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第一章 アーウェン幼少期
伯爵夫人は静かに怒る ①
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ひと口目はすごく美味しかった、生まれて初めてのケーキ。
アーウェンはそれをほとんど味わうことができなかったが、まるでやり直すかのように夫人が用意させたアフタヌーンティーセットにはケーキやカナッペ、サンドイッチなどがたっぷりと用意されていた。
「さあ、召し上がれ」
あまりに美しくセットされたそれらにまったく手を伸ばさないアーウェンを訝しく思いながら、それはおそらく子供らしく『見知らぬ場所に来たゆえの遠慮と恐れ』と見て取った伯爵夫人は、遠慮することはないと態度で示すようにティーカップを取った。
どうしていいのかわからずに挙動不審に目を泳がせるアーウェンの側に控えた侍女が、小さくカサついた子供らしくない手の側にそっとカップを寄せると、周囲の大人たちの目を窺うようにしながらようやくおずおずと手を伸ばす。
カタカタと震えるのを伯爵夫人以下は緊張のためと思ったが、アーウェン自身はいつそんな美しいカップに手を出したことを咎められるのかと戦々恐々としていた。
だがそんなことをしても怒鳴られることも手を叩かれることもなく、上質な食器のその薄さと軽さに驚いて目を見張り、ルビー色のお湯とその香りに不思議そうな表情をするアーウェンを、皆が憐れみの目で見ることにも気付かない。
男爵家ではこんな上質な食器は王都の家どころか領地の屋敷にすら無いし、そもそもアーウェンが使うことを許されている食器といえば欠けたどころか半分に割れてしまった皿がせいぜいで、水を飲むにしても自分の手で掬って啜るのがせいぜいだ。
赤ん坊の頃はさすがに哺乳瓶やコップを使ってミルクを飲ませてもらったはずだが、アーウェン自身にはもうその頃の記憶はない。
そこまで詳しくアーウェンのことを聞かされてはいないディーファン伯爵夫人は、先にアーウェンのことを知らされている侍従たちがもたらし伝染した場の空気を変えようと上品に咳ばらいをし、アーウェンの側にいる侍女に向かってわずかに扇を動かした。
「……そのままでは飲みにくいかもしれないわ。甘いのが嫌でなければ、ミルクとお砂糖を入れるか、蜂蜜をお使いなさい」
「は…ちみつ……?」
『砂糖』は料理の時に使うとても貴重なものだったが、あまり質の良くない蜂蜜でもサウラス家では高級品になるため、両親とヒューデリクはともかくアーウェンには味を覚えさせないようにと一切与えられずに育ったため、まったく見知らぬ単語にキョトンとする。
それにこのいい香りのするお湯が「飲みにくい」とは……?
赤ん坊の頃にはさすがに薄めたスキムミルクを飲ませてもらえたが、二歳よりも前に与えられたのは水や両親と兄たちが飲み残したスープをさらに薄められて嵩増しされた物ぐらいで、アーウェンは他の味を知らない。
「……ッアツ!にがっ!」
見た目と香りに反した味と熱さにアーウェンはものすごく驚き、エレノアはそんな義兄の様子にキャッキャッと笑う。
そんなふたりの幼子を見ながら、また母であるヴィーシャムも微笑んでいたが、次の言葉でほんのわずかに凍りついた。
「……は…はくしゃくふじん、さま……あの……こ、この、あつい…おみずは……どく…ですか?」
『毒』というものが何なのかわからないが、すぐ上の兄が笑いながら教えてくれた──それはとても苦くて、喉が熱くなって、苦しいものだと。
アーウェンが兄のための食器をひとつでも壊したら、本当に苦くて喉が熱くなって苦しくなるのか、試してやると。
「それを飲んでも死ななかったら………お前を許してやるよ」と。
だからきっとアーウェンは今、この伯爵家で何か粗相をして毒を飲まされたのだと理解した。
それはひょっとしたら父に殴られて気絶したことかもしれないし、それをいいことに綺麗なベッドでぐっすりと寝てしまったことかもしれない。
だからきっとこのカップのこの『あついみず』を飲み干して死ななければ──アーウェンは『死』という概念を理解してはいなかったが──きっと許してもらえるのだ。
そう思って決意を固めた目で湯気の立つ赤くかぐわしい水を見つめ、火傷も辞さない覚悟で喉に流し込むためにカップを持ち上げ──
「……………もうひとつカップを。少しぬるめで、蜂蜜を入れてちょうだい。アーウェンのカップにはお砂糖を」
魔法のように熱いカップはアーウェンの指から外され、少しだけ言葉に詰まったのを誤魔化す柔らかな笑みを浮かべた伯爵夫人が指示を出す。。
「え……?あ、あの……?」
オロオロとアーウェンが取り上げられたカップを取り戻そうと手を伸ばしかけようとして引っ込めるのを可愛らしく思いながら、あくまでも他人行儀な呼び方にターランド伯爵家とサウラス男爵家には意思の齟齬が生じていることを感じて、ヴィーシャムの手にした扇の骨がわずかにピシッと軋む音を立てた。
アーウェンがそれが何であれ取り上げられたカップを目で追っていたが、戻ってきたカップを見て目を丸くする。
