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第三章 入学編(十八歳)
13、大きな力と代償
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もうずっと昔。
俺の前世、前の世界の記憶だ。
健だった頃、子供の俺が一人で河川敷を歩いている。
とぼとぼと、下を向いて足元を見ていた。
もうほとんど覚えていないけれど、ひどく悲しい気持ちだった気がする。
子供の頃の思い出といえばほとんどが一人だ。
よく少年野球をしている子供たちの姿を羨ましい気持ちで眺めていた。
考えるのも体を動かすのも人より遅くて、こんな俺がスポーツなんて無理な話だった。
悲しい気持ちはおそらく、学校で何かあって上手くいかなかったからだろう。
そして、誰にもそのことを相談できなかった。
両親は仕事で忙しく、家に帰ってくるといつも疲れていた。
心配するのは自分の役目だと思っていた。
働き過ぎだよ、早く寝たら?
いつもそう言って両親に笑いかけてきた。
一人ぼっちで歩きながら、野球を楽しむ少年達の中に自分の姿を想像した。
ヒットを打って走る俺、みんなから凄いなって背中を叩かれて鼻をかいて嬉しそうに笑う姿。
健がいて助かったよ。健がいてくれて良かった。
みんなが口々にそう言ってくれる。
そんな想像しながらも、頭のどこかでは冷めていた。
きっと、自分の人生はこんなことの繰り返しで、自分の力で何もできず、誰かの役にも立てず、心配すらしてもらえない。
これが俺の人生なんだと、虚しい思いを子供ながらに胸に抱いていた。
川辺に立って水面を覗くと、情けない顔をした健の顔が浮かんでいた。
いや、ユラユラと水面は動いて、知らない男の顔になった。
浅黒い肌、意地悪そうに吊り上がった目、機嫌が悪そうにへの字になった口。
誰だよ、お前……
水面に映った顔は俺が喋ったのと同じように口を動かした。
不思議に思った。
まるで自分の顔のようだ。
いや…………
この顔は………
「………ウス、シリウス」
誰かに肩を叩かれて、名前を呼ばれた。
ゆっくりと目を開くと、目の前には目を閉じて寝ている男がいた。
作り物みたいな綺麗な顔をしていた。
「シリウス、ここで寝たのか……。ダメじゃないか、ちゃんと部屋で寝ないと」
ぼーっとする俺の視界に、別の男の顔が入り込んできた。
心配そうにじっと俺を見る顔には見覚えがあった。
「あ……アルフォンスお兄様……」
「まったく一大事だと聞いて皇宮の仕事を放ってきてみたら……、一週間ろくに食事も取らずにずっとここにいるらしいな。これではお前まで倒れてしまうぞシリウス」
そうだ。
今の俺はシリウス・ブラッドフォードだ。
うとうとしながら浅い夢を見ていたら、記憶が混濁してしまった。
目の前のベッドで眠るのは、このゲーム世界の主人公であるアスラン。
一週間前、学校のラブイベントで突然聖力が開花して、急すぎる力の解放に体が耐えられなくなり、アスランは意識を失った。
そしてそのまま一週間、眠り続けていた。
聖力は限られた者が生まれつき持っている種のようなもので、それが開花、花が開くように自分の意思で自由に使えるようになるのは、生まれつき持っている者の中でもわずかしかない。
アスランは確かに開花する予定ではあった。
それがこんなことになるなんて思っていなかった……。
俺は居ても立っても居られないので、アスランのベッドに四六時中張り付いていた。
眠くなったら椅子に座った状態で、枕元にうつ伏せになって仮眠している。
とにかく離れたくない。
アスランが目覚めた時、俺が一番に声をかけたい。
その思いだけだった。
「正直なところ、俺はアスランのことはどうでもいい。シリウスが心配なんだ」
「お兄様………」
兄のアルフォンスは一年前に帰国して、今は皇宮で皇太子殿下の側仕えをしながら、サポートを続けている。部屋も与えられたので、皇宮内に居を移していた。
家に帰ってくることは少ないが、帰ってくるとずいぶんと可愛がってくれる。
アルフォンスの中では、俺はいつまでも小さな子供のように思えるらしい。
「お前が悲しむだろうから、いちおうソイツの心配もしてやる。聖力のことなら専門家に診てもらうのが一番いい、詳しい者に来てもらった」
専門家というのがよく分からないが、オズワルドが手配してくれた皇宮医は、厳しい顔をして首を振るだけだった。
誰でもいい。
アスランを助けてくれるなら悪人でも誰でもよかった。
アルフォンスが声をかけるとドアが開かれた。
ゆっくりと室内に入ってきたのは、白い神官の服に身を包んだシモンだった。
「帝国内で一番力があるのはシモン神官だ。事情を説明したら、すぐに診てくれるというから来てもらった。彼は貴族学校の教師でもあるから、シリウスとは……」
「お久しぶりです。少し見ない間に頬が薄くなって……、ちゃんと食事は取れていますか?」
兄の話を遮るように、スッと俺に近づいたシモンは頬に触れてきた。
今日も青い髪は輝いていて、変わらず美しいシモンを、俺は力なく見上げた。
