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第一話 Killer Likes Candy
PULL THE CRTAIN 7
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「どこで間違えたのか……」
劇場内に響き渡る自嘲的な謳、ヴィンセントが呟く歌声は、蝉の鳴き声よろしく静寂で満たされている空気を伝う。バルコニー席込みで千人は収容可能な劇場、彼はその舞台上に立ち客席を見渡していた。静かだ、夜の森のように。
右手の指先が銃把で刻むアルペジオ。主演の到着を待っているヴィンセントは、ふとこの舞台に相応しい題名を思いついた。
赤ずきん。随分と血生臭いおとぎ話だが、物語というものは大抵が後ろ暗いもので、大っぴらに語られるのは都合良く改変された、耳さわりのよい話ばかりだ。ヴィンセントは物語の順を追いながら自分の配役を考えてみる。
そもそもあの話にはどんな人物が登場していたか。赤ずきん、老婆、狼、それに――
「……あぁ、猟師か」
少女を喰らった狼の腹を裂き、あるいはただ撃ち殺すのが彼の役割、ヒーローなんて柄でもないヴィンセントには丁度いい。今だって別段褒められた役割でもない、ただ借りを返すだけのことで、同時に依頼をこなす為に彼はここで待っている、待ち伏せではなく、堂々と。
文字通り舞台は整っていて、あとは主演女優を待つばかり。こちらから探さずともカーラはいずれやってくる、彼女は愛しき怨敵と認めヴィンセントの名を呼んだのだから。
――こつん…………
ようやくの到着だ。劇場後ろの扉にヴィンセントが目を向けると、喪服の少女が入ってきた。一歩進むごとに少女の首は左右に傾ぎ、ギクシャクした動きは生気を感じさせず、さながら糸の絡まった操り人形といえる。最早カーラでも、ノーラでもない。
……ミツケタ
彼女はそう言ったのかもしれない。不明瞭すぎて判別出来ないが多分そう言ったのだろう。発せられる狂気はドライアイスにも似た冷たさと重さで劇場を満たしていく。狙われるのが何度目だろうが、なんにせよヴィンセントはもう吞まれることなく、客席通路の中程まで歩を進める彼女に銃を向けた、狭い通路のど真ん中なら或いはと淡い期待を込めながら。
だが、まさにヴィンセントが銃爪を絞る刹那、カーラは大きく横に飛び狙いを外した。そしてまさかだ、彼女は不安定な足場を物ともしない疾駆で、平原を駆けるかのように客席の上を走り出す。その動きは低く速い、連射すらも容易く躱し舞台上へと降り立った。
ぎちぎちと首を巡らすカーラだが、彼女は本当にヴィンセントを見たのだろうか。
痩けた頬には骨が浮いて見え、光りの失せた双眸は一切同調せず、焦点の合わない両目が好き勝手に動いていた。紅い涎を垂らしながら彼女は不気味に笑う。
実に酷い有り様。薬物に溺れてしまえば壊れるのは早い、たかが数日でまるで別人になった彼女に表情を曇らせヴィンセントは銃を構え直す。
「ノーラ?」
彼女の目は定まらない、呼吸の度に血の泡が口角に浮き出ていた。
「――……カーラ」
ぴたり動きを止め、カーラは瞳孔の開ききった虚ろな目を向けた。差し出す紅い手、死人の微笑みで彼女は死神の手招きをする。ゆったりとした所作ではあったが、その全てが濃厚な殺意を孕んでいる、気の弱い人間なら失禁必至の指向性を持った殺気である。
「ヒィひひひ……」
「どっちだ」
答えがあるとは思っていない。しかしヴィンセントは嗤い狂う彼女に向けて続ける、既に依頼料は貰っているのだ。
「そうだな、そうだろうよ……。死んで当然殺して当然、なら殺されるのは必然だ。狂っちまった結果だとしても、行き着く先は墓穴だ。ノーラ、お前が刺したんだよな? おかげで生きてる、礼を言うぜ」
そしてカーラの眉間に照準を合わせ、無慈悲に無関心な息を吐く。
「約束通り、助けに来てやった」
