私が小説を書くときは

富升針清

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後ろの正面は鬼

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『最近、小説の進み早いね』
『うん。プロットが完成した勢いのまま、書きたくて』

 私は相馬先輩の隣に立つのは相応しくない。その答えに視覚で納得できたお陰か、悲しみや辛さを忘れて私は小説に没頭している。

『家の方がアンズは小説進む?』
『うん、そうかも』

 今は、だ。
 今は家で、一人で、誰にも見つからずに書いた方が捗る。
 悲しみや辛さを忘れても、ふとした瞬間に学校では手が止まった。それは、授業中でも、放課後でも、何でも。
 納得したと言うのに、少し長くなり過ぎた後ろ髪が引かれてしまう。
 あれから一週間、私は誓い通りに生きている。

『モモちゃんは普段どこで書いてることが多いの?』
『んー。学校の部室かな。夜に自分の部屋でもこうして書くけど、家族が入ってきたら気まずいじゃん? 妹とかが勝手に入ってくるし、なるべく家では書かないんだよね』
『あー。それはヤダね』

 恋愛ものを書いているところを見られるのは確かに気まずい。盛り上がるところは特にだ。
 妹がいるのか。
 部室ということは、文芸部に入っているのかな。

『うちは異性の兄弟しかいないから、勝手に入ってはこないもんな』
『いいなー。お兄ちゃん欲しかった!』

 それはよく言われる。泉美にも。でも、それは持たざる者の特権だ。

『意外とよくないって。私はモモちゃんみたいなお姉さんが欲しかったよ』

 そしたら、もっとマシな人間に、いや、女の子になっていたかもしれない。
 兄のお下がりを着ずに、男女と揶揄われることもなかったもしれない。

『アンズのお姉ちゃんにはなりたいかも。アンズいい子だし』
『妹さんいるのに?』
『アレはダメ。最近本当に我儘で嫌になっちゃう。妹に幼馴染の友達がいるんだけどさ、その子と夜遅くまでうちで遊んでるんだよ? 本当、邪魔。うるさくて小説書けないし。今もまだいるんだよね』

 時計を見れば、八時だ。こんな時間まで遊んでいるとは。私には考えられない。
 うちでうるさいのは上の兄だけだが、親の職業柄家に友達を兄は連れてくることは少ない。そう考えると、確かにモモちゃんの愚痴りたい気持ちもわかる。

『あ、そうだ。アンズ、明日も早く帰ってくる?』
『え? 明日は早くないけど、何かあった?』
『そっかー。残念。明日妹が部活で遅いから、私も早く帰ってきて一緒に小説書かない? って誘いたかっただけだよ。いつも夜に少しだけだし、たまには長くと思って。何か用事でもあるの?』

 ああ、確かに。モモちゃんはいつも八時前ぐらいにメッセージをくれる。その時間から書いても一、二時間程度しか一緒に書けない。
 モモちゃんと一緒に書くと、不思議と手は止まらなかった。楽しい会話に流されそうになるかと思いきや、今書いている場面の話を二人で交互にしあう。それが好き、それは切ない。そんな短い感想を言いながら話題は絶えず、お互いに切磋琢磨出来るからだろう。
 出来れば、ご一緒したい。が、今回は先約があるのだ。

『うーん。明日、図書館にどうしても行きたくて』
『図書館?』
『うん。予約してた本が明日返却になってたから。借りたらすぐに帰るつもりだけど、ちょっとその後にバスケ部に顔出さなきゃいけないんだ……』

 とても気が乗らないけど。

『バスケ部に?』
『うん』
『アンズはバスケ部に入ってるの?』

 そんな訳がない。運動神経は死んでいる自信がある。入ったところで迷惑だ。

『違うよ。それに、行くのは男子バスケ部。三年生の先輩に手作りのお守り作ったから渡しに行くだけ』
『え? 何で?』
『大事な試合、頑張ってほしくて……?』

 本来ならマネージャーであるクマの仕事なのだが、裁縫が壊滅的にダメなクマに代わり私と泉美がその仕事を引き受けた。私は小説が書けない時に何か没頭したいと思って引き受けただけなのだが、軽く引き受けたことを今では心底後悔している。量も多いが、バスケ部という陽キャラの巣窟に入っていかなければならないのが最も最悪なのだ。
 春の大会でクマに頼まれで応援に行った時の帰り、よく来てくれたと陽キャラな大きな先輩たちに囲まれたのは今でも記憶に新しい。フレンドリーと言えば聞こえはいいかもしれないが、さすが運動部。距離が近いし圧が強い。それがとても苦手で、苦手で。また囲まれたら、すごく嫌だ。

