臆病なDomと、優しく愛されたいSubのお話。

朝顔

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③ 宵闇に溶かされて。

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 駅前の好立地に建った新しい商業施設。
 幅広い年代に向けた店舗があり、平日の夜にもかかわらずたくさんの人が訪れていた。
 その施設の最上階にあるお洒落な居酒屋入ると、早速納見は調べたことを話し始めた。

「宴会プランの予約は一週間前からです。個室を広くしてもらえるそうなので、席数は問題ないですね。店員さんに聞きましたが、メニューの変更もできるみたいです。今回は理事長の奥様もいらっしゃいますよね。海鮮が苦手みたいなので、コース料理の変更も可能だそうです。あとは……、味ですね」

 香坂がポカンとした顔で自分を見ているので、納見は嬉しくなった。誘ってもらえたからには自分も何か役に立てないかと、早めに店に来て先に調べておいたのだ。

「まさか……先に調べてくれたんですか?」

 今日の香坂は仕事の後だからか、少し疲れたような表情だが、それがやけに色っぽくて胸が高鳴ってしまう。深く呼吸をして落ち着かせてから、納見はそうですと答えた。

 驚いた顔になった香坂は、ぽっと頬が赤くなった。
 いつも完璧を絵に描いたような人が、こんな隙のある表情をするなんて、体の中にじわじわと熱が灯っていくの止めることができない。

「あ……あとは……口コミによると、刺身と味変にもらえるお出汁が美味しいみたいです。それも今日は食べてみましょう」

「……納見先生、すみません、何から何まで……、私はてっきり嫌な気分にさせてしまったのかと思っていました」

「え……」

「この件にお誘いしてから、どうも避けられている様な気がして……、その私の、気のせいだったら申し訳ないです」

 香坂は頬を指でかきながら、恥ずかしそうに目線を横に向けた。その仕草が可愛く思えてしまって、納見はため息が出そうだった。

 そこで最初のビールとお通しが運ばれてきて、まずは乾杯することにした。


 納見は自分の変化に気がついてから、心が追いついていかなくて、その発端である香坂のことを意識して避けてしまっていた。
 以前から気になっていて、好意を寄せていた人だった。
 完璧な男性だと思ってまともに見ることができなかったのは確かだった。
 Domである自分はほとんど欲がないから、心のどこかでチャンスがあるのではと妄想していた日々。
 それが自分の横で跪いた香坂を見て、初めて本能が香坂を求め始めたことに気がついた。
 それ以来、意識しないようにしても香坂を見てしまい、見るたびにどんどんと欲が湧いてきてしまう。

 香坂を可愛がりたい、と。

 ごくごくとビールを飲んでから、納見は腹を決めて息を吐いた。
 今日は香坂から誘ってくれたせっかくの機会だから、何とか役に立つつもりでいた。
 そして、自分から線を引いて、この虚しい欲と妄想を終わらせるつもりだった。

「今日は私に声をかけていただき嬉しかったです。避けるだなんて、そんな……。実は香坂先生に憧れていたんです。教師としてはもちろんですが……、私も同じ性なので、香坂先生のようになれたらと……」

「ゔっっ!?」

 香坂はビールを飲んでいたが目を開いて驚いた顔になって、ゲホゲホとむせてしまった。

 香坂の性がDomであることはみんな知っている。
 驚いたのは自分が明らかにそう見えないからだろう。周りに話してきたわけではないが、学生時代も知られるとそんな反応をされたので少しは見慣れていた。

(見慣れてはいるけど、ちょっとショックだな。香坂先生に変な風に思われるのは……)

 香坂は明らかに動揺した様子になって目を泳がせた。プライベートなことに触れるのは良くないと思ったが、納見は自制の意味も込めて香坂にこれ以上深入りしないように打ち明けることにしたのだった。

「ど……どうして、私の性のことを……、誰かに聞いたんですか?」

 納見先生もDomだったなんてと笑われるくらいに思っていたのに、香坂から返ってきたのは別の言葉だった。口元に手を当ててひどく焦っている様子に、もしかして何か間違えたのかと納見もまた焦り始めた。

「えっ、あ……他の先生方も生徒もみんなそうだと言っているので……公表されているのかと……。あの……え? 香坂先生は……Domなんですよね?」

「……違います」

「ええっ、すっ……すみませんでした。俺、勝手に……勘違いして、Normalだったんですね。でも、憧れていたのは本当で……」

「……違います」

「えっ………?」

「Normalでもない……、って言ったら、信じてくれますか?」

「えっ………それはどういう………」

 満員の店内はガヤガヤとして賑やかだった。料理を運んできた店員が、二人のいるテーブルにお待たせしましたと並べていったが、なんとも言えない沈黙に包まれてしまった。

(DomでもNormalでもないのなら、もしかして香坂先生は……。いや、まさか……でも、あの時跪いた香坂先生に、本能が匂いを嗅ぎつけるように反応したのでは……)