「アスランが……目を、覚さないのです」
「ご心配でしょう、でも大丈夫です。私も開花の時は、子供の頃でしたが高熱に苦しんでひと月ほど寝込みました」
フッと微笑んだシモンはアスランに近づいて、おでこの辺りに手をかざした。
シモンの手からぽっと光が溢れてアスランの体に伸びていった。
「開花には、種類があるのです。ゆっくりと本人の体に馴染んでから開花するものと、大きな感情の揺れで強制的に開花するもの、特に怒りを孕んだものは、本来癒しの力である聖力が炎に形を変えることで、使用者にはかなりの負担がかかります。馴染みやすいように私の力を少し与えたので、もう少ししたら目を覚ますでしょう」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか……」
「私の力だけではありません。シリウス、貴方がいたからこそ、彼は助かったのです」
「えっ……俺は……何も……」
じっくり話をする必要があると思ったのだろう。
こちらへとシモンに促されて俺は椅子に座った。
アルフォンスは気を使ってくれたのか、用事があるからと言って部屋を出て行った。
「以前に、シリウスはゾウ神に愛された子だとお伝えしたのを覚えていますか?」
「……ええ、はい」
「シリウスからは異なる二つの波動を感じます」
「えっ………」
「一つは人が本来持っている生まれ持った生命力ですね。もう一つは、魂に根付いた純粋な聖力です」
いつだったがそんな話をした記憶があるが、あれは何かの例え話のようなものだと思っていた。
しかも二つの波動などと言われたら、まさに憑依した俺と元のシリウスという存在を示されているようで驚いてしまった。
「シリウスは聖力を使うことはできませんが、存在自体が聖力のかたまり。つまり、原石のようなものなのです」
「はあ………」
話がのみ込めなくて、ぽかんとしている俺の顔を見て、シモンはふふっとおかしそうに笑った。
「聖力は人ならざる強い力です。人からは神子と呼ばれますが、実際は人とバケモノの間を行ったり来たり、時々強い力に飲み込まれそうになるのを気力で堪えるくらいの危うい存在です。聖力使いは重宝されますが、そのほとんどが短命だということは知っていましたか?」
「え!? そっ……そんな……」
「本来は神の持つ力だからです。原因のほとんどが人として感情があること。憎んだり怒りを持ったり、負の力がそのまま増幅して本人に影響してしまうのです」
ここまで説明されたら、俺でも理解できた。
聖力は人から求められて、もてはやされているが、実際は使う者にとって危険な力だということだ。
俺が悲壮な顔になったのを見て、シモンは一呼吸置いてから話を続けた。
「だからシリウスのような人は、私達の救世主なのです。貴方の側にいることで純粋な輝きに触れて、濁ってしまったものが浄化されるのです。貴方がアスランの怒りに染まった力を元に戻したのですよ」
「お、俺がですか!? 俺は、だって何もできない……むしろ悪役みたいな存在で……」
「誰がそんなことを言ったのですか?」
「誰がって……それは、その……」
「聖力がなくとも、貴方の存在ですでに救われている者はたくさんいると思います。私もその一人です。明るくて元気なシリウスを見るだけで、幸せな気持ちになりますから」
原石とか、救世主などと呼ばれても、何の実感もない。それにいるだけでいいというのは何とも掴みどころのない話でにわかに信じ難かった。
「先ほど、シモン先生も開花の時に高熱に苦しんだと聞きましたが、それは強制的なものだったのですか?」
俺の問いに自分のことを聞かれると思わなかったのか、シモンは目を開いて驚いたような仕草をした。
「さぁ……どうだったでしょうか。私の場合、子供だったので、覚えていません」
聖力を持つ者の共通点、それは恐ろしく美しいということかもしれない。シモンの微笑みは美しくもあり、悲しそうに見えた。
それからシモンはアスランの様子をまた少し見てから、もう大丈夫そうだと言って屋敷を後にした。
シモンを見送った後、俺は力が抜けて、アスランのベッドの横に倒れるように座り込んだ。
窓の外を見るともうすぐ夜の帳が下りる頃だった。
シモンの訪問で気力を使ってしまい、どっと疲れたように体が重くなった。
アスランの手を握りながら少し休もうと目を閉じた。
□□□
俺の前世、前の世界の記憶だ。
健だった頃、子供の俺が一人で河川敷を歩いている。
とぼとぼと、下を向いて足元を見ていた。
もうほとんど覚えていないけれど、ひどく悲しい気持ちだった気がする。
子供の頃の思い出といえばほとんどが一人だ。
よく少年野球をしている子供たちの姿を羨ましい気持ちで眺めていた。
考えるのも体を動かすのも人より遅くて、こんな俺がスポーツなんて無理な話だった。
悲しい気持ちはおそらく、学校で何かあって上手くいかなかったからだろう。
そして、誰にもそのことを相談できなかった。
両親は仕事で忙しく、家に帰ってくるといつも疲れていた。
心配するのは自分の役目だと思っていた。
働き過ぎだよ、早く寝たら?
