その城の庭には人魚が住んでいる

深川ねず

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 町へと向かう馬車の中で、キースは内心頭を抱えていた。

 またも浮かれていた。浮かれすぎていた。

 彼女があまりにも去年のままで、自然で、そばにいて穏やかにいられる可愛らしい人魚のままだったから。

 つい離れがたくなって、誘ってしまった。

 婚約が目前だと言うのに、婚約者以外を食事に誘うなんて、リディアに対してあまりにも酷い裏切りだ。しかもフェリシアは友人だから心配をかけて申し訳ないと謝罪した、ほんの数時間後の行動だ。あまりにも不誠実である。

 それでも。

 隣に座る、馬車の窓から身を乗り出しそうになって外を眺めているフェリシアに、そっと視線を向ける。

 外に真新しいものが見えるたびに歓声を上げる姿が可愛らしくて仕方ない。

 振り返って「あれは何!?」と聞かれて、どれだろうと体を近づけると先ほど嗅いだ甘い香りがして体が熱くなる。

 しどろもどろに教えてあげると嬉しそうにお礼とともに笑顔を向けられて、体がぽかぽかと暖かくなる。

 これが、この暖かさが幸せというものなのだろう。

 彼女が去ったらもう二度と味わうことのできない暖かさだろう。

「……お魚、楽しみだね」

「うん、とっても! デザートも楽しみなの!」

 いつか彼女が帰ってしまう、その日まではこの笑顔を素直に受けとめていたかった。





 王都の中央通りはいつでも賑やかだ。夕食時だからか、すでに酒が入っているのだろう男達の豪快な笑い声が軒を連ねる店々から聴こえてくる。
 これではリディアを連れてくるわけにはいかない。男達の大きな声で怯えさせてしまうだろう。
 しかしフェリシアは興味津々な様子で店の中を覗き、飲食店だけではなく服や装飾具、お菓子屋なんかにもキラキラした目を向けていて、密かに安堵していた。

 通りを幾らか歩くと公園に出た。ここには一年を通して露天が多く並び、店よりも安価なものが売られている。それらにもフェリシアはいちいち目を向けて、あれはなに? とキースに尋ねてきた。

 全てが真新しいのだろう人魚は、一つの露店に目を止めた。

「タイシ、あれはなに?」

「あれは、ランプだね」

 フェリシアが指差す先にあるのは、色とりどりのガラスで飾られたオイルランプの露店だ。実用品ではなく、部屋のインテリアとして使える程度のものだが、ガラスにはさまざまな飾りがつけられて可愛らしい。

「いらっしゃい!」

 歩行者が足を止めたのを幸いに、店主が声をかけてきた。

「これはあなたが作ったの?」

「そうだよ。うちはガラス工房だからね。言ってくれりゃあ、お姉さんの好みの色と形で仕上げてやることも出来るよ」

 若い店主はフェリシアを見て目を見張り、頬を赤くして客として以上の愛想を顔に浮かべている。

 特別に、とわざとらしく付け加えたその熱心さに少し苛立つ。
 フェリシアの姿を無遠慮に見つめる目が不愉快だった。

「こっちはお姉さんの友達?」

 ようやく気が付いたのか、店主はキースへとちらりと目を向けて、すぐにフェリシアへと目を戻した。手も繋いでいないキースと綺麗なフェリシアの関係が気になったのだろう。

「ええ、そうよ。とっても仲良しなの」

「へぇ! じゃあさ、ランプを買ってくれたら特別に配達してやるよ。お姉さん、外国の人だろ? どこに宿を取ってるんだい?」

 キースの不機嫌な瞳を馬鹿にしたように店主は熱心にフェリシアを口説きにかかった。

 お姉さんみたいな美人が街にいたら知らないはずないからさぁ! と上機嫌である。

 ──そこまで言うなら城まで配達に来させてやろうか?

 などという嫌がらせを企むも、フェリシアは店主の口説きなど聞いていなかった。

「こんなの初めて見た」

 桜色の瞳は並ぶランプのいくつもの拙い灯りを映して輝いている。

 海に住む人魚にとって火は馴染みのないものなのだろう。魔王様の城にもランプはあったが、色ガラスで飾ったものはなかった。

 フェリシアはランプのうちの一つ、雫のような形のガラスに淡い青のグラデーションが施されたものを手に取った。上に掲げてそのグラデーションをじっと見つめ、キースへと瞳を映す。

「これ、すごく綺麗ね」

 キースの顔の近くにランプを持って行き、満足気に微笑む。

 その笑顔に、店主への苛立ちはあっという間に霧散した。

 霧散したが、同時にそわそわと落ち着かなくなる。

 ──どうして僕の目と同じ色のを気に入ったんだろう。

「ねぇ、これ買ってもいい?」

 慌ててプレゼントするよと言おうとしたが、フェリシアはポケットから革の小袋を取り出した。

「この中にね、お金っていうのが入ってるのよ!」

 なぜだか声を顰めて小袋を指差すフェリシアは嬉しそうだ。

「……魔王様からのお小遣いかな?」

「そうなの! 好きに使っていいんだって。使い方も聞いてきたのよ。ええっと……おいくらですか!」

 習った言葉をそのまま使ったような勢いで、フェリシアは店主に向き直った。

 ワクワクと返事を待つフェリシアにほんの少し訝しげに首を傾げるも、店主は、お姉さんならいくらでもおまけしてやるから泊まってる宿を教えてよ、と執拗い。

 教わった返し──恐らくは値段だ。──を言ってくれない店主にフェリシアはおろおろと困ってしまっている。

 言葉をなくしたフェリシアが大人しそうに見えたのだろう店主の手がフェリシアへと伸びた。

「この辺りなら翡翠猫の宿屋かな? 綺麗に磨いて届けてやるからさ──」

 その手を遮って、硬貨を目の前に叩きつけた。

「釣りはいらない。取っておいてくれ。──ああ、それは配達してくれるんだったね? なら白蓮宮に頼むよ。侍女にでも預けておいてくれたらいい」

「……はぁ? えっ……あれ、白蓮って……?」

 言われたことの意味を理解できていない店主を置いて、フェリシアを促して店から離れた。





「タイシ、わたしもさっきのやつやりたい!」

「え?」

 ──さっきのって?

 溢れかえる苛立ちに頭が支配されて咄嗟に思いつかないキースの目の前で、フェリシアは硬貨を小袋から取り出した。

「釣りはいらない! ってやつ!」

「…………」

 目をランプを見ていた時よりも輝かせたフェリシアを前にして思う。

 ──こうして変な言葉を覚えていくんだろうなぁ……。
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