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第二部 第一章
第二話 「海軍再編」その三
しおりを挟む〈ファベレ・サンターニャ〉がアイゼン諸島の内海に入ると、途端に海は混み合い始めた。
艦橋では周辺警戒のために管制官が探測儀表示窓に張り付き、見張り台では複数の見張員が双眼鏡を覗いている。
そんな忙しない艦橋の中で、艦隊司令部は比較的平穏だった。今回、ル=シェール海軍は周辺国との共同軍事演習を名目にこの地にやってきている。それらの準備は出航前、航海中こそもっとも忙しく、司令部は演習に参加する各国との調整とその事前準備に時間を費やしていた。
ただ、交渉のために新たに派遣されたエルネストは正式な司令部要員でもなければ、艦橋要員でもない。ここまでのエルネストの仕事と言えば、海軍士官として当然の雑務を除けば伯父と会話することだった。
「皇国製軍艦の見本市だな」
エルネストは伯父の幕僚である防空参謀のひと言に無言で頷いた。
〈ファベレ・サンターニャ〉の周囲に浮かぶ船は、半分以上が皇国で作られたか、皇国の設計で作られたものばかりだった。五年ほど前からは考えられない光景だ。
皇国は自国の商船や軍艦を作ってはいても、積極的に外国の船を作る国ではなかった。発注されれば作る、という程度の熱意だったのだ。
それが数年でここまで影響力を強めた。海の上で仕事をする海軍の軍人としては驚くべき変化だった。
「整備不良で沈む船が減るなら、それに越したことはありませんよ。我々は貧乏ですから」
「それはそうだが、他国の作ったフネに命を預けるというのが、俺にはどうもな……」
防空参謀は愛国主義者ではないはずだ。エルネストはそんな疑問を持って彼に視線を向けた。その視線の意味に気付いたらしい防空参謀が、苦笑いを浮かべる。
「別に自分の国で作ったフネが一番だと思っているわけじゃない。ただ、一緒に沈むとしたら他国の船ではなく、自分の国の船がいいと思っているだけさ」
理解できないわけではない。
そして、それを表に出さないだけ分別のある男だとも思う。
軍人とは大なり小なり自分の国に思い入れがある。そういう風に教育され、叩き込まれるからだ。自分の命に危険が迫っても、国家のために最後の一歩を踏み出してもらわなければ軍という組織は成り立たない。
そういう組織だからこそ、常に自分たちの持つ武器は自分たちの同胞が作ったものであってほしいと思っている。
もちろん、命を預けるものである以上、性能に不安のある自国製と自分の期待に応えてくれる他国製の武器であれば、後者を選ぶこともあるだろう。しかし、それは前者への思い入れを否定するものではない。
「ル=ファラムスの連中、商船は入れ替えたようですが、軍艦の方はどうなんでしょうか」
「そっちも皇国製にするそうだ。今朝方、交渉が妥結したらしい」
「そうですか、皇国の造船所はしばらく忙しいでしょうね」
「我らが故郷にも造船所を作るという話だぞ」
エルネストは防空参謀の言葉に苦笑した。
皇国は徹底的に自分たちを利用するつもりでいるらしい。
「自分たちで自分たちの船の手入れができるというのは魅力的ですが、古い船大工たちが納得しますか?」
「船大工の数はここのところ減り続けているんだ。連中が元気よく反対できるのも数年程度だろう。それに、若者たちの就職先を作ってくれるというのなら、俺は諸手を挙げて賛成するね。息子も娘も、遠い島に出稼ぎに出したいとは思わない」
エルネストは防空参謀が暇を見つけては家族宛ての手紙を書いているという話を聞いていた。寄港地や輸送艦からの補給のたびに、それを本国に向けて送り続けている。
自分などは実家からの煩わしい干渉を避けるためにここ数年まともに連絡を取っていないというのに、同じ海軍の将校でもここまで違うものかと密かに驚いていた。
「でも、学校となると外の方がいいでしょう?」
エルネストがそういうと、防空参謀は彼を睨み付け、続いてため息を漏らした。
「嘆かわしいことにな。船乗りになるため、船会社に就職するための学校なら充実しているが、それ以外となるとどうにも選択肢がない。まさか軍に入れるわけにもいかんし、俺も妻も悩んでいるところだ」
ル=シェールという国の限界なのだろう。
国内にはいくつも学校がある。しかし、学べる内容は大国のそれと比べるとどうしても劣ってくる。教える側の質が低いからだ。
