上 下
11 / 21

⑪ 守りたい温もり。

しおりを挟む
「まったく……、こんなことは前代未聞です。まだ身内だけで、怪我人もいなかったのでよかったですけど、これが生徒の前だったらどうなったか……。ダイナミクスのことで強くは言えないですけど、しっかり医師に相談されてはどうですか? まぁ、今回は丸川先生が発端なので、一番悪いのは彼ですが、事を大きくしたのは納見先生の責任もありますからね」

「はい、ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ございません」

 頭を下げると校長は気をつけてくださいと言って、くるりと椅子を回転させて背中を向けてしまった。
 話は終わりだということだろう。
 こちらを見られているわけではなかったが、納見は頭を深く下げてから校長室を出た。
 校長室に呼び出されて怒られるなんて、学生時代にも経験したことがない。
 ドアを閉めたら緊張から解放されて、納見は小さくため息をついた。



 先週末の職員一同での納涼会で、胸ぐらを掴まれて殴られそうになっている香坂の姿を見たら、完全に我を失ってしまった。
 自分の中にこんなに強い感情があったのかと思うくらい、目の前が怒りで真っ赤に染まり、気がついたらバタバタと人が倒れていた。

 頭の中が怒りで支配されてしまうグレア、それ以上に本能が強く出て、Subを守ろうとグレアを無差別に撒き散らしてしまうディフェンス。
 こんなに感情的になってしまうなんて、自分が恐ろしく思えた。
 それと同時に、次に同じようなことがあったとして、自分を抑えることができるのか分からなかった。

(ちゃんとしないと……これじゃただの迷惑な人間になってしまう。でも、仁が殴られるなんて、絶対に我慢できない)

 問題の発端は体育教師同士のいざこざだった。
 新人の酒井は、若くて可愛らしい見た目で誰にでも愛想が良かった。本人は誘惑したわけではないと言っているが、先輩の丸川からすると誘惑されて好きになってしまったらしい。
 酒井は飲み会の幹事だった香坂に席の変更を依頼して助けを求めた。
 ここまでは納見も話を聞いていて、一緒にフォローしようということになっていた。
 飲み会が始まって蓋を開けると、酒井は香坂にずいぶんと馴れ馴れしかった。
 どうやら、人気のある香坂と仲の良いところを見せつけて諦めてもらおうという作戦だったらしい。香坂は苦い顔をしていたが、それに合わせてあげていた。
 しかし、納見からすると、どうも演技以上にあわよくば本当に仲良くなりたいという酒井の態度が見え見えで、その時点でイラついていた。

 一度トイレで香坂と過ごして、落ち着いたのだが、戻ってきて香坂が丸川に殴られそうになっている場面を目にしたら、完全にキレてしまった。

 結局、全員気絶してしまい、しばらくしたら意識を取り戻したが、大変なことになってしまった。

 もう一人、相談を受けていた副校長が間に入ってくれたこともあり、納見は注意だけで済んだ。
 丸川は今は謹慎しているが、系列校に異動になるらしい。

 職員室内で頭を下げた納見だったが、他の先生方の反応はDomだったことへの驚きくらいで、他はもう大丈夫だからと逆に慰められてしまった。
 みんな普段から横暴な丸川に反感を持ってはいたが、上から可愛がられていた丸川に意見ができなかった。
 香坂が殴られそうになっている時も、恐くて助けることができなかったことを自分達も反省していると言ってくれた。

 そして香坂は……


「納見先生、どうでしたか? 何か厳しいことは……」

 納見が出てくるのを待っていたのか、校長室を出て顔を上げると、廊下に香坂が立っていて声をかけて来た。
 心配そうな表情に大丈夫だと笑いかけた。

「注意だけで済みました。一度医師に相談するようにと言われましたが、そのくらいです」

「良かったぁぁ……」

 かなり心配していたのか、香坂は口元にを手を当ててその場に座り込んでしまった。
 香坂は今回のことは酒の場にもかかわらず、自分が軽率に話を向けてしまったのが原因だと言ってくれた。
 ディフェンスを放つほど、仲の良い関係だと色々と勘付かれているが、周りは気を遣ってくれて、それ以上深く聞いてくることはなかった。

 座り込んだ香坂の細い首元が見えて、思わず抱きしめたくなったが、さすがにこんなに目立つ廊下ではできないので、手を差し出すだけにとどめた。

「ありがとうございます。ちょっと、気が抜けてしまって……」

 キョロキョロと周りを見渡して、近くに人がいないのを確認した香坂は、納見の手をつかんで立ち上がった後も手を離さなかった。

「ごめん、俺がもっとちゃんと陽太に相談していればよかった。Domの本能のこと、ちゃんと理解していなくて、殴られて解決するならいいやとか、そんな風に思っちゃって……」

