348 / 409
第二章 アーウェン少年期 領地編
少年は疑いの目で見られる ②
しおりを挟む
ギンダーの心中は複雑だった。
『ターランド伯爵家のお子様』をお世話するのに、否やはない──正当な血筋であれば。
むろん子守りのような女の使用人がする仕事を率先してするつもりはなく、嫡男であるリグレがこの領邸にいる間の教育係ぐらいせいぜいが面倒を見る許容範囲内で、今やっているような『寝ている子供を運ぶ』などと言うのは下男の仕事だと思っている。
どこの馬の骨ともわからぬ──文字通り骨だらけの軽すぎる男児はぐにゃりとして気持ち悪く、どうせ子供を抱くならお嬢様だったならよかったのにと思わないでもない。
一体何を思って、旦那様はこんな子供を大切に扱われるのか──
今までは貴族らしく嫡男や令嬢とは少し距離を置いてふたりの教育は奥様に任されていたらしいが、何故か今日は自分が嫡男様を抱いてその役を下男に任せようとはしない。
「……まったく、何を考えておられるのか」
聞こえないように声を潜め、ため息交じりでそう呟く。
幸いなことに抱かされている子供はピクリとも瞼を動かさず、本当に糸の切れた人形のように脱力していた。
不愉快なことはまだ続く。
リグレの部屋はもちろん嫡男としてふさわしい広い私室と寝室が繋がった部屋だが、ギンダーが言いつけられたこの子供の部屋は、その次に良い部屋である。
確かに「次男として養子にした」と言われたが、その素性をギンダーは王都邸にいるラウド専属執事のルベラほど詳しくは知らされていない。
むしろ王都からこの領都邸に来るまで護衛していた者たちの方が詳しいぐらいで、しかも彼らは「お可哀想な方なんだ…」と涙ぐみそうな悲痛な表情をして同情心を露わにする。
それもまたギンダーを苛つかせた。
次の日もまだ苛立ちは続く。
何せあの小さな子供には専属の従者がついているのだ。
次期当主となるリグレにはもちろんロフェナが従って世話をするので、ギンダー自身はご当主がこの領都に帰ってきた時に家令であるルベラに代わってラウドの執事として付き従えばいいのだが、彼が何も話さないのに、自分から『アーウェン』という名の子供の素性など尋ねようがない。
しかも簡単に紹介された『アーウェンの家庭教師』という男は風貌が自分たちと少し違って異国の者のようであり、いかにも『正体不明』といわんばかりである。
その男は図書室の隣の部屋を寝室とするだけでなく好き勝手に図書室に出入りできる許可まで与えられているが、大切な蔵書に何か間違いがあってはいけないと目を光らせねばならず、気苦労が絶えなくなってしまった。
そしてカラという少年──さすがにアーウェンよりもよほど健康そうではあるが、ちゃんとした教育を受けているか怪しいものである。
ひょっとしたら手癖が悪いことを隠して、旦那様たちに取り入ったのでは──そう思えば疑わしいように見えてしまう。
聡明な旦那様が間違いを犯されるとは思わないが、ひょっとして『貧しい子供を救いたい』という気持ちに付け込まれ、危険分子を懐に入れられてしまったのでは──
「……で、明日からの視察だが……ギンダー?どうした?」
「……はっ……い、いえ、申し訳ございません」
「そういえばお前も、私たちがこちらに戻ってからまだ半日休みも取っていなかったな?では、明日はロフェナを同行させよう。リグレももうそろそろ実地を見せたいと思っていたところだから、ちょうどいいだろう」
「えっ……そ、それは、旦那様……」
「うん?都合が悪いか?そういえば婚約者がいたな……その者と休みが合うようにした方がいいか。相談のうえ、休暇申請をしなさい」
「えっ…あ、はい……」
思わずあれこれと最悪を考えていたギンダーは、ラウドからの問いかけに瞬時に反応することができず、却って心配をかけたことを詫びる。
さらにいきなり特別休暇を与えられて挙動不審にキョロキョロとしてしまったが、逆に心を決めた。
「いえ、都合は特にございません。明日、半日お休みをいただきたく存じます」
「そうか。すまないな、全日とはいかず……バラットがいれば数日ぐらい可能なのだが。ああ、もし婚姻の予定が立ったならば、遠慮せずに言いなさい。その際はさすがにバラットを呼び寄せねばならないからね」
