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阿左美めいの初恋 3
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年明けすぐに、りっちゃんから連絡が来た。
レンタルキッチンに入ってきたのは、りっちゃんとは雰囲気が正反対な男だった。短い黒髪に眼鏡をかけた、ご主人クンとは違うぱっとしない容姿は好感が持てる。色目を使っても、絶対おれには勝てない。
キッチン担当に心当たりがあると、話を持ち掛けたときにプロフィールを聞いてはいた。
「この人が、りっちゃんのお友達の大野慶樹、二十二歳、りっちゃんと同じ大学の併設短大調理学科卒、無職?」
メイドカフェ好きで、前の職場は精神的にも肉体的にもキツくて辞めてる。その部分に関しては、りっちゃんと話し合って働きやすいだろう条件に調整した。元々、この店はしっかり売り上げを出したくてやるわけでもないし、その点で言えばお友達クンにはちょうどいい環境だろう。
「お前さあ、初対面の人間にその言い方やめろ。大野が怯えてるだろ」
「え~、経歴確認しただけじゃん」
お友達クンを見れば、一瞬で目が逸らされた。持っているビニール袋ががさがさと揺らしていて、今はろくに面接も出来ないだろうなと思った。
「早速だけど、作ってみて! メニューはりっちゃんが考えてくれてるでしょ!」
出来上がった料理は、事前に確認したメニュー案にはほど遠かった。
ベーシックな薄皮オムライスは綺麗に作られており、ケチャップライスを熊の形にしたパターンは見栄えが良かった。メレンゲクッキーは均一なサイズに絞られており、動物型のものはさっき思い付きで提案されたのが信じられないほど出来が良い。
到底、りっちゃんの酷いデザインが元になっているとは思えない。
「よくあの絵から、ここまで読み取れるね~……」
「り、林堂から参考画像とかも、もらってたんで」
配膳しているところに声を掛ければ、オムライスに視線を落としながらも話してはくれた。知らないところで、そういった情報共有もされていたらしい。おれに隠していたなんて、りっちゃんは自信がなかったのかな?
「やっぱりあの絵だけだと無理か! りっちゃん、お友達にまで言われてるよ~!」
「え、いや、そんな、林堂、そう言うつもりじゃなくて……!」
「おい、大野で遊ぶな」
カラフルなドリンクを並べるとすぐに、りっちゃんは写真を撮りだした。ああだこうだ言って配置を調整している間に、おれも用事を済ませておこう。
「じゃあ、改めて確認ね。りっちゃんに渡しておいた書類は一通り見た?」
「は、はい」
「勤務形態や給料面に不明点はある? あとは、不満も今教えて」
「その、本当に俺が店長なん、ですか?」
「うん! おれはあくまでオーナー、りっちゃんは副店長!」
前にりっちゃんと契約した一年の経営、おれは店長ではなくオーナーであれば後の処理が楽だろうなと思った。りっちゃんだって自分の友達、それも現在無職が店長ともなれば、この人の職がなくなったら困ると言って店から離れることはないだろうし、条件としては完璧だった。
料理も想定以上に出来るし、りっちゃんはおれがこの人を切らないともう分かっている。撮影する背中の気迫が、その証明だった。
「基本的には何でも応じるよ~。ほら、早く言えよ」
「り、林堂……」
「そいつ金持ちのクズだから、好きなだけふっかけていいぞ。言いにくいんだったら、俺が後から交渉してやる」
こっちには視線を向けることなく言い切られ、しばらく悩んでいたようだったが、絞り出すように何もないですと返事をした。
「じゃあ、これで不味くなければ、りっちゃんのお友達クンは採用ね!」
