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第一章 稲禾
有鱗目の瞳
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志瑞也は職場の事務所に着いた。
「大城さんおはようございます」
「天堂君いつも通りだね、おはよう。出勤して大丈夫かい?」
「はい、昨日は心配おかけしました。ばぁちゃんからもお礼伝えるようにって」
志瑞也は鞄を「どすっ」と台に下ろす。
大城は目を丸くして鞄に一度視線を向ける。
「いや構わないよハハハ 元気なら良かった。そうだ、今日の昼に事務所はエアコンの修理業者が入るから、自分の荷物は持ち場に持って行くよう、昨日連絡があったからね、一昨日の台風で故障したみたいだよ」
そう言って、大城は天井を見上げた。
機械の先に付いた紙はひらひらと泳ぎ、冷たい風が吹いていた。今は何ともないが時々止まったりするのだろうか、志瑞也も天井を見上げる。
「そっか… たまには外でお弁当食べるのもいいですね」
「くれぐれも、水遊びに気をつけるんだぞハハハ」
大城は片眉を上げ、笑いながら志瑞也の肩を叩く。
志瑞也はそう来るかと口を尖らせて言う。
「大城さん、昨日ばぁちゃんが驚いて心配していなかったか、聞かないんですか?」
「一枝さんは肝が据わっている方だから、大丈夫だったろ? 今日の天堂君見りゃわかるよハハハ」
大城は自分の荷物を持った。
「流石大城さん! 大城さんさぁ、ばぁちゃんのことどう思う?」
にやける志瑞也に、大城は聞こえない振りをして壁の時計を見る。
「…おっと、そろそろ持ち場に行く時間だぞ、ほら天堂君も荷物忘れるなよ…うおっ」
大城は志瑞也の鞄を持ち上げ背負わせる。
「じっ自分できますよ、それよりばぁちゃんのことっ」
大城が後ろから首を傾げて言う。
「天堂君…何が入ってるからこんなに重たいんだい? そうか昨日溺れたから筋肉付けようと今日から筋トレかい? 年頃だもんなぁ、うんうん頑張るんだぞ、じゃあお昼になハハハ」
大城は付け入る隙すら与えず出て行く。
パタン…
「えぇっ? 逃げられちゃったよ……ま、いっかアハハ」
また機会はあると、志瑞也も持ち場へ向かった。
「おい志瑞也が来たぞ」
「キャラメルが来たぞ」
やはりモモ爺達は、龍神池の縁で待ち伏せしていた。志瑞也が向かって来るのが見えるなり、ピョンピョン飛び跳ねる。今日は一緒に浮遊霊までいる。また疑問だらけの恋愛相談をするつもりなのだろうか。志瑞也は腰に両手を当て、二匹と一体をじろっと睨みつける。
「お前達っ、俺はここに働きに来ているんだぞ! 言ってる意味わかるか?」
「そんなのわかっとるわい、約束じゃぞ、キャラメルおくれっ」
「約束じゃぞ、キャラメルおくれっ」
「はぁ…ほらやるよ、二つずつの約束だからな…」
一方的な約束だが、志瑞也は仕方なく返済する。二匹は喜んで食べながら、互いに相手の残り一つを見ていた。
「浮遊霊、今日はどうしたんだ?」
「ああ、あの……」
相変わらずもじもじしている。
「あの子と友達になれたか?」
浮遊霊は顔を横に振る。
「まだ、あの子と話してないのか?」
「…ああの子、ままっ迷子のようですぅ」
言いながら、志瑞也の後を指差す。
「…え? 迷子? お前先に言えよっ」
慌てて後ろを振り返ると、少し離れた池の縁に男の子が立っていた。「僕っ…」志瑞也はその男の子に近付こうしたが、前に行きかかった足を止める。よく見ると、昨日の男の子ではないか。志瑞也は全身の毛が逆立ち、男の子が奇妙に微笑みながら近付く姿に背筋を凍らせた。
足下まで来た男の子は志瑞也を見上げ、両手を広げ可愛らしく言う。
「昨日の物が食べたい!」
「……おっお前っ、何なんだ?」
「あいつらが食べれるなら、僕も食べれるんでしょ?」
男の子はモモ爺達を指差す。
「小僧わしらが見えるんかっ」
「ほれっ、昨日わしが目が合ったって言うた通りじゃろっ」
二号は嘘をついていなかった。やいやいと二匹は男の子の側で騒ぎだす。
男の子が眉間に皺を寄せ横目で睨む。
「うるさいっ黙れっ! お前等小者に小僧呼ばわりされる覚えはないっ、お前等の方が小僧だっ」
「お主の方が小僧ではないかっ」
「こやつ何者じゃっ」
モモ爺達の言う通りだ。どう見ても男の子の方が小僧だが、小僧がモモ爺達に小僧と罵り合う姿は、志瑞也が二十三年間生きてきた中で一番奇妙な光景だ。
浮遊霊がおどおどと志瑞也の背後から言う。
「ししっ志瑞也ぁさん、ぼぼ僕の姿が見えるからここの子、にに人間かと思ったんですが、よよ妖怪も見えるなら、にに人間でもれれ霊でもないですう」
は?
