光が消え失せた。  ある夏の日、この怪現象に向かうために、地元襟峰中学校のオカルト研究会の学生たちが立ち上がったのだった。 ※更新は不定期ですが、時間は21:50固定とします

処理中です...