8 / 78
事件のはじまり
6.
しおりを挟む
「結局、伊藤一正は逮捕されなかったのだ」
孝之がそう言い、和人は思わず声をあげた。
「え? なんでですか? 顔を見てたのに」
香菜が横目で孝之をちらりと見ながら、口を開いた。
「アリバイがあったのよ。男がこの家に侵入した時間は夜の二時過ぎだったの。それは確かよ。時計を見たし、そのあとすぐに来た警察も時間を確認してるから。でも丁度その時間、伊藤一正はO県内のコンビニにいたの。監視カメラにはっきりと映っていたのよ」
O県はここからはるかに南、九州よりも南に位置する。行こうと思ったら飛行機を使わざるをえない。往復するとしたら一日がかりになるだろう。
「だから、警察の人は、おじいちゃんたちが見間違えたんじゃないかって」
良子がそう言うと、孝之はイライラした様子でふんと鼻を鳴らした。
一方、妻の香菜は落ち着いた態度だった。
「一人ならともかく、私もはっきりと見ているんだし、見間違いとは思えないのよね」
幸子が黙ったまま手元のお茶を見ているので、しかたなく和人がかわりに質問することにした。
「たとえば、別人がゴム製のマスクを顔に着けていたということはないですかね? 最近は3Dプリンターで、そういうものも比較的簡単に作れるみたいですけど」
「実は警察も、その線を考えたの。それで実際にゴム製のマスクを被った人を見せてもらったんだけど、もう一目瞭然なのよね。だって視線とか、表情とか、顔のしわとかあまりにも不自然なんだもの。あれで間違えるわけないわ」
香菜はそう言って苦笑した。
「コンビニの店員さんにも、一応確認したみたいだけど、向こうも、やっぱりマスクを被っていたとは考えられないって」
「そっか……」
和人はちらりと横目で幸子を見たが、まだ口を開く様子はない。
「だが私ははっきりと見たんだ。あいつの顔を。あれは間違いなく……」
「はいはい。あなた、分かってますよ」
孝之は、自分の証言が信じてもらえなかったことに、憤懣やる方ないといった様子だった。自分の頭はまだまだしっかりしていると言いたげだったが、どうにも肩に力が入っていて、見ていて危なっかしい。妻の香菜も年齢はそう違わないと思われるが、よっぽど柔軟で若々しく感じられる。
「その伊藤一正とは何者なのですか?」
和人が聞いたが、孝之がなかなか口を開かなかったからか、良子が答えた。
「この近くにちょっとした山があるんだけど、その山を丸ごと買い取って、その中に建ってる家に一人暮らししてるの。遠くからでも、その気になれば家は見えるわ。職業はプログラマーらしくて、まだ三十歳くらいなんだけど、その世界じゃ結構有名だって、うちのお父さんが言ってたわ」
「山奥に住むプログラマーか…… でも考えてみれば、今はネット環境も発達してるし、オンラインでの会議なんかもあるから、フリーのプログラマーだったら、そうやって一人暮らししながらでも働けるよね」
「うん。それに家って言ったけど、もとはどこかの新興宗教団体が建てた施設らしくて、それを改良したらしいから、実際はオフィスビルや会社の寮を小さくした感じかな」
「でもさ、そもそもそのフリーのプログラマーは、何で孝之さんを襲ったりしたのかな?」
「それは……」
良子が口ごもり、香菜の方を見た。
香菜は少し口を真一文字に結ぶと、大きく息を吐いてから話しはじめた。
孝之がそう言い、和人は思わず声をあげた。
「え? なんでですか? 顔を見てたのに」
香菜が横目で孝之をちらりと見ながら、口を開いた。
「アリバイがあったのよ。男がこの家に侵入した時間は夜の二時過ぎだったの。それは確かよ。時計を見たし、そのあとすぐに来た警察も時間を確認してるから。でも丁度その時間、伊藤一正はO県内のコンビニにいたの。監視カメラにはっきりと映っていたのよ」
O県はここからはるかに南、九州よりも南に位置する。行こうと思ったら飛行機を使わざるをえない。往復するとしたら一日がかりになるだろう。
「だから、警察の人は、おじいちゃんたちが見間違えたんじゃないかって」
良子がそう言うと、孝之はイライラした様子でふんと鼻を鳴らした。
一方、妻の香菜は落ち着いた態度だった。
「一人ならともかく、私もはっきりと見ているんだし、見間違いとは思えないのよね」
幸子が黙ったまま手元のお茶を見ているので、しかたなく和人がかわりに質問することにした。
「たとえば、別人がゴム製のマスクを顔に着けていたということはないですかね? 最近は3Dプリンターで、そういうものも比較的簡単に作れるみたいですけど」
「実は警察も、その線を考えたの。それで実際にゴム製のマスクを被った人を見せてもらったんだけど、もう一目瞭然なのよね。だって視線とか、表情とか、顔のしわとかあまりにも不自然なんだもの。あれで間違えるわけないわ」
香菜はそう言って苦笑した。
「コンビニの店員さんにも、一応確認したみたいだけど、向こうも、やっぱりマスクを被っていたとは考えられないって」
「そっか……」
和人はちらりと横目で幸子を見たが、まだ口を開く様子はない。
「だが私ははっきりと見たんだ。あいつの顔を。あれは間違いなく……」
「はいはい。あなた、分かってますよ」
孝之は、自分の証言が信じてもらえなかったことに、憤懣やる方ないといった様子だった。自分の頭はまだまだしっかりしていると言いたげだったが、どうにも肩に力が入っていて、見ていて危なっかしい。妻の香菜も年齢はそう違わないと思われるが、よっぽど柔軟で若々しく感じられる。
「その伊藤一正とは何者なのですか?」
和人が聞いたが、孝之がなかなか口を開かなかったからか、良子が答えた。
「この近くにちょっとした山があるんだけど、その山を丸ごと買い取って、その中に建ってる家に一人暮らししてるの。遠くからでも、その気になれば家は見えるわ。職業はプログラマーらしくて、まだ三十歳くらいなんだけど、その世界じゃ結構有名だって、うちのお父さんが言ってたわ」
「山奥に住むプログラマーか…… でも考えてみれば、今はネット環境も発達してるし、オンラインでの会議なんかもあるから、フリーのプログラマーだったら、そうやって一人暮らししながらでも働けるよね」
「うん。それに家って言ったけど、もとはどこかの新興宗教団体が建てた施設らしくて、それを改良したらしいから、実際はオフィスビルや会社の寮を小さくした感じかな」
「でもさ、そもそもそのフリーのプログラマーは、何で孝之さんを襲ったりしたのかな?」
「それは……」
良子が口ごもり、香菜の方を見た。
香菜は少し口を真一文字に結ぶと、大きく息を吐いてから話しはじめた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』
M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。
舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。
80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。
「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。
「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。
日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。
過去、一番真面目に書いた作品となりました。
ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。
全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
それでは「よろひこー」!
(⋈◍>◡<◍)。✧💖
追伸
まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。
(。-人-。)
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる