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第二部 第一章
第二話 「海軍再編」その二
しおりを挟むアイゼン諸島は法的には皇国領ではなく、租借地とされている。
ただ、租借期限は五〇〇年であり、通常の種族であれば永年と看做されても不思議ではない。しかし、皇国では珍しい話ではなく、アイゼン諸島本来の持ち主であるヴェッケル王国は古くから皇国と友好的な関係を築いていただけあって、無人のアイゼン諸島を貸すことに大きな混乱はなかった。
アイゼン諸島でもっとも大きな島は、アリーゼと呼ばれる島で、もっとも大きな街があり、港があり、多くの資本が投下されていた。
ただ、皇国の資本が作った造船所はアリーゼではなく、周辺のいくつかの島に分散していた。これはアリーゼ周辺の海域が混み合っており、造船所で作られた船を引き出すにも、造船所に資材を船で運び込むにもいらぬ苦労をしなければならないという現実があったからだ。
そうした対応をしたとはいえ、現実としてアイゼン諸島の海は混雑している。
一日中、軍民問わず多くの船が行き交い、船を見るのがなによりも好きという趣味を持つ者にとっては理想郷と言える環境だった。
「はぁ……」
それを満喫している女性がいる。
皇国では皇妃という立場にあるため自由に船を眺めるという機会も少なかったため、半ば無理やりに今回のアイゼン諸島行きを取り付けたのだが、その苦労に見合った光景だった。
「やっぱり皇都じゃこうはいかないよ。湖に浮かぶ艦もいいけど、広い大海原を進む艦には他にない力強さがあるもん」
「はあ」
海を見下ろす展望台で特注の双眼鏡を覗き込んだまま熱弁する妃に相鎚を打つ仕事をしながら、レクティファールは自分には理解できない趣味に最大限の理解を示す夫の振りをしていた。
彼自身、巨大な人工物である艦船に感じ入るものがないわけではない。しかしそれは目の前の妃のそれとはまったく熱量が違った。
「フェリスさん、そろそろ宿に戻らないと色々面倒ですよ」
「待って! ちょうどプリンセ・フェリン級が出てきたところだから!!」
フェリスが見詰める先、島影からゆっくりと姿を見せたのは皇国の戦龍母艦だ。
皇国が建造した同盟型戦龍母艦の一番艦、プリンセ・フェリンは、フェリスの名前を与えられた艦だった。
基本的に皇国では人物の名前を艦に付けることはない。それが存命中の人物であれば尚更だ。仮に付けられるとしても、その人物にちなんだ地名を付けたということになっている。
それが何故、あの艦だけがフェリスの名前を付けられたのかといえば、同盟型という、他国との連携を念頭に作られた新しい艦であるからというのが一番の理由になる。
プリンセ・フェリン級は、小改装を経て他国に供与されることが最初から決められた艦だった。そのため、その大きさは他の皇国の戦龍母艦より二回りほど小さく、排水量は半分程度しかない。
多数の龍族や飛竜が暮らす皇国でこそ大型の戦龍母艦は意味を成すのであって、それほど多くの航空戦力を持たない他国の海軍では、大型戦龍母艦はあまりにも過剰な装備だった。
しかし、戦龍母艦そのものは船団護衛から強襲揚陸まで様々な用途がある。極端な話、巨大な箱になにを詰めるかで艦としての性能を大きく変更することができるのだ。
飛竜はいないにしても、自動人形の母艦にすることはできる。自動人形がなくとも、兵員を輸送することはできる。兵員を輸送しなくとも、災害時の海上基地になる。
様々な議論が行われた結果、同盟型戦龍母艦の設計と建造が決まった。設計は戦龍母艦の総本山ともいえる皇国が行うことになり、規模としては中型戦龍母艦に属する。
そうして完成したプリンセ・フェリン級だが、その艦級名について各国海軍から強い要望が行われた。皇王レクティファールの皇妃フェリスの名を冠してほしいというのだ。
皇国は困惑した。彼らはこの艦級名を同盟型戦龍母艦一型級として名付けるつもりだったのだ。あまりにも無機質な名前に思われるかもしれないが、皇国の基準で名前を付けると皇国の地形や水龍の種族名になってしまう。それはさすがに外聞が悪いということでこの上なく無機質な名前に決まる予定だったのだ。
各国海軍は、その実戦部隊の要望をそのまま皇国に伝えていた。
海軍将兵は揃って蒼龍の姫君の名に肖りたいと願っていた。
海に出れば、自分の実力と海の気紛れに命を預けなければならない彼らだ。海そのものとも言える水龍の、それも名高い蒼龍公の一族に連なる名の艦に乗り込むことで、少しでも生き延びる可能性を上げたいと思うのは自然なことだった。
軍人ほど現実主義で、神秘主義な人々はいない。彼らは現実を固く信じ、同じだけ非現実を信じていた。
皇国政府は同盟国からの要望を受け、皇王レクティファールの裁可を仰いだ。ことがことだけに政府が判断できるものではなかった。そして皇王レクティファールは、直接妻に問うことにした。
