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あとがき
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この度はご高覧いただき、誠にありがとうございます。
私は以前から遊里文化に興味があり、自身でいろいろと調べたりしておりました。
皆様が最も多く目に触れる遊里といえば、吉原だと思うのですが、今回は江戸四宿の一つ、品川宿を物語の舞台に選びました。作品の中でも紹介いたしましたが、品川宿は東海道の宿場町の一つで、江戸から近く、海の横にある風情のある所だったようです。
近くには薩摩藩邸や、増上寺とその支院があり、武士や僧侶の客が多かったそうです。
料金も、吉原と比べるとうんと安く(四宿の中では一番高い)、旅に出る家族や知人の見送りがてら品川まで来て、ついでに女を買うということもあったようです。
今回、品川で物語を書くにあたり私自身も初めて知る吉原と品川の違いがありました。その点を何点かご説明いたします。
まず、源氏名といえば、「高尾」や「吉野」など、漢字二文字のイメージですが、岡場所などではおの字名を使っていたそうです。
次に、遊里といえば廓言葉(ありんす言葉)が有名ですが、吉原と岡場所では話し方も若干異なったようです。
今回物語ではおちよは吉原から鞍替えでやってきたため、吉原訛りのまま、おひらやその他の朋輩たちは岡場所で使われていたという「ごぜえす」訛りにしました。
この話を書くまで、岡場所の訛りが吉原とは違うということを知らなかったので、とても興奮しました。(笑)
詳しくは、昭和三十九年に出版された『廓言葉の研究』という図書に書かれているそうなのですが、絶版になっており、近隣の図書館になくがっかりと肩を落とした次第です。いつか読んでみたいと思っております。古本屋などでお見かけの際はご連絡ください。泣いて喜びます(笑)
次にこの時代の性交について…。
クンニリングス(江戸時代は舐陰、舌人形といったようです。)は、今のように一般的な行為ではありませんでした。現在のように衛生環境が整っていない時代で、病気の心配もありました。女性も男性も、性器を舐める、舐められることに抵抗があったのでしょう。
ちなみに、江戸時代は女性の数が少なかったため、行為においても女性がある程度優位性を持っていたのではないかと、書かれている文献を目にしました。嫌われないために男性も気を使ったことでしょう(笑)
もちろん、クンニリングス自体が全くなかったというわけではなく、特別な間柄や、拝み倒されて仕方なくクンニリングスを許可したなんてこともあったようです。
浮世絵などでもまれにみることができます。
「めったにすることのない奇妙な行為をする」ということに意味があり、遊里によっては本当に心中立てのような役割を持たようです。
できるだけ、遊里文化をご存じない方でもわかりやすいように描くことを心がけたつもりですが、私自身が十代のころから遊里の歴史にどっぷりつかっているので、一般の皆様の認識とはかけ離れたところもあるかと存じます。
言葉の意味など、分からない箇所は解説できればと思っておりますので、何かあれば教えていただけますと幸いです。
また、自分なりにいろいろと調べて書き上げましたが、まだつたないところが多々あると存じます。歴史的な面でこれはおかしいのではないかということがございましたら、ご教授いただけますと幸いです。(いい参考文献など教えていただけますと、泣いて喜びます。)
まだまだ、たくさん書きたい遊女ものがございますので、今後ともよろしくお願いいたします。
本当にありがとうございました。
2019.05.22 駒留紺子
<参考資料>
『江戸の売春』 永井義男 河出書房新社
『春画の色恋』 白倉敬彦 講談社学術文庫
『春画と書入れから見る吉原と江戸風俗』 永井義男 学研
『浮世絵に見る江戸吉原』 佐藤要人(監修)・藤原千恵子(編) 河出書房新社
『江戸の恋-「粋」と「艶気」に生きる』 田中優子 集英社新書
『【完全保存版】おこうと仏像で仏教がわかる本』 江澤隆志(発行)・梨本敬法(編集) 洋泉社MOOK
私は以前から遊里文化に興味があり、自身でいろいろと調べたりしておりました。
皆様が最も多く目に触れる遊里といえば、吉原だと思うのですが、今回は江戸四宿の一つ、品川宿を物語の舞台に選びました。作品の中でも紹介いたしましたが、品川宿は東海道の宿場町の一つで、江戸から近く、海の横にある風情のある所だったようです。
