聖女の如く、永遠に囚われて

white love it

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美女の思い出

4.

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 その後、伊藤一正については特に目新しい情報もなく、話は幸子たちが持ってきたカステラへと移った。
 良子の父、守は幸子について色々と聞きたそうな様子だったが、結局終始ニコニコとしていただけだった。
 幸子が「そろそろ……」といって立ち上がると、恵も立ち上がった。

「今日は、お話できてよかったです」

「私のほうこそ。恵先生は、今日はこのあとどうされるのですか?」

「こちらに泊めていただき、明日帰ることになっています」

 恵は守たちと一緒に、玄関まで幸子たちを見送った。
 その途中で、ふと何かを思い出したかのように足を止めた。

「そういえば……」

「どうしました?」

 幸子たちも足を止める。

「いえね、思い出したんです。四年ほど前に、一度だけT都大学の近くで伊藤くんを見たことがあったんです」

「え? それは、本当に彼だったんですか?」

「間違いないと思います。歯医者さんに入っていくところでした。ただ声をかける間もなかったので、私も今まで忘れていたんですけど」

「歯医者……」

 幸子は顎に手をやった。少しの間何かを考え込んでから、口を開いた。

「もしかして伊藤一正は、歯並びを直しているのではないですか?」

 和人は伊藤の歯並びを思い出していた。真っ白で、きれいに揃ったハリウッドスターのような歯並びだったのを覚えている。

「ええ。昔はあそこまできれいではなかったと思います。右の上が少し八重歯気味…… あら? 左だったかしら? よくは覚えてないですけど、確かに今の彼は、歯列矯正しているのは間違いないと思います」

「そのための歯医者だったのかな?」

 隣でゆきが首を傾げる。
 幸子は、分からないというように首を振り、その話はそれ以上しなかった。
 幸子は車に乗る前に、もう一度恵に頭を下げた。

「これからも、頑張ってください」

「幸子さんも……」

 言いかけて、恵は口を少しつぐんだ。

「お身体に気をつけて」

「はい」

 車が走り出してしばらくすると、ゆきが口を開いた。

「特に目新しい情報はなかったね~」

「うん。でもまあ、伊藤が今買いたいものを買えるようになって、良かったなぁって思うよ」

「お兄ちゃん、甘すぎ。もしかしたら犯罪者かもしれないんだよ」

 幸子が口を挟んできた。

「ちょっと寄り道をしてもいいかな」

 幸子は前を見たままだった。
 その口調が、柄にもなく少し寂しげだったので、和人とゆきは思わず顔を見合わせた。

「かまわないけど、どこに行くんですか?」

「あの恵先生の話を聞いていたら、寄りたくなったの」

 幸子は場所がどこかはいわなかった。
 ただ車は、町を抜けた小高い丘の中へと入っていった。もちろん、良子の実家があるM村とは違う。本当の意味での田舎ではない。一見森の生い茂る山のように見えても、実際に中に入れば、木々が植わっている丘というだけということは、すぐに分かるし、そこを少しぬければ、またごく普通の町並みが広がっている。
 ただ木々が陽光を様々な明るさで反射させている中を走っていくと、和人はある種の神秘的な美しさをそこに感じた。自然の織りなす万華鏡を覗き込んでいるかのような。

「ここだ」

 幸子は車を止めた。
 丘の中腹で、道路の脇にいくらかの空き地が広がっていた。

「ああ、ここ」

 幸子は力ない声で一箇所を指差した。コンクリートの固まりが積み上がっている。もっともコンクリートの大半は崩れ落ちており、正確には残骸が残っているだけだった。

「昔、大戦当時、ここに軍の病院があったのよ」

 和人もゆきも初耳だった。

「病院といっても、もう治る見込みのない負傷兵を置いとくための場所だったが」

 幸子の口調は抑揚のない、ぼんやりとしたものだった。

「あの先生の話を聞いたら、ここに来てみたくなった」

「もしかして、前に来たことがあるんですか?」

「昔、一度だけ、母と一緒に負傷兵のお見舞いに。手や足のない、そもそも身体のほとんどが残っていない兵士たちもいたっけ。果たして、私が来ることが見舞いになったのかは分からない。たぶん、何にもならなかったんだろうな」

 幸子の言葉はだんだん小さくなっていった。

「風の噂では終戦後に、病院は閉鎖されたらしい。傷病兵たちがどうなったかは、知らない。知る必要もないと思っていた。伝える必要も。だが、それは間違いだったかもしれないと、最近思う」

 幸子の立ち位置は、ちょうど陽の当たらないところだった。そのため、幸子の顔は影に覆われていた。
 え?
 和人は目を疑った。
 幸子のその顔は、和人の目に……

「幸子さん、大丈夫?」

 ゆきが一歩近づいた。
 真剣な顔で、そっと手を差し出す。
 幸子は少し黙っていたが、すぐに声に張りが戻った。

「大丈夫。ありがとう、ゆきちゃん。最近、どうもセンチメンタルになってしまったわね。年のせいだな、きっと」

 幸子はまた車に戻った。
 和人やゆきを家まで送り届けると、「何か進展があったらまた連絡するから」とだけいって帰っていった。
 玄関で靴を脱ぎながら、ゆきが話しかけてきた。

「お兄ちゃん、さっきの幸子さんの顔見た? あの病院の跡地で思い出語りしてたときの」

「うん」

 あの顔、まるで……

「一瞬、本当に老婆に見えた。シワだらけでシミだらけのお婆さんに。今にも折れそうなほど腰を曲げて」

 え?

「もちろん、本当に顔が変わったわけじゃないと思うけど。すぐにいつもの美人の幸子さんに戻ったし」

「あ、ああ」

「何だったのかな?」

「そんなの、分かるわけないだろ」

 和人はいえなかった。
 和人の目に、幸子は老婆ではなく、別の姿に見えたことに。
 それはまだ年若い、痩せて、長い黒髪を震わせ、涙に濡れた目だけを爛々と光らせ、凍えるように身をすくめた一人の少女だったのだ。
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