四角い世界に赤を塗る

朝顔

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⑬ 情熱のかけら

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 分かっていたことだが、ロランは不器用な人間だ。
 野心を持って師に近づき、利用するつもりが、逆に利用されて、のめり込み、体も心も捧げてしまい、作品も居場所も奪われて捨てられた。
 
 もうそんな思いは、絶対にしたくない。
 翻弄され振り回されて、時々見せてくれる優しさに一喜一憂して、そんなのは嫌だ。
 傷ついてボロボロになるくらいなら、誰にも心を奪われることなく、ずっと殻に閉じこもっていればいい。
 そう、仕事で抱かれたとしても、心までは奪われない。
 大丈夫、大丈夫。
 常に冷静に、情が湧くようなことは避けて、いつでもダーレンを売れるくらい、自分の中で線を引こう。
 初めてダーレンと体を繋げた夜、ロランはそう思いながら疼く体を抱いて眠った。

 普段のダーレンは、幼いと言われていても、邸の中では、物静かに大人しく過ごしていた。
 時々、ロランと廊下ですれ違っても、軽く挨拶をして言葉を交わすくらいだった。
 しかし一線を越えてから、ダーレンがロランを見る目が変わった。
 そして、それは態度にも現れた。

 

「ダーレン様」

「ん?」

「人が少ないとはいえ、こんなところで……、誰かに見られたら……」

「いいよ。だってここの主人は、僕なんだから」

 可愛らしく傲慢な台詞を吐きながら、壁に押し付けたロランを、ダーレンはぎゅっと抱きしめた。

「……ロラン、昨日いなかった……。部屋まで行ったのに……」

「町まで買い物に行っていました。絵の具の減りが早くて多めに買ってきたのです。種類が多いので、ルーラーさんに頼むより、自分で見た方がいいかと……」

「次は……僕も行く……一緒に行く」

 分かりましたと言って、ダーレンの頭をポンポンと撫でてやると、興奮気味にロランを壁に押し付けてきたダーレンは、少し落ち着いたようだ。
 何しろしっかりとした大人の体つきなので、掴まれると、痩せっぽちのロランは身動きが取れなくなってしまう。

「さぁ、これから昼食でしょう。食堂はまだ先ですよ」

「……キスがしたい……ロランと」

 そう言って目元を赤くしたダーレンは、ロランに顔を近づけてきた。
 初めて教えてからダーレンは、キスを気に入ったらしい。
 顔を合わせれば、どこでもキスをせがむようになった。
 ロランとしては上々の成果だ。
 ルーラーに見つかって、なんと言われるかは恐ろしいが、ダーレンが男に夢中になっていると、周囲に見せつけるのも、ロランの仕事だった。

「そんなに強く押されたら、ちゃんとできませんよ」

 そう言うとダーレンは大人しく体を離した。
 しかし腰に回した手はそのままなので、そんな仕草がいちいち可愛く思えてしまう。
 クスリと笑ったロランの方から、ダーレンの唇に自分の唇を重ねた。
 
「……っ……ふ…………ん……」

「ロラン……ん……」

 ダーレンは物覚えのいい生徒だ。
 ロランが教えたことは全部習得して、それ以上のものであっという間にロランを覆い尽くした。

「……ぁ……っ……んんっ」

 両手を掴まれ壁に縫い付けられて、ダーレンはロランの口の中を喰らい尽くす。
 最初は恐る恐る絡めてきた舌も、回数を重ねるごとに大胆になり、今ではロランの舌を飲み込んでしまうくらいの勢いになった。
 積極的に動いていたのはロランの方だったのに、ダーレンにあっという間に逆転されて、声を漏らすのはロランの方になった。
 ダーレンはくちゅくちゅと口の周りを啄んで、ロランの口の端から流れた唾液まで、一滴残らずペロリと舐め取ってしまった。

「ロラン……苦しいの? 息が荒いよ……可愛い」

 仕掛けたのは自分のはずなのに、激し過ぎるダーレンの舌使いに、ロランは息ができなくなって、頭がぼんやりとしてしまった。
 肩で息をしているロランを見て、ダーレンがニコリと笑った。
 いつもの可愛らしい笑顔だが、その目の奥にギラリと光るものが見えて、ロランはハッとして息を呑んだ。

「ロラン? どうしたの?」

「す、すみませ……、ちょっと、寝不足で……」

「ごめんね、大丈夫? 昼食は部屋に運ばせるよ」

 ダーレンはいつもの優しい顔で、ロランを支えてくれた。
 何か違和感があったが、ここ最近の疲れもあって、本当に眠くなってしまった。
 離れの部屋まで送ると言われて、断ろうと思ったが、足がフラついてしまい、仕方なく手を借りて歩くことになった。

 一瞬だけ、ダーレンが別人のように見えた気がした。
 疲れからくるものなのか、ロランは混乱した頭に手をあてて、眉間に皺を寄せて歩いた。
 部屋の前まで来たところで口を開いたのはダーレンだった。

「ねぇ、ロラン。この前、本で見たんだ。キスって恋人同士がするものだって……、愛し合う二人が口を合わせるって書いてあったんだ……」

「ええ、一般的には、そうですね」

「あ……それじゃ……ロランは、僕のことが好きなの?」

 期待がこもった目で見つめられて、ロランは一瞬言葉を失ってしまった。
 あくまでレッスンですと突き放すこともできる。
 けれど依頼人は、溺れることをご希望だ。
 万が一のことを考えて、二度と女が抱けなくなるくらい、男にのめり込ませてほしいとの依頼だった。
 おそらく、今まで籠の鳥のように育てられていたので、初めての経験に驚いているのだろう。
 それなら、愛の言葉を口にして、もっと夢中になってもらうだけだ。