近くには薩摩藩邸や、増上寺とその支院があり、武士や僧侶の客が多かったそうです。
料金も、吉原と比べるとうんと安く(四宿の中では一番高い)、旅に出る家族や知人の見送りがてら品川まで来て、ついでに女を買うということもあったようです。
今回、品川で物語を書くにあたり私自身も初めて知る吉原と品川の違いがありました。その点を何点かご説明いたします。
まず、源氏名といえば、「高尾」や「吉野」など、漢字二文字のイメージですが、岡場所などではおの字名を使っていたそうです。
次に、遊里といえば廓言葉(ありんす言葉)が有名ですが、吉原と岡場所では話し方も若干異なったようです。
今回物語ではおちよは吉原から鞍替えでやってきたため、吉原訛りのまま、おひらやその他の朋輩たちは岡場所で使われていたという「ごぜえす」訛りにしました。
この話を書くまで、岡場所の訛りが吉原とは違うということを知らなかったので、とても興奮しました。(笑)
詳しくは、昭和三十九年に出版された『廓言葉の研究』という図書に書かれているそうなのですが、絶版になっており、近隣の図書館になくがっかりと肩を落とした次第です。いつか読んでみたいと思っております。古本屋などでお見かけの際はご連絡ください。泣いて喜びます(笑)
次にこの時代の性交について…。
クンニリングス(江戸時代は舐陰、舌人形といったようです。)は、今のように一般的な行為ではありませんでした。現在のように衛生環境が整っていない時代で、病気の心配もありました。女性も男性も、性器を舐める、舐められることに抵抗があったのでしょう。
ちなみに、江戸時代は女性の数が少なかったため、行為においても女性がある程度優位性を持っていたのではないかと、書かれている文献を目にしました。嫌われないために男性も気を使ったことでしょう(笑)
もちろん、クンニリングス自体が全くなかったというわけではなく、特別な間柄や、拝み倒されて仕方なくクンニリングスを許可したなんてこともあったようです。
浮世絵などでもまれにみることができます。
「めったにすることのない奇妙な行為をする」ということに意味があり、遊里によっては本当に心中立てのような役割を持たようです。
できるだけ、遊里文化をご存じない方でもわかりやすいように描くことを心がけたつもりですが、私自身が十代のころから遊里の歴史にどっぷりつかっているので、一般の皆様の認識とはかけ離れたところもあるかと存じます。
言葉の意味など、分からない箇所は解説できればと思っておりますので、何かあれば教えていただけますと幸いです。
また、自分なりにいろいろと調べて書き上げましたが、まだつたないところが多々あると存じます。歴史的な面でこれはおかしいのではないかということがございましたら、ご教授いただけますと幸いです。(いい参考文献など教えていただけますと、泣いて喜びます。)
まだまだ、たくさん書きたい遊女ものがございますので、今後ともよろしくお願いいたします。
本当にありがとうございました。
2019.05.22 駒留紺子
<参考資料>
『江戸の売春』 永井義男 河出書房新社
『春画の色恋』 白倉敬彦 講談社学術文庫
『春画と書入れから見る吉原と江戸風俗』 永井義男 学研
『浮世絵に見る江戸吉原』 佐藤要人(監修)・藤原千恵子(編) 河出書房新社
『江戸の恋-「粋」と「艶気」に生きる』 田中優子 集英社新書
『【完全保存版】おこうと仏像で仏教がわかる本』 江澤隆志(発行)・梨本敬法(編集) 洋泉社MOOK
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遊女の心中ものは生まれて初めて読みました。人形浄瑠璃での心中ものなら見た経験があり、ご作品は近松門左衛門の系譜に連なる伝統と現代官能文芸の技法を満たした快作であります。
主人公の、諦観と若々しくも卑俗な好奇心が混ざった独白が実に生々しく、品川という舞台の選択と相まって非常に印象に残りました。
大変面白かったです。
ご高覧および、お褒めの言葉をいただきありがとうございます。
未熟な作品にもかかわらず、心中界の大巨匠の近松門左衛門先生の系譜とまでおっしゃっていだだき大感激でございます。
これからも誠心誠意努力していい作品が残せるように頑張ります。
本当にありがとうございました。