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まさかの接触
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パトリック主従は、客殿内のそれぞれの客室へと案内をした。
その後、パトリックに就寝前のお茶を運んだ。
彼の従者のひとりに給仕をしてもらうようお願いしてから、あらためてパトリックに挨拶をした。
「皇太子殿下、いまのところ不自由はございませんか?」
パトリックの寝室は、客殿内の客室でも一番大きくて豪華な部屋である。とはいえ、この客殿は吝嗇家だった国王の時代に建てられている。ムダに贅を尽くしているわけではない。カニンガム王国の宮殿にある客殿として、他国に恥ずかしくない程度というレベルである。
個人的には、これで充分ではないかと思う。
寝室というものは、落ち着いた雰囲気で上質の眠りを得られればいいのだから。
もっとも、あくまでもこの持論は貧乏なわたしのやっかみにすぎないのだろうけれど。
「不自由などなにもない。充分すぎるくらいだ。いままでは、ふつうの旅人を装っていたからね。野宿なんてこともすくなくなかった。たいていは、宿屋のかたくて狭い寝台で眠っていた。ときには部屋の数が足りなくて、従者と一緒の寝台で眠ったことがあった。野宿では、背中が痛くて目を覚ますとゴツゴツとした岩が背中にあたっていたとかもあった」
パトリックの野性的な美貌に浮かぶ笑みは、まるでいたずらっ子のそれのようである。
彼のおどけた話し方も好感が持てる。
(ディーマー帝国の将来は安泰ね)
パトリックは、大国を統べる皇帝としては風変りかもしれない。だけど、彼はかならずや帝国民に寄り添う政治を行うに違いない。
けっして贅を尽くすだけで政にいっさい関与せずに重臣たちに好き放題させたり、ましてやいいなりになったりすることなどなく。
彼ならば、ほんとうの皇帝であり国を護るべき存在になるはず。
「おっとすまない。きみは忙しいのだったな。つまらない話に付き合わせてしまった」
「皇太子殿下、そのようなことはありません。皇太子殿下の冒険譚への興味は尽きませんが、本殿で行われているパーティーの様子を見に行かねばなりませんので」
「さあ、行ってくれ。きみのローズティーをいただいてから眠るとするよ」
「はい、皇太子殿下。おやすみなさい」
「おやすみ」
パトリックに頭を下げ、さがろうとしたタイミングだった。
突然、彼が左手首を握ってきたのである
彼のその突然の動作に、心も体も驚いてしまった。その瞬間、硬直した。
これまで他人に、とくに男性に触れられることなどなかった。
アレックスをのぞいては、であるけれど。
「皇太子殿下?」
なにか言わなければと焦りのあまりそう呼んでみたが、自分でも驚くほど声が震えていた。
もしかすると、体が震えているからそう聞こえたのかもしれない。
「ナオ……。その、なんだ。きみのこともきかせてくれないか?」
「はい?」
なにもかもが突然すぎる。それから、意表をつきすぎている。
「いえ、わたしは……。わたしは、ただの侍女です。皇太子殿下のように、なにかを成し遂げようと積極的に行動する勇気のない小心者です。このメガネを通してしか物事を見ることの出来ない、ただのレディです。ですから、皇太子殿下にお話しすることなど、お聞きいただくようなことなどなにもありません」
そう。わたしは、この宮殿のことしか知らない。この度数の合わないメガネで見える範囲でしか見ていない。この両耳で聞こえることしか聞いていない。
ここでしか生きていけない。
侍女としてしかがんばれない。
副侍女長として、いっぱいいっぱいで必死である。
パトリックを見、いろいろな話を聞いて、あらためてそう気がつかされた。
(だけど、それはそれでいいのではないかしら)
人間には、分というものがある。
わたしの分というものは、その程度に違いない。
「ナオ、それでもきみのことを知りたい」
見上げるパトリックのルビー色の瞳は、アレックスの澄み渡った空の色の瞳に負けず劣らずきれいである。
情熱的で真剣で、ひたむきさを感じる。
「コンコン」
そのとき、控えの間へと続く扉がノックされた。
「殿下」
パトリックの従者である。お願いしたお茶を注いでくれたのだ。
瞬間、パトリックの手がわたしの手首から離れた。