優れた教育者がいなければ、優れた学校は作れない。教育とは職人芸であり、最低限の均一化された知識を学んだ後に各個人の個性を伸ばしていくには本人の努力と指導者が必要になる。
それがル=シェールにはできない。
学んだことを生かす就職先もない。
そうなれば、自然と若者は国の外へと向かう。どれだけ家族と故郷に愛着があったとしても、生きていくためにはそうしなければならない。
ル=シェールをはじめとした青珊瑚龍海の国々が皇国やその同盟国と接近しているのは、そうした状況を外部の力を借りて打開しようとしているからだ。
自分たちで成長できないのであれば、国外からの資本に頼るしかない。歴史上、いくつの国がそれを切っ掛けに独立を失っていったか理解してもなお、そうしなければならない状況にル=シェールは陥っていた。
「そこも皇国に期待ですか」
「情けないが、そうするしかあるまい。うちは貧乏だからな。ただ、あの国は他人を儲けさせることに関してはかなりのものと聞く。こちらが溺れなければ、いい取引相手になってくれるだろうさ」
「――そうですね」
こんな考えすらも、皇国が作り上げたものなのだろうとエルネストは気付いていた。
人は未知と敵には警戒する。
しかし既知と友人には警戒が緩む。
警戒された状況とそれが緩んだ状況、どちらのほうが利益を得やすいかは考えるまでもない。敵対して短期間で相手から富を奪い取るよりも、友好関係を築いて相手が自分で利益を差し出すようにしたほうが最終的には多くのものを得ることができる。
皇国はそうして多くの富を築いた。ル=シェールもその友人にされるのだ。
「持つべきものは頼れる友人ですね」
エルネストは自嘲と共にそう呟いた。
アイゼン諸島ツヴァーデ港に入港した〈ファベレ・サンターニャ〉を待っていたのは、皇国海軍の歓迎だった。
彼らは通用階段を下りたル=シェール海軍の軍人たちを笑顔で出迎え、すぐに宿泊場所となる旅荘へと送ってくれた。その手際の良さに驚く間もなく、下船から一〇分後にはエルネストたちは旅荘の自室で鞄を広げていた。
「周りを見る暇もなかったな」
「ええ」
伯父の泊まっている部屋を訪ねたエルネストは、苦笑いを浮かべる伯父に肩を竦めて見せた。
「こちらを警戒しているというより、相手にしていないという感じですね」
「警戒する相手なら、むしろ色々と手の内を見せて牽制してくるか」
「同格の相手ならば、互いの手札を予測させる程度のことはするでしょう。そうしてようやく勝負になる。ですが我々は勝負の相手とすら認識されていない。遠路はるばるやってきてくれたお客といったところでしょう」
「まあ、いまはそういう扱いを受け入れるしかあるまい。我々の力を示さなければ、勝負の相手と認められるはずもないからな」
「まだ客扱いされただけましだと思いましょう。ここに呼ばれない国もいるでしょうから」
「そうだろうな。『海の子』らの問題も……」
そこまで伯父が口にしたところで、扉が叩かれた。
扉の向こうから聞こえてきたのは、伯父の副官の声だ。
「大佐、皇国側から『興味があれば新型工廠をご覧にならないか』と提案がございました。いかがなさいますか?」
副官の言葉に、エルネストと伯父は顔を見合わせる。
「至れり尽くせりだな」
「まさに」
「ならば、とことんまで尽くされるとしよう。なに、向こうが客扱いしてくれるというのなら、叩き出されない程度に客として振る舞うとしよう」
「はい」
◇ ◇ ◇
皇国がエルネストたちを案内したのは、ツヴァーデ港に隣接する工業地区にある真新しい造船所だった。
軍艦を作る工廠とされてはいるものの、必要とあれば商船を作ることも珍しくないという皇国側の説明通り、工廠の岸壁には艤装中の軍艦や商船が仲良く並んでいた。
その工廠内で技官の説明を受けつつ、エルネストは仏頂面の伯父と今まさに船の形を与えられつつある駆逐艦を交互に眺めていた。
「こちらの工廠は、九割の工程を完全自動化。設備は最大二〇〇メイテルまで対応していますが、基本的には一六〇メイテル程度までの艦船を建造しております」
船台の上に置かれた駆逐艦は、艦尾から七割程度まで形になっていた。艦橋や探測儀柱はすでに取り付けられており、艦首の主砲取り付け部あたりから前がまだ存在していなかった。
その残りの部分は、船台の横で多くの機械腕によって部品の取り付け作業が行われている。ほとんどの作業を機械腕が自動的に行っており、それを確認するための技師が数名見回りをしているだけだった。