「ええ、好きです。ダーレン様をお慕いしております」

「ロラン……、嬉しい……僕も好きだよ」

 ロランの両肩を掴んだダーレンは、本当に嬉しそうに笑った。
 初々しくて素直な反応に、ロランの中でモヤモヤしていたものが、霧になって消えた。

「ロラン、大好き」

 そう言われて抱きしめられたロランは、ダーレンの背中に手を回した。
 温かくて力強い腕に抱かれると、全て預けてしまいたくなる気持ちになる。

 でもそんなのは幻だ。
 好きだと口にしても、人は簡単に裏切ることができる。
 心を奪われてはいけない。
 忘れるな、これは仕事だ。
 好きだ愛していると口にして、ダーレンを利用するんだ。
 自分の命と金のため……
 そう、自分は心まで汚れきってしまった。
 嘘をついてでも、生き残ってみせる。

「愛しています。ダーレン様」

 ロランがそう口にすると、ダーレンの腕の力が少しだけ強くなった気がした。
 


 

 パチパチと音がしてロランが目を開けると、暖炉の火が見えた。
 目を擦って体を起こすと、裸の状態で上から毛布をかけられていた。
 ぼんやりした頭で、ここはレッスン室で、授業の後、ダーレンとソファーの上で抱き合った後、寝てしまったのだと気がついた。
 体力のないロランは、ダーレンを一度果てさせるのがやっとで、それが終わるとぐったりして眠くなってしまう。
 軽くあくびをして目を瞬かせると、キャンバスの前に座っているダーレンの姿が見えた。
 上半身は裸で、下だけズボンを履いていた。
 色気たっぷりの格好に、ロランは寝起きだが心臓がドクドクと鳴ってしまった。

 真剣な顔をして何かを塗っているので、ゆっくり立ち上がったロランは、裸足のまま毛布をかぶって歩き出した。

「ダーレン様……」

「起きたの? よく眠れた? もうすぐ完成しそうだから、色を塗っていたんだ」

「熱心ですね。静物画ですか……ん?」

 下書きの途中まで見ていた作品だったが、色を塗った状態を見て、ロランは首を傾げてしまった。
 丸い花瓶の形が四角くなり、花も本来の色ではなく、青々としていた葉も枯れて描かれていた。
 全体的な部屋の様子もまた違って描かれていたので、ロランはうーんと唸ってしまった。
 技量が足りないわけではない。
 ダーレンはとっくに正確に物を描く技術を身につけているはずだ。

「ダーレン様、花瓶の形が違います。花は色も種類も違いますし、葉の半分は枯れて……他の風景も全然違います。いったいどうされたのですか?」

「どう……か。ねぇロラン。どうして、だめなの?」

 質問をしたのに逆に返されて、ロランは驚いてしまった。
 ここは教師として、ちゃんと答えなければと思い、ロランは息を吸い込んだ。

「これは宗教画や空想画と違いますし……、そもそも絵とは、目で見た物を正確に描く必要があります。そのためには、形から色まで何もかも同じように……」

 それはロランが学校で学んできたことの全てだった。
 目で見た物をそのまま描ける人間が一番評価される。
 繊細な指先、まつ毛の一本まで、そのままを描くことができる力が必要だ。
 それが絵画だ芸術だと、声高に叫ぶ教師達に認められるために、その通りに目標にしてきた。

「でもさ、腹のでっぷりした伯爵の肖像画が、痩せていて、強そうに描かれていたのを見たことがあるよ。戦争にも行ったことがない人なのに、剣を持って馬に乗っている姿だった」

「それは……、仕事となると、それを依頼した人の希望を汲みとる必要があります。お金をもらって描くわけですから……」

「絵は絵だよ。お金の有無は関係ない。見えるものが全てじゃない。筆がキャンバスの上を踊るバレリーナだと教えてくれたのはロランじゃないか。これは僕が見て、こう描きたいと思った世界、囚われているのはロランの方だよ」

「…………」

 言葉が出てこなかった。
 技術の問題ではない。
 ロランが学んできたこと、信じてきたこと、それがグラグラと揺れていた。

「ロランは、子供の頃から絵が好きだったんでしょう? その時はどんな気持ちで描いていたの?」

「それは…………」

 ロランの脳裏に村の中を走り回る自分の姿が浮かんだ。
 眩しい太陽、砂埃、風に揺れる木々、馬や牛達の間を走り抜けたロランは、手に持っていた長い木の枝で、地面に絵を描いた。
 それはロランが目にした世界、温かくて眩しくて美しいものが詰まった、特別な世界……。
 描きたくてたまらなかった。
 自分の目に、心に浮かぶ全てを、誰かに見てほしかった。

 そうだ
 あの頃の自分は
 こんなにも絵が好きで好きで
 溢れそうな気持ちを、絵にこめていた……

 気がつくと、ほろりと涙がこぼれ落ちて、ロランは自分の胸に手を当てた。
 
 まだここにあった。
 なくした、捨てたと思い込んでいたが、まだちゃんとロランの胸の中に、その熱さは残っていた。

「私は……描くことが好きでした……自分の世界を自由にどこまでも……」

「まだ絵を描くことは好き?」

 まるで過去の自分が振り返って問いかけてきたようだ。
 ロランは震える手を強く握って、ゆっくり顔を上げた。

「好きです」

 口にすると心に羽が生えたような気持ちになった。
 長い間、無理矢理鎖をかけて閉じ込めていた。
 カチャリと鍵が開けられて、その思いが今、ロランの中に溢れ出した。
 
 
 
 

 
 

(続)
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