悪役令息はゾウの夢を見る

朝顔

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第三章 入学編(十八歳)

14、祝福の花

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「シリウス、ねぇシリウスってば」

「んっ………何?」

「起きてよ。ちょっと来て欲しいんだ」


 アスランのまだ幼くて弾んだ声。
 これは夢だ。
 子供の頃の夢。

 アスランが邸に来て二年くらいした頃。
 夜明け前、ベッドで寝ていたらアスランに揺り起こされた。
 俺は目を擦りながらまだ眠いとかなんとか言いながら、のっそり起き上がった。

 重い目を開けると、まだ細っそりして女の子みたいだった頃のアスランがニッと笑っていた。

「来て来て、この日を待っていたんだ。偶然にもぴったりだからとっても嬉しい」

 寝巻き姿のままベッドから引っ張り出された俺は、アスランに手を引かれて廊下を走らされた。

 アスランはよくこんな突拍子もないことをした。
 俺を驚かせて反応を見て楽しむようなところがあったので、今回もそんなところだろうと思った。

 手を引かれたまま外へ出た。
 こんな格好で外へ出るなんて、父に見られたら怒られてしまう。
 だめだと言おうとしたら、アスランは庭園の奥へ通じる道に入ろうとした。

「アスラン、そっちはダメだって。改装中だから入らないようにって言われていただろ」

「あー、それね。伯爵に頼んでシリウスは入らないように言ってもらったんだ」

 アスランの言った通り、父親から奥へ行くことを止められていて、しばらく足を踏み入れていなかった。

「何だよそれ、なんでそんなこと……」

「それはねぇ、あっ、ちょっと止まって!」

 怒られたら嫌だと、奥へ進む道をびくびくしながら歩いていたら、アスランに止まれと言われて急いで足を止めた。
 俺の後ろにサッと回り込んだアスランは俺の目を両手で後ろから隠してしまった。

「な、なに? 何するんだよ」

「いいから、ちょっとそのまま歩いて」

 何も見えない状態で、恐る恐る歩かされてしばらく経った。
 どれくらい歩いたのだろうか、アスランの手が離れてたが、目を開けずにそのまま立っていた。

「よしっ、シリウス、目を開けて」

 またどんな悪戯なんだと思いながら目を開けると、そこには………

「えっ、これって…………」

 俺の目の前には一面虹色の花畑が広がっていた。
 その花は俺がリカードの屋敷で見て気に入ってしまい、欲しいと騒いだものだった。
 あの時に種をもらったが、手入れが難しい花で、育たずに根が腐ってしまい全て枯らしてしまった。
 自宅で咲かせるのは無理だと諦めてすっかり忘れていた。

 それが、考えられないくらいたくさん目の前で咲いている。
 朝日に照らされて、いっそうキラキラと輝いていた。

「すごいよね、まるでお花の大合唱。歌が聞こえてくるみたい」

「アスラン……これは……」

 朝日を浴びてアスランの横顔もキラキラと輝いていた。俺が見ていることに気がついたアスランは、鼻の下をかきながら照れた顔で笑った。

「ずっと秘密で育てていて、今朝やっと花が咲いたんだ。今日、シリウスの誕生日でしょう。間に合ってよかった」

 いつから育て始めたのか。
 確か水やりは欠かせないし、温度管理も大変だったはずだ。
 きっと、毎日剣を振り回して汗だくになって稽古をして、その間の貴重な時間を割いて育ててくれたのだろう。

「お誕生日おめでとうシリウス、僕ね、シリウスに出会えてとっても嬉しい。ここに来るまでに辛いことがいっぱいあったけど生きていてよかった」

「アスラ……、そんな……うっ、俺なんかに……ううっだめだって」

「あー、シリウス泣いたね。泣くほど感動してくれたなんて嬉しい」

 あの頃は必死に悪役令息にならないといけないと、毎日気を張っていた。唯一、アスランといる時だけ、本当の自分でいれた気がする。

 とっくに恋に落ちていた俺は、アスランに優しくされる度に嬉しくて、でもそれを見せてはいけないのが苦しくて、自分を隠す日々が辛かった。

 そんな時、サプライズ好きのアスランが見せてくれた誕生日プレゼント。
 あの光景は今でも目に焼き付いている。
 本当に繊細な花で、あの年以降は咲くことがなかった。
 だからあの時、あの瞬間、アスランが心に刻んでくれた思い出はそれからずっと目を閉じるたびに目の奥に浮かんできて、俺を夢みたいな世界に連れて行ってくれる。

「シリウス、もう行くね」

 幼いアスランがそう言ってスッと立ち上がった。
 俺も一緒に、そう言おうとしたのに声が出てこなかった。
 手も足も動かない。
 俺に向かって微笑んだアスランはどんどん歩いて行ってしまう。

 だめだ
 言わないと……

 まだ、言ってないんだ

 とても、とても大事なこと

 アスランの背中は小さくなり、見えなくなってしまった。

 お願い、ゾウの神様

 シモンが言ったように、俺に何か力があるなら。

 アスランを俺の元へ返して。







「……スラ……、ン、だめ……行かないで、アスラ……」

 寒かった。
 泣きながら温もりを探して膝を抱えていた。

「ここにいるよ」

 震えていた手が温かさに包まれた。

「シリウスは泣き虫だな……子供の頃、森で迷子になった時、俺の名前を呼んで泣いてたでしょう。その時に、シリウスを守ろうって決めたんだ。これからも、ずっと……ずっと」

「だったら……なんで起きてくれないんだよ。名前を呼んでいるのに、なんで……」

「ふふっ、じゃあ、目を開けてみてよ。シリウスの可愛い目を見せて」



 ふわふわとした世界を漂っていた俺は、その言葉で一気に浮上した。
 ばっと目を開くと、ポロポロと涙が頬にこぼれた。
 月明かりしかない薄暗い室内にアスランの寝ているベッド。
 少し目を閉じたつもりが、熟睡していたのだと気がついた。
 また長い夢を見ていたらしい。

 アスランの様子を確認しないといけないと、うつ伏せになっていた体を起こそうとしたら、手が温かくて大きなものに包まれているのを感じた。

「えっ…………」

「やっと起きた。おはようシリウス」

 夢じゃない。

 顔を上げると、ずっと寝た状態だったアスランが、しっかり目を開けて俺のことを見ていた。

「どれくらい寝ていたの? 何があったか、よく覚えていないんだけど、一日? 二日くらい? なんだか、体の動きが悪いよ。鈍った分、また訓練しないと……」

「あ……あ、あ……アスラン!!」

「うわっっ」

 俺は上半身を起こしてベッドに座っていたアスランに飛びついた。首元にしがみついて、アスランが消えてしまわないように必死に力を込めて抱きしめた。

「アスラン、アスランっ、行かないで、だめだよ。ここにいて、俺の側にいて」

「シリっ……ううー苦し、ここにいるって」

「俺がバカだった。全部捨ててもいいんだ、本当の悪になってもいい、神様の世界を壊しても、大切な人なのに、こんなことになって、言えなかったことを後悔するなんて……」

「な、何? 言ってることが全然……」

「好き……好きだよ、アスラン。大好きなんだ」

「え…………」

「アスランが誰を……オズワルド殿下を好きでもいい。俺は……俺はアスランがずっと好きだった。ごめん、こんな一方的なこと、今、体がしんどい時なのに、でも、どうしても……伝えたくて……」