もしも、しっかり作れる人だったら、お友達クンから料理を習おう。りっちゃんには四月から給料を出すし、お友達クンにも業務が必要だと考えていた。これくらい作れるなら、きっと有クンにも喜んでもらえるに違いない。
そう思うと、胸の奥がくすぐったくなった。やっぱり、有クンのために手を煩わせるのは楽しい。
*
有クンの職場も、通勤経路も、何度も訪れていた。依頼していた退勤時間のデータが納品された辺りからは、本当におれに言った通りのルートなのか調べるついでに後ろを追いかけたこともあった。ちゃんとおれ達が地図上をデートした時と同じ道筋だったときには、今までにない穏やかな感情に包まれて、幸せってこういうことなのかなと思った。
声を掛けてあげたかったけど、どうしても本人を前にすると唇が痺れてしまう。それに、素面の有クンにとって私服のおれが可愛くなかったらどうしよう、という悩みもあった。
手に届く距離にいるものだからいつもどきどきして、今では近付くのもやっとになっている。
メイドカフェがオープンして、一番可愛いおれになってからちゃんと会うつもりだった。
それなのに、先に声を掛けてきたのは、有クンの方だった。
「あ、めいだ!」
二人との打ち合わせ帰りに、背後から抱きつかれた。遅れて、脳が今の言葉を認識する。本当は向かい合いたいのに、今のおれを見られるのが怖かった。
「あれ、主藤さん、その人知り合い?」
「そうなんです、俺の自慢の弟で……。あれ、めい……? 弟はめいじゃなくて寿だ、じゃあめいは誰……?」
背中から熱が離れる。そっか、有クンってば酔っぱらっておれのことを忘れそうなのね。職場の人間もいるみたいだし、ちょうどいい。
振り返って、腕の中に納める。まだ分かっていないみたいだから、言い聞かせるように耳元で囁いた。
「有クンにとって一番可愛い人間だよ」
「そうだっけ、そうかも、そうだ」
それから、おれの目の前にいる男にも、教えてやった。
「おれの有クンなの。連れてかえるね~」
状況を飲み込めないようで、男は口を開けて間抜け面を晒していた。これだと、職場でも話題にあがるかも。ちゃんと言い触らせよ、と視線で伝えておく。
くすぐったい、という笑い声が聞こえて、急に有クンの体温を強く感じた。身体が甘く痺れ、心臓は有クンに掴まれていたことを自覚して強く音を立てている。離れたいのに、離れるのが嫌だと、変な矛盾を抱えていた。
「ほ、ほら、いくよ~、あ、あるクン!」
そんなことを言ったのに、腕から力が上手く抜けない。やっぱり、この人はおれをおかしくする。
部屋の中に入ったのは、三ヶ月振りだった。ちょっとした隙間やスペースがどこか雑然としていて、有クンの生活を感じさせた。でも、嫌いじゃない、世話を焼ける余裕が至る所にあるのだと言ってくれているようだった。
有クンは座椅子を取り出して、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめん。今、ゼリー飲料しかなくて……。めいが遊びに来てるって知ってたら、ちゃんと用意したんだけど」
「ゆ、ゆるしてあげる!」
「本当? ありがとう、めい」
そう言えば、笑みを溶かしておれの向かいに座った。おれも釣られて腰を下ろす。
前髪は前より伸びて、隈も一層濃くなっていた。肌艶がなく、おれ以外には見つけられないほど冴えない雰囲気が増していて、手が焼けそうでたまらない。
どうしよう。おれより、今の有クンの方が可愛い。
それに、私服で眼鏡を掛けたおれは、今ちゃんと可愛いのかな。
不安が渦巻いて、せっかくのおうちなのに落ち着かない。引き寄せられるように有クンを見て、また心臓を握り潰された。
「あ、ああ、あるクン!」
「どうしたの?」
一番可愛い?
