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第二陣

⑤白昼夢と好機到来!

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 青々とした芝生は太陽の光を浴びて、燦々と輝いていた。
 その上をふわふわした毛むくじゃらのエリザベスが自由に走り回っている。
 紙を丸めて作ったお手製ボールをぽんっと投げると、ワンと鳴いたエリザベスは楽しそうにボールを追いかけて走っていった。


 聞いたところによるとエリザベスは捨て犬だったらしい。
 レインズがゴルテンの貧民街で拾ってきたと聞いた。路地裏で親兄弟はすでに死んで、一匹だけ生き残っていたエリザベスは、弱りながらも必死に母親の乳首に吸い付いていたらしい。

 なんでも拾う人。
 アダムはレインズのことをそう呼んでいたが、それはエリザベスを拾った時の印象が強いからだろう。

 エリザベスは誰にでも愛想が良いが、やはり一番はレインズだ。
 レインズが来ると、俺と遊んでいてもスッと離れてレインズの方へ駆けていく。

 レインズは不思議な人だ。
 彼が悪人リストのトップにいるのは、その影響力が大きいからだ。
 いくつも事業を手がけて敵も多い。
 魔力が強いことで、王族から敵視されている。
 公国は北の地にあり、厳しい気候と魔獣との戦いで領地は平穏とは言い難いが、それでも王国で暮らすより飢えや貧富の差に苦しむことがないと言われて、王国民は密かに憧れている。貴族も王族よりもレインズを支持する者が次々と増えているそうだ。

 もともとクライスラー家は魔力の強い者が生まれるとされていた。
 魔力が強いことは、力と繁栄の象徴でその影響力は強い。
 いまでは政も、レインズの元で決定することもあると、本当か嘘か分からない噂まである。
 王国の影の支配者、確かにそうなのだろう。
 そして彼が悪役とされるのはその容赦ないやり方からだ。
 歯向かう者は、一族郎党、組織は末端まで全て根絶やしにする。
 残虐と呼ばれるやり方から、レインズは悪人リストのトップに君臨する。決して善人ヒーローではない。
 だが、レインズ本人と過ごしているうちに、俺は彼がただの残虐な悪人だとは思えなくなってしまった。
 罪を憎んで人を憎まずとは言ったものだが、俺に優しくしてくれるレインズを憎むことができなかった。

「ダメだよなぁ……、俺、こんなんじゃ……。俺の目的は……」

 いつまでもボケっとしているので、ボールを咥えてきたエリザベスが早く遊んでくれと俺に飛びかかってきた。
 手荒な愛情表現に押し倒された俺は芝生に転がった。

「もーー、エリザベス。力強すぎ」

 寝っ転がりながらも力を込めてボールを投げたら、エリザベスはまた嬉しそうに飛び跳ねてボールを追いかけていった。


「あれは、なんでしょうか?」

 突然どこからか声がして、幻聴でも聞こえたのかと辺りを見回した。

「ああ、ここです。急に話しかけてしまい申し訳ございません」

 頭の上から聞こえてきたのだと分かって、バっと後ろを向くと見慣れない人が立っていた。

 派手な白いコートに白いハットをかぶった男だった。
 レインズの仕事相手が訪問することはよくあったが、邸の中庭まで入り込んでくるのは珍しかった。
 ただ高そうな身なりで使用人には見えないし、ここまで来ているということは、客であることは間違いなさそうだ。

「お…お客様ですか。すみません、気がつかず……。あれは、ボールです。紙を丸めて作った犬のおもちゃです」

 レインズの客なら貴族だろう。貴族というのは変わり者が多いので、変なところに興味を持ったりする。
 コイツもそういう類だろうと思いながら、適当に対応することにした。

