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6、天使との再会
しおりを挟む「こんにちは。僕、ウェイン。君の名前は?」
恥ずかしいのか、はにかみながら頬を染めて、男の子が手を差し伸べてきた。
少し垂れていて優しそうな目には、アイスグレーの瞳が浮かんでいる。
襟足まで伸びた真っ黒で艶のある黒い髪、日に透ける白い肌、人形のように整った顔で、唇は薔薇色だった。
何度見ても、まるで天使のようだとミランダは思った。
白いシャツに吊りズボンという男の子の格好だが、女の子と見間違うくらい可愛らしい顔だった。
だから過去のミランダは、すぐに警戒心を解いて男の子の手を取った。
そして今回も同じように、だが緊張を感じながらウェインの手を取った。
過去と同じ行動を取れば、同じ結果になる。
過去のミランダは、役に立って父親に褒められたいと、飲み物とお菓子を持って離れに向かった。
離れには、王都の商工会に所属する商会員達が集まっていて、会合を開いていた。
その中をゆっくり進んで飲み物をお持ちしましたと声をかけた時、ミランダは躓いて転んでしまった。
全て過去と同じ、そして彼が近づいてくるのを待った。
小さな靴がミランダの側で止まった時、やっとやり直せるのだと、ミランダは顔を上げた。
そこには、何度も夢に見た、少年の姿があった。
「これは、なんと……! ローズベルト子爵、申し訳ない、あれは私の息子です。ご息女に向かって失礼なことを……」
「はははっ、構いませんよ。うちのが余計なことをして仕事を増やしただけです。おい、片付けろ」
父親が使用人に声をかけると、近くにいた者がミランダの落としたカップや食器を片付けて、濡れた床を拭いた。
「あの子が商会長のご子息ですか?」
「正確には姉の子で、私に子供はいません。姉が亡くなり、父親が分からなかったものですから、跡取りとして私の養子に入れました」
「ほぉ、聡明そうな目をしている。まるで女の子のように可愛らしい子ですな」
「ええ、姉そっくりで……。姉もお腹にいる時から絶対この子は女の子だと言って、結婚式のドレスまで用意したんですよ。姉の言うことは昔からよく当たっていたので、みんな信じていました。しかし生まれてきた子を見て、顔は可愛らしいのに、立派に付いていたから、みんなで声を上げて驚いたほどです」
「それは気が早いお姉様だったのですな。しかし、うちの娘より可愛いなんて、神は困った悪戯をしますね」
そんなことはないですよと言いながら、他の大人も混じって、ゲラゲラと笑い声が聞こえてきた。
台詞も変わらない。
父の悪趣味な冗談は二度と聞きたくないと思ったのに、仕方なくここは耳を傾けるしかなかった。
「私……ミランダ」
「ミランダ、可愛い名前だね。ねぇ、友達になろうよ。一緒に遊ぼう!」
大人達の会話なんて少しも聞いていないように、ウェインは過去と同じ台詞を言った。
「こらっ、ウェイン! お嬢様に向かって何を……」
「ははっ、いいじゃないですか。まだ子供ですから、今日ぐらいは……」
父が語尾を強調したのが分かった。
町議のトップである商会長の手前、無下に嫌がることはなかったが、内心父は苛ついていたのだと思う。
今日ぐらい、と言う言葉に、今日だけは許すという意味が存分に含まれていた。
「ひみつの隠れ家があるよ。そこに行く?」
「いいね、連れて行ってよ」
ウェインが天使のように笑ったので、ミランダは一気に懐かしい気持ちになった。
ウェインはミランダにとって、初めてできた友達だった。
ウェインは商会長に付いて、会合を学ぶためとしてローズベルト家を訪れていた。
しかし、結局大人同士の話し合いだからと、少し見学させてもらっただけで、続きの部屋で待っていろと言われてしまった。
会議の日程は一週間。
朝から始まり、暗くなるまで連日のように行われる。その年の町での金や品物の流れが決まり、国からの予算の割り振りが決められるのだ。
いくら勉強になるとはいえ、子供が長時間待っていられるものではなく、ウェインは離れの敷地内で遊ぶように言われていた。
だから、同じように暇だったミランダと、意気投合して庭を駆け回って遊んだ。
ただ、遊んだのはその日一日だけ、次に遊ぶ約束をしながら、ミランダはそれを破ってしまった。
父は仕事人間で人のいい顔をしているが、心根は貴族意識で固まっている。
自分たちは選ばれた人間で、平民はそれ以下であると常々言っていた。
商工会長の息子とはいえ、平民のウェインと、自分の娘が親しくするのが気に食わなかった。
だから、その日の夜にミランダを呼び出して、二度と遊んではいけないと釘を刺した。
お前は婚約者のいる立場だと言われたので、ミランダは、彼は友達だと言ったが、父は受け入れなかった。
お前は貴族の令嬢だ。
平民とは必要以上に関わるなと言って、ミランダを怒鳴りつけた。
ミランダにとって父は絶対だった。
言いつけを守らなければ、二度と父は自分を見てはくれない。
常日頃、アリアに娘の地位を脅かされていたので、ミランダは命令に従うしかなかった。
部屋に閉じ込められて、反省するようにと言われて、鍵をかけられてしまった。
商工会の会合は、会員が泊まり込みで一週間続けて行われる。
次の日の会合の時も、遊ぶ約束をしていたが、ミランダは手紙ひとつ渡すことができなかった。
窓から建物を寂しそうに見上げるウェインの姿を見るしかなかった。