 アルコールのせいではない。
 想像もしていなかった幸運とも呼べる展開に、納見の体は一気に火がついたようになった。
 自分の中の檻に閉じ込めていたものが、ガシャガシャと音を立てて外へ出ようと暴れている……。

 賑やかだった店内が一瞬静かになって、ごくりと唾を飲み込んだ音が、やけに響いて聞こえてしまった。










「よかった……。やっぱり納見先生なら話を聞いてくれると思っていたんですよ。本当に今日はよかった、よかったです……うぅっ」

 思い詰めていた胸にアルコールが流れていったら、もう止めることができなくなって、小一時間、納見相手に喋り倒してしまった。
 香坂もさすがに絡みすぎていると思ったが、納見のなんとも言えない雰囲気に喋りが止まらないのだ。

 勝手に誤解して期待して期待はずれだと去っていく周りの連中に、今まで散々嫌な思いをさせられてきた。そのことをもう、何回目か分からないくらい繰り返しぐだぐだと話しているが、納見は微笑を浮かべながら、変わらない態度で真剣に話を聞いてくれた。
 いつも通りダサい格好だが、納見の優しさにだんだん目が慣れて、カッコ良くすら見えてきてしまっているのが不思議だった。

「でも、周りの方が誤解してしまうのは仕方ないかもしれません。私もてっきりそう思い込んでいましたし……。イケメンで仕事もできるし、みんなに優しいし、非の打ち所がないと……」

「非の打ち所だらけですよ。仕事だってそこまで熱意を持っているわけじゃないです。波風立たないようにとか、保身のために動くことはありますけど、基本面倒くさがりだし適当です。優しいのだってうわべだけで、皮を剥いたら誇れることなんて何もないです」

「それでも……それでも、私は香坂先生の優しさに助けられたんです。DomとSubとか関係なく、今でも憧れる気持ちは変わりません」

 納見はいつもオドオドしていてハッキリ意見を言うタイプではないのに、その言葉だけは他の何よりも強く響いて聞こえてきた。
 情けない自分を晒しても、憧れているなんて言ってくれるのは納見くらいしかいない。
 こんなに懐が深くて優しい男を香坂は知らなかった。
 何より納見の声は憧れている配信者のagehaによく似ている気がして、酒のせいもあったか頭がトロンとしてきてしまった。

「私もちょっと似たようなところがあって、この通り地味で暗いタイプですし、どう見てもDomには見えないとバカにされることが、多かったんです。その……そっちの欲も薄くて、今までちゃんとプレイをしたこともないんです」

 お酒が進んだこともあって、Subとして相性のいいDomと出会えないという愚痴まで香坂はペラペラと語ってしまった。
 納見はいつもの無害な様子で聞いているように見えたが、その時だけやけに目が光って強い雰囲気を感じた。ただ酒のせいだと思って香坂はその後も変わらず胸の内を明かしていた。
 そして、らしくないと言われる自分との共通点を知って、もっと親近感が湧いてしまった。

「なるほど、Dom性が弱い方なんですね、ランクが低いと抑制剤でほとんどNormalと変わらない生活ができるみたいですね」

「えっ、あ……あの、実際には弱いというのはそう、なんですが、その……」

 納見は何か口籠っているが、きっと恥ずかしいとでも思っているのだろう。
 しかしそれは、香坂にとっては心動かされる話だった。
 やはりそうだと香坂は興奮を抑えられなくなってきてしまった。
 この繊細そうで優しい性格、薄いDom性。
 オラオラ系Domとは正反対のまるで小動物に見える。
 もう諦めかけていたが、これはもしかしたら、自分の理想の相手かもしれないと血が沸き立ってきた。
 しかし、納見は会社の同僚。
 プライベートまで関わるのはかなり危険な相手だ。

 香坂はいくらなんでも憧れを利用することなんてできないと思い、そろそろ出ましょうと言って、伝票を持って立ち上がった。

(これ以上一緒にいるのはマズい。向こうは欲が薄いのかもしれないが、俺はかなり執着するタイプだ。ここは何もなかったように大人の対応で今日のことは忘れよう)



 支払いを済ませて外へ出ると、雨が降ったらしく地面が濡れていて、ジトっと湿った空気が肌に張り付いてきた。

「雨が降ったんですね。止んでいて良かった。電車はまだあるので私はこれで……」

「……ええ、今日はありがとうございました」

 湿気が苦手な香坂は、頭を押さえて近くの柱に手をついた。
 酒が入ったこともあり、めまいがして気分が悪くなってしまった。
 しかし、納見の前ではちゃんとしなくてはいけない。
 口元に笑みを作ってお辞儀をしたら、余計にフラついてしまった。

「香坂先生! 大丈夫ですか? 顔が、真っ青です」

「すみません、ちょっと気分が少し……そこのベンチで休めば……大丈夫です。終電が……先に帰ってください」

 よろけていたら、納見が横から支えてくれて、近くのバス停まで連れて行ってもらいそこのベンチに腰掛けた。

「水を買ってきます。少しだけ一人にしますね。すぐ戻りますから……」

「すみません……」

 聞き上手の納見と飲んでいたら、思っていた以上に酒が進んでしまったらしい。
 食事も美味しかったので、幹事の方も上手くいきそうだし、今日は収穫があった。
 しかし、最後に迷惑をかけてしまったと香坂はため息をついた。

 ベンチの背もたれに完全に身を預けて、顔を上げて目を閉じていたら、ふわりと手が載せられた感覚がした。少し冷たくて柔らかい感触は、火照った体に心地よかった。

「香坂先生、こんなところで寝たらダメです。起きれますか? たしかバス通勤でしたよね? ご自宅は近いですか?」

「本当に……すみません、タクシーで15分くらいで……」

 納見はペットボトルの水を開けてくれた。その場で少し喉を潤してから、タクシー乗り場まで肩を貸してもらい移動したら、ちょうど走ってきた一台を捕まえることができた。

 てっきりそこで、ではまた来週となるのかと思っていたら、納見は一緒にタクシーに乗り込んでしまった。

「足に力が入っていないじゃないですか。そのままにしておけません。部屋までお送りします」

「納見先生……」

 優しそうだとは思っていたが、実際本当にいい人だった。申し訳ないと思ったが、ここは甘えることにして納見の肩にもたれかかった。
 いつもオドオドしていて頼りない雰囲気の納見が、今日はなんだかすごく頼もしくて隣にいると安心してしまう。
 人には決して見せないが、自分の甘えん坊の部分がじわじわと滲み出してくるのを香坂は感じていた。
 しかもそれが思っていた以上に心地よくて、酔いに背中を押されるように、納見の肩口に頭を擦り付けた。

「っっ、こ……香坂、先生……」

「んんっ……」

 納見がわずかに震えた気がしたが、肌の冷たさがなんとも気持ちが良くて、香坂は半分眠りに入ったような状態になった。
 そこに、ゆっくりと落ちてきた手が自分の頭を撫でているような感覚がした。
 なんて気持ちがいいんだろうと、思わず変な声が漏れそうになってしまった。

 ずっと相性のいい相手を探してきた。
 唯一ハマりにハマっているのが、擬似プレイをしてくれる配信者のagehaだが、どこの誰かも分からないDom相手に、熱情を向けていても報われる可能性など皆無だ。
 納見の見た目に惹かれるところはないが、溢れ出す優しさや懐の深さを知ってしまった。そして彼がDomだというのはもう運命としか思えない。
 このまま、何もせずになかったことにして、いつもの日常に戻っていいのだろうかと、自分の中にある欲が理性という檻をガンガン叩いて壊してしまいそうだった。

「納見……先生、褒めて」

 ついに口に出してしまった。
 まだ信頼関係もないのにこんなお願いをするなんて引かれてしまうかもしれない。
 それでも、少しだけ。
 少しだけでいいから、この熱の意味を知りたくてたまらなくなってしまった。

Goodいいこ

 たった一言。
 だがその一言がとてつもない快感をもたらした。
 ビリビリと身体中が痺れて、脳みそまで溶けそうになった。

Goodboyかわいいね

 耳元で囁くように言われて、頭を優しく撫でられた。
 今まで感じたことがないくらいの興奮で頭が熱くなってしまった。

「あ……あああ……の…みせんせ」

 まるでagehaのCommandを聞いた時みたいに、香坂は簡単に Spaceに入りそうになった。
 頭がふわふわしてきたのを感じたが、頭の片隅でヤバいという気持ちがなんとか足を踏ん張って理性を押し戻してきた。

「す、すみませ……、勝手にお願いなんて……、失礼しました。もう、こんなことは……」

「……本当に?」

「え?」

「本当にもう、ご褒美はいらないの?」

 納見の眼鏡の奥に見える鋭い瞳と目が合うと、ゾクゾクとして痺れてしまった。どくどくと心臓から血が流れる音が体内に響いて、急速に熱が上がっていく。
 声を出そうとして口を開くと熱い息しか出てこなかった。

 目の前にいるこの男は誰だろう。
 いつも頼りなさげでオドオドしていて、自信のかけらも感じさせないのに、今自分の目の前にいる男は、長い眠りから覚めた獰猛な獣のように見えた。

Sayいって

 牙が飛び出してきそうな薄い唇から紡ぎ出されたCommandに、興奮で目が眩んでしまう。
 香坂はパクパクと口を動かした後、うっとりした目で納見を見つめた。

「ほし……欲しい、もっと……俺に、優しくして」

 にこりと音がしそうなくらい満面の笑みを浮かべた納見の顔が近づいてきた。
 キスをされるのかと身構えたが、納見の唇は耳元に寄せられて、いいこと囁いてきた。

 ドクンと体の中心にある熱が下半身を刺激して、もう隠し切れないくらい欲望が布を押し上げてしまった。

 キキッとブレーキの音がして、自宅の前でタクシーが止まったのが分かった。
 ハァハァと肩を揺らして熱に溶けている目になった香坂は、この熱をどうにかしてもらいたくて納見の腕にしがみついた。






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