たった、それだけなのに、怖くて聞けなかった。この人の前だとおれは臆病になってしまうみたい。鼓動は相変わらずうるさいし、見られてるだけでどきどきするし、こんなのおれじゃない。
でも、このままならないのが、やっぱり楽しい。
「めい、もしかして、眠い?」
おれの内側を探るようにじっと見つめられ、瞳が勝手に逃げ出した。自分の性分に合わなくて、何とか向き直そうとするけど、顔が熱いせいでどうにもならない。
「顔が真っ赤だ、可愛い」
さっきも今も、欲しい言葉は全部有クンがくれた。
胸から沸き上がったものが、脳まで突き抜けて、気持ち良い痺れが広がっていく。魂を揺さぶるほどの強い衝撃は、楽しいとも、嬉しいとも、違うように感じる。与えてくれたこの感情が、有クンをおれのものにしないといけないと訴えていた。
「あ、ある、クン! お世話してあげる!」
訳が分からなくなって、そんなことを口走った。立ち上がり、スーツを着たままの有クンを抱え、ベッドに運んだ。前と違って起きてるから、えっ、なんで、とずっと鳴いていて可愛かった。
そのまま投げ落としてみれば、自分の場所を理解出来ていないように、瞬きを繰り返していた。自分の所在が分からなくなり、馬乗りになって間抜けな可愛い表情を見下ろす。
「眠いのは、あ、有クンでしょ~! どう、おれ、お世話できて偉い?」
「? うん、偉いね……?」
「そうなの、おれは有能だからね~!」
この間されたみたいに頭を撫でてあげた。人にこんなことをするのは初めてだけど、有クンの髪がおれに絡みついてくるのが嬉しい。細胞の一つ一つが、おれのことを求めているみたい。有クンもこんな気持ちでおれにやってたのかな。
有クンは何か言いたそうにしていたけど、それよりも眠気が勝っているようだった。本当に眠かったってことは、おれはちゃんとこの人の心情を把握出来ているらしい。おれ達って、きっと思っている以上に相性がいい。
そろそろ瞼が閉じてしまいそうなところで、やくそく、と乾燥した唇が呟いた。
「やくそく?」
「次に、会うときは、めいのしたいこと、しようね……」
人と約束をするなんて、初めてだ。りっちゃんの約束はいつでも破っていいものだからカウントしてないし、他の奴になんかそんなの許していない。
「あ、ある、クン! ……今、決めてもいい?」
うとうとしながらも、どうにか頷いてくれた。
「じゃあ、おれがいっぱいお世話するから、褒めて、可愛いって言って。あと、もう一回ね、有クンの作ったココアが飲みたいの」
「うん、やくそく、ちゃんとまもるね……」
「ありがと~! 絶対に守ってね」
一つでも破ったら、許さない。有クンは酔ってるけど、今日もあっちから声を掛けてきたわけだし、記憶がないなんて通用しない。期限を決めて、もしも守ってもらえなかったら、ちゃんと罰を与えないと。
「いつまでがいい?」
「だいがくのなつやすみ、おわるまえに、あいたいかなあ……」
「分かった!」
夏休み前にはメイドカフェもオープン出来る、期間としてはちょうどいい。自分で決めたことくらい、有クンなら絶対守ってくれる。
おれの言葉を聞いてすぐに、瞼が落ちきった。しばらくして、安らかな寝息が聞こえて、おれのおかげだと思うと嬉しくなってくる。
頭から頬に手を伝わせ、親指でそっと隈を撫でた。これは世話の焼き甲斐がある。やっぱり、監禁しなくて正解だった。ほどほどに監視しつつ、現状維持で放置して、疲れたところをおれだけが癒してあげよう。
不意に、がさついた唇がおれの視線を奪った。本能的に惹かれて、思うままに顔を落とす。柔く触れた瞬間に唇が溶け、自分と有クンの境目を忘れるような、変な感覚があった。
キスなんて勘違いされて面倒なのに、有クンにならしてあげたいと思ってしまう。
「そうだ。お世話って、こういう種類もある……」
それで縛れるものもあるし、肉体関係も持っておくべきかも。好意は過剰に伝えてやった方が喜ぶかな。よがって、情けなくおれに縋る有クン、……すごく可愛い! そうだ、あの余ってる部屋は仮眠室にしよう、りっちゃん達に内装をやらせてから変えた方がもっと可愛い空間になるかも。