 抱きしめているから分かる。
 アスランの心臓がドクドクと飛び出しそうなくらい激しく揺れ出した。

 こんなに反応してくれるなんて、期待がこぼれ落ちてしまう。
 それをかき集めてしまおうとしたのに、今度はがっちりとアスランが俺のことを掴んできて離さなかった。

「ちょっと待って、どういうこと? 頭が混乱して……、オズワルド殿下を好きって、俺がそう思ってるってこと?」

「え、う……うん」

「どこをどう取ったらそうなるんだよっ! 目も合わしたこともないのに! 俺は……ずっと、シリウスが殿下を好きなんだと……」

「そっ、それは……確かに婚約者候補だったけど、俺の気持ちは昔から……アスランがこの邸に来てから、ずっと……好きで……」

 告白したらアスランを混乱させてしまった。気持ちだけでも分かって欲しくて、おずおずと伝えてみたら、アスランは声にならない唸り声を上げて頭を抱えた。

「あーーー、あんなに悩んで悩み抜いた日々がぁぁ」

「アスラン……?」

「最初から、両想いだったなんて」

「え………」

 指の隙間からチラリとアスランの可愛らしい目が覗いた。
 俺は頭の中でアスランが言ったことを繰り返して考えて、考えて、ようやくまたアスランの顔に視線を戻した。

「俺もさ、ずっと好きだった、シリウスのこと」

「うっ……嘘」

「嘘って……、嘘じゃないよ」

「だって……アスランが……アスランが……そんなことを言ってくれるなんて……」

 情けないことに、また目頭が熱くなってぶわっと涙が出てきた。

「俺、まだ夢みてるの?」

「夢じゃない、夢じゃないよ」

 アスランはボロボロと泣く俺に言い聞かせるように二回繰り返してから、頬を流れる涙をペロリと舐めた。

「ふふっ、……しょっぱい」

 アスランの言葉がじんわりと溶けるように頭に広がっていく。
 そして、いつか見せてくれた照れたような顔でアスランは笑った。

「アスランっっ!!」

 嬉しくて嬉しくて、堪えきれない想いが弾けるように、アスランの胸に飛び込んだ。

 嘘じゃない、夢じゃない。

 アスランが俺のことを、好きだって言ってくれた。

「アスラン好きだ、もう離さない」

「うん、俺も。大好き」

 想像していた未来とは違う。
 遠回りしたり間違えたり、それでも俺は本当に望んでいた人の元にたどり着いた。

 この選択をこの世界の神であるゾウさんが、許してくれるかは分からない。
 だけど、もうアスランと一緒じゃない未来なんて、想像ができない。
 悪役令息でも何でもない、ただの俺になってしまったけど、全て失うことになったとしても、アスランの手だけは決して離さない。

「シリウス! 外を見て」

 アスランの胸に顔を埋めていたら、驚いた声がして俺は顔を上げた。
 アスランの言う通り、外を見ると、朝焼けの薄暗さの中に、わずかに輝く光が見えた。

「光ってる……なんだろう」

「何年も土の中に眠り、朝焼けの頃に輝きながら花開く……」

 ベッドから飛び降りた俺は、背中でアスランがつぶやく声を聞きながら、勢いよく走って窓の外まで身を乗り出した。
 懐かしい光を感じて、もうそれが何であるか、途中から分かってしまった。

「咲いてる……、アスラン! 一輪だけ自生したんだ……。あの花だよ、アスランが誕生日に見せてくれた」

 窓の下には虹色に輝くあの花が咲いていた。
 名前も知らない、だけど二人の眩しすぎるほど美しい思い出の花。

「初恋」

「え?」

 いつの間にかベッドにいたアスランが俺のすぐ後ろに来ていた。
 アスランは俺の髪に触れてそっと口付けた。

「あの花の名前だよ。初恋花って名前が付けられてるみたい。名付けた人は、初恋の七色に輝くような気持ちをあの花に見たんだろうね」

「なるほど、言われてみたらぴったり似合う名前だ」

「本当、俺達にぴったりだね」

 アスランが俺を後ろから抱きしめて頬にキスをした。
 ちゅっという音が鳴って、俺はぼんやりと夢の続きみたいにその光景を眺めてしまった。

「シリウスのことを思う時、いつもこの胸の中は虹色に輝いているんだ。両想いだって分かって、この花が咲いたのは、まるで誰かがお祝いしてくれたみたいだね」

「誰かか……そうだ、な……。きっと……」

 俺はゾウの神様のことを思い出した。
 アスランが目覚めて想いを確認し合った日に、初恋花が咲いたなんて、まるで祝福してくれているみたいだった。

「最初から最後まで、シリウスがいい」

「アスラン……」

 後ろから回されたアスランの手が俺の手を包んだ。アスランの手は大きくて剣を握るからゴツゴツしていて硬かった。
 それが現実なのだと感じさせてくれて嬉しかった。

「俺も。目をつぶる時も目を開ける時も、アスランの顔を見ていたい」

 俺を優しく包み込むアスラン。
 顔だけ振り返ると、アスランの唇が落ちてきてゆっくりと重なった。

 やがて朝日が昇り、燦々と輝く光が二人を照らしても、俺とアスランのキスは終わることがなかった。








 □第三章 終□
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