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 年末になると、にわかに活気づく。
 寮生はもちろん、寮監の先生や寮母さんもみんな帰ってしまうのだ。
 私も去年、一昨年まではそうだった。
 実家に帰り両親や弟との再会を楽しみ、しばしの自由と怠惰を謳歌する。
 普段規則づくめの寮で暮らしているだけに、些細なこと、例えば夜中に起きてキッチンへ行きチョコアイスを食べるといった、ちょっとした背徳感を伴う行為もたまらなく甘美だった。
 だが今年はそれもない。
 在日アメリカ人ジャーナリストの父が、急遽仕事のために本国に帰ることになったのだ。母や小学生の弟もついていったために、帰る場所がないのだ。
 まさか生徒だけで冬を過ごすことになるとは思わなかった。
 私がいくらか憂鬱な気持ちで窓の外を眺めていると、突然声をかけられた。

「大丈夫?クレア君」

 振り向くと一人の背の高いハンサムな男性が立っていた。石刈雄也いしがりゆうや。聖獣奇学院高等部で数学を教えている教師であり、この高等部生のための寮、獅子寮の寮監の一人を務めている。
 その端正なルックスはマスク姿でもわかるほどであり、生徒、保護者を問わず注目の的だ。
 それもそのはず。実際に妹さんは女優として活躍しているらしい。
 もっともミーハーなところが全くない私は、石刈真子いしがりまこという名前くらいしか知らないけど。 

「石刈先生。ご実家にお帰りですか?」

 もし、彼女と過ごすと言われたらどうしようかと思ったが、それは無用な心配だった。

「ああ、妹も仕事が忙しくなりそうだし、家族で過ごせる時間はそうはないだろうからね」

 噂では石刈先生は、人前でもとあだ名で呼ぶほど妹を溺愛しているらしい。
 まあ多少シスコンでも、これだけのイケメンなら許されるだろう。

「そうですか。良かったです」
「ところで先ほどから少し気になっているんだが、君がつけているそのネックレス……」

 そう言って先生は私の胸元、カーディガンの上で揺れているペンダントを指差した。

「あ、これですか」

 私はペンダントをつまみ上げる。

「祖父が日本人から買取ったものをプレゼントしてくれたんですけど、もともとはロシアの王族が所持していたものらしいんです」

 石刈先生は少し眉をひそめた。

「まあ、寮にいる間はかまわないけど、少し豪華すぎるかな?ペンダントは服の内側にしまっておいたほうがいいかもね」
「わかりました」

 私は素直にそう言った。
 確かにこのペンダントは見た目は派手だ。金色の飾りのあしらわれた土台に、青いルビーがついている。ただし金色の土台の部分は純金ではなく、金色に着色した銅でできている。お金に困った前の持ち主が、密かに替えてしまったらしい。

「それじゃ、俺はもう帰るけど。今年は他に誰が残るんだい?」
「え~と……」

 私は全員の顔を思い浮かべながら答えた。といっても、残りは三人だが。

「同学年の真尋まひろさんと、貴之たかゆき君、それから千里ちさとさんです」
「そうか。まあ、明日の夕方には寮母さんも少し顔を出すと言ってたしね。とりあえず今日の夕食と明日の朝食は自分達でつくることになるけど、大丈夫なのかな?」
「いえ。レトルトのピザが冷蔵庫にあるので、それを食べようって言ってます」
「なるほど」

 石刈先生は苦笑いすると続けて言った。

「まあ、あまりはしゃぎすぎないようにね」
「大丈夫ですよ」

 別に同じクラスでもない。そこまで仲がいいわけでもないので。そう言いたいのを飲み込んで、石刈先生にさよならを告げた。

「妹さんによろしくお伝え下さい」
「ありがとう。もみんなによろしく伝えて」
 
 ……クレアっちですって?
 私まであだ名で呼ばれるようになったこと、果たして光栄に思うべきなのか……
 イケメンの教師が去ると私はため息をついた。

 小学校まではアメリカで暮らしていた。その後、父の仕事の都合で日本に来たのだ。日本人の母に教わっていたため日本語の問題はなかったが、日本の習慣や日本人の態度には今だに慣れない。
 特に私のような、いわゆるハーフに接する時の、彼らの露骨に好奇心を出した態度には戸惑ってしまう。たとえ、それがルックスに対するポジティブな感想であったとしてもだ。
 一つ忘れられない出来事がある。
 高校に入学して二週間が経った頃だ。英語の授業の一貫としてクラスのみんなの前で、ちょっとしたスピーチをするように頼まれた。
 私が題材に選んだのは、『先進国の宇宙開発と、それに伴うスペースデブリの増加』だった。アメリカでは結構注目されているネタだけに自信はあった。文字通り遠い世界の話ではあっても、その影響は身近なところに出てくる。きっとみんなも楽しんでくれると思っていた。  
 それが……
 クラスメート達のキョトンとした、いや、視線は今思い出してもいたたまれなくなる。