次の日も次の日も、ウェインは窓の下に来てくれたが、ミランダは声をかけることも許されなかった。
会合が終わる日、最後までウェインは待ってくれたが、結局ミランダは会うことができなかったので、気がついた時には姿が消えていた。
過去のミランダとウェインの関わりはそれだけ。
それから一度も会うことはなかった。
ただ、その後のウェインの名前を聞く機会は何度もあった。
彼は努力して独立し成功した。
平民でありながら事業家として名を馳せるようになり、パーティーに出る度にその名前を聞いた。
父が人を見る目がなかったのは確かだが、父に従って友人を無視してしまった自分を恥じた。
向こうにとっては、それほど大したことではないかもしれない。
きっと大きくなったウェインに会っても、ミランダのことなど覚えてもいなかっただろう。
過去に戻ったからには、今度こそ、心残りであったウェインとの友人関係をやり直すと心に決めたのだ。
ウェインはきっと、ミランダの人生において、心強い味方になってくれると思っていた。
ミランダはウェインと手を繋いで離れの建物から出て、庭に飛び出した。
「君はローズベルト子爵の子供なんだね。歳はいくつ?」
「そうよ、今は十歳」
「そうか。僕は九歳だから、君より一つ下だね」
「まぁ、それじゃあ、私がお姉さんだわ。よろしくね、ウェイン。私のこともミランダって呼んでね」
「うん、よろしく、ミランダ」
過去にウェインと、どんな会話をしたのかなんて覚えていない。
ただ一度仲良くなれたなら、気が合うはずだと、ミランダは子供心に戻って楽しんで遊ぶことにした。
アリアは、幼い頃からたくさんの友人がいて、毎日遊びに出掛けて忙しかったが、子供の頃のミランダは、ほとんど家から出ることがなかった。
継母からパーティーに連れて行ってもらうこともなかったので、友人を作る機会もなかった。
一人ですることといえば、本を読んだり庭で遊んだりすることだけだった。
父は仕事で家にいる時間はほとんどなく、使用人達は家の仕事や、継母とアリアの予定で忙しくしていた。
結果、ミランダは放っておかれることになり、家庭教師が来る時間以外は好きに外へ出て遊んでいた。
子供のミランダが友達を連れて行くとしたら、そこだろうという場所があった。
本宅と離れの間には小さな森があり、ミランダはそこに、庭師に頼んで小さな小屋を作ってもらった。
小屋の中に自分の好きなものを入れて、秘密の隠れ家として遊んでいた。
汚れるのを嫌うアリアが絶対来ない場所なので、ミランダが唯一気を抜いて楽しめる場所でもあった。
「わぁ、中は結構広いんだね」
「素敵でしょう。ここに座って、今お茶を淹れるわ」
小屋の中には小さなテーブルや椅子まであった。
もちろん、本当にお茶を淹れるわけではない。
おままごと用のティーポットとカップが置かれているので、木の実が入ったカップをウェインに手渡すと、ありがとうと言って笑って受け取ってくれた。
「お客様はウェインが初めてなの。ゆっくりしていってね」
「僕が初めて? それは嬉しいなぁ。あっ、この瓶の中、虫が入っているの? すごい、こんなに捕まえたの? 女の子なのに怖くないの?」
興味津々という顔で小屋の中を見回したウェインは、さっそく棚に並んだ瓶の中にいる虫に気がついた。
庭や森で遊ぶうちに、ミランダはすっかり虫取り名人になった。
捕まえた幼虫などを瓶に入れて飼っていた。
ウェインも虫が好きらしく、熱心に瓶の中を覗きながら矢継ぎに質問をしてきた。
ミランダは得意な顔で色々と教えてあげた。
目を輝かせてミランダの話を聞くウェインを見て、ミランダは嬉しくなったと同時に胸がチクリと痛んだ。
初めての友達。
今度こそちゃんと仲良くなりたい。
過去のように後悔したくなくて、ウェインに会いにきた。
その一方で、将来有望なウェインと仲良くなり、自分の人生の足場を築きたいと思っている打算的な考えもある。
幼い少年相手になんてことを考えているのかと、純粋な気持ちでいられない自分に腹が立った。
「ミランダ? あの虫取り網を使っていい? 木の実も取りに行きたい」
ミランダは自分を見つめるウェインの純粋な瞳を見て、鼻から息を吐いて微笑んだ。
「ええ、行きましょう。案内するわね」
二人で虫取り網と籠を持って、小屋から出て走り出した。
ウェインはよく喋って、くるくると表情が変わり、弟がいたならこんな感じだったのかなと可愛く思えた。
初めて遊んだ日のウェインは、こんなにお喋りだったのかと驚くほどだった。
楽しそうに走っているウェインの背中を見ながら、ミランダは考えを決めた。
自分が助かりたい、生きていたいという気持ちは、もうミランダにとっての原動力のようなものだ。
無事に十九で殺される運命から脱したとしても、その後の人生がある。
生きる術を身につけるには、強力な協力者が必要だ。
打算でもなんでもいい。
割り切って考えるしかない。
とにかく、力になってくれそうな人は、一人でもいいから側にいてもらう必要がある。
とにかく今は、全力で楽しもう。
「ミランダー! こっちこっち! 来てよー、すごいものを見つけたんだ!」
「今行く!」
手を上げて、ミランダの名前を呼ぶウェインの元に向かった。
強い日差しがウェインまでの道を照らして、ギラギラと輝いていた。
一歩一歩踏みしめながら、ミランダはまっすぐ前を見て走った。
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