『疑問系?』
『うーん。その気持ちはあるんだけどね。バスケ部の先輩達いい人たちだけど、ガンガン来るからさ……。モモちゃんは女子校なんだっけ?』
『あ、うん』
『私だけかもしれないけど、男の先輩って緊張するんだよね。今からドキドキしてきた』

 そして、同時に胃がキリキリしてくる。
 本当は教室でクマに渡しておきたいところだが、泉美の分が明日の放課後までかかってしまうとのことだったので、仕方がなく私達が届けることになった。
 ああ、それが相馬先輩なら……。そう考えそうになって急いで首を振る。こうならないために、人の仕事まで引き受けているというのに。
 なんて聞き分けのない恋心だろうか。もう、砕けて散って、死んだというのに。
 しぶといゾンビに嫌気がさす。

『なに? その中に件の好き人でもいるわけ?』
『えっ? ないない。違うよ? いないから』

 タイムリーな話題に思わず、全力で否定のコメントを刻んでしまった。
 読み返しても、逆に必死過ぎて怪しくなっている。ま、いいか。モモちゃんは何も知らないし、本当のことだし。

『ふーん。最近忙しかったのって、そのお守りのせいなの?』
『え? あー。そうかも?』

 あれ? 私、忙しかったけ?
 基本、モモちゃんも話す時は毎日小説だけ書いていたけどな?

 ✳︎ ✳︎ ✳︎

「作者と題名お願いします」
「佐藤龍夫の冷たい雨が降り注ぐです」

 図書館のカウンターで図書委員に借りる予定の本を伝えると、図書委員の先輩はすぐに後ろの棚から一冊の本を取り出し私に渡してくれる。

「期間は一週間です。カードをお願いします」
「はい」

 図書館カードを渡すと、すぐにレシート共にカードが返却された。

「有難うございました」

 私は本を胸に抱いてホクホクした顔で図書館カードをしまうために後ろの机に鞄を置く。
 ようやく借りれた。
 龍夫先生の新作っ! この本が出たのは春口ぐらいだが、予約人数の数が多過ぎてようやく私の順番が回ってきたのだ。龍夫先生は現役高校生で、この学園の高等部にいる有名人。借りる人数も多いのは納得できる。
 お小遣いから買うのは少し辛いハードカバー。厚みが実に有難い。私のように多々財政難に陥る生徒とっては、お財布に優しいだけでなく待つだけで本が確実に読めるという図書館には感謝しかない。
 今日、小説書き終わったら読もう。いつまでもカバーを見ているだけで、楽しめる。
 しかし、ここにそう長居は禁物だ。だって、あの人は神出鬼没なのだから。
 そう思っていた時、誰かに肩を叩かれた。

「伊鶴ちゃーん。何してんの?」

 え。
 もう、聞くはずのなかった声が後ろから聞こえる。

「相馬、先輩……?」

 嘘、でしょ!?
 信じたくもないが、私のゾンビのような恋心は好きな人の声を忘れてくれるほど脳が腐ってないだ。恐る恐る振り返ると、そこには笑顔なんだけど、何か怖い感じの笑顔が張り付いてるような先輩が立っていた。
 何で!?
 何でこんなところにいるの!?
 もう会わないと決めても、同じ学校にいるのだ。多少は見かけるぐらいはあるだろう。それくらいは覚悟をしていた。けど、そんな、こんな近くで? 肩まで掴まれて!? あり得ないっ!

「何で……?」
「何でって、最近伊鶴が会いに来てくれないから会いに来た」

 そんな、まさか。
 だって、手伝いだっていつも約束してた訳じゃない。たまたま私が手が空いていて、たまたま生徒家室の近くを通りかかって、たまたまそこで仕事を振られている先輩の助けを、これまたたまたま手伝っていただけだ。
 私から行かなければ、会うことだってない。
 だって、先輩には私に会う理由もないから。
 そう思っていたのに。
 何で……?
 思考が停止しそうになっていた。何で、会いに来てくれたの? ゾンビ映画さながらに、私の頭の中に都合のいい答えを聞きつけてゾンビたちが集まって来そうになる。
 何でって、私に……。

「え、会長といる子、誰?」

 誰かの声にはっとなった。
 周りを見渡せば、金曜日には決して見かけなかった生徒たちが多勢いる。
 私なんかが……。
 そう思うと、ダメだった。

「い、忙しいのでっ! し、失礼しますっ!」

 私は鞄と本を掴むと、急いで先輩の手を振り払い図書館から飛び出した。
 色々と困る。
 私なんかが先輩と噂が立つのも、先輩の不名誉が増えてしまうのも、また都合のいいことを考えてしまう自分も。全てが困ってしまうのだ!
 例え、返却時に図書館の人に怒られようと。
 これは走って逃げるしかない。急いで、帰るしかない。
 私はこんなに自分が早く階段を飛ぶ様に降りれることに心のどこかで感心しながら、泉美の待つ教室へ飛び込む。

