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阿左美めいの初恋 2
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注文したココアは、不味かった。いらないので向かいに送ったけど、りっちゃんは特に怒ってこなかった。というか、おれの動きが見えていないようだった。
「……悪い、阿左美。もう一回言ってくれ」
「は~、りっちゃんってば耳も目も悪いのね。しょうがないな~、あの人のためだし、もう一回言ってあげる。メイドカフェを経営するから、りっちゃんが副店長ね~」
一昨日おれと飲んでたときは元気だったのに、言い直さないといけないなんて面倒だ。
「正気か!?」
りっちゃんが立ち上がり、その勢いでカップが倒れた。茶色い液体が机に広がっていくのを、ただただ眺めていた。
テーブルに備え付けられていた紙ナプキンでりっちゃんは必死に拭いている。
「楽しい?」
「楽しいわけあるか! いらないからって勝手に置いただろ!」
そう言う割には、てきぱきと片付けている。りっちゃんはやっぱり面倒ごとが楽しいみたい。
「おれ、分かるようになったの。あの人が同じことをしてたら、きっと片付けるの楽しかったんだろうな~」
自分の手を煩わせるのが、あんなに楽しいとは思わなかった。面倒な片付けが終われば、可愛い、偉い、ってきっと褒めてくれる。そもそも、あの人ならこんなに不味いココアを出してはこない。
「……阿左美。一旦状況を整理しても良いか?」
「やっぱり、りっちゃんに煩わされても楽しくない、……あの人だけなんだ。ほら、早く言いなよ」
「それが人に物を頼む態度か? いや、今はいい。まず、俺に『可愛いってなに』って送ってきたのは、関係があるのか?」
「わざわざりっちゃんと雑談したいように見える?」
「お前、覚えておけよ。……次に、そこで『メイドの俺』って返したことは、このメイドカフェの経営に関係があるのか?」
「だって、可愛いに固執するりっちゃんがそういうなら、おれはメイドになればもっと可愛くなるってことでしょ。それにメイドってご奉仕するやつじゃん、おれにぴったり!」
「今は聞き流してやる。最後に、あの人って言うのは、お前の意味の分からない計画に関係があるのか?」
「そうだよ~。あ、ああ、ある、く……」
有クン。
そう言おうと思ったのに、唇が柔い痺れに包まれて、上手く音に出来なかった。このお店の暖房が急に壊れたようで、顔が熱い。
「は? なに照れてるんだ? 人間らしい仕草取ってる阿左美、気持ち悪い……」
照れてる。おれが。
「変ね。あの人に言われたときは楽しかったのに、りっちゃんに言われると何にも思わない……」
「よかった、阿左美だ。ちゃんと無礼で可愛げのないクズだな」
りっちゃんに言われて、またあの人のことが脳裏に過ぎった。可愛いに固執するくせに、やっぱり今日は目が悪いみたい。
「りっちゃん。おれ、可愛いの」
「……は?」
やっぱり有クンを思い出すと、どきどきする。未だにおれの心臓は掴まれたままで、ずっとままならない感情に支配されている。
「おれって、一番可愛いの。あの人がそう言ってくれたんだ~……!」
もっと可愛いおれになって、いっぱい世話をして、癒して、あの人に可愛いって言われたい。
今日は頭が回らないみたいだし、りっちゃんの話なんか聞いてても、時間の無駄だ。用意していた書類を差し出せば手元とおれを交互に見て、ぼんやりとした表情で受け取った。
有クンの家から帰って、すぐに準備した。本当は昨日りっちゃんに言うつもりだったのに、用事があるって言うから一日ずらしてあげたのだ。
「勤務条件に、手当に、候補地……。うわ、こっちは契約書……」
「資金も、給料も、ちゃ~んとおれの資産から出すから」
「そんなの最初から疑ってない、お前はそういう奴だし。まあ、条件は悪くない、と思う。思うけど……」
悪くないって言うくせに、条件に気に入らない部分があるみたいだった。勝気な雰囲気は鳴りを潜め、何かに耐えるように視線を落としている。
「なにが不満? もっと積めばいい? いいよ~、それでりっちゃんのこと買えるなら」
「この、金持ちクズ!」
「おれに可愛さの劣る、りっちゃん!」
そう言ってみれば、りっちゃんの瞳には対抗心が燃えていた。
「あれ、おれより可愛くないの、図星? それとも、おれが可愛いから、もっと可愛くする自信がない?」
「うるさい! 俺の方が可愛いし、お前でも可愛いって言ってもらえるように仕立てることも出来る! ただ、将来のことを考えたら、ここでメイドを捨てて、就職しないと駄目なんだよ!」
怒鳴りながら、足を蹴られた。蹴り返しながら、りっちゃんをからかうのと有クンといるのは、違う楽しいなんだと気付いた。
う~ん、本当はもっとあっさりと頷くと思っていたのに。メイドカフェ辞めたくないって言ってたし、最近は安定志向気味だから、職位と入社予定の倍以上の給料を用意した。りっちゃんの可愛いに対する感覚の鋭さは認めてあげてるから、勤務条件の中に店のプロデュース権限も含めている。高校の頃から、そういうのに憧れているも知っている。
不本意だけど、この計画はりっちゃんがいないと成立しない。
「あの人に可愛いって言われるためなら、なんでもする。でも、りっちゃんが断るなら、しょうがないか~……」
どうしても、あの人が欲しい。疲れた状態で、おれに癒しを求めてくる、今の状態の有クンがいい。あの人の可愛いの基準が分からないけど、可愛いに固執するりっちゃんが『メイドの俺』って言ったんだから、そういう服を着ればもっと可愛いと言ってくれるはず。
だから、周りくどいけど、メイドカフェにしようと思った。お仕事帰りに可愛いおれがご奉仕してあげれば、疲れた有クンも、センスの良いりっちゃんによってもっと可愛く仕立てられたおれも、どっちも達成出来る。
「ねえ、りっちゃん。監禁と、メイドカフェどっちがいいと思う?」
「はあ!?」
「監禁は楽だけど、今の状態のあの人がいいから本当は嫌……。でも、りっちゃんがいないのに、メイドカフェ経営するのって馬鹿みたいだし~。好きな方、選んでいいよ」
あはは、面白い。りっちゃんの顔が真っ青になってる。
監禁は、少しだけリスクがある。おれは可愛いけど、監禁は可愛くないかもしれない。そうなったら、必然的に監禁をしたおれは可愛くない、となってしまう。真っ青な有クンは悪くないと思うけどおれの理想とはずれるし、手に入る以外のメリットがない。
しばらく返事を待っていたが、駄目そうだ。りっちゃんが動かない。渡していた書類を回収しようと思って腕を伸ばせば、ぱっと背中に隠された。
「あー、もう! やってやるよ、メイドカフェ! ただし、俺の言うことには絶対に従えよ! いいか、阿左美!」
怒気によって顔に色味が取り戻されていく。そうやって調子を取り戻すみたいに、早く決断してくれればいいのに。
「お前がこれ以上道を踏み外さないためだ、勘違いするな」
「とか言って、本当はメイドカフェ経営してみたかったくせに~」
「うるさい!」
間髪入れずに怒鳴るってことは、図星のようだった。
鞄からペンケースを取り出し、りっちゃんにボールペンと朱肉、『林堂』の認印を貸し出す。万が一、印鑑がないから、とか適当なことを言って話をなあなあにしてきてもいいように、事前に準備してあった。
「じゃあ、今おれと契約ね~。ちゃんと二人で読み合わせしながら署名してもらうから、安心して」
「……お前、そういうこと他の奴にするなよ」
「あ、その前に一番大切な契約ね!」
りっちゃんは女顔だ。おれの一番の敵になるのは、きっとこの人しかいない。
経験上、おれのものだって教えれば、誰も奪おうとはしてこなかった。この人は何をしても勝手についてくるから少し不安だから、先にはっきり契約を結んでおかなければならない。
そう思うと、有クンのお名前を教えるのは嫌だ。今はおれだけが知ってればいい。おれがメイドになるなら……。
「おれのご主人クンに色目使わないって、今、言って。署名も。ちゃんと契約書作ってきたから」
「ん? 待て、その人は男なのか? いや、そもそも監禁も色目もなんだ。勢いに流されてたけど、色恋でメイドカフェ経営するとか抜かしてんのか?」
「ね~、早く書いてよ~」
「ここがはっきりしないなら、阿左美の話には乗らない。いいのか、一番可愛いはずのお前が、俺に力を借りれないどころか、俺に負けるんだぞ」
有クンにとって一番のはおれなのに、りっちゃんに言われると少しだけ焦りが生まれた。だって、今まで可愛いになんて興味はなかったから、その点で言えばこの人の方が戦略の数が多い。
面倒だけど言うことに従った方が、今はいいのだろう。
「……ご主人クンは男だよ、色目使わないでね」
「はいはい」
色恋。
