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その二
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その日、兄夫婦は何やら夜遅くまで相談していたようだった。
そして翌々日、千津子は近くの松沢村にある病院に連れて行かれ、診察を受けさせられた。しかし、千津子はまだ子どもであるので、自身の症状を医師に説明なぞ出来るはずもなく、結局うやむやなまま追い返されたわけである。
千津子にとってつらいのは、その一件以来、義姉からは気味悪がられ、兄までよそよそしく接して来るようになったことである。時折聞こえてくる兄夫婦の心の声は、いつも決まって千津子の心を暗くさせるものだった。
特に義姉の心中は、耳を塞ぎたくなるようなものだった。
(怖い。気持ち悪い)
(ああ、早く出て行ってほしい。顔を見るのもいやだ)
…… 等々。
そんな折、大正十一年の晩秋、千津子の村で見せ物興行があった。
神社の広い境内を借りてやる急拵えの見せ物小屋と、子ども向けのからくり屋台は、毎年近隣の地域に巡業に来ていた。
芸人達が大勢、それぞれの出し物を競って披露する十日ほどの間、村の子供たちの人気を集めたのは、紙芝居のからくり屋台であった。
ある晴れた暖かい日のこと、千津子は兄夫婦に頼まれて、幼い甥を屋台見物に連れてきてやった。
紙芝居の屋台は行列ができており、待つ間、ぐずる甥に水飴を買ってやる。ぼんやり順番を待っていた千津子は、見せ物小屋の筵旗を捲り上げて、中から出て来た男と目が合った。
男は気障なハイカラーの三つ揃いで、この辺りの農家の男たちとは明らかに違う雰囲気を醸し出している。歳の頃は、はっきりとわからないが、三十の兄よりやや年長といったところか。
彼の右頬には醜い引き攣れがあり、盛り上がった部分はてらてらと茶色く変色していた。その引き攣れさえなければ、男はかなりの美男子と言えるだろう。
ぶしつけなことではあるが、千津子はじっと男の全身を値踏みするように見てしまった。
だが、男に注目しているのは千津子だけではなかった。からくり屋台に並んでいる子どもたち、ほぼ全ての視線を集めていることに気付いたのか、男は苦笑している。
(やれやれだね。俺自身が見せ物というわけか。仕方ねえな、こんなお化けだもんなあ)
男の心の中のつぶやきがはっきり聞き取れて、千津子は彼を気の毒に思い、目線を外してうなだれてしまった。
人の気配に千津子が顔を上げると、すぐ目の前にその男が立っている。
男は「お嬢ちゃん、こんにちは」と言い、うつむく千津子の顔を覗き込むようにして、「驚かせてすまないね」と微笑んだ。
その仕草がとても優しげなので、千津子は胸を撫で下ろす。
男はしゃがむと、千津子の甥に目線を合わせ、「坊はいくつ? あんたの弟かい?」と尋ねてきた。
「甥です。五つになります」
「そうか。可愛いねえ」
男は目を細め、甥の頭を撫でて立ち去って行った。
ようやく紙芝居の順番が来て、甥は金太郎の紙芝居に熱中し始めた。少し背伸びして、覗き穴にへばりついている甥の後ろ姿を眺めている千津子に、先ほどの男が再び近づいて来た。
「お嬢ちゃん、あんたは覗かなくていいのかい」
問われて、千津子は金がない、と答えると、男は少し驚いたような顔をした。
(親は、この子の分はくれないのか。そんな端金も出せねえほど貧しげには見えねえが)
「いいえ、私がいらないって言ったんです、お義姉さんに」
男の心の声に答えてしまった千津子に対し、男はうなずいてから彼女に言った。
「お前さん、勘のいい子だね。俺が言いたいことを察したってわけか」
千津子が普通にしていれば、そこで話は終わったであろうが、千津子が “まずい” という顔をしてしまったため、男はうん? という表情をした。
「おねえちゃん、もう一回見たい!」
甥が千津子のところまで戻って来た。
「あっ、うん」
千津子が巾着から小銭を出して甥に渡していると、「お嬢ちゃんは見世物小屋は見たくないかい?」という声がした。
(やけにはっきり聞こえるけど、この人が直接私に言った言葉じゃない気がするわ)
千津子は聞こえないふりをしていたが、さらに男が、「どうだい?」と声をかけて来たので、千津子はつい返事してしまった。
「見せ物小屋は見てみたいけど、お金もないし、あまり遅くなったら叱られますから」
男は感服した様子である。