「有クン、可愛い。……好き!」
もう一度、唇を重ねた。言葉にしてみれば、どんどん自分の中にある熱が押さえきれなくなってくる。有クンとの触れるだけのキスは、今までにない幸福感がある。この人と寝たら、もっと気持ちが良いのかな。
この人と離れたくない。でも、やることが増えた。今日のことを思い出しながら作業を進めるのは、今まで以上に楽しいはずだ。
「おれは有クンが一番可愛いけど、そんな有クンの一番はおれだもんね。うんうん、有クンは可愛いよ、おれの次に可愛い!」
もっと可愛くなったおれを見つけてね、有クン。もしも大学の夏休みが終わるまでに見つけてくれなかったら、勿体ないけど、それ相応の報いを受けてね。
おれの心臓を掴んだまま、有クンは寝息で返事をしてくれた。
レンタルキッチンに入ってきたのは、りっちゃんとは雰囲気が正反対な男だった。短い黒髪に眼鏡をかけた、ご主人クンとは違うぱっとしない容姿は好感が持てる。色目を使っても、絶対おれには勝てない。
キッチン担当に心当たりがあると、話を持ち掛けたときにプロフィールを聞いてはいた。
「この人が、りっちゃんのお友達の大野慶樹、二十二歳、りっちゃんと同じ大学の併設短大調理学科卒、無職?」
メイドカフェ好きで、前の職場は精神的にも肉体的にもキツくて辞めてる。その部分に関しては、りっちゃんと話し合って働きやすいだろう条件に調整した。元々、この店はしっかり売り上げを出したくてやるわけでもないし、その点で言えばお友達クンにはちょうどいい環境だろう。
「お前さあ、初対面の人間にその言い方やめろ。大野が怯えてるだろ」
「え~、経歴確認しただけじゃん」
お友達クンを見れば、一瞬で目が逸らされた。持っているビニール袋ががさがさと揺らしていて、今はろくに面接も出来ないだろうなと思った。
「早速だけど、作ってみて! メニューはりっちゃんが考えてくれてるでしょ!」
出来上がった料理は、事前に確認したメニュー案にはほど遠かった。
ベーシックな薄皮オムライスは綺麗に作られており、ケチャップライスを熊の形にしたパターンは見栄えが良かった。メレンゲクッキーは均一なサイズに絞られており、動物型のものはさっき思い付きで提案されたのが信じられないほど出来が良い。
到底、りっちゃんの酷いデザインが元になっているとは思えない。
「よくあの絵から、ここまで読み取れるね~……」
「り、林堂から参考画像とかも、もらってたんで」
配膳しているところに声を掛ければ、オムライスに視線を落としながらも話してはくれた。知らないところで、そういった情報共有もされていたらしい。おれに隠していたなんて、りっちゃんは自信がなかったのかな?
「やっぱりあの絵だけだと無理か! りっちゃん、お友達にまで言われてるよ~!」
「え、いや、そんな、林堂、そう言うつもりじゃなくて……!」
「おい、大野で遊ぶな」
カラフルなドリンクを並べるとすぐに、りっちゃんは写真を撮りだした。ああだこうだ言って配置を調整している間に、おれも用事を済ませておこう。
「じゃあ、改めて確認ね。りっちゃんに渡しておいた書類は一通り見た?」
「は、はい」
「勤務形態や給料面に不明点はある? あとは、不満も今教えて」
「その、本当に俺が店長なん、ですか?」
「うん! おれはあくまでオーナー、りっちゃんは副店長!」
前にりっちゃんと契約した一年の経営、おれは店長ではなくオーナーであれば後の処理が楽だろうなと思った。りっちゃんだって自分の友達、それも現在無職が店長ともなれば、この人の職がなくなったら困ると言って店から離れることはないだろうし、条件としては完璧だった。
料理も想定以上に出来るし、りっちゃんはおれがこの人を切らないともう分かっている。撮影する背中の気迫が、その証明だった。
「基本的には何でも応じるよ~。ほら、早く言えよ」
「り、林堂……」
「そいつ金持ちのクズだから、好きなだけふっかけていいぞ。言いにくいんだったら、俺が後から交渉してやる」