ケタケタと声を上げれば肩も揺れる。ナイフを握りしめた右手も小刻みに震え、今にも斬りかかってきそうである。だがその振動が、カーラの頬に変化を与えた。狂った笑みに奔る薄紅色の筋が一本、表情とは裏腹の悲しみが流れ落ちる。ただ一滴で無音、声にならない悲鳴を、ヴィンセントはだがしかと聞き取った。
客席の照明が消え、舞台上にだけ光が降り注ぐ。
――狼の腹から引き釣り出してやる、今すぐに。
開幕の合図はヴィンセントの銃声、
火薬の炸裂が弾頭を撃ち出し、連射で狼を追い立てる。
空気を引き裂く銃弾、
影を引くカーラの喪服。
――やはり速い。これが二足歩行のヒトに可能な動きか。
カーラは喪服の黒がぼやける速度で駆け、その足運びは四つ足の獣より鋭く攻撃的だ。
途端、カーラは方向転換しヴィンセントへ向かって突っ込む。低くジグザグに動いては照準を散らし、襲いかかる銃弾をくぐり抜けた。もう首すら刈れる距離、しかし彼女はヴィンセントの鼻先でニタリと嗤い、ナイフの一振りと共に彼の背後へ抜けていく。
すれ違いにヴィンセントの肩口が裂かれ、鮮血が舞い飛んだ。
深く切られたが腕は動く。チィッ、と舌を鳴らし、ヴィンセントは振り向きざまに撃ち返すが、カーラは容易く躱して距離を取りゆらゆらと佇んでいた。
「死ネ、貴様サえいなければカーラは、お母サンは、ワタシは――ク、クフフフフッ、まだ足リナイ、まだまだ足リナい。ワタシが受けタ初めてノ痛ミを教えてあゲる、挿サレる快感を、刺サれる痛みヲ知レ。代わりに悲鳴ヲ聞かせてくダさイ?」
「今ので仕留めなかったこと後悔するぜカーラ。来いよ、もう一度だ。俺の首を落とせるもんならやってみな」
「もウ一回? 血がイッパい、……あっタカい。ヒヒヒッ」
気味の悪い笑い声を上げながら獲物を見定める獣よろしくカーラは舞台上を歩き始める。
どこを刺そう? どこを斬ろう? どうやって命を刈り取ろう。その彼女の思惑に応じてヴィンセントも鏡映しに動いた。出方を窺う二人は点対称に円を描く。
一周し、二周し、徐々に早足になりヴィンセントは客席側へ、床すれすれを嘗めるようにカーラがそれを追った。
ヴィンセントが銃爪を絞る、
カーラがナイフを振るう、
放たれる銃弾と煌めく凶刃は交錯すれど触れ合うことはない。
ヴィンセントに見えているということは彼女にも見えている。分かっていたことだ、一方的なアドバンテージがなければ勝てない。視界条件が同じならとっくにケリは付いているのだから。
だから――ヴィンセントは走った勢いそのままに客席へと身を投げる。
同時に複数のスポットライトが、熱さえ感じる強烈な光量で舞台上を照らした。舞台と客席を分かつ光りのカーテン、ヴィンセントのその幕をすり抜けて、落下しながら空中で身を捻った。
右目と照門、さらに伸びる照星と標的が一直線上に並ぶ。
落下中のヴィンセントは無防備だ、ただ重力と慣性に従うだけの物体で、追われれば無力。だがカーラは眩しいスポットの中で完全にヴィンセントの姿を見失っていた。突如現れた光りのカーテンは彼女から目を奪った。
これが欲したアドバンテージ。ヴィンセントには見えている、瞬くライトに照らされた血塗れの少女の、その子細までもが明確に。
光りに手をかざすその姿、
その髪を、その肌を、悲しく照ったその瞳を。
視線が交わって、
ヴィンセントは真っ直ぐに見つめ返す。
彼女の眼差しを受けても僅かな動揺もない。
指先に力を込めれば銃声が三つ鳴った――……。
弾けるように振られる肩、立ち尽くす少女の影がパーカッションに合わせて踊る。
どうなったのかを確認するより先にヴィンセントは背中から客席に落ち、激痛に呻く。痛むのは背中よりも脇腹だ、視界が眩んでいるのは照明の所為ではないだろう。それでも彼はなんとか立ち上がる、まだ終わっていなかった、最後の時を見届けるまでは。
ゆっくりと崩れ落ちる少女のシルエット。膝をつく鈍い音が銃声の残響と混ざって響く、響く……。まるで光りの粒子を掬い上げようとするかのように、彼女は光りに向けて両の手を伸ばしていた。紅く染まった白髪、赤が彩る褐色肌、弱く澄んでいる瞳は神に祈っているのかも知れない。果たして少女の杯は満たされたのか、彼女は両手を胸に抱くと、身体を静かに横たえる。
