風と階段

伊藤龍太郎

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なぜか花粉症の話で盛り上がっているダイニングの3人を余所に舞華はどんなに『トマトを使わない料理』を作ろうか迷っていた。
「トマトパスタを作る気でいたからな~。どうしよう。」舞華は台所に並べた食材をじっと眺めてコレだ!と閃くとすぐに調理に取り掛かった。

20分後、両手に皿を持った舞華がダイニングに姿を表した。「お待たせ~。今日はトマトパスタからペペロンチーノに変更しました。」美奈と武中の前に置かれたペペロンチーノはプロが作ったのかと錯覚してしまうほど美しかった。
その美しさに武中は思わず「すごい」という感嘆の声を漏らしてしまった。
舞華はすぐに武琉と自分の分を持ってきて配膳をした。舞華が席につくと4人で同時に食べ出した。顔ぶれは少し違うが
久しぶりにダイニングの椅子が満席となった。武中はペペロンチーノをクルクルとフォークで巻いて口に入れるとすぐに
「うんめぇ」といつもに似合わない低いトーンで呟いた。そして少し興奮気味に「牧田さん。これ、店出せますよ!っていうか、お二人ともこのレベルの料理を毎日食べてるんですか?羨ましい~!」
と1人で壊れたラジオのように喋り続けた。「なんか、やけに饒舌だな。」武琉がつっこんだ。
美奈は「自分は生まれてからずっと舞華の手料理を食べているため、これが当たり前だと思っていたが、他の人が食べたらこんなに目を輝かせるほど絶品なんだなぁ。」と新鮮な気持ちになった。
あまりにもスムーズに皿に盛った料理が減るので、舞華は「あれほど時間をかけて考えて、作ったのにこんなに一瞬でなくなってしまうんだ。」と思ってしまう一方で、食べる人の笑顔を見るとそのようなことはどうでも良くなり、病みつきになってしまうのだ。
「ごちそうさまでした。牧田さん。本当に美味しかったです。」武中の邪念が無くなったような顔を見ると舞華も思わず笑顔になってしまう。武中は皿をキッチンの流し台に運ぶと「そろそろお暇させていただきます。」とかばんを持ちながら言った。
「じゃあ、俺も駅まで送ろうかな。」と立ち上がる武琉を制して「いや、大丈夫です。武琉さんについて行こうとしたら、また走ることになるだろうし、食後だから脇腹が痛くなりそうですから。」
「あのな、こっちも食後なんだ。しかも、後輩と言っても一応お客様なんだ。
ほったらかしで1人でそそくさと行ってしまうほど俺は落ちぶれてないんだよ。」と自慢げに言う武琉に「さっき僕を置いて行ったくせに。」とボソッと言った。今度は武琉の耳がそれを拾って
すぐに「なんか言ったか?」と牽制した。武琉の表情は恵比寿様のようだったが、彼の背後にメラメラと燃える大火のようなオーラを感じた武中はすっかり恐縮してしまい、「なんでもないです。」
とさっきまでのご機嫌な感じはすっかりと消えてしまっていた。
「ほら、早く行くぞ。」武琉はそばに置いていたパーカーを素早く着てから武中を急かした。
武中は武琉と共に玄関先まで出ると一度振り返り、中で待っていた美奈に「それでは、来週からよろしくお願いします。」と軽く会釈すると「こちらこそ、よろしくお願いします。」と美奈もそれに応じた。防護メガネとマスクをした武中を見て美奈はこれから何かの実験でも行われるのだろうかと思った。
「それでは失礼します。」武中は武琉の引率のもと2人の待ち合わせ場所だった駅を目指して歩いて行った。
武琉はしばらくの間、室内で行っていた通りゆっくりと武中に合わせて歩いていたが、5分もすると徐々にペースが速くなっていき、次第に武中との距離は行きと同等もしくはそれ以上にまで広がっていった。しかし、駅が見え始めた頃になると武琉は一気に減速し、武中は歩いたまま武琉に追いつくことができた。
「牧田さん。どうしたんですか?なんだかんだで徐々に僕との距離を離して行ったのに、急に減速したじゃないですか?」すると武琉は「脇腹が痛い。」と脇腹をさすりながら答えた。
その答えに武中は思わず吹き出しそうになった。しかし、吹き出したら何を言われるかわからなかったためギリギリで堪えた。「駅はすぐそこなので、もう少し頑張りましょ。」となぜか武琉は武中に激励されていた。「しょーがねーなー。もう少し頑張るか。」と武琉は背筋をピンと伸ばした。もうこうなってしまってはもともとの趣旨はどうでもいい。とばかりに武琉は再び歩き出した。もちろんゆっくりと。武中もそれに付き添うようにゆっくりと歩いた。
駅に着くと武琉はすぐにベンチに腰掛けた。武中はそんな武琉に「すみません。僕のために。それでは、来週からお願いしますね。」と言い残すと武琉の返事も待たずに改札を通って行った。
その場に残った武琉も早く帰ろうと思ったが、脇腹の痛みが和らぐまでベンチに腰掛けたまま時を過ごした。その姿は側から見ると『待ち合わせ時間になっても現れない友達を延々と待っている人』のように草臥れていた。

