霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅲ.春の足音

85 旅3 大聖堂

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 尽きる事の無いショーンの話を聴いている間に、電車はソールズベリー駅に着いていた。雨は未だ降り続いている。

 チェック・インできる時間まで荷物を預けておくために、ショーンが予約してくれたB&Bにまずは向かった。
 ここも、アルビーと泊まったような、一階がパブで、二階が宿の造りになっている。けれどあそこのような怪しい雰囲気ではなくて、普通のホテルらしい開放感がある。道路に面した白い煉瓦造りの建物の裏手は川に面していて、宿泊客が寛げるように、丸太でできたテーブルセットが設置された庭になっているのも嬉しい。



 身軽になって、この街の観光名所であるソールズベリー大聖堂を訪れた。宿からは結構距離があったのだが、遠くから見えていたこの大聖堂の尖塔がだんだんと近づいてきて、遂にその全景を眼前に仰ぎ見た時の胸の震えるような感動は、生涯忘れられないのではないかと思う。
 僕も、ショーンもキリスト教徒ではないけれど、こんな有無を言わさない荘厳な美を突きつけられたら、頭を垂れたくなるってものじゃないか。
 僕たちは言葉少なに顔を見合わせ、聖堂内に足を踏み入れた。

 圧巻のステンドグラスに息をするのも忘れ、言葉を忘れ、黙したままゆっくりと広い聖堂内を見て回った。
 高い天井に飾られたステンドグラスが、柔らかな光を浴びて浮かび上がる。雨はもう止んだのだろうか。並び立つ黒大理石の柱、幾何学模様のリズムを刻むアーチ型の天井。この上に、あの天を貫くような尖塔が聳え立っているのだ。

 眩暈を覚えた。
 美しいけれど、どこまでも威圧的で、厳しい、この空間は息が詰まる。何故だか、僕の前をどんどん進んで行くアルビーの背中を思い起こさせる。

 おいて行かないで。僕を見て。こっちを向いて。

 届かない背中に、声にならない声で呼びかけ、懇願する。そんな切羽詰まった想いで空に向かって手を伸ばし、祈る。


「おい、少し休もうか」

 ショーンの声で我に返った。
 最奥にあるトリニティ・チャペルの「良心の囚人」と題された、青い光のさざれを集めたようなステンドグラスを、食い入るように見つめていた。おもむろに彼に視線を移し、頷いて、その後に従った。耳の後ろの首筋で血管が膨張しているかのように、バクバクと血の流れる音がする。

 翼廊から回廊クロイスターに出ると、鮮やかな中庭の緑に思わず目を眇めた。やはり雨はもう止んでいた。
 波のように連なる尖頭アーチに、リブ・ヴォールトの天井。純白の石造りの床に壁は、芝の緑を反射しているのか、それとも元から緑がかった石なのか、空気までもが薄らと緑がかって見える。

 ショーンが、息を詰めたような神妙な顔をして僕を見ていた。首を傾げて微笑むと、ほっとしたように彼も微笑んで、回廊に並べてある休憩用のテーブルにリュックを置き椅子に腰かけた。

「きみ、倒れるかと思ったよ。明日に備えて今日は早めに帰って宿で休もうか。初日からそんなんじゃ、先がおもいやられるよ」

 口調は冗談めかしているけれど、目が真剣だ。

「ごめん。なんだか圧倒されちゃって。別に体調が悪いとかじゃないんだよ。ただ……」
 ショーンは心配してくれているのか、こんな僕を疎ましく思っているのか判らない微妙な表情で軽く頷き、言い淀んだ僕の言葉の続きを促した。

「ただ、ちょっと怖いなって。民俗学の研究なんて、この時代の教会からしたら、異端審問に掛けられるような内容でもあるのかな、って思ってさ」

 ショーンは一瞬、きょとんとした顔をして、それから遠慮なく声を上げて笑ってくれた。

「良かったな! 今が二十一世紀で! でもな、古い文献によると、十五世紀に始まった魔女狩り以前は、教会の司祭が魔術儀式を執り行っていたって文脈も……」

 ショーンのうんちく話が始まった。すごく学術的な話をしているはずなのに、彼の語りを聴いていると、うさんくささ満載の噂話のように思えてしまうのは何故だろう?

 ここからはもう、この大聖堂の厳かな空気に呑まれることもなく、賑やかにお喋りしながら八角形の図書館チャプター・ハウスに進み、所蔵されている、現存する中で最も状態の良いマグナ・カルタの写本を見学した。
 ショーンが面白おかしくその豊富な雑学知識を披露してくれたので、時間が過ぎるのは、やはりあっという間だった。

 
 




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