地平線に沈む太陽に、その姿は似ていた。
劇場内に響き渡る自嘲的な謳、ヴィンセントが呟く歌声は、蝉の鳴き声よろしく静寂で満たされている空気を伝う。バルコニー席込みで千人は収容可能な劇場、彼はその舞台上に立ち客席を見渡していた。静かだ、夜の森のように。
右手の指先が銃把で刻むアルペジオ。主演の到着を待っているヴィンセントは、ふとこの舞台に相応しい題名を思いついた。
赤ずきん。随分と血生臭いおとぎ話だが、物語というものは大抵が後ろ暗いもので、大っぴらに語られるのは都合良く改変された、耳さわりのよい話ばかりだ。ヴィンセントは物語の順を追いながら自分の配役を考えてみる。
そもそもあの話にはどんな人物が登場していたか。赤ずきん、老婆、狼、それに――
「……あぁ、猟師か」
少女を喰らった狼の腹を裂き、あるいはただ撃ち殺すのが彼の役割、ヒーローなんて柄でもないヴィンセントには丁度いい。今だって別段褒められた役割でもない、ただ借りを返すだけのことで、同時に依頼をこなす為に彼はここで待っている、待ち伏せではなく、堂々と。
文字通り舞台は整っていて、あとは主演女優を待つばかり。こちらから探さずともカーラはいずれやってくる、彼女は愛しき怨敵と認めヴィンセントの名を呼んだのだから。
――こつん…………
ようやくの到着だ。劇場後ろの扉にヴィンセントが目を向けると、喪服の少女が入ってきた。一歩進むごとに少女の首は左右に傾ぎ、ギクシャクした動きは生気を感じさせず、さながら糸の絡まった操り人形といえる。最早カーラでも、ノーラでもない。
……ミツケタ
彼女はそう言ったのかもしれない。不明瞭すぎて判別出来ないが多分そう言ったのだろう。発せられる狂気はドライアイスにも似た冷たさと重さで劇場を満たしていく。狙われるのが何度目だろうが、なんにせよヴィンセントはもう吞まれることなく、客席通路の中程まで歩を進める彼女に銃を向けた、狭い通路のど真ん中なら或いはと淡い期待を込めながら。
だが、まさにヴィンセントが銃爪を絞る刹那、カーラは大きく横に飛び狙いを外した。そしてまさかだ、彼女は不安定な足場を物ともしない疾駆で、平原を駆けるかのように客席の上を走り出す。その動きは低く速い、連射すらも容易く躱し舞台上へと降り立った。
ぎちぎちと首を巡らすカーラだが、彼女は本当にヴィンセントを見たのだろうか。
痩けた頬には骨が浮いて見え、光りの失せた双眸は一切同調せず、焦点の合わない両目が好き勝手に動いていた。紅い涎を垂らしながら彼女は不気味に笑う。
実に酷い有り様。薬物に溺れてしまえば壊れるのは早い、たかが数日でまるで別人になった彼女に表情を曇らせヴィンセントは銃を構え直す。
「ノーラ?」
彼女の目は定まらない、呼吸の度に血の泡が口角に浮き出ていた。
「――……カーラ」
ぴたり動きを止め、カーラは瞳孔の開ききった虚ろな目を向けた。差し出す紅い手、死人の微笑みで彼女は死神の手招きをする。ゆったりとした所作ではあったが、その全てが濃厚な殺意を孕んでいる、気の弱い人間なら失禁必至の指向性を持った殺気である。
「ヒィひひひ……」
「どっちだ」
答えがあるとは思っていない。しかしヴィンセントは嗤い狂う彼女に向けて続ける、既に依頼料は貰っているのだ。
「そうだな、そうだろうよ……。死んで当然殺して当然、なら殺されるのは必然だ。狂っちまった結果だとしても、行き着く先は墓穴だ。ノーラ、お前が刺したんだよな? おかげで生きてる、礼を言うぜ」
そしてカーラの眉間に照準を合わせ、無慈悲に無関心な息を吐く。
「約束通り、助けに来てやった」
ケタケタと声を上げれば肩も揺れる。ナイフを握りしめた右手も小刻みに震え、今にも斬りかかってきそうである。だがその振動が、カーラの頬に変化を与えた。狂った笑みに奔る薄紅色の筋が一本、表情とは裏腹の悲しみが流れ落ちる。ただ一滴で無音、声にならない悲鳴を、ヴィンセントはだがしかと聞き取った。
客席の照明が消え、舞台上にだけ光が降り注ぐ。