いつになく浮遊霊が頑張って説明してくれているが、志瑞也は内容が全く頭に入ってこない。
「どっどういうことだ? お前は何者なんだっ?」
男の子は突然両目をガッと開き、ギロッと志瑞也を見た。「ひっ…」人間ではない瞳の形に、志瑞也は恐怖で足が竦む。モモ爺達は、慌てて腕を振りながら志瑞也の側へ逃げ、浮遊霊は志瑞也の背中にしがみついた。男の子の変容は更に進み、鼻が突き出し口が顎まで裂けた。真鱈に青く染まる顔から、にょろにょろと髭が伸び、後頭部から生えた二本の角、四本の蜥蜴の手足に鋭い鉤爪、全身に浮きでた鱗模様、ぶわっと生温い鼻息を吹き、眼が金色の光沢を放つ!
「グルルルルゥゥゥ…」
「まっ、まさかっ…龍っ?」
志瑞也達は顎を高くして見上げ固まる。
次の瞬間、浮遊霊はぱっと手を離し、モモ爺達はさっと後ろに引く。
「────!」
志瑞也だけ青い龍に鷲掴みにされ、理不尽さを感じながらも、一瞬の出来事に言葉を失う。龍はもう片方の手で、志瑞也の鞄を剥ぎ取ろうと鉤爪で摘む。
「あやつキャラメルを全部食う気じゃぞっ」
「なんじゃと? わしのキャラメルじゃぞっ」
ガブッ!
ガブッ!
モモ爺達は青い龍の尻尾に咬み付く。
「ギャーギャーッ!」
龍は激しく蠢く。
二匹が石歯で肉をすり潰しにかかるが、龍は凄まじい喚き声を上げ、モモ爺達を振り落とそうと、頭を左右に振りながら長い胴体をくねらせる。
「ああっ、ししし志瑞也あささぁぁぁんっ!」
「グルルルギャーギャーッ!」
運悪く龍の髭が浮遊霊に絡み、龍は更に大きく蠢く。
「まっ待ってっ、待ってくれっ! あっ暴れるなっ、キャラメルだろっ、やるから離せっ!」
志瑞也の声は龍には届かず、全員が混乱状態になってしまっていた。
龍の瞳がちらっと龍神池を見る。
まずい!