いつもそう言って両親に笑いかけてきた。
一人ぼっちで歩きながら、野球を楽しむ少年達の中に自分の姿を想像した。
ヒットを打って走る俺、みんなから凄いなって背中を叩かれて鼻をかいて嬉しそうに笑う姿。
健がいて助かったよ。健がいてくれて良かった。
みんなが口々にそう言ってくれる。
そんな想像しながらも、頭のどこかでは冷めていた。
きっと、自分の人生はこんなことの繰り返しで、自分の力で何もできず、誰かの役にも立てず、心配すらしてもらえない。
これが俺の人生なんだと、虚しい思いを子供ながらに胸に抱いていた。
川辺に立って水面を覗くと、情けない顔をした健の顔が浮かんでいた。
いや、ユラユラと水面は動いて、知らない男の顔になった。
浅黒い肌、意地悪そうに吊り上がった目、機嫌が悪そうにへの字になった口。
誰だよ、お前……
水面に映った顔は俺が喋ったのと同じように口を動かした。
不思議に思った。
まるで自分の顔のようだ。
いや…………
この顔は………
「………ウス、シリウス」
誰かに肩を叩かれて、名前を呼ばれた。
ゆっくりと目を開くと、目の前には目を閉じて寝ている男がいた。
作り物みたいな綺麗な顔をしていた。
「シリウス、ここで寝たのか……。ダメじゃないか、ちゃんと部屋で寝ないと」
ぼーっとする俺の視界に、別の男の顔が入り込んできた。
心配そうにじっと俺を見る顔には見覚えがあった。
「あ……アルフォンスお兄様……」
「まったく一大事だと聞いて皇宮の仕事を放ってきてみたら……、一週間ろくに食事も取らずにずっとここにいるらしいな。これではお前まで倒れてしまうぞシリウス」
そうだ。
今の俺はシリウス・ブラッドフォードだ。
うとうとしながら浅い夢を見ていたら、記憶が混濁してしまった。
目の前のベッドで眠るのは、このゲーム世界の主人公であるアスラン。
一週間前、学校のラブイベントで突然聖力が開花して、急すぎる力の解放に体が耐えられなくなり、アスランは意識を失った。
そしてそのまま一週間、眠り続けていた。
聖力は限られた者が生まれつき持っている種のようなもので、それが開花、花が開くように自分の意思で自由に使えるようになるのは、生まれつき持っている者の中でもわずかしかない。
アスランは確かに開花する予定ではあった。
それがこんなことになるなんて思っていなかった……。
俺は居ても立っても居られないので、アスランのベッドに四六時中張り付いていた。
眠くなったら椅子に座った状態で、枕元にうつ伏せになって仮眠している。
とにかく離れたくない。
アスランが目覚めた時、俺が一番に声をかけたい。
その思いだけだった。
「正直なところ、俺はアスランのことはどうでもいい。シリウスが心配なんだ」
「お兄様………」
兄のアルフォンスは一年前に帰国して、今は皇宮で皇太子殿下の側仕えをしながら、サポートを続けている。部屋も与えられたので、皇宮内に居を移していた。
家に帰ってくることは少ないが、帰ってくるとずいぶんと可愛がってくれる。
アルフォンスの中では、俺はいつまでも小さな子供のように思えるらしい。
「お前が悲しむだろうから、いちおうソイツの心配もしてやる。聖力のことなら専門家に診てもらうのが一番いい、詳しい者に来てもらった」
専門家というのがよく分からないが、オズワルドが手配してくれた皇宮医は、厳しい顔をして首を振るだけだった。
誰でもいい。
アスランを助けてくれるなら悪人でも誰でもよかった。
アルフォンスが声をかけるとドアが開かれた。
ゆっくりと室内に入ってきたのは、白い神官の服に身を包んだシモンだった。
「帝国内で一番力があるのはシモン神官だ。事情を説明したら、すぐに診てくれるというから来てもらった。彼は貴族学校の教師でもあるから、シリウスとは……」
「お久しぶりです。少し見ない間に頬が薄くなって……、ちゃんと食事は取れていますか?」
兄の話を遮るように、スッと俺に近づいたシモンは頬に触れてきた。
今日も青い髪は輝いていて、変わらず美しいシモンを、俺は力なく見上げた。
「アスランが……目を、覚さないのです」
「ご心配でしょう、でも大丈夫です。私も開花の時は、子供の頃でしたが高熱に苦しんでひと月ほど寝込みました」