「へぇ……手先が器用なんですね」

 帽子に隠れてよく見えなかったが、男の髪は金髪だった。金髪は高貴な色とされると聞いていたが、確かに一般的な薄茶の髪とは輝きが違った。

「犬…、お好きなんですか?」

「えっ……」

「あっ…すみません、その、エリザベスを見る目がすごく優しそうに見えたので……」

 男は遠くではしゃいでいるエリザベスを見ていたが、犬好きな人がよくするように、優しく細められているように見えた。

 しかし初対面の使用人が軽々しく失礼だったかと、言ってから慌てた。

 男は無言でしばらく俺を見ていた。
 やばい、怒っているのかなとビクビクしていたら、男はフッと息を漏らしながら笑った。

「生き物は嫌いです。すぐ死ぬから」

 なかなか重いパンチが返ってきた。
 触れてはいけない人だったようだ。

「あ…の、私は仕事がありますので、これで……」

 気まずいので逃げようとしたら、男が俺の腕を掴んできた。

 突然のことで咄嗟に動けなかったら、伸びてきた手が俺のカツラの長い前髪をスッとかき分けた。

「ああこれだ。今日はこれが見れたのでよしとしましょう。そろそろ限界なので、次はゆっくりお茶でも」

「え?」

 何が起きたのか分からなかった。
 にっこりと微笑んだ男の姿が、光に透けるように薄くなって消えてしまった。

 気がついたら目の前には青い空しかなくて、ワンっとエリザベスの吠えた声で我に返った。

「……なに今の? ……白昼夢?」

 ササァァーと芝生が風に擦れる音が辺り一面に響いていた。しばらく呆然としながらその音を聞いていた。








「ゆ…幽霊とか、この邸にいないですよね?」

 レインズの部屋の前の廊下を歩いていたアダムを見つけた俺は、腕を掴んで周りを見回した後、小声で問いかけた。

「は? 何を言っているんだ?」

「おおお俺、見ちゃったかもしれないです。どうしよう……」

「……サクッと顔洗ってこい! 目が覚めるぞ」

 ピンっと指でおでこを弾かれて、寝ぼけていたヤツ扱いをしてきたので、俺はムッとして違うのだと訴えた。

「分かった、分かったから、今日はレインズ様は外出されないから、お前はもう休め。疲れたんだよ」

「え? レインズ様、今日は予定がないんですか?」

「ああ、会合の予定だったが、延期になった。今日は一日、自室にいらっしゃるから……って、おい!」

 俺は話を聞き終わる前に、アダムに手を振りながら走り出した。
 ついに……、ついにチャンスが来た。

 忙しいレインズが一日フリーになることなど、なかなかなかった。
 これで邪魔者が入ることなく、俺の成敗が実行できる。

 すぐに厨房へ行くと、ちょうどレインズに持っていくお茶の準備がされていた。
 俺は自分がやると言って担当を変わった。
 俺が持っていくと、機嫌が良くなるからとみんな簡単に俺に仕事を代わってくれる。
 ここまで、何もかも上手くいっていた。

 さっきまで幽霊を見たことで頭がいっぱいだったが、そんなことはどこかへ飛んで行ってしまった。

 ガラガラとワゴンを押しながら、俺はレインズの部屋に向かった。
 近頃邸の中はとても静かだった。
 それはリンダの騒動があってから、噂を聞いた令嬢達がみんな怖がって寄り付かなくなってしまったからだ。
 婚約者選びの件はすぐにどうこうという心配はなくなったが、こっちにはこっちの事情がある。
 ついに悪人ポイントの大量保有者、レインズを媚薬でイカせちゃう大作戦が始まるのだ。

 レインズの部屋の前に立った俺は、本来なら目の前で入れるのが正しいのだが、それは無理なのでその場で小瓶から媚薬をカップに注いだ。とりあえず全部入れてみた。その上からお茶を注いで媚薬入りティーが完成した。

 後はこれを、レインズに飲ませるだけ……。

 コンコンとノックをしたら、レインズの声が返ってきた。
 失礼しますと言ってドアを開けると、思いもよらない光景が飛び込んできた。

 レインズの部屋には訪問者がいた。
 それはピンクの花柄のドレスを纏ったリンダと、中年のがっしりとした男性だった。

「お……お茶をお持ちしました」

 マズイ!
 一人で過ごすと聞いていたのに、客がいるなんて聞いていない!
 しかもこの前トラブルになった相手じゃないか!
 何のために……

「ちょうど良かった、この男ですわ。彼の無礼はもうどうでもいいのです。私は真剣にレインズ様のことをお慕いしておりますの!」

「クライスラー公爵、娘もこう言っておりますので、どうかこの前のことはお許しを……、そしてどうか婚約をしていただきたいのです」

 驚いた。
 貴族の令嬢とはとんだガッツの塊らしい。
 執念すら感じるが、父親を出してきて、謝るついでに話をまとめようとしているようだ。

「もちろん、条件として事業の方は全面的に公爵の希望通り、こちらも進めますので……」

 腕を組んだレインズは目を閉じていて、何を考えているのかは分からなかった。
 そこでリンダがスッと立ち上がった。
 紳士のいる席では令嬢がお茶を用意するのが作法になっている。
 俺の方へ近づいてきたリンダは、喉が渇いたと言って媚薬入りのカップを手に取った。