「お嬢ちゃん。お前さん、やっぱり俺が心の中で言った言葉が聞こえてるんだね?」
そして翌々日、千津子は近くの松沢村にある病院に連れて行かれ、診察を受けさせられた。しかし、千津子はまだ子どもであるので、自身の症状を医師に説明なぞ出来るはずもなく、結局うやむやなまま追い返されたわけである。
千津子にとってつらいのは、その一件以来、義姉からは気味悪がられ、兄までよそよそしく接して来るようになったことである。時折聞こえてくる兄夫婦の心の声は、いつも決まって千津子の心を暗くさせるものだった。
特に義姉の心中は、耳を塞ぎたくなるようなものだった。
(怖い。気持ち悪い)
(ああ、早く出て行ってほしい。顔を見るのもいやだ)
…… 等々。
そんな折、大正十一年の晩秋、千津子の村で見せ物興行があった。
神社の広い境内を借りてやる急拵えの見せ物小屋と、子ども向けのからくり屋台は、毎年近隣の地域に巡業に来ていた。
芸人達が大勢、それぞれの出し物を競って披露する十日ほどの間、村の子供たちの人気を集めたのは、紙芝居のからくり屋台であった。
ある晴れた暖かい日のこと、千津子は兄夫婦に頼まれて、幼い甥を屋台見物に連れてきてやった。
紙芝居の屋台は行列ができており、待つ間、ぐずる甥に水飴を買ってやる。ぼんやり順番を待っていた千津子は、見せ物小屋の筵旗を捲り上げて、中から出て来た男と目が合った。
男は気障なハイカラーの三つ揃いで、この辺りの農家の男たちとは明らかに違う雰囲気を醸し出している。歳の頃は、はっきりとわからないが、三十の兄よりやや年長といったところか。
彼の右頬には醜い引き攣れがあり、盛り上がった部分はてらてらと茶色く変色していた。その引き攣れさえなければ、男はかなりの美男子と言えるだろう。
ぶしつけなことではあるが、千津子はじっと男の全身を値踏みするように見てしまった。
だが、男に注目しているのは千津子だけではなかった。からくり屋台に並んでいる子どもたち、ほぼ全ての視線を集めていることに気付いたのか、男は苦笑している。
(やれやれだね。俺自身が見せ物というわけか。仕方ねえな、こんなお化けだもんなあ)
男の心の中のつぶやきがはっきり聞き取れて、千津子は彼を気の毒に思い、目線を外してうなだれてしまった。
人の気配に千津子が顔を上げると、すぐ目の前にその男が立っている。
男は「お嬢ちゃん、こんにちは」と言い、うつむく千津子の顔を覗き込むようにして、「驚かせてすまないね」と微笑んだ。
その仕草がとても優しげなので、千津子は胸を撫で下ろす。
男はしゃがむと、千津子の甥に目線を合わせ、「坊はいくつ? あんたの弟かい?」と尋ねてきた。
「甥です。五つになります」
「そうか。可愛いねえ」
男は目を細め、甥の頭を撫でて立ち去って行った。
ようやく紙芝居の順番が来て、甥は金太郎の紙芝居に熱中し始めた。少し背伸びして、覗き穴にへばりついている甥の後ろ姿を眺めている千津子に、先ほどの男が再び近づいて来た。
「お嬢ちゃん、あんたは覗かなくていいのかい」
問われて、千津子は金がない、と答えると、男は少し驚いたような顔をした。
(親は、この子の分はくれないのか。そんな端金も出せねえほど貧しげには見えねえが)
「いいえ、私がいらないって言ったんです、お義姉さんに」
男の心の声に答えてしまった千津子に対し、男はうなずいてから彼女に言った。
「お前さん、勘のいい子だね。俺が言いたいことを察したってわけか」
千津子が普通にしていれば、そこで話は終わったであろうが、千津子が “まずい” という顔をしてしまったため、男はうん? という表情をした。
「おねえちゃん、もう一回見たい!」
甥が千津子のところまで戻って来た。
「あっ、うん」
千津子が巾着から小銭を出して甥に渡していると、「お嬢ちゃんは見世物小屋は見たくないかい?」という声がした。
(やけにはっきり聞こえるけど、この人が直接私に言った言葉じゃない気がするわ)
千津子は聞こえないふりをしていたが、さらに男が、「どうだい?」と声をかけて来たので、千津子はつい返事してしまった。
「見せ物小屋は見てみたいけど、お金もないし、あまり遅くなったら叱られますから」
男は感服した様子である。
「お嬢ちゃん。お前さん、やっぱり俺が心の中で言った言葉が聞こえてるんだね?」
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