「仁のせいじゃない。悪いのは丸川だし、ちゃんとコントロールできなかった俺もダメだった。でもさ、次に同じことがあったら、ちゃんと我慢できるか自信ない……」

「それは……でも、俺のこと、守ろうとしてくれたのは嬉しいよ。大丈夫、人に殴られそうになることなんて、そうないからさ。それに、不安になったら思い出して、俺はちゃんと陽太のこと好きだし、何があっても一緒にいるから……、もう離れないよ」

「仁………」

 誰かが来てしまうかもしれないから、軽く手を繋いだだけでそれ以上触れることはできない。
 納見と香坂は、愛を確認するように見つめ合った。
 今すぐキスをして抱きしめたい思いを視線にこめると、香坂は触れている指をぴくっと揺らして、頬が赤くなった。

(仁、好きだよ。こんなことになっても、俺の側にいてくれてありがとう)

 納見の中でもう気持ちは固まっていた。

 男女の性であれば、結婚という制度を利用して夫婦として婚姻関係を結ぶことができる。
 しかし、男同士である納見と香坂はそうはできない。
 社会はダイナミクスの相性はなにより重要だと認めてくれている。
 様々な制度ができていて、男同士の場合、パートナー申請というものをすると、婚姻関係と同じこととされている。
 希望すれば養子を迎えることも可能で、多くの人がそれを利用して家族という形を築いている。
 そのことが認められてから長い年月が経っていて、今では人生の選択肢の一つとして一般的な考え方になっている。

 能見にとって香坂は、今まで生きてきた人生の中でこれ以上ないという出会いで、まだ付き合ってから日も浅いが、香坂以外の人間と生きていくことが考えられなくなっていた。

 香坂とパートナーになりたい、そう思い始めたらもうそれ以外考えられなかった。
 つまりパートナーになって欲しいとプロポーズしたいと思っていた。
 Subには首輪カラーを贈り、Domは同じデザインの入った指輪を付けるというのが一般的だった。

 納見にとって悩ましいことは、最初に香坂に、いかにもDomという人間が苦手だと言われたことだった。
 つまり、首輪に抵抗があるかもしれないし、何より香坂は、納見がDom性が弱いと誤解している。付き合う時にどうやらそれが気に入ってもらえたようで、それ以来誤解を解くことができずにいた。

(仁に嫌われたくない……)

 もう一つ、以前Domの擬似プレイを配信していたということも、言えずにいた。
 今は認知度が高まってはいるが、擬似プレイの配信といえば性的なものとして知られている。
 納見はやっていなかったが、過激で卑猥な言葉を連発して投げ銭を稼ぐやつもいた。
 そっちの方が目について話題になってしまうものだ。
 こんなことして恥ずかしくないの? と、コメントをもらうことも多かった。
 人に気軽に話せるようなものではない。

(擬似プレイ配信なんて最低とか思われたら、ショックで立ち直れない……ああ、やっぱり言えない)

 好きだと思えば思うほど、嫌われたくなくて怖くなる。
 香坂のことは大切で、ずっと一緒にいたい。
 それなのに、その恐怖に足を掴まれてしまい、納見は次に踏み出す勇気が持てずにいた。








 丸川と酒井の騒動があって、一時期慌ただしかった校内も、時間が経ってだいぶ落ち着いた。
 丸川の代わりにベテランの女性の体育教師が赴任してきた。明るい人ですぐに学校にも馴染んで、酒井とも上手くやっている様子だ。

 酒井とはあれ以来ぎこちないが同僚として普通に接しているし、香坂の身辺もやっと静かになった。

 ……と、思ったのは少しの間で、一難去ってまた一難。
 香坂は職員室で苛立った様子の教頭に呼び出されて、小一時間睨まれていた。

「で、何度も聞きますが、本当に身に覚えがないと?」

「ええ、何度聞かれても同じです。生徒と特別親しい関係になったことなどありません」

 朝イチで授業が終わってから話があると言われて、その日一日中ひどく憂鬱な気持ちで過ごさせてくれた。
 納見は心配してくれたが、この時間補習クラスがあるので、大丈夫だと言ってそっちに向かってもらった。
 授業後、ひとりで重苦しい気持ちのまま、教頭の席に向かうと、椅子にふんぞり返って座っている教頭からギロリと睨まれた。
 プライベートな質問らしいのだが、個別に部屋を用意してくれることもなく、他の先生もいる職員室でいきなり尋問のような勢いで生徒との接し方について質問が始まった。

 曖昧な質問が続いて、早く言いたいことがあるなら言えよと思いながら、香坂も苛立ち始めた頃、教頭が机の中からスマホを取り出して、強めに机の上に置いた。

「これを。決定的な証拠ですけど、何か言い分はありますか?」

 スマホの画面には一瞬男女の写真が見えた気がしたが、すぐに消えてしまったのでよく分からなかった。

「何ですか? ちょっと意味が……」

「これはテスト中、音が鳴ったので生徒から没収したスマートフォンです。この画面を見てください。この写真、どう見ても香坂先生ですよね!」

 教頭が画面をタップするとそこには、裸でベッドに寝転んだカップルのラブラブ写真が表示された。
 女の子の方は、担当のクラスではないが、よく話しかけてくる派手な集団にいる一人だと分かった。
 そして男の方は、教頭が指摘した通り、香坂にそっくりな顔をしていた。