志瑞也は水の臭いを思い出し、またあんな思いをするのか、仮に死ぬにしても、こんな臭い所で溺死はしたくない。それとも、池の鯉達はパクパクと喜んで自分を喰べるのか。想像するだけで鳥肌が立ち、必死で龍の手から逃れようともがく。
「まっ待て! それだけはやめろ!」
青い龍は両手で志瑞也をしっかり掴み、勢いよく龍神池に飛び込んだ。龍は邪魔者を振り落とそうと、水中で螺旋状に回転する。目なんて開けてなどいられない! 顔を摩擦する水流の勢いに耐え切れず、志瑞也はボコボコと息を吐き出してしまう。
(離してくれっ、くっ…苦しい…)
肌に伝わる水の温度が変わり、全身を刺す冷たさが抵抗する気力を失わせる。志瑞也は掴まれたまま、玩具の様に引き摺られた。
(息が… ばぁちゃん…………)
「大城さんおはようございます」
「天堂君いつも通りだね、おはよう。出勤して大丈夫かい?」
「はい、昨日は心配おかけしました。ばぁちゃんからもお礼伝えるようにって」
志瑞也は鞄を「どすっ」と台に下ろす。
大城は目を丸くして鞄に一度視線を向ける。
「いや構わないよハハハ 元気なら良かった。そうだ、今日の昼に事務所はエアコンの修理業者が入るから、自分の荷物は持ち場に持って行くよう、昨日連絡があったからね、一昨日の台風で故障したみたいだよ」
そう言って、大城は天井を見上げた。
機械の先に付いた紙はひらひらと泳ぎ、冷たい風が吹いていた。今は何ともないが時々止まったりするのだろうか、志瑞也も天井を見上げる。
「そっか… たまには外でお弁当食べるのもいいですね」
「くれぐれも、水遊びに気をつけるんだぞハハハ」
大城は片眉を上げ、笑いながら志瑞也の肩を叩く。
志瑞也はそう来るかと口を尖らせて言う。
「大城さん、昨日ばぁちゃんが驚いて心配していなかったか、聞かないんですか?」
「一枝さんは肝が据わっている方だから、大丈夫だったろ? 今日の天堂君見りゃわかるよハハハ」
大城は自分の荷物を持った。
「流石大城さん! 大城さんさぁ、ばぁちゃんのことどう思う?」
にやける志瑞也に、大城は聞こえない振りをして壁の時計を見る。
「…おっと、そろそろ持ち場に行く時間だぞ、ほら天堂君も荷物忘れるなよ…うおっ」
大城は志瑞也の鞄を持ち上げ背負わせる。
「じっ自分できますよ、それよりばぁちゃんのことっ」
大城が後ろから首を傾げて言う。
「天堂君…何が入ってるからこんなに重たいんだい? そうか昨日溺れたから筋肉付けようと今日から筋トレかい? 年頃だもんなぁ、うんうん頑張るんだぞ、じゃあお昼になハハハ」
大城は付け入る隙すら与えず出て行く。
パタン…
「えぇっ? 逃げられちゃったよ……ま、いっかアハハ」
また機会はあると、志瑞也も持ち場へ向かった。
「おい志瑞也が来たぞ」
「キャラメルが来たぞ」
やはりモモ爺達は、龍神池の縁で待ち伏せしていた。志瑞也が向かって来るのが見えるなり、ピョンピョン飛び跳ねる。今日は一緒に浮遊霊までいる。また疑問だらけの恋愛相談をするつもりなのだろうか。志瑞也は腰に両手を当て、二匹と一体をじろっと睨みつける。
「お前達っ、俺はここに働きに来ているんだぞ! 言ってる意味わかるか?」
「そんなのわかっとるわい、約束じゃぞ、キャラメルおくれっ」
「約束じゃぞ、キャラメルおくれっ」
「はぁ…ほらやるよ、二つずつの約束だからな…」
一方的な約束だが、志瑞也は仕方なく返済する。二匹は喜んで食べながら、互いに相手の残り一つを見ていた。
「浮遊霊、今日はどうしたんだ?」
「ああ、あの……」
相変わらずもじもじしている。
「あの子と友達になれたか?」
浮遊霊は顔を横に振る。
「まだ、あの子と話してないのか?」
「…ああの子、ままっ迷子のようですぅ」
言いながら、志瑞也の後を指差す。
「…え? 迷子? お前先に言えよっ」
慌てて後ろを振り返ると、少し離れた池の縁に男の子が立っていた。「僕っ…」志瑞也はその男の子に近付こうしたが、前に行きかかった足を止める。よく見ると、昨日の男の子ではないか。志瑞也は全身の毛が逆立ち、男の子が奇妙に微笑みながら近付く姿に背筋を凍らせた。
足下まで来た男の子は志瑞也を見上げ、両手を広げ可愛らしく言う。
「昨日の物が食べたい!」
「……おっお前っ、何なんだ?」
「あいつらが食べれるなら、僕も食べれるんでしょ?」
男の子はモモ爺達を指差す。
「小僧わしらが見えるんかっ」
「ほれっ、昨日わしが目が合ったって言うた通りじゃろっ」
二号は嘘をついていなかった。やいやいと二匹は男の子の側で騒ぎだす。
男の子が眉間に皺を寄せ横目で睨む。
「うるさいっ黙れっ! お前等小者に小僧呼ばわりされる覚えはないっ、お前等の方が小僧だっ」
「お主の方が小僧ではないかっ」
「こやつ何者じゃっ」
モモ爺達の言う通りだ。どう見ても男の子の方が小僧だが、小僧がモモ爺達に小僧と罵り合う姿は、志瑞也が二十三年間生きてきた中で一番奇妙な光景だ。
浮遊霊がおどおどと志瑞也の背後から言う。
「ししっ志瑞也ぁさん、ぼぼ僕の姿が見えるからここの子、にに人間かと思ったんですが、よよ妖怪も見えるなら、にに人間でもれれ霊でもないですう」
は?