おれの目的は、有クンに可愛いって言われたいだけで、可愛いって言われると楽しいからだ。今まで何もかもがつまんないと思っていたけど、あの人のことを考えているときは何よりも楽しい。
色目はりっちゃんが誘惑して可愛いを奪おうとしそうだからだし、監禁は効率がいいだけ。確かに色恋に関連性がある言葉だけど、そんなのに元々興味はない。
でも、手に入らなかったら、有クンのことを許せないかも。ぐちゃぐちゃにして、おれ以外を見れないようにしてやりたい。
この気持ちは、なんなのだろう。
少なくとも恋愛じゃない。
「色恋じゃないよ。だって興味ないもん、そういうの」
「まあ、そうだよな……。高校の頃は女とっかえひっかえで、何度仲裁に入ったか分からないし……。寝た相手の顔も覚えてないもんな……」
そんな昔の話を出してくるなんて、りっちゃんも歳を取ったものだ。あの頃は女がなにか言ってくるたびに首を突っ込みたがるから、途中から報告するようにしていた。すごく楽だった分、りっちゃんがいなくなってから女の扱いが一層面倒になったので、それからは相手を選ぶようにしている。
向かいでぶつぶつと言っていた後、乗ってやる、と改めて宣言してくれた。ボールペンを持ったまま、釣り目がこっちを睨みつけている。
「俺とも契約しろ。まず、店で名前を教えるな、個人情報の交換も禁止だ。お前とご主人さんがスタッフと客である以上、その距離感は守れ。それは他の客に対しても同じだ。次に、お前とご主人さんが揉めたとしても、最低でも一年はしっかりと経営しろ。俺は貴重な新卒カードを捨ててお前に乗ってるんだ、理由なくなったから畳むとか言うなよ」
思ったより、簡単な条件に安心した。だって、有クンはおれの名前知ってるし。おれも有クンの個人情報は全部掴んでるし。連絡先なんて邪魔だから交換する気も起きないから、わざわざ破る気もない。それに、経営しろってことは、飽きてしまっても資金だけ出していればいいだろう。
りっちゃんってば、もう少し考えて条件出せばいいのに。いつか変な人間に騙されそうで、ちょっとだけ心配。
「いいよ~。次は、今の文言そのままで、契約書作ってあげる」
その言葉に納得したようで、りっちゃんはボールペンの先端を契約書に落とした。ここから、順調に事が運んでいきそうだ。相手するのは煩わしかったけど、これも有クンのためだと思うと楽しいような気がする。
もっと手間暇掛けた方が、面倒な分楽しいのかな。
「……悪い、阿左美。もう一回言ってくれ」
「は~、りっちゃんってば耳も目も悪いのね。しょうがないな~、あの人のためだし、もう一回言ってあげる。メイドカフェを経営するから、りっちゃんが副店長ね~」
一昨日おれと飲んでたときは元気だったのに、言い直さないといけないなんて面倒だ。
「正気か!?」
りっちゃんが立ち上がり、その勢いでカップが倒れた。茶色い液体が机に広がっていくのを、ただただ眺めていた。
テーブルに備え付けられていた紙ナプキンでりっちゃんは必死に拭いている。
「楽しい?」
「楽しいわけあるか! いらないからって勝手に置いただろ!」
そう言う割には、てきぱきと片付けている。りっちゃんはやっぱり面倒ごとが楽しいみたい。
「おれ、分かるようになったの。あの人が同じことをしてたら、きっと片付けるの楽しかったんだろうな~」
自分の手を煩わせるのが、あんなに楽しいとは思わなかった。面倒な片付けが終われば、可愛い、偉い、ってきっと褒めてくれる。そもそも、あの人ならこんなに不味いココアを出してはこない。
「……阿左美。一旦状況を整理しても良いか?」
「やっぱり、りっちゃんに煩わされても楽しくない、……あの人だけなんだ。ほら、早く言いなよ」
「それが人に物を頼む態度か? いや、今はいい。まず、俺に『可愛いってなに』って送ってきたのは、関係があるのか?」
「わざわざりっちゃんと雑談したいように見える?」
「お前、覚えておけよ。……次に、そこで『メイドの俺』って返したことは、このメイドカフェの経営に関係があるのか?」
「だって、可愛いに固執するりっちゃんがそういうなら、おれはメイドになればもっと可愛くなるってことでしょ。それにメイドってご奉仕するやつじゃん、おれにぴったり!」
「今は聞き流してやる。最後に、あの人って言うのは、お前の意味の分からない計画に関係があるのか?」
「そうだよ~。あ、ああ、ある、く……」
有クン。
そう言おうと思ったのに、唇が柔い痺れに包まれて、上手く音に出来なかった。このお店の暖房が急に壊れたようで、顔が熱い。
