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「私が好きなのは、やっぱり綾辻行人さんだなぁ」
「名前は聞いたことあるけど、その人、そんなにすごいの?」
「すごいよ!すごい!!読めばぜったい分かるから。もうこれぞミステリー!って感じの作品ばかりなんだよね!」
「確かにミステリーの王道だよね。トリックはもちろんだけど、キャラクターの設定にしても、舞台の設定にしてもワクワクするっていうか、ゾクゾクするっていうか、もうミステリーの面白さを凝縮しているよね?千里ちゃん」
「そうそう。絶海の孤島とか、隔離された屋敷に閉じ込められて~とか、私なんかそれだけで足の裏がくすぐったくなるなぁ」
「でもやっぱり圧巻はトリックだよね。最後の最後で完膚なきまでにまくり上げてくれるところは、もう頭をガツンてやられる快感があるな」

 いつのまにかちゃんづけで呼んでいたが、千里は嬉しそうに頷き返してくれる。
 考えてみれば、これまでミステリーについてここまで他人と話したことはなかった。
 小学生で名探偵ポワロのオリエント急行殺人事件を知って以来、ミステリーの虜になってきた。日本に来て一番良かったことは、上質のミステリーが数多にあったことだ。
 だが不思議なことに、同類の趣をもつ仲間にあったことはなかった。それどころか、ミステリー小説が好きと言うと、決まって話が中断してしまうのだ。この国にはミステリー作家はいても、読者はいないのではないかと、本気で疑ってしまったほどだ。

 それが今は仲間がいる。

 冷めてしまったピザが無性に美味しく感じられた。

「真尋ちゃんは、東野圭吾さんの作品では何が好きなの?」

 私は手についたソースをペロリとなめると、そう聞いた。

「うーん、前に読んだのは確か……」

 真尋が読んでいたのは、アイドルによってドラマ化もされた作品だった。

「あれもそうだけどさ、東野圭吾さんの作品ってミステリーとかサスペンスの枠を越えて、なんていうか重厚な人間ドラマなんだよね」

 派手な雰囲気の千里の口から重厚などという言葉が出てくるのを聞くと、なぜだか頬がにんまりしてくる。
 
「わかる。パズル的な面白さよりも、人間の狂気や本質に踏みこんでるよね」
「東野圭吾さんって、多分頭いい人なんだろうなぁって思いながら読んでた」

 そう言って真尋が笑う。

「実際、頭はいいでしょ。確かバリバリの理系だったはずだよ」
「頭がいいといえば、名探偵界ナンバーワンの頭脳は誰だと思う?」

 そう言って、千里がいたずらっ子のような表情をする。

「頭脳かぁ……」
 
 頭の中に数多くの名探偵の顔が浮かぶ。

「二階堂黎人さんの作品に出てくる、水乃紗杜瑠さんとかかなぁ」

 私の感想に千里がニヤリとする。

「本当に~?イケメンだから言ってるんじゃないの」
「違うってば」

 まるで修学旅行のようなノリで笑い声が起こる。いや、間違いなく実際の修学旅行よりずっと楽しい。

「そういえば、貴之君はミステリーとか読まないの?」

 唐突に真尋が尋ねた。

「……ネットのはいくつか読む」

 この食堂にもう一人、男子生徒がいるのを忘れていた。
 
「ネット小説?さっきから熱心に見てるのはそれ?」

 千里が訝しげな顔で聞く。

「いや今見てるのはニュースサイトだよ」

 貴之の返答に思わず私は突っ込んだ。

「ニュースなんてどうせ今の時期、インフルエンザと野球くらいなんじゃないの?あとは芸能人の結婚とか」
「他にもおもしろそうなやつがいくつもあるさ。たとえば今夜ちょうどこの真上を流星群が通過する予定だとか、C国がミサイルの発射実験を行う予定だとかさ」
「流星群はともかく、ミサイルって……それって何がおもしろいの?」

 C国は日本の近くに位置する国だ。違法な核実験を何度も繰り返したり、ミサイルの発射実験も度々行っている。何も目新しい話ではない。
 貴之は私の方を向くと、目をパチパチと瞬かせた。まるで、自分だけが知っている秘密を教えてやろうか迷っているいたずらっ子みたいな顔だ。

「実は数年前から小遣いで株を買ってるんだ。こういうニュースを聞いたときに、次にみんながどういう行動を取るかを予測して、関連しそうな会社の株を買うっていうのはなかなか興味深いよ」

 まさか日本の高校生の口から、株取引なんていう言葉が出てくるとは思わなかった。
 だが報道と大衆心理の関連性を先読みするのは確かにおもしろそうだ。
 ある種、名探偵の推理に近いものがある。
 
「それで?その二つのニュースから、どんな大衆行動予測と企業への影響が考慮されるわけ?」
「そうだねぇ……例えばこんな推理がなりたつ。ミサイルが発射実験されるとしたら、世界情勢の不安定さが増すと人々は考えるだろう。そうしたら安全資産の金が値上がりする。金が値上がりすると、歯医者で使う金の詰め物も値上がりする。歯医者に行かないようにしようと人々は考える。そうすると……」

 貴之は私達を見回してから言った。

「歯磨き粉が売れる」

 ……そうなのかしら?
 何となくこじつけの気もしたが、あえて否定はしなかった。見れば真尋や千里もいささか腑に落ちない表情ではあるが、とりあえず頷いている。

「風が吹けば桶屋が~ってやつね。それより、私、ネット小説とか全然読んだことないんだけど、おすすめのがあったら教えてよ」

 千里の発言に貴之は肩をすくめた。

「いいよ。最近読んだやつを一つ紹介するよ」
 
 貴之が私達にスマホの画面を見せる中、真尋はふらふらと窓辺に近寄って行った。

「真尋は読まないの?」
「三人で一台のスマホ見るのきついかなぁって。それだったら噂の流れ星でも見ようかなぁって」

 いつの間にか、外はすっかり暗くなっていた。
 確かに真尋の言う通りだ。
 私と千里はおでこをくっつけあって、貴之から借りたスマホを覗きこんだ。貴之はどうやら一緒に読む気はないらしい。 
 ネット小説というから素人の投稿作品かと思ったが、作者は最近デビューしたばかりの人だった。名前に聞き覚えがある。確か大学院生とか言ってたっけ。
 窓を開ける音と、真尋の「どこなの?流星群、全然見えないよ~」と、貴之の「もっと上の方だよ。ちょうどここの上空だって」の声を聞きながら、私達は小説を読み始めた。
 作品は、『美しき名探偵、かく語りき』という題名だった。
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