「リンダ様っっ!」

「きゃっ!」

 俺はお茶を飲もうとしたリンダの手から、カップを叩き落とした。

「何をするのよ!!」

「失礼しました。そちらのカップに小虫が入っているのが見えましたので……」

「汚いわね……、早く淹れ直していらっしゃい! そうだ、こんなものより、うちが用意してきた茶葉はいかがですか? ねえ、お父様」

 変に自然すぎるというか、まるでそうする予定だったかのように、リンダは手を叩いて自分の家から連れてきたメイド達にお茶を用意させた。
 その間、俺は茫然自失で倒れそうになっていた。

 俺の……俺のとっておきの、渾身の媚薬作戦が……、一瞬で終わってしまった。

 床に飛び散って絨毯に染み込んだお茶を拭きながら、泣きたくて仕方がなかった。
 もしあのお茶をリンダが飲んでしまったら大変なことになる。
 責任を取ってなんて乱れながらレインズに迫っていったら、作戦は台無しだ。

 てきぱきと用意されたお茶は、ルドヴィカ伯爵が輸入している特別な茶葉らしい。
 部屋全体に香ばしい匂いが漂ってきた。さすが高級品、項垂れていたがちょっと興味が湧いてしまった。

 リンダは持参したカップに次々とお茶を注いだ。
 その一つをレインズに渡そうとすると、レインズはちょっと待ったと言った。

「申し訳ないですが、カップはいつも自分専用の物しか使わないのです。リヒト、私のカップをこちらへ」

「あ…はい」

 俺が運んできたセットの中にカップはあるが、特にレインズ専用というものはなかったはずだ。訝しく思いながら、使ってない一つを取ってレインズに手渡した。

「よろしければ、こちらに注いでいただけますか?」

「は…はい、もちろん」

 気のせいかリンダの表情が一瞬暗くなったように感じた。
 自分達が用意したものを拒否されてショックだったのだろうか。

 リンダは急に動作がもたもたと遅くなりながら、レインズの手の中にあるカップにお茶を注いだ。
 レインズはそれを一口飲んで、ああ香りがいいですねと言った。

 それに気を良くしたのか、ルドヴィカ伯爵が茶葉の説明を始めた。
 俺はふと、リンダが用意してきたカップに入ったお茶が気になった。
 すでに全員の前にカップは置かれていて、せっかく入れたこちらの方は余ってしまった。

 メイドが片付け始めたので、とことこ近寄った俺は、メイドに目配せをしてその一つを手に取った。
 ルドヴィカ伯爵の自慢の茶葉とやらを、ぜひ試してみたかったのだ。
 話に夢中そうな三人の目を盗んで一口いただいてみた。
 確かに芳醇な香りが鼻に広がって、頭がポアッと熱くなる味だ。というか、喉がカッと熱くなった。特別な茶葉とはこんな味なのかと感心してしまった。

「話は分かりました。カップに仕込んだのかと思いましたが、ポットの方だったようですね」

「はい?」

「通称ベランナの淫毒、王国では流通禁止の催淫薬。お二人とも、私には勧めましたが、一口も飲んでないようですね。なぜですか?」

「そっ……それは……」

 気がついたら、三人の話が怪しいことになっていた。伯爵もリンダも顔面蒼白でガタガタと手が震えていた。

「お茶に混ぜて私に飲ませて、リンダ嬢を残して既成事実を作るつもりでしたか……。いかにも簡単に考えつきそうなことだ。私は幼年期よりあらゆる毒を摂取して耐性があります。この匂いもすぐに分かりました。さて、お二人をどうしましょうか……」

 どうやら親子で仕組んで、お茶に催淫薬を入れてレインズに飲ませようとしたらしい。
 俺は苦笑いしながらも、初めてこの二人に親近感が湧いてしまった。

 しかしここでふと気がついた。
 ポットに入れた、レインズはそう言っていた。
 俺は今自分が持っているカップを覗き込んだ。
 すでに半分ほど、飲んでしまった……。

 ぐにゃんと視界が歪んだ。
 手から力が抜けて、持っていたカップはさっき拭いたばかりの絨毯に落ちてまたこぼれてしまった。

 ああ、バカだ。
 また、掃除しないと。

 この期に及んで思い浮かんだのは、そんな言葉だった。




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