「何言ってんだ?このハーフの女は」
「かっこつけてダサッ」
「アメリカじゃないんだからさぁ。もっと分かりやすいネタにしてよ」
 
 そんな声が聞こえてきそうだった。
 あれ以来私はいつも、殻に閉じ込もっている。決して心は許さない。本心は見せない。
 石刈先生はそんな私をずっと励ましてくれた。

「僕も妹がアイドルとして活動していたせいで、子供の頃からからかわれたりもした。やっぱりつらかったし、苛立たしかったよ。でもね、一つ決意していることがあるんだ。それは絶対に負の感情に流されないってこと。そうすれば、自分が楽になるだけじゃない、周りを変えていくだってできる。だから君にもそうであってほしい」

 その言葉は、この高校に入ってから今日までの2年とちょっと、私に力をくれた。
 いつも見守ってくれている人がいるというのは、なかなか心強い。
 私は窓の外に目をやった。塀の向こうには寒々とした野原が広がっている。
 聖獣奇学院高等部の寮、その名を獅子寮は街からかなり遠くにある。車の免許がないと街へ行くのはかなり厳しい。高校はすぐ隣なので通学には便利だけど、はっきり言って陸の孤島、監獄生活のようなものだ。
 一人一部屋の個室が与えられているのは嬉しいが、起床時間から就寝時間、清掃の当番、食事の席まで決められているのには辟易する。日本人は学生と囚人を混同しているんじゃないかしら。

 夕食の時間になって、食堂に向かった。この獅子寮は、見た目は豪奢だが中はやたら狭っ苦しいつくりになっており、体育館ほどの広さの食堂には、長テーブルと椅子が窮屈そうに押しこまれている。
 すでに残りの三人は席について待っていた。聖獣奇学院では、やけに凝ったデザインのスーツタイプの制服がある。しかし今は(当たり前だが)三人とも私服だった。

「ごめんなさい。遅れて」
「大丈夫よ。今ピザを温め終わったところだから」

 そう言ったのは、真尋だ。飾りっ気のないシャツにジーンズという姿だが、小さくまとまった顔立ちにウェーブを描いた髪型がどこか仔猫のような可愛らしさを感じさせる。

「クレアさんだっけ?お父さんがアメリカ人なんだっけ?」

 ズバリ聞いてきたのは千里だった。派手に染めた髪と太ももがあらわなミニスカートに目がいくが、それがまたよく似合っているうえに、白い陶器のような肌とキレイな顎のラインがどこか落ち着いた大人の雰囲気を感じさせる。

「うん。父はジャーナリストなんだけど、急にアメリカに帰ることになって、それで……」
「そうなんだ」

 千里はそっけなく肩をすくめた。
 残りの一人、唯一の男性、貴之は熱心にスマホをみている。制服のズボンとシャツという格好だ。なかなかの高身長で涼し気な顔立ちだが、飾りっ気がまるでないので、無味乾燥な雰囲気がある。

「ピザの具は何なの?」
「えーと、テリヤキとマルゲリータね」

 会話は続かず、私は席につくと、真尋が取り分けてくれたピザにそっと手を伸ばした
 食事が終わったら、早々に居室に戻ることになりそうだ。
 真尋と千里はタイプこそ違えど、いやむしろタイプが違うからこそなのかもしれないが、二人ともそのルックスから学校内にかなりのファンがいるらしい。お互いをライバル視している、のかどうかは知らないが、あまり打ち解けて話す仲ではなさそうだ。流石にここで角つき合わせるようなまねはしないと信じたいところだ。
 私はとりあえず早く食べ終えようとピザを口いっぱいに頬張ったが、飲み込むのにはかなり時間がかかり、みっともなく口をモゴモゴさせただけだった。
 見れば、あとの三人もあまり美味しそうに食べている感じではない。
 実際にはかなり美味しいピザだったが、なんだかバサバサにしけったクッキーのような雰囲気でみんな口に運んでいる。

「なんかミステリーでも買っておくんだったな」

 ボソリ。
 千里の突然の発言に、私は顔をあげた。

「今なんて?」
「え?ああ、ちょっと本でも買っておけばよかったなぁって……」
「も、もしかして千里さん、ミステリーとか読むの?」
「え?ああ、うん、ひょっとしてクレアさんも?」
「大好き」
「わー!嬉しい!」
 
 千里の屈託のない笑顔につられ、私も自然と微笑む。

「ミステリーって、東野圭吾とか?それならドラマの原作で私も読んだことあるよ」

 なんと驚いたことに、脇からニコニコ顔の真尋も会話に加わり、一気に食堂は華やかな雰囲気になった。
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