こっちには視線を向けることなく言い切られ、しばらく悩んでいたようだったが、絞り出すように何もないですと返事をした。
「じゃあ、これで不味くなければ、りっちゃんのお友達クンは採用ね!」
もしも、しっかり作れる人だったら、お友達クンから料理を習おう。りっちゃんには四月から給料を出すし、お友達クンにも業務が必要だと考えていた。これくらい作れるなら、きっと有クンにも喜んでもらえるに違いない。
そう思うと、胸の奥がくすぐったくなった。やっぱり、有クンのために手を煩わせるのは楽しい。
*
有クンの職場も、通勤経路も、何度も訪れていた。依頼していた退勤時間のデータが納品された辺りからは、本当におれに言った通りのルートなのか調べるついでに後ろを追いかけたこともあった。ちゃんとおれ達が地図上をデートした時と同じ道筋だったときには、今までにない穏やかな感情に包まれて、幸せってこういうことなのかなと思った。
声を掛けてあげたかったけど、どうしても本人を前にすると唇が痺れてしまう。それに、素面の有クンにとって私服のおれが可愛くなかったらどうしよう、という悩みもあった。
手に届く距離にいるものだからいつもどきどきして、今では近付くのもやっとになっている。
メイドカフェがオープンして、一番可愛いおれになってからちゃんと会うつもりだった。
それなのに、先に声を掛けてきたのは、有クンの方だった。
「あ、めいだ!」
二人との打ち合わせ帰りに、背後から抱きつかれた。遅れて、脳が今の言葉を認識する。本当は向かい合いたいのに、今のおれを見られるのが怖かった。
「あれ、主藤さん、その人知り合い?」
「そうなんです、俺の自慢の弟で……。あれ、めい……? 弟はめいじゃなくて寿だ、じゃあめいは誰……?」
背中から熱が離れる。そっか、有クンってば酔っぱらっておれのことを忘れそうなのね。職場の人間もいるみたいだし、ちょうどいい。
振り返って、腕の中に納める。まだ分かっていないみたいだから、言い聞かせるように耳元で囁いた。
「有クンにとって一番可愛い人間だよ」
「そうだっけ、そうかも、そうだ」
それから、おれの目の前にいる男にも、教えてやった。
「おれの有クンなの。連れてかえるね~」
状況を飲み込めないようで、男は口を開けて間抜け面を晒していた。これだと、職場でも話題にあがるかも。ちゃんと言い触らせよ、と視線で伝えておく。
くすぐったい、という笑い声が聞こえて、急に有クンの体温を強く感じた。身体が甘く痺れ、心臓は有クンに掴まれていたことを自覚して強く音を立てている。離れたいのに、離れるのが嫌だと、変な矛盾を抱えていた。
「ほ、ほら、いくよ~、あ、あるクン!」
そんなことを言ったのに、腕から力が上手く抜けない。やっぱり、この人はおれをおかしくする。
部屋の中に入ったのは、三ヶ月振りだった。ちょっとした隙間やスペースがどこか雑然としていて、有クンの生活を感じさせた。でも、嫌いじゃない、世話を焼ける余裕が至る所にあるのだと言ってくれているようだった。
有クンは座椅子を取り出して、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめん。今、ゼリー飲料しかなくて……。めいが遊びに来てるって知ってたら、ちゃんと用意したんだけど」
「ゆ、ゆるしてあげる!」
「本当? ありがとう、めい」
そう言えば、笑みを溶かしておれの向かいに座った。おれも釣られて腰を下ろす。
前髪は前より伸びて、隈も一層濃くなっていた。肌艶がなく、おれ以外には見つけられないほど冴えない雰囲気が増していて、手が焼けそうでたまらない。
どうしよう。おれより、今の有クンの方が可愛い。
それに、私服で眼鏡を掛けたおれは、今ちゃんと可愛いのかな。
不安が渦巻いて、せっかくのおうちなのに落ち着かない。引き寄せられるように有クンを見て、また心臓を握り潰された。
「あ、ああ、あるクン!」
「どうしたの?」
一番可愛い?