さっきのルビー色のお湯は少し黒ずんだ色に変わっているが、手にするようにと促されたカップはさっきよりも指に優しい温かさになっていた。
しかもふわりと立ち上る香りはかぐわしいのと同時に嗅いだこともないほどの甘さも備わり、たまらず口に含んだアーウェンはとろけるような顔で飲み干した。
アーウェンはそれをほとんど味わうことができなかったが、まるでやり直すかのように夫人が用意させたアフタヌーンティーセットにはケーキやカナッペ、サンドイッチなどがたっぷりと用意されていた。
「さあ、召し上がれ」
あまりに美しくセットされたそれらにまったく手を伸ばさないアーウェンを訝しく思いながら、それはおそらく子供らしく『見知らぬ場所に来たゆえの遠慮と恐れ』と見て取った伯爵夫人は、遠慮することはないと態度で示すようにティーカップを取った。
どうしていいのかわからずに挙動不審に目を泳がせるアーウェンの側に控えた侍女が、小さくカサついた子供らしくない手の側にそっとカップを寄せると、周囲の大人たちの目を窺うようにしながらようやくおずおずと手を伸ばす。
カタカタと震えるのを伯爵夫人以下は緊張のためと思ったが、アーウェン自身はいつそんな美しいカップに手を出したことを咎められるのかと戦々恐々としていた。
だがそんなことをしても怒鳴られることも手を叩かれることもなく、上質な食器のその薄さと軽さに驚いて目を見張り、ルビー色のお湯とその香りに不思議そうな表情をするアーウェンを、皆が憐れみの目で見ることにも気付かない。
男爵家ではこんな上質な食器は王都の家どころか領地の屋敷にすら無いし、そもそもアーウェンが使うことを許されている食器といえば欠けたどころか半分に割れてしまった皿がせいぜいで、水を飲むにしても自分の手で掬って啜るのがせいぜいだ。
赤ん坊の頃はさすがに哺乳瓶やコップを使ってミルクを飲ませてもらったはずだが、アーウェン自身にはもうその頃の記憶はない。
そこまで詳しくアーウェンのことを聞かされてはいないディーファン伯爵夫人は、先にアーウェンのことを知らされている侍従たちがもたらし伝染した場の空気を変えようと上品に咳ばらいをし、アーウェンの側にいる侍女に向かってわずかに扇を動かした。
「……そのままでは飲みにくいかもしれないわ。甘いのが嫌でなければ、ミルクとお砂糖を入れるか、蜂蜜をお使いなさい」
「は…ちみつ……?」
『砂糖』は料理の時に使うとても貴重なものだったが、あまり質の良くない蜂蜜でもサウラス家では高級品になるため、両親とヒューデリクはともかくアーウェンには味を覚えさせないようにと一切与えられずに育ったため、まったく見知らぬ単語にキョトンとする。
それにこのいい香りのするお湯が「飲みにくい」とは……?
赤ん坊の頃にはさすがに薄めたスキムミルクを飲ませてもらえたが、二歳よりも前に与えられたのは水や両親と兄たちが飲み残したスープをさらに薄められて嵩増しされた物ぐらいで、アーウェンは他の味を知らない。
「……ッアツ!にがっ!」
見た目と香りに反した味と熱さにアーウェンはものすごく驚き、エレノアはそんな義兄の様子にキャッキャッと笑う。
そんなふたりの幼子を見ながら、また母であるヴィーシャムも微笑んでいたが、次の言葉でほんのわずかに凍りついた。
「……は…はくしゃくふじん、さま……あの……こ、この、あつい…おみずは……どく…ですか?」
『毒』というものが何なのかわからないが、すぐ上の兄が笑いながら教えてくれた──それはとても苦くて、喉が熱くなって、苦しいものだと。
アーウェンが兄のための食器をひとつでも壊したら、本当に苦くて喉が熱くなって苦しくなるのか、試してやると。
「それを飲んでも死ななかったら………お前を許してやるよ」と。
だからきっとアーウェンは今、この伯爵家で何か粗相をして毒を飲まされたのだと理解した。
それはひょっとしたら父に殴られて気絶したことかもしれないし、それをいいことに綺麗なベッドでぐっすりと寝てしまったことかもしれない。
だからきっとこのカップのこの『あついみず』を飲み干して死ななければ──アーウェンは『死』という概念を理解してはいなかったが──きっと許してもらえるのだ。
そう思って決意を固めた目で湯気の立つ赤くかぐわしい水を見つめ、火傷も辞さない覚悟で喉に流し込むためにカップを持ち上げ──
「……………もうひとつカップを。少しぬるめで、蜂蜜を入れてちょうだい。アーウェンのカップにはお砂糖を」
魔法のように熱いカップはアーウェンの指から外され、少しだけ言葉に詰まったのを誤魔化す柔らかな笑みを浮かべた伯爵夫人が指示を出す。。
「え……?あ、あの……?」
オロオロとアーウェンが取り上げられたカップを取り戻そうと手を伸ばしかけようとして引っ込めるのを可愛らしく思いながら、あくまでも他人行儀な呼び方にターランド伯爵家とサウラス男爵家には意思の齟齬が生じていることを感じて、ヴィーシャムの手にした扇の骨がわずかにピシッと軋む音を立てた。
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