――狼の腹から引き釣り出してやる、今すぐに。
開幕の合図はヴィンセントの銃声、
火薬の炸裂が弾頭を撃ち出し、連射で狼を追い立てる。
空気を引き裂く銃弾、
影を引くカーラの喪服。
――やはり速い。これが二足歩行のヒトに可能な動きか。
カーラは喪服の黒がぼやける速度で駆け、その足運びは四つ足の獣より鋭く攻撃的だ。
途端、カーラは方向転換しヴィンセントへ向かって突っ込む。低くジグザグに動いては照準を散らし、襲いかかる銃弾をくぐり抜けた。もう首すら刈れる距離、しかし彼女はヴィンセントの鼻先でニタリと嗤い、ナイフの一振りと共に彼の背後へ抜けていく。
すれ違いにヴィンセントの肩口が裂かれ、鮮血が舞い飛んだ。
深く切られたが腕は動く。チィッ、と舌を鳴らし、ヴィンセントは振り向きざまに撃ち返すが、カーラは容易く躱して距離を取りゆらゆらと佇んでいた。
「死ネ、貴様サえいなければカーラは、お母サンは、ワタシは――ク、クフフフフッ、まだ足リナイ、まだまだ足リナい。ワタシが受けタ初めてノ痛ミを教えてあゲる、挿サレる快感を、刺サれる痛みヲ知レ。代わりに悲鳴ヲ聞かせてくダさイ?」
「今ので仕留めなかったこと後悔するぜカーラ。来いよ、もう一度だ。俺の首を落とせるもんならやってみな」
「もウ一回? 血がイッパい、……あっタカい。ヒヒヒッ」
気味の悪い笑い声を上げながら獲物を見定める獣よろしくカーラは舞台上を歩き始める。
どこを刺そう? どこを斬ろう? どうやって命を刈り取ろう。その彼女の思惑に応じてヴィンセントも鏡映しに動いた。出方を窺う二人は点対称に円を描く。
一周し、二周し、徐々に早足になりヴィンセントは客席側へ、床すれすれを嘗めるようにカーラがそれを追った。
ヴィンセントが銃爪を絞る、
カーラがナイフを振るう、
放たれる銃弾と煌めく凶刃は交錯すれど触れ合うことはない。
ヴィンセントに見えているということは彼女にも見えている。分かっていたことだ、一方的なアドバンテージがなければ勝てない。視界条件が同じならとっくにケリは付いているのだから。
だから――ヴィンセントは走った勢いそのままに客席へと身を投げる。
同時に複数のスポットライトが、熱さえ感じる強烈な光量で舞台上を照らした。舞台と客席を分かつ光りのカーテン、ヴィンセントのその幕をすり抜けて、落下しながら空中で身を捻った。
右目と照門、さらに伸びる照星と標的が一直線上に並ぶ。
落下中のヴィンセントは無防備だ、ただ重力と慣性に従うだけの物体で、追われれば無力。だがカーラは眩しいスポットの中で完全にヴィンセントの姿を見失っていた。突如現れた光りのカーテンは彼女から目を奪った。
これが欲したアドバンテージ。ヴィンセントには見えている、瞬くライトに照らされた血塗れの少女の、その子細までもが明確に。
光りに手をかざすその姿、
その髪を、その肌を、悲しく照ったその瞳を。
視線が交わって、
ヴィンセントは真っ直ぐに見つめ返す。
彼女の眼差しを受けても僅かな動揺もない。
指先に力を込めれば銃声が三つ鳴った――……。
弾けるように振られる肩、立ち尽くす少女の影がパーカッションに合わせて踊る。
どうなったのかを確認するより先にヴィンセントは背中から客席に落ち、激痛に呻く。痛むのは背中よりも脇腹だ、視界が眩んでいるのは照明の所為ではないだろう。それでも彼はなんとか立ち上がる、まだ終わっていなかった、最後の時を見届けるまでは。
ゆっくりと崩れ落ちる少女のシルエット。膝をつく鈍い音が銃声の残響と混ざって響く、響く……。まるで光りの粒子を掬い上げようとするかのように、彼女は光りに向けて両の手を伸ばしていた。紅く染まった白髪、赤が彩る褐色肌、弱く澄んでいる瞳は神に祈っているのかも知れない。果たして少女の杯は満たされたのか、彼女は両手を胸に抱くと、身体を静かに横たえる。
地平線に沈む太陽に、その姿は似ていた。
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