「は? なに照れてるんだ? 人間らしい仕草取ってる阿左美、気持ち悪い……」
照れてる。おれが。
「変ね。あの人に言われたときは楽しかったのに、りっちゃんに言われると何にも思わない……」
「よかった、阿左美だ。ちゃんと無礼で可愛げのないクズだな」
りっちゃんに言われて、またあの人のことが脳裏に過ぎった。可愛いに固執するくせに、やっぱり今日は目が悪いみたい。
「りっちゃん。おれ、可愛いの」
「……は?」
やっぱり有クンを思い出すと、どきどきする。未だにおれの心臓は掴まれたままで、ずっとままならない感情に支配されている。
「おれって、一番可愛いの。あの人がそう言ってくれたんだ~……!」
もっと可愛いおれになって、いっぱい世話をして、癒して、あの人に可愛いって言われたい。
今日は頭が回らないみたいだし、りっちゃんの話なんか聞いてても、時間の無駄だ。用意していた書類を差し出せば手元とおれを交互に見て、ぼんやりとした表情で受け取った。
有クンの家から帰って、すぐに準備した。本当は昨日りっちゃんに言うつもりだったのに、用事があるって言うから一日ずらしてあげたのだ。
「勤務条件に、手当に、候補地……。うわ、こっちは契約書……」
「資金も、給料も、ちゃ~んとおれの資産から出すから」
「そんなの最初から疑ってない、お前はそういう奴だし。まあ、条件は悪くない、と思う。思うけど……」
悪くないって言うくせに、条件に気に入らない部分があるみたいだった。勝気な雰囲気は鳴りを潜め、何かに耐えるように視線を落としている。
「なにが不満? もっと積めばいい? いいよ~、それでりっちゃんのこと買えるなら」
「この、金持ちクズ!」
「おれに可愛さの劣る、りっちゃん!」
そう言ってみれば、りっちゃんの瞳には対抗心が燃えていた。
「あれ、おれより可愛くないの、図星? それとも、おれが可愛いから、もっと可愛くする自信がない?」
「うるさい! 俺の方が可愛いし、お前でも可愛いって言ってもらえるように仕立てることも出来る! ただ、将来のことを考えたら、ここでメイドを捨てて、就職しないと駄目なんだよ!」
怒鳴りながら、足を蹴られた。蹴り返しながら、りっちゃんをからかうのと有クンといるのは、違う楽しいなんだと気付いた。
う~ん、本当はもっとあっさりと頷くと思っていたのに。メイドカフェ辞めたくないって言ってたし、最近は安定志向気味だから、職位と入社予定の倍以上の給料を用意した。りっちゃんの可愛いに対する感覚の鋭さは認めてあげてるから、勤務条件の中に店のプロデュース権限も含めている。高校の頃から、そういうのに憧れているも知っている。
不本意だけど、この計画はりっちゃんがいないと成立しない。
「あの人に可愛いって言われるためなら、なんでもする。でも、りっちゃんが断るなら、しょうがないか~……」
どうしても、あの人が欲しい。疲れた状態で、おれに癒しを求めてくる、今の状態の有クンがいい。あの人の可愛いの基準が分からないけど、可愛いに固執するりっちゃんが『メイドの俺』って言ったんだから、そういう服を着ればもっと可愛いと言ってくれるはず。
だから、周りくどいけど、メイドカフェにしようと思った。お仕事帰りに可愛いおれがご奉仕してあげれば、疲れた有クンも、センスの良いりっちゃんによってもっと可愛く仕立てられたおれも、どっちも達成出来る。
「ねえ、りっちゃん。監禁と、メイドカフェどっちがいいと思う?」
「はあ!?」
「監禁は楽だけど、今の状態のあの人がいいから本当は嫌……。でも、りっちゃんがいないのに、メイドカフェ経営するのって馬鹿みたいだし~。好きな方、選んでいいよ」
あはは、面白い。りっちゃんの顔が真っ青になってる。
監禁は、少しだけリスクがある。おれは可愛いけど、監禁は可愛くないかもしれない。そうなったら、必然的に監禁をしたおれは可愛くない、となってしまう。真っ青な有クンは悪くないと思うけどおれの理想とはずれるし、手に入る以外のメリットがない。
しばらく返事を待っていたが、駄目そうだ。りっちゃんが動かない。渡していた書類を回収しようと思って腕を伸ばせば、ぱっと背中に隠された。
「あー、もう! やってやるよ、メイドカフェ! ただし、俺の言うことには絶対に従えよ! いいか、阿左美!」
怒気によって顔に色味が取り戻されていく。そうやって調子を取り戻すみたいに、早く決断してくれればいいのに。