たった、それだけなのに、怖くて聞けなかった。この人の前だとおれは臆病になってしまうみたい。鼓動は相変わらずうるさいし、見られてるだけでどきどきするし、こんなのおれじゃない。
でも、このままならないのが、やっぱり楽しい。
「めい、もしかして、眠い?」
おれの内側を探るようにじっと見つめられ、瞳が勝手に逃げ出した。自分の性分に合わなくて、何とか向き直そうとするけど、顔が熱いせいでどうにもならない。
「顔が真っ赤だ、可愛い」
さっきも今も、欲しい言葉は全部有クンがくれた。
胸から沸き上がったものが、脳まで突き抜けて、気持ち良い痺れが広がっていく。魂を揺さぶるほどの強い衝撃は、楽しいとも、嬉しいとも、違うように感じる。与えてくれたこの感情が、有クンをおれのものにしないといけないと訴えていた。
「あ、ある、クン! お世話してあげる!」
訳が分からなくなって、そんなことを口走った。立ち上がり、スーツを着たままの有クンを抱え、ベッドに運んだ。前と違って起きてるから、えっ、なんで、とずっと鳴いていて可愛かった。
そのまま投げ落としてみれば、自分の場所を理解出来ていないように、瞬きを繰り返していた。自分の所在が分からなくなり、馬乗りになって間抜けな可愛い表情を見下ろす。
「眠いのは、あ、有クンでしょ~! どう、おれ、お世話できて偉い?」
「? うん、偉いね……?」
「そうなの、おれは有能だからね~!」
この間されたみたいに頭を撫でてあげた。人にこんなことをするのは初めてだけど、有クンの髪がおれに絡みついてくるのが嬉しい。細胞の一つ一つが、おれのことを求めているみたい。有クンもこんな気持ちでおれにやってたのかな。
有クンは何か言いたそうにしていたけど、それよりも眠気が勝っているようだった。本当に眠かったってことは、おれはちゃんとこの人の心情を把握出来ているらしい。おれ達って、きっと思っている以上に相性がいい。
そろそろ瞼が閉じてしまいそうなところで、やくそく、と乾燥した唇が呟いた。
「やくそく?」
「次に、会うときは、めいのしたいこと、しようね……」
人と約束をするなんて、初めてだ。りっちゃんの約束はいつでも破っていいものだからカウントしてないし、他の奴になんかそんなの許していない。
「あ、ある、クン! ……今、決めてもいい?」
うとうとしながらも、どうにか頷いてくれた。
「じゃあ、おれがいっぱいお世話するから、褒めて、可愛いって言って。あと、もう一回ね、有クンの作ったココアが飲みたいの」
「うん、やくそく、ちゃんとまもるね……」
「ありがと~! 絶対に守ってね」
一つでも破ったら、許さない。有クンは酔ってるけど、今日もあっちから声を掛けてきたわけだし、記憶がないなんて通用しない。期限を決めて、もしも守ってもらえなかったら、ちゃんと罰を与えないと。
「いつまでがいい?」
「だいがくのなつやすみ、おわるまえに、あいたいかなあ……」
「分かった!」
夏休み前にはメイドカフェもオープン出来る、期間としてはちょうどいい。自分で決めたことくらい、有クンなら絶対守ってくれる。
おれの言葉を聞いてすぐに、瞼が落ちきった。しばらくして、安らかな寝息が聞こえて、おれのおかげだと思うと嬉しくなってくる。
頭から頬に手を伝わせ、親指でそっと隈を撫でた。これは世話の焼き甲斐がある。やっぱり、監禁しなくて正解だった。ほどほどに監視しつつ、現状維持で放置して、疲れたところをおれだけが癒してあげよう。
不意に、がさついた唇がおれの視線を奪った。本能的に惹かれて、思うままに顔を落とす。柔く触れた瞬間に唇が溶け、自分と有クンの境目を忘れるような、変な感覚があった。
キスなんて勘違いされて面倒なのに、有クンにならしてあげたいと思ってしまう。
「そうだ。お世話って、こういう種類もある……」
それで縛れるものもあるし、肉体関係も持っておくべきかも。好意は過剰に伝えてやった方が喜ぶかな。よがって、情けなくおれに縋る有クン、……すごく可愛い! そうだ、あの余ってる部屋は仮眠室にしよう、りっちゃん達に内装をやらせてから変えた方がもっと可愛い空間になるかも。
「有クン、可愛い。……好き!」
もう一度、唇を重ねた。言葉にしてみれば、どんどん自分の中にある熱が押さえきれなくなってくる。有クンとの触れるだけのキスは、今までにない幸福感がある。この人と寝たら、もっと気持ちが良いのかな。
この人と離れたくない。でも、やることが増えた。今日のことを思い出しながら作業を進めるのは、今まで以上に楽しいはずだ。
「おれは有クンが一番可愛いけど、そんな有クンの一番はおれだもんね。うんうん、有クンは可愛いよ、おれの次に可愛い!」
もっと可愛くなったおれを見つけてね、有クン。もしも大学の夏休みが終わるまでに見つけてくれなかったら、勿体ないけど、それ相応の報いを受けてね。
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