その際、「私としては、あなたの名前が人々を安心させるならば、それは誇らしいことです」と言い添えたという。
皇妃フェリスは快諾したと皇国政府は各国海軍に通知した。
実際、フェリスは自分の名前が艦に付けられることを恥ずかしがり、戦闘や事故で乗員ごと沈んだら遺族に申し訳ないと恐縮していた。だが、それでも自分が誰かの役に立てるならと承諾したのだった。
そんな騒動があったプリンセ・フェリン級だが、次々と各国へ供与されていき、現在では六隻が就役している。すべての艦が皇国で訓練を受けてから各国に送られ、いまフェリスが見つけた一隻も新たに進水し、艤装を行うべく移動中の艦だった。
そう遠くない未来に就役先の国から艤装員たちがやってきて、訓練を行うだろう。
「あの艦、甲板の形がちょっと違うね。自動人形の母艦になるのかな」
「そうかもしれません」
レクティファールはフェリスの言葉に相鎚を打った。
プリンセ・フェリン級は標準的な自動人形であれば八機から十二機は搭載できる。この数の違いは自動人形の装備の差であり、軽量型であれば十二機、重装型であれば八機だ。
「ううーん、もうちょっとでどこの国のかわかるんだけど……」
双眼鏡を覗き込んだままぐねぐねと体を動かすフェリス。その様子を苦笑しながら眺めていたレクティファールの背後に、気配が現れる。
「オい」
「ひいいっ!」
ひゅごぉっという空気の流入音と共に姿を見せたのは、何とも言いがたい色合いの髪を靡かせた甲冑姿の女だった。
彼女は声を掛けてフェリスを驚かすと、ゆっくり地面に降り立ち、曖昧な色合いの髪を掻き上げてからふたりに近付いた。
「そろそロ時間だ。フェリスは宿荘に戻レ」
「え! もうそんな時間!?」
フェリスは慌てて懐中時計を取り出す。
軍の官給品と同じ飾り気のない時計は、夕刻の浅い時間を示していた。
すでに次の予定まで半時間を切っている。
「衣裳の調整ヲしタいと、もう人が待っていルゾ」
「あわわわ……」
フェリスは慌てて双眼鏡を鞄に仕舞い込む。
「レクトも教えてくれたら良かったのに!!」
「こんなにのんびりした時間はあまりありませんから、好きなように過ごすのが一番だろうと思いまして……」
「それは、そうかもしれないけど!」
フェリスは不満そうに頬を膨らませる。
よくリリシアが同じようなことをするが、フェリスのほうが膨らみが小さかった。
「本当ならふたりで散歩するとか、なにか食べるとかしたかったんだよ! ここって結構有名な屋台とかもあったのに!」
「それは申し訳ないことをしてしまいました。またどこかで時間が取れるか確認してみましょう」
「本当だよ! 頼んだからね! 絶対だよ!!」
フェリスはレクティファールの手を両手で握り、じっと顔を見上げた。
嘘は許さないという態度だ。
レクティファールは微笑み、頷くことで答えた。
「よし、それじゃあわ、わたしは行くからね。たぶん夜宴で会うことにはなると思うけど、知らない女の人について行っちゃダメだからね!!」
そう言ってフェリスはレクティファールの頬に唇を触れさせ、走り去る。
口付けと言うには短いものであったが、フェリスの性格ではこれが限界であった。
「忙シナいな。おもシロイ奴だ」
リリスフィールは皇妃たちを観察対象として大いに気に入っていた。
昔は興味の赴くままに行動してレクティファールとの逢瀬に顔を出して怒鳴り散らされるという事件もあったが、今ではある程度空気を読むこともできるようになった。
「それジャ、ワタシはフェリスに付く」
そう言って、リリスフィールはレクティファールに頭を突き出した。
すぐにその意図を察したレクティファールが、その頭を撫でる。
一切の色がない中空の髪は、周囲の光や魔素によって様々に色を変化させる。レクティファールの手が動くたびに、その色合いは赤や青に変わった。
「よろしくお願いします」
「ウム」
どこか満足そうに吐息を漏らしたリリスフィールが、現れた時と同じような音と共に姿を消す。
戦闘精霊であるリリスフィールが護衛に付いているからこそ、フェリスは比較的自由に動き回ることができるのだ。本来ならば、護衛の乙女騎士小隊に囲まれながら行動しなければならない。
しかし今、護衛の小隊はフェリスを緩やかに囲んでいるだけで、その姿を積極的に見せることもなかった。ただ、レクティファールの感知器群には彼女たちの姿が見えており、問題なく職務を遂行していることが分かる。
「さて、私はどうしたものか」
皇王レクティファールは、本来ここにはいない。
ここにいるのはレクト・ハルベルンだ。近日中に行われるいくつかの国との装備輸出交渉に、その随員として皇国近衛軍の士官の身分で参加している。
それというのも、ハルベルン家の母であるルイーズが、嫁たちを旅行に連れ出したいと言い出したからだ。
レクティファールはその要望を直接通話で聞かされ、更にレクトの妻であるヘスティやベルシアの名前を出されて降伏を選んだ。母に逆らうことの愚かさはよく知っている。