フッと微笑んだシモンはアスランに近づいて、おでこの辺りに手をかざした。
シモンの手からぽっと光が溢れてアスランの体に伸びていった。
「開花には、種類があるのです。ゆっくりと本人の体に馴染んでから開花するものと、大きな感情の揺れで強制的に開花するもの、特に怒りを孕んだものは、本来癒しの力である聖力が炎に形を変えることで、使用者にはかなりの負担がかかります。馴染みやすいように私の力を少し与えたので、もう少ししたら目を覚ますでしょう」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか……」
「私の力だけではありません。シリウス、貴方がいたからこそ、彼は助かったのです」
「えっ……俺は……何も……」
じっくり話をする必要があると思ったのだろう。
こちらへとシモンに促されて俺は椅子に座った。
アルフォンスは気を使ってくれたのか、用事があるからと言って部屋を出て行った。
「以前に、シリウスはゾウ神に愛された子だとお伝えしたのを覚えていますか?」
「……ええ、はい」
「シリウスからは異なる二つの波動を感じます」
「えっ………」
「一つは人が本来持っている生まれ持った生命力ですね。もう一つは、魂に根付いた純粋な聖力です」
いつだったがそんな話をした記憶があるが、あれは何かの例え話のようなものだと思っていた。
しかも二つの波動などと言われたら、まさに憑依した俺と元のシリウスという存在を示されているようで驚いてしまった。
「シリウスは聖力を使うことはできませんが、存在自体が聖力のかたまり。つまり、原石のようなものなのです」
「はあ………」
話がのみ込めなくて、ぽかんとしている俺の顔を見て、シモンはふふっとおかしそうに笑った。
「聖力は人ならざる強い力です。人からは神子と呼ばれますが、実際は人とバケモノの間を行ったり来たり、時々強い力に飲み込まれそうになるのを気力で堪えるくらいの危うい存在です。聖力使いは重宝されますが、そのほとんどが短命だということは知っていましたか?」
「え!? そっ……そんな……」
「本来は神の持つ力だからです。原因のほとんどが人として感情があること。憎んだり怒りを持ったり、負の力がそのまま増幅して本人に影響してしまうのです」
ここまで説明されたら、俺でも理解できた。
聖力は人から求められて、もてはやされているが、実際は使う者にとって危険な力だということだ。
俺が悲壮な顔になったのを見て、シモンは一呼吸置いてから話を続けた。
「だからシリウスのような人は、私達の救世主なのです。貴方の側にいることで純粋な輝きに触れて、濁ってしまったものが浄化されるのです。貴方がアスランの怒りに染まった力を元に戻したのですよ」
「お、俺がですか!? 俺は、だって何もできない……むしろ悪役みたいな存在で……」
「誰がそんなことを言ったのですか?」
「誰がって……それは、その……」
「聖力がなくとも、貴方の存在ですでに救われている者はたくさんいると思います。私もその一人です。明るくて元気なシリウスを見るだけで、幸せな気持ちになりますから」
原石とか、救世主などと呼ばれても、何の実感もない。それにいるだけでいいというのは何とも掴みどころのない話でにわかに信じ難かった。
「先ほど、シモン先生も開花の時に高熱に苦しんだと聞きましたが、それは強制的なものだったのですか?」
俺の問いに自分のことを聞かれると思わなかったのか、シモンは目を開いて驚いたような仕草をした。
「さぁ……どうだったでしょうか。私の場合、子供だったので、覚えていません」
聖力を持つ者の共通点、それは恐ろしく美しいということかもしれない。シモンの微笑みは美しくもあり、悲しそうに見えた。
それからシモンはアスランの様子をまた少し見てから、もう大丈夫そうだと言って屋敷を後にした。
シモンを見送った後、俺は力が抜けて、アスランのベッドの横に倒れるように座り込んだ。
窓の外を見るともうすぐ夜の帳が下りる頃だった。
シモンの訪問で気力を使ってしまい、どっと疲れたように体が重くなった。
アスランの手を握りながら少し休もうと目を閉じた。
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