いつになく浮遊霊が頑張って説明してくれているが、志瑞也は内容が全く頭に入ってこない。
「どっどういうことだ? お前は何者なんだっ?」
男の子は突然両目をガッと開き、ギロッと志瑞也を見た。「ひっ…」人間ではない瞳の形に、志瑞也は恐怖で足が竦む。モモ爺達は、慌てて腕を振りながら志瑞也の側へ逃げ、浮遊霊は志瑞也の背中にしがみついた。男の子の変容は更に進み、鼻が突き出し口が顎まで裂けた。真鱈に青く染まる顔から、にょろにょろと髭が伸び、後頭部から生えた二本の角、四本の蜥蜴の手足に鋭い鉤爪、全身に浮きでた鱗模様、ぶわっと生温い鼻息を吹き、眼が金色の光沢を放つ!
「グルルルルゥゥゥ…」
「まっ、まさかっ…龍っ?」
志瑞也達は顎を高くして見上げ固まる。
次の瞬間、浮遊霊はぱっと手を離し、モモ爺達はさっと後ろに引く。
「────!」
志瑞也だけ青い龍に鷲掴みにされ、理不尽さを感じながらも、一瞬の出来事に言葉を失う。龍はもう片方の手で、志瑞也の鞄を剥ぎ取ろうと鉤爪で摘む。
「あやつキャラメルを全部食う気じゃぞっ」
「なんじゃと? わしのキャラメルじゃぞっ」
ガブッ!
ガブッ!
モモ爺達は青い龍の尻尾に咬み付く。
「ギャーギャーッ!」
龍は激しく蠢く。
二匹が石歯で肉をすり潰しにかかるが、龍は凄まじい喚き声を上げ、モモ爺達を振り落とそうと、頭を左右に振りながら長い胴体をくねらせる。
「ああっ、ししし志瑞也あささぁぁぁんっ!」
「グルルルギャーギャーッ!」
運悪く龍の髭が浮遊霊に絡み、龍は更に大きく蠢く。
「まっ待ってっ、待ってくれっ! あっ暴れるなっ、キャラメルだろっ、やるから離せっ!」
志瑞也の声は龍には届かず、全員が混乱状態になってしまっていた。
龍の瞳がちらっと龍神池を見る。
まずい!
志瑞也は水の臭いを思い出し、またあんな思いをするのか、仮に死ぬにしても、こんな臭い所で溺死はしたくない。それとも、池の鯉達はパクパクと喜んで自分を喰べるのか。想像するだけで鳥肌が立ち、必死で龍の手から逃れようともがく。
「まっ待て! それだけはやめろ!」
青い龍は両手で志瑞也をしっかり掴み、勢いよく龍神池に飛び込んだ。龍は邪魔者を振り落とそうと、水中で螺旋状に回転する。目なんて開けてなどいられない! 顔を摩擦する水流の勢いに耐え切れず、志瑞也はボコボコと息を吐き出してしまう。
(離してくれっ、くっ…苦しい…)
肌に伝わる水の温度が変わり、全身を刺す冷たさが抵抗する気力を失わせる。志瑞也は掴まれたまま、玩具の様に引き摺られた。
(息が… ばぁちゃん…………)
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