いまだに自分の正体を知らない――あえて聞こうともしない――妻たちの要望を叶えるべく調査を行い、この時期にアイゼン諸島で行われる交渉の視察を決めた。
アイゼン諸島には皇国資本の高級旅荘がいくつもある。今回のように他国の使節団が訪れることを想定して作られた施設で、それだけに警備もかなり厳重で、女性が旅行にきても危険はないとされていた。
「おや」
懐の個人通信端末が音を立てる。
レクティファール自身よりも遙かに劣る通信端末を持ち歩いているのは、その方が『レクト・ハルベルン』らしいからだった。
レクティファールは通信端末を取り出し、その表示窓を開く。
そしてルイーズから送られてきた画像を確認する。
「…………」
それは、ヘスティとベルシアが水着で砂浜と海を満喫している姿だった。
旅行前にタキリも交えて選んだと聞かされていたが、水着の善し悪しはレクティファールにはよく分からない。
ただ、画像に写っているふたりが楽しそうで、背後に小さく映っているベルシアの兄ゲオルグが波に攫われそうになっている部分を除けば、この上なくレクティファールを満足させるものだった。
交渉事の視察が順調に終われば、一日くらいは合流して出掛ける時間も取れるだろう。
レクティファールの妻たちは、レクト・ハルベルンの妻たちに対しては一切の干渉をしない。自分たちの夫の仮初めの姿を愛することになってしまった女性たちに対しての複雑な感情を持っていることはレクティファールにも理解できるが、それを確かめるような真似はしない。
それはどちらの女性にとっても、あまりにも不躾であるように思えたからだ。
きっと彼女たちは一生私的に交わることなく過ごすのだろう。
レクティファールのためにも、この国のためにも彼女たちはそうするしかないのだ。
「はぁ」
レクティファールはため息を吐く。
そして、通信端末でベルシアを呼び出した。
「ああ、ベルシアさん、少し時間が空いたのでそちらに合流します。ヘスティさんの端末が動いていないようなんですが……」
『えっ? あっ! 海に落ちてる!! ヘスティ! 端末落ちてる! これ仕事でも使ってる奴だろう!』
『きゃああああっ!! どうしましょう!?』
『どうもこうもない! 軍の官給品なら乾かせば大丈夫だから焦らないの!』
『ベルシアさ~~ん!!』
端末の向こうのやりとりを聞きながら、レクティファールは彼女たちがいるはずの島へ渡る準備をする。
少し飛べばいいだけだが、この地域の航空管制演算機に接続して安全を確認する必要があった。
島嶼部の輸送には、飛竜や鷲獅子などによる航空輸送が用いられている。空中でそれらにぶつかれば、レクティファールは無事でも相手は墜落してしまう。それを防ぐには、レクティファール側が細心の注意を払う必要がある。少なくとも彼らは正規の手順で空を飛んでいる。レクティファールがそこに入り込むのだから、彼が全面的に責任を負うのは当然のことだった。
「夕食くらいは一緒に取れると思いますので、義母にもそう伝えておいてください」
『わかった。あまり無理はするなよ。交渉の随員なんて、神経を使う仕事ばかりなんだ』
〈ガイエンルツヴィテ〉出身のベルシアは、元国家憲兵であり、そうした交渉事の警護をした経験があった。交渉に当たる役人たちが大いに苦労していることをその目で見てきたのだ。夫がその役人のひとりとして働いているとなれば、心配にもなろうというものだった。
『まあ、君はそういう部分では神経が太そうだが……』
「ははははは」
まったく反論の余地がない。
レクティファールの神経は太い。それだけで戦艦を引っ張ることができるほど太く、強固な神経の持ち主であった。
『さっき宿にル=シェールの海軍将校たちが入館手続きに来ていた。きっと君の同業だろう。わたしとヘスティにも声を掛けてきたから、間違いなくル=シェール海軍の軍人だ』
「なるほど」
ル=シェール海軍というか、その周辺国の海軍将校はとにかく女性に声を掛ける。
軟派な海軍将校を見掛けたら大抵そのあたりの出身者だと言われるほどだ。国民性というものなのかもしれない。
『ベルシアさん! 端末引き揚げました!』
『わかった。じゃあ真水で海水を洗おう。ルイーズさん、水筒はどこですか?』
二人のやりとりで通信は切れた。
レクティファールはふたりがこの地を楽しんでいる様子に満足しつつ、もう一度展望台から海を見下ろした。
先ほどフェリスが見詰めていたプリンセ・フェリン級が、皇国海軍のロッゾフリーゲ級と交差している。
二隻の軍艦は安全な距離を保ちつつすれ違い、互いに発光信号で挨拶をしていた。
「互いの航海の幸運を祈る、か」
発光信号を読み取ったレクティファールは呟いた。
その幸運を少し自分にも分けてもらえたらと思った。そうすれば、自分と一緒にいることを選んだ人々も、少しは幸福になるだろうから。
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