「あれ、伊鶴。早かったね」
「泉美っ! 終わった!?」
「バッチリ! 最後のは特に可愛くできたよ」
「は、早くクマに届けて帰ろっ!?」
「え? なになに? 観たいテレビでもあるの?」
「そんな感じだから、早くっ!」

 早く帰りたい。
 先輩に会わないことに、安堵したい。

「ちょっと待っててね。裁縫道具閉まったら行こうか」
「ごめんっ。お願いっ」

 私は泉美が裁縫道具を片付ける間、まるでスパイ映画のように扉に張り付き廊下を伺う。
 先輩の姿はない。
 不自然だったかもしれないが理由も言ったし、諦めてくれた……?
 いや、と言うか、だ。
 たまたま見かけただけで、会いに来たなんて冗談かもしれないのに何を真に受けて警戒してるんだ、私は。

「終わったよ。行こっか」
「……そうだね」

 そもそも、会いに来たと言う言葉があり得ないし、可笑しいのに。私が図書館に今日行くことなんて先輩は知らないはずだし、知っていたとしても放課後すぐに図書館に行くなんて誰もわからないだろう。
 なんだ。いつもの冗談じゃないか。
 冷静に考えれば誰でもわかることを焦った結果、最悪な脱出方法で逃げてしまったわけだ。私は。
 実に愚かだ。
 何かどっと疲れが出てきた。

「どうしたの? 疲れた顔してるけど」
「人間って愚かだなって思って」
「魔王みたいなこと言ってる。手始めに世界でも征服する?」
「しないよ」

 本当、何やっているんだか。
 そんな自分に呆れながら、男子バスケ部が部活をしている第二体育館に泉美と二人で向かう。
 第二体育館は高等部の近くにあり、私たちが普段授業で使っている第一図書館よりも遠い場所にある。部活でもなければ余程の用がない限り誰も寄り付かない場所だ。きっと、あの人も。
 このまま帰る予定だしと、鞄を持って昇降口で靴を履いてから裏庭を通る。
 内心ビクビクしていたが、そこで先輩と会うことはなかった。
 当たり前か。これはただの冗談を真に受けてる私が悪い。

「クマー」
「クマちゃーん。持ってきたよー!」

 第二体育館に着いて、入り口からクマに声をかける。靴を脱いで囲まれたら最後な気がするからだ。

「伊鶴、泉美っ! ありがとー!」

 ボールを拭いていたクマが、私達に気付いて駆け寄ってくる。

「なんとか間に合ったよ」

 私が鞄を置いて紙袋を開けて渡せば、クマの目が輝いた。

「すごい! 完璧じゃんっ! 本当ありがとー! めちゃくちゃ助かるー!」
「いいよいいよ。作るの楽しかったし」
「泉美のと比べると私の下手だけど……」
「えー? どれが伊鶴の?」
「これとか」
「そんなことないじゃん。上手いじゃん」
「そうだよ、伊鶴。可愛くできてるって」
「へー。意外と伊鶴は手先器用なんだな」
「え、恥ずかしいな。そんなことな……」

 ん?
 第三者の声に、私達三人の動きが止まる。
 え? 何で?
 私が恐る恐る顔を上げると、そこには……。

「ご、ごめんっ! 帰るっ!」

 何かさっきより怖い笑顔をした相馬先輩がいるっ!
 何これ、怖い話!? 私は急いで袋をクマに押し付けて走り出した。
 何でここにいるの!? あり得なくない!?
 冗談にしては、可笑しいって!
 私、何かした? 恨まれること、した?
 したもしれないけど、今は追ってこないでよっ!
 神様、守護霊様、もうなんでもいいんで霊的なものっ! お願いしますっ!

「おーい、伊鶴ー!」
「えっ!? 足早っ!」

 振り向けば、すぐ近くまで先輩が追ってきている。
 霊的な奴、役に立たなくない!?

「抵抗はやめて大人しく止まりなさーい」
「抵抗してないですっ! い、忙しいんですっ!」

 先輩のうるさいかけ声を無視して、私達は学園内中を、中庭を、運動場の横を、駆け抜ける。
 どこまでついてくる気なの!? もう、私、無理なんだけど……っ。
 棒になりそうな足をもたつかせながら、隠れられそうな自動販売機の裏に逃げ込んだ。ここに隠れて見つからない様にやり過ごせば……っ。
 先輩はまだこっちにすら来てないよね? そう思って自販機から顔を覗かせると黒い影が私を隠す。
 あ。

「休憩か? ジュースでも飲む? 新しい借りでも俺に作らせてくれよ」

 今日一番怖い笑顔の先輩が、私を見下ろしていた。
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