【完結】人形と皇子

かずえ

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第十章 されど幸せな日々

91 コーヒーはうまかった  緋色

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「もうね、ご飯にするって」

 そう言いながらも成人なるひとは、俺が注文したコーヒーのカップを手に部屋へ戻ってきた。
 運ぶ間も、コーヒーの匂いがどうしてもまとわりついていたのだろう。むむ、と渋い顔をしている。

「まだ早いだろ?」
力丸りきまるがお腹空いたから」

 ありがとう、とコーヒーを受け取り、時計を確認する。いつもの食事時間より少しだけ早い。

「あいつの腹は、いつも空いてるだろ。放っとけ」
「あはは。源さんも同じこと言ってた」
「そうか」

 厨房の新入りも、力丸りきまるの燃費の悪さをあっという間に知ったらしい。相変わらず、腹減った、とか言いながら厨房に突撃していたんだろうな。子どもの頃から、ちっとも変わっていない。
 成人なるひとは、俺から少し離れてソファに座った。
 驚いてまじまじと顔を見ると、なに? と首を傾げている。
 俺がコーヒーを飲む間は成人なるひとは、この場所から出ていくんだと思っていた。苦手だろう? コーヒーの匂い。運ぶだけで渋い顔をするくらいに。
 だが成人なるひとは、成人なるひとの部屋、と仕切られたこの小さな区画から出る気はないらしい。俺から少し距離をとってはいるが。
 苦手な匂いがすっかり充満してしまって申し訳ない、と思いつつ、コーヒーを手放す気にも、この場所から移動する気にもなれなかった。もやもやとした何かが、胸と頭の辺りに留まっているような錯覚を振り払いたかった。
 すすったひと口。すっきりとした苦味が好みの味で、帰ってきたなとほっとする。広末ひろすえが居なくても、いつものうちの、俺の好みのコーヒーだった。壱臣いちおみを、早速働かせてしまったか。

「美味しい?」
「ああ」
「源さんが作ってくれた」
「そうか」

 新入りは、俺のコーヒーの好みも把握済みか。まったく。うちの料理人たちは、優秀過ぎて怖いくらいだ。だがまあ、これなら、成人なるひとが、どんな食べ物、飲み物を苦手としているのかも把握済みだろう。もちろん、好物も。安心なことだ。
 コーヒーをもうひと口。
 はは。うまいな。
 成人なるひとの好きなもの、大事なものに囲まれた場所でほっと息を吐く。ここは、なんて落ち着く場所なんだろう。狭くて、それなりに物があって。
 だだっ広い自分の部屋は好きじゃない。好きじゃなかった。昔から。一人をより強く感じるから。
 常陸丸ひたちまるの家で、大勢で囲む食卓や、狭いのに何故か集まって皆で過ごす居間にいるのが好きだった。なんとなくの居場所がそれぞれ決まっていて、いつもいる訳じゃなくても、あけてある空間に存在を感じたりして。
 
「今日ね。おかずたくさんあった」
「へえ?」
「源さんね、あの人はこれが好き、とかって力丸りきまるが話してたの思い出しながら作ってたら、たくさんになっちゃったんだって」
「そうか」

 あの厳つい顔の料理人も、中身は随分甘いらしい。

「だし巻き玉子もあったし、魚の餡かけもあったし、お汁にはお花の形の人参が入ってて……」

 そりゃ、夜ご飯が楽しみだな。
 うん。
 楽しみだ。
 
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