その頃美奈は自分の部屋に戻って勉強のプランを考えていた。
「国語は山根先生、世界史は武中さんがいる。まぁこの2人に甘えてちゃダメだけど。とにかく英語は自力でやらないと。よし、英語だ!」
美奈は問題集を開いた。まずは立澤大学よりも若干レベルの低いところの過去問を解いてみた。先生に頼んで学校にある大学の過去問を貸してもらったのだ。
大学名は『江階学院大学(えしながくいんだいがく)」だ。
現時点で江階学院のテストで8割を取らないといけない頃だ。美奈もそのことをしっかりと理解しているため、レベルが低いからと言って手は抜かない。むしろ定期的に受験している模試と同じくらいもしくはそれ以上に力を入れて解いていった。
時間いっぱい解いた美奈は自己採点をした。その結果、目標の8割を超える8割5分即ち100点換算すると85点だった。
美奈は想像以上に出来が良かったので小さくガッツポーズをした。しかし、これで満足してはいけないとすぐに思い直して補強を進めていった。

美奈が水分補給をするために1度リビングに戻ったときガチャっと玄関のドアが開き、武琉が帰ってきた。
「おかえり。遅かったね。何してたの?」美奈は麦茶を飲みながら聞いた。
「休んでた。なんか途中からだんだん脇腹が痛くなってきて。やっぱり食後すぐに運動するのは良くないな。」武琉は笑い話にした。美奈も武琉に合わせるように笑った。「手を洗ってくるね。」武琉は靴を脱いで、洗面所に行った。
美奈もコーヒーブレイクならぬ麦茶ブレイクをした後はすぐに自分の部屋に戻って、勉強を再開した。
次の日も美奈は問題演習に取り組んだ。
しかし、昨日と違う点が2つある。
1つ目は、教科が英語ではなく国語であるということ。
2つ目は、1人で行うのではなく山根がいるということ。いると言っても、リモートで繋いでいるだけなので物理的には1人なのだが。
山根の指導を受け始めてから徐々に受講の頻度を上げている。特に京介が亡くなってからは週1から週2に増やしている。1日は平日の夕方学校から帰った後、もう1日は土日のどちらかにと言うような感じだ。山根とテレビ電話を繋ぐためのパソコンは京介が生前使っていたものをそのまま引き継いでいる。
「じゃあ美奈さん。もうすぐでゴールデンウィークです。今年のゴールデンウィークは少し短いですが、その期間でどれだけ実力をつけることができるのかが重要です。一歩でも合格に近づけるようにいっしょにがんばりましょう。」山根は画面越しに美奈へ語りかけた。
「はい。あ、先生ご相談したいことがあります。」
美奈は山根に言った。
「来週から世界史を教えてくれる方が来てくれるんです。来ると言っても、先生と同じリモートなんですが。
そこで、一つご相談なのですが、現在土日のどちらかに置いている講義の枠を平日の夕方に移動することはできませんか?」
「つまり美奈さんが言っていることは、
両日共に平日にしてほしいってことね。」山根は確認の意味も込めて美奈に聞いた。「はい。そういうことです。」
山根は考える間もなく「全然大丈夫よ。」と答えた。
「それじゃあ、そろそろ始めるわよ。
今日は問題集の59ページをやりましょう。」