「お前がこれ以上道を踏み外さないためだ、勘違いするな」
「とか言って、本当はメイドカフェ経営してみたかったくせに~」
「うるさい!」
間髪入れずに怒鳴るってことは、図星のようだった。
鞄からペンケースを取り出し、りっちゃんにボールペンと朱肉、『林堂』の認印を貸し出す。万が一、印鑑がないから、とか適当なことを言って話をなあなあにしてきてもいいように、事前に準備してあった。
「じゃあ、今おれと契約ね~。ちゃんと二人で読み合わせしながら署名してもらうから、安心して」
「……お前、そういうこと他の奴にするなよ」
「あ、その前に一番大切な契約ね!」
りっちゃんは女顔だ。おれの一番の敵になるのは、きっとこの人しかいない。
経験上、おれのものだって教えれば、誰も奪おうとはしてこなかった。この人は何をしても勝手についてくるから少し不安だから、先にはっきり契約を結んでおかなければならない。
そう思うと、有クンのお名前を教えるのは嫌だ。今はおれだけが知ってればいい。おれがメイドになるなら……。
「おれのご主人クンに色目使わないって、今、言って。署名も。ちゃんと契約書作ってきたから」
「ん? 待て、その人は男なのか? いや、そもそも監禁も色目もなんだ。勢いに流されてたけど、色恋でメイドカフェ経営するとか抜かしてんのか?」
「ね~、早く書いてよ~」
「ここがはっきりしないなら、阿左美の話には乗らない。いいのか、一番可愛いはずのお前が、俺に力を借りれないどころか、俺に負けるんだぞ」
有クンにとって一番のはおれなのに、りっちゃんに言われると少しだけ焦りが生まれた。だって、今まで可愛いになんて興味はなかったから、その点で言えばこの人の方が戦略の数が多い。
面倒だけど言うことに従った方が、今はいいのだろう。
「……ご主人クンは男だよ、色目使わないでね」
「はいはい」
色恋。
おれの目的は、有クンに可愛いって言われたいだけで、可愛いって言われると楽しいからだ。今まで何もかもがつまんないと思っていたけど、あの人のことを考えているときは何よりも楽しい。
色目はりっちゃんが誘惑して可愛いを奪おうとしそうだからだし、監禁は効率がいいだけ。確かに色恋に関連性がある言葉だけど、そんなのに元々興味はない。
でも、手に入らなかったら、有クンのことを許せないかも。ぐちゃぐちゃにして、おれ以外を見れないようにしてやりたい。
この気持ちは、なんなのだろう。
少なくとも恋愛じゃない。
「色恋じゃないよ。だって興味ないもん、そういうの」
「まあ、そうだよな……。高校の頃は女とっかえひっかえで、何度仲裁に入ったか分からないし……。寝た相手の顔も覚えてないもんな……」
そんな昔の話を出してくるなんて、りっちゃんも歳を取ったものだ。あの頃は女がなにか言ってくるたびに首を突っ込みたがるから、途中から報告するようにしていた。すごく楽だった分、りっちゃんがいなくなってから女の扱いが一層面倒になったので、それからは相手を選ぶようにしている。
向かいでぶつぶつと言っていた後、乗ってやる、と改めて宣言してくれた。ボールペンを持ったまま、釣り目がこっちを睨みつけている。
「俺とも契約しろ。まず、店で名前を教えるな、個人情報の交換も禁止だ。お前とご主人さんがスタッフと客である以上、その距離感は守れ。それは他の客に対しても同じだ。次に、お前とご主人さんが揉めたとしても、最低でも一年はしっかりと経営しろ。俺は貴重な新卒カードを捨ててお前に乗ってるんだ、理由なくなったから畳むとか言うなよ」
思ったより、簡単な条件に安心した。だって、有クンはおれの名前知ってるし。おれも有クンの個人情報は全部掴んでるし。連絡先なんて邪魔だから交換する気も起きないから、わざわざ破る気もない。それに、経営しろってことは、飽きてしまっても資金だけ出していればいいだろう。
りっちゃんってば、もう少し考えて条件出せばいいのに。いつか変な人間に騙されそうで、ちょっとだけ心配。
「いいよ~。次は、今の文言そのままで、契約書作ってあげる」
その言葉に納得したようで、りっちゃんはボールペンの先端を契約書に落とした。ここから、順調に事が運んでいきそうだ。相手するのは煩わしかったけど、これも有クンのためだと思うと楽しいような気がする。
もっと手間暇掛けた方が、面倒な分楽しいのかな。
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