技官のいう『自動化』という言葉に嘘はないらしい。
「これでは造船工は仕事がなくなりますな」
見学に同行していた機関参謀が、ふて腐れたような口調で感想を口にする。
参謀であると同時に技術者でもある彼には、目の前の光景があまりにも衝撃的だったのだ。
軍艦というのは、多くの工員たちが工作機械を使って作り上げていくのが当然のものだった。彼らの艦を作ったル=シェールの造船所でもある程度の自動化は行われ始めているが、部分的な溶接や部品加工の分野だけだ。
少なくとも、駆逐艦を丸ごと自動的に作り上げるような工作装置を彼らは想像もしたことがなかった。
「いえ、艦体を作ったあと、各伝送系と内装を仕上げる仕事が残っております。最低限の内装は自動的に行えますが、やはり人の手で仕上げなければなりません。無論、すべてを自動化できるよう、日々研究は続けておりますが」
技官は機関参謀の嫌味にも誠実に答えた。
嫌味だと気付いていないということはないだろうが、それを顔にも口調にも滲ませないだけの自制心を持ち合わせた人物らしい。
「戦艦や戦母ほどの大型艦になると、部材そのものも大きくなります。工場内で作ることは可能ですが、運んでいても置いてあっても自重で歪んでしまいます。現在はその歪みを工員たちの手で矯正しながら組み立てていますから、簡単に自動化できないわけです」
「結局は人の手頼みということか。皇国の艦はかなり自動化が進んでいると聞いていたから、そのうち我々もお払い箱かと思ったぞ」
「乗組員の方々はまだ当面乗って頂く必要があるでしょう。というよりも、〈天照〉ですら人を乗せていたのですから、完全無人化というのはかなりの技術的難易度なのだと思います」
技官の言葉に、機関参謀は鼻を鳴らした。
自分が子どものような駄々を捏ねたことは分かっている。それでもここで口を出さなければ、あとで本国の自分の同僚たちになにを言われるか分かったものではない。
彼らは自分たちの領域を守りたい。お役御免になどなりたくはないのだ。
「…………」
そこで参謀たちは黙り込んだ。
自分たちが古い船乗りだという自覚はあった。これまで何度も皇国やその同盟国と合同で訓練をしてきたのだから、理解できない方がおかしい。
皇国は隣国の海軍力に対抗するため常に新しい技術を開発し、実戦に耐えられるところまで育て上げたらすぐに投入する。
他国が最低でも二〇年程度は一線級として扱う艦を、一〇年足らずで二戦級装備として引っ込めてしまう。常に新しい艦を作り続け、常に新しい技術、常に新しい戦術を世に送り出してくる。
その技術に食い付いていかなければならない者たちにとっては、迷惑なことこの上ない存在だった。
「まあ、俺のような退役間近の老骨がいうのもなんだが、今後はそうした諸々の技術についても教えて貰えるのだろう?」
今回の部隊指揮官である少将が、戦う船としての形を与えられつつある駆逐艦を見ながら技官に問い掛けた。
技官は大きく頷く。
「もちろんです。新しい艦も、搭載されている兵器も、機関も、探測儀も、その使い方から戦術に至るまで共有させて頂く予定です。その代わりというわけではありませんが、皆さんが訓練で得た知見を、我々にお教えください。我々は全知ではありません。皆さんに教えて頂かなければならないことがまだまだあるはずです」
「そうか。皆の衆、聞いての通りだ。皇国の友人は我らの助けを必要としている。海の男が助けを求められて、そこから逃げるようなことはあるまいな」
少将の言葉に不満を漏らす者などいなかった。
エルネストは自分たちの立場が道化であることを自覚しつつも、せいぜい良い道化になって人々を楽しませようと思えた。
「では諸君、久しぶりに学生に戻って勉学に励むとしよう。我らの新しい艦は、きっと都会に染まりきったじゃじゃ馬であろうからな」
エルネストは周囲の笑い声に自らも笑みを浮かべながら、ふと工場の奥。駆逐艦の艦尾方向にある通路に白を基調とした皇国軍の軍装を発見した。
(近衛軍……あちら側の交渉団の誰かか)
エルネストはそう当たりを付けた。
どう見ても海の男という雰囲気ではなかったからだ。
ル=シェール海軍は小さな海軍であったけれども、海の男の見分け方だけであれば皇国軍にも負けない目を持っていた。
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