山根の講義が終わった後美奈は5分ほど休憩したのち、復習を始めた。
これも京介から教わったことだ。
美奈が京介の指導を受け始めてから1ヶ月ほどたったころ。京介に言われた。
「美奈、いいか。『鉄は熱いうちに打て』ということわざは知っているな?
これは勉強にも言えることなんだ。
どういうことかというと、頭に入った内容もそのあと使わなかったらすぐに忘れてしまう。でも、復習をすればある程度は覚えている。魚でいうと、釣り上げたら鮮度を保つために出来るだけ早く血抜きをするみたいなことだな。だから、復習は忘れずにやろう。」
美奈は、事あるごとに京介のことを思い出す。それだけ、美奈にとって京介という存在は『兄』という家族関係だけにとどまらず、美奈自身に大きな影響を与えた人物なのだ。
美奈はすぐに頭を切り替えて復習に勤しんだ。

復習を終えた美奈がスマホを手に取ると
優佳からメールが来ていた。
「明日は学校に来る?」美奈はすぐに「行く。」と返したが、実際は優佳に言われるまで明日月曜日だということを忘れていた。京介が亡くなってから忌引きを含めてずっと休んでいたため、曜日感覚がなくなりかけていたからだ。
すると「美奈、ご飯できたよ!」という舞華の声が聞こえたので、美奈は手に持っていたスマホを置いて部屋を後にした。
ダイニングに着くとテーブルには、焼き餃子が並んでいた。丸い大皿の底を埋め尽くすように乗っている餃子の美しさは
食べるのがもったいないと思わせるほどだった。
先に座っていた武琉に気づいた美奈は「もう脇腹の痛みはいいの?」とすこし揶揄うように聞いた。しかし、当の本人は「脇腹?なんの話だ?」とすっかり忘れたようにとぼけている。
またコレか。と武琉の答えにうんざりした美奈は話を変えた。
「私、お兄ちゃんが亡くなってからずっと休んでたけど明日から学校に行く。」
しかし、反応はとても薄かった。「そう。」舞華が短くリアクションをしたきり一切のリアクションがなかった。
「え、なんかリアクションが薄くない?」「だって、私たちからすればやっと行くんだ。っていうくらいだから。
だいたい、小学生じゃあるまいしいちいち大きめのリアクションをしてたら疲れる。」舞華はなんの躊躇もなくグサグサと言葉を美奈に向かって突き刺していった。
不穏な空気を察した武琉は、なんとか話を変えようと話しかけた。「早く、食べよう。餃子は冷めたらあんまり美味しくないからな。」
武琉は小皿の上に酢と胡椒を絶妙な配分で混ぜると「いただきま~す。」と言って餃子を箸で掴み、酢胡椒をつけると勢いよく口の中に放り込み、「うんめぇ」と聞いたことがないほどの低音ボイスでつぶやいた。淡々と食べ進めていく武琉を見て舞華と美奈も餃子を食べ始めた。

餃子が大皿の上から消える頃には食卓を包んでいた不穏な空気はどこかへ行っていた。美奈は最後の1つを口に入れると茶碗に残っていた米を続けて放り込んだ。あまりの美味しさに美奈の口角は緩んだ。そしてその餃子と米を飲み込むと
「ごちそうさまでした。」と食器を流し台に運び、茶碗に水を入れた。

美奈は自分の部屋に戻ると次の日の用意を始めた。授業の時間割は個別に配布されているため、それに沿って準備を進めればいい。
準備が済んだ美奈は歯磨き等のやるべきことをテキパキとこなすとすぐに寝た。
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