「あ、ありがとうございます、旦那様」
その気遣いに感動し、ギンダーは心が熱くなるのを感じる──次の言葉が続くまでは。
「今はロフェナに家令代理の代理をさせるわけにはいかないが、いずれはまあ領都邸の使用人たちを監督する経験があるのも悪くはないだろう」
『ターランド伯爵家のお子様』をお世話するのに、否やはない──正当な血筋であれば。
むろん子守りのような女の使用人がする仕事を率先してするつもりはなく、嫡男であるリグレがこの領邸にいる間の教育係ぐらいせいぜいが面倒を見る許容範囲内で、今やっているような『寝ている子供を運ぶ』などと言うのは下男の仕事だと思っている。
どこの馬の骨ともわからぬ──文字通り骨だらけの軽すぎる男児はぐにゃりとして気持ち悪く、どうせ子供を抱くならお嬢様だったならよかったのにと思わないでもない。
一体何を思って、旦那様はこんな子供を大切に扱われるのか──
今までは貴族らしく嫡男や令嬢とは少し距離を置いてふたりの教育は奥様に任されていたらしいが、何故か今日は自分が嫡男様を抱いてその役を下男に任せようとはしない。
「……まったく、何を考えておられるのか」
聞こえないように声を潜め、ため息交じりでそう呟く。
幸いなことに抱かされている子供はピクリとも瞼を動かさず、本当に糸の切れた人形のように脱力していた。
不愉快なことはまだ続く。
リグレの部屋はもちろん嫡男としてふさわしい広い私室と寝室が繋がった部屋だが、ギンダーが言いつけられたこの子供の部屋は、その次に良い部屋である。
確かに「次男として養子にした」と言われたが、その素性をギンダーは王都邸にいるラウド専属執事のルベラほど詳しくは知らされていない。
むしろ王都からこの領都邸に来るまで護衛していた者たちの方が詳しいぐらいで、しかも彼らは「お可哀想な方なんだ…」と涙ぐみそうな悲痛な表情をして同情心を露わにする。
それもまたギンダーを苛つかせた。
次の日もまだ苛立ちは続く。
何せあの小さな子供には専属の従者がついているのだ。
次期当主となるリグレにはもちろんロフェナが従って世話をするので、ギンダー自身はご当主がこの領都に帰ってきた時に家令であるルベラに代わってラウドの執事として付き従えばいいのだが、彼が何も話さないのに、自分から『アーウェン』という名の子供の素性など尋ねようがない。
しかも簡単に紹介された『アーウェンの家庭教師』という男は風貌が自分たちと少し違って異国の者のようであり、いかにも『正体不明』といわんばかりである。
その男は図書室の隣の部屋を寝室とするだけでなく好き勝手に図書室に出入りできる許可まで与えられているが、大切な蔵書に何か間違いがあってはいけないと目を光らせねばならず、気苦労が絶えなくなってしまった。
そしてカラという少年──さすがにアーウェンよりもよほど健康そうではあるが、ちゃんとした教育を受けているか怪しいものである。
ひょっとしたら手癖が悪いことを隠して、旦那様たちに取り入ったのでは──そう思えば疑わしいように見えてしまう。
聡明な旦那様が間違いを犯されるとは思わないが、ひょっとして『貧しい子供を救いたい』という気持ちに付け込まれ、危険分子を懐に入れられてしまったのでは──
「……で、明日からの視察だが……ギンダー?どうした?」
「……はっ……い、いえ、申し訳ございません」
「そういえばお前も、私たちがこちらに戻ってからまだ半日休みも取っていなかったな?では、明日はロフェナを同行させよう。リグレももうそろそろ実地を見せたいと思っていたところだから、ちょうどいいだろう」
「えっ……そ、それは、旦那様……」
「うん?都合が悪いか?そういえば婚約者がいたな……その者と休みが合うようにした方がいいか。相談のうえ、休暇申請をしなさい」
「えっ…あ、はい……」
思わずあれこれと最悪を考えていたギンダーは、ラウドからの問いかけに瞬時に反応することができず、却って心配をかけたことを詫びる。
さらにいきなり特別休暇を与えられて挙動不審にキョロキョロとしてしまったが、逆に心を決めた。