「えっ………」

 まったく身に覚えはないが、人間とはこういう時に頭が真っ白になってしまうものなのか、いつもなら素早く回転する頭が動かなくて、返答が遅くなってしまった。

「やはりそうでしたか。これだから若い教師というのは厄介なんですよ。ああ、これから保護者に連絡をして校長も交えて話し合いを……」

「ちょっ、ちょっと! 待ってください! 知りません! これは何かの間違いです!」

「これが明らかな証拠ですよ。まさか未成年に手を出すなんて教師失格、人間としても最低の行為ですよ。いつか間違いが起こると思っていたんですよ。アイドル先生なんて言われていい気になって浮かれて、他にも手を出しているんじゃないですか?」

 教頭の完全に決めつけてきた言い方に、香坂もカチンときてしまった。
 そもそも写真なんてこのご時世どうにでもなると言いたかったのに、職員室内から冷たい視線とヒソヒソと声が聞こえてきて、体にゾクっと寒気がして固まってしまった。
 その瞬間、香坂は自分の学生時代のことを思い出してしまった。

 あれは中学生の頃、蒸し暑い教室の中、クラスメイトに囲まれて、香坂は下を向いていた。

 ある一人の女の子から告白された香坂は、その頃はまだ幼くて押し切られるように付き合い始めた。
 しかし、その子は一番目立つグループのリーダー格の男と、実はすでに付き合っていた。
 香坂は気持ちの多い女の子の天秤にかけられていたわけだが、相手の男はそうは思わなかった。
 香坂が奪おうとしたのだと決めつけた。
 体育の時間、教室に呼び出された香坂は、外からドアを塞がれて閉じ込められてしまった。

 教室は三階でベランダはなく外には出られない。
 仕方なくその場から動かずに待っていたら、しばらくして外に出られたが、災難はこれからだった。
 クラスの中で盗難事件が起きた。
 何人かの生徒の財布から現金が抜かれていて、それが一人で教室にいた香坂のせいにされた。
 香坂からしたら、グループのリーダーに嵌められたのはすぐに分かったが、リーダーの男を恐れて誰一人味方してくれる人がいなかった。

 教室でクラスメイトに囲まれて、お前がやったんだろうと追い詰められた。
 その時の担任は問題が起こることをとにかく嫌う人で、香坂の言い分を何一つ信じてくれなかった。
 自分は生徒の言うことをちゃんと聞いて考えることができる教師になろうと、それが教師を志したキッカケでもあり、香坂のトラウマでもあった。

 その時と同じ、四方から向けられる冷たい視線、現実か幻覚か分からないがヒソヒソという囁き声が聞こえてきて、体が震え出してしまった。
 少し前、一人だけオロオロと周りを見回していた酒井が、職員室を出て行ったところが視界の端に見えたが、それ以降出入りはなかった。

「……証拠と言われても、私はそのような事は身に覚えがありません」

「他にも、貴方が生徒と親しげに会話をして、頭を撫でているところを見たという話を聞きましたよ」

「会話ですか……、笑いながら会話は普通にします。頭を撫でるのは……少しやり過ぎかもしれませんが、頑張った生徒を褒めるという意味合いで……」

「もう何を仰っても言い訳にしか聞こえませんね。該当の生徒はしばらく学校を休んでいます。これは写真を見られて教師との不適切な関係が問題になったら困るという精神的なショックではないですか? とにかくこの事は問題にして、これから調査をします」

「そんなっ、おかしいです! ちゃんと話を聞いてください」

 何とか身の潔白を証明しなければと香坂は教頭に向かって一歩踏み出したが、体の震えが足の力を奪ってしまい、力が入らないままグラリと体勢が崩れてしまった。

(ヤバい、こんな時に……!)

 足を捻った状態で、床に体が吸い込まれるように落ちていく感覚がして、香坂は衝撃に備えてキツく目を閉じた。






 □□□
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

無理やりお仕置きされちゃうsubの話(短編集)

BL / 連載中 24h.ポイント:674pt お気に入り:200

エキゾチックアニマル【本編完結】

BL / 連載中 24h.ポイント:156pt お気に入り:495

ある時計台の運命

BL / 連載中 24h.ポイント:106pt お気に入り:363

兄の恋人(♂)が淫乱ビッチすぎる

BL / 完結 24h.ポイント:4,039pt お気に入り:18

私の番の香り

BL / 完結 24h.ポイント:149pt お気に入り:2,225

俺の悪役チートは獣人殿下には通じない

BL / 連載中 24h.ポイント:6,897pt お気に入り:1,711

メイド募集 採用条件はM どSなご主人様

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:2

愛し愛されるこの関係に祝福を。

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:112

処理中です...