「失礼いたします」
もう一度頭を下げ、扉を開けた。
そして、逃げるようにして彼の前から辞した。
その後、パトリックに就寝前のお茶を運んだ。
彼の従者のひとりに給仕をしてもらうようお願いしてから、あらためてパトリックに挨拶をした。
「皇太子殿下、いまのところ不自由はございませんか?」
パトリックの寝室は、客殿内の客室でも一番大きくて豪華な部屋である。とはいえ、この客殿は吝嗇家だった国王の時代に建てられている。ムダに贅を尽くしているわけではない。カニンガム王国の宮殿にある客殿として、他国に恥ずかしくない程度というレベルである。
個人的には、これで充分ではないかと思う。
寝室というものは、落ち着いた雰囲気で上質の眠りを得られればいいのだから。
もっとも、あくまでもこの持論は貧乏なわたしのやっかみにすぎないのだろうけれど。
「不自由などなにもない。充分すぎるくらいだ。いままでは、ふつうの旅人を装っていたからね。野宿なんてこともすくなくなかった。たいていは、宿屋のかたくて狭い寝台で眠っていた。ときには部屋の数が足りなくて、従者と一緒の寝台で眠ったことがあった。野宿では、背中が痛くて目を覚ますとゴツゴツとした岩が背中にあたっていたとかもあった」
パトリックの野性的な美貌に浮かぶ笑みは、まるでいたずらっ子のそれのようである。
彼のおどけた話し方も好感が持てる。
(ディーマー帝国の将来は安泰ね)
パトリックは、大国を統べる皇帝としては風変りかもしれない。だけど、彼はかならずや帝国民に寄り添う政治を行うに違いない。
けっして贅を尽くすだけで政にいっさい関与せずに重臣たちに好き放題させたり、ましてやいいなりになったりすることなどなく。
彼ならば、ほんとうの皇帝であり国を護るべき存在になるはず。
「おっとすまない。きみは忙しいのだったな。つまらない話に付き合わせてしまった」
「皇太子殿下、そのようなことはありません。皇太子殿下の冒険譚への興味は尽きませんが、本殿で行われているパーティーの様子を見に行かねばなりませんので」
「さあ、行ってくれ。きみのローズティーをいただいてから眠るとするよ」
「はい、皇太子殿下。おやすみなさい」
「おやすみ」
パトリックに頭を下げ、さがろうとしたタイミングだった。
突然、彼が左手首を握ってきたのである
彼のその突然の動作に、心も体も驚いてしまった。その瞬間、硬直した。
これまで他人に、とくに男性に触れられることなどなかった。
アレックスをのぞいては、であるけれど。
「皇太子殿下?」
なにか言わなければと焦りのあまりそう呼んでみたが、自分でも驚くほど声が震えていた。
もしかすると、体が震えているからそう聞こえたのかもしれない。
「ナオ……。その、なんだ。きみのこともきかせてくれないか?」
「はい?」
なにもかもが突然すぎる。それから、意表をつきすぎている。
「いえ、わたしは……。わたしは、ただの侍女です。皇太子殿下のように、なにかを成し遂げようと積極的に行動する勇気のない小心者です。このメガネを通してしか物事を見ることの出来ない、ただのレディです。ですから、皇太子殿下にお話しすることなど、お聞きいただくようなことなどなにもありません」
そう。わたしは、この宮殿のことしか知らない。この度数の合わないメガネで見える範囲でしか見ていない。この両耳で聞こえることしか聞いていない。
ここでしか生きていけない。
侍女としてしかがんばれない。
副侍女長として、いっぱいいっぱいで必死である。
パトリックを見、いろいろな話を聞いて、あらためてそう気がつかされた。
(だけど、それはそれでいいのではないかしら)
人間には、分というものがある。
わたしの分というものは、その程度に違いない。
「ナオ、それでもきみのことを知りたい」
見上げるパトリックのルビー色の瞳は、アレックスの澄み渡った空の色の瞳に負けず劣らずきれいである。
情熱的で真剣で、ひたむきさを感じる。
「コンコン」
そのとき、控えの間へと続く扉がノックされた。
「殿下」
パトリックの従者である。お願いしたお茶を注いでくれたのだ。
瞬間、パトリックの手がわたしの手首から離れた。
「失礼いたします」
もう一度頭を下げ、扉を開けた。
そして、逃げるようにして彼の前から辞した。
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