「いえ、都合は特にございません。明日、半日お休みをいただきたく存じます」
「そうか。すまないな、全日とはいかず……バラットがいれば数日ぐらい可能なのだが。ああ、もし婚姻の予定が立ったならば、遠慮せずに言いなさい。その際はさすがにバラットを呼び寄せねばならないからね」
「あ、ありがとうございます、旦那様」
その気遣いに感動し、ギンダーは心が熱くなるのを感じる──次の言葉が続くまでは。
「今はロフェナに家令代理の代理をさせるわけにはいかないが、いずれはまあ領都邸の使用人たちを監督する経験があるのも悪くはないだろう」
7
お気に入りに追加
783
あなたにおすすめの小説
【完結】クビだと言われ、実家に帰らないといけないの?と思っていたけれどどうにかなりそうです。
まりぃべる
ファンタジー
「お前はクビだ!今すぐ出て行け!!」
そう、第二王子に言われました。
そんな…せっかく王宮の侍女の仕事にありつけたのに…!
でも王宮の庭園で、出会った人に連れてこられた先で、どうにかなりそうです!?
☆★☆★
全33話です。出来上がってますので、随時更新していきます。
読んでいただけると嬉しいです。
今度生まれ変わることがあれば・・・全て忘れて幸せになりたい。・・・なんて思うか!!
れもんぴーる
ファンタジー
冤罪をかけられ、家族にも婚約者にも裏切られたリュカ。
父に送り込まれた刺客に殺されてしまうが、なんと自分を陥れた兄と裏切った婚約者の一人息子として生まれ変わってしまう。5歳になり、前世の記憶を取り戻し自暴自棄になるノエルだったが、一人一人に復讐していくことを決めた。
メイドしてはまだまだなメイドちゃんがそんな悲しみを背負ったノエルの心を支えてくれます。
復讐物を書きたかったのですが、生ぬるかったかもしれません。色々突っ込みどころはありますが、おおらかな気持ちで読んでくださると嬉しいです(*´▽`*)
*なろうにも投稿しています
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
公爵令嬢はアホ係から卒業する
依智川ゆかり
ファンタジー
『エルメリア・バーンフラウト! お前との婚約を破棄すると、ここに宣言する!!」
婚約相手だったアルフォード王子からそんな宣言を受けたエルメリア。
そんな王子は、数日後バーンフラウト家にて、土下座を披露する事になる。
いや、婚約破棄自体はむしろ願ったり叶ったりだったんですが、あなた本当に分かってます?
何故、私があなたと婚約する事になったのか。そして、何故公爵令嬢である私が『アホ係』と呼ばれるようになったのか。
エルメリアはアルフォード王子……いや、アホ王子に話し始めた。
彼女が『アホ係』となった経緯を、嘘偽りなく。
*『小説家になろう』でも公開しています。
リリゼットの学園生活 〜 聖魔法?我が家では誰でも使えますよ?
あくの
ファンタジー
15になって領地の修道院から王立ディアーヌ学園、通称『学園』に通うことになったリリゼット。
加護細工の家系のドルバック伯爵家の娘として他家の令嬢達と交流開始するも世間知らずのリリゼットは令嬢との会話についていけない。
また姉と婚約者の破天荒な行動からリリゼットも同じなのかと学園の男子生徒が近寄ってくる。
長女気質のダンテス公爵家の長女リーゼはそんなリリゼットの危うさを危惧しており…。
リリゼットは楽しい学園生活を全うできるのか?!
頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。
音爽(ネソウ)
ファンタジー
見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。
その容姿のせいで誤解され、男達には尻軽の都合の良い女と見られ、婦女子たちに嫌われていた。
16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。
後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる