白の皇国物語

白沢戌亥

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11巻

11-2

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 元というかんむりが付くようになったとはいえ、タキリは今もなお候補生たちの日々の行動に目を光らせていた。
 彼女は、総長として選出されるより以前、執行委員会によって組織される騎士学校綱紀委員会に協力し、各科や委員会のめ事の仲裁をおこなっていた。
 そして総長の役目を終えた今、その職務を再びおこなっているのだった。無論、執行委員会の許可を得ての行動である。

何故なぜこちらに? 何でしたら案内を……」
「いえいえ、もうこちらの用事は済んでいるのですよ。ただ……そうですな、ひとつ頼まれていただいてもよろしいですかな?」

 ゴルーツがちらりとヘスティに目をやり、にこやかにたずねる。
 ヘスティは嫌な予感がすると思いながらも、タキリとは初対面であるため、ただ黙って推移を見守るしかなかった。

「はい、わたしにできることでしたら」

 タキリは背筋を伸ばしてそう答えた。軍属としては佐官待遇となるゴルーツの要請を断る理由はない。

「彼女がある人物の見舞いに行きたいと言っているのですが、宿舎の場所となるとなかなか……」
「なるほど」

 タキリは何度もうなずき、ゴルーツの言葉に納得した。
 各科の学舎の場所ならば、案内地図で十分に理解できる。しかし、学生単位や活動班単位の宿舎ともなると、数が多すぎて確認するにも時間が掛かってしまう。
 その点、元総長のタキリであれば携帯端末を見るだけで、何処どこに誰の宿舎があるか簡単に調べられる。

「では、どなたの宿舎に案内すればよろしいので?」

 そのときタキリは、自分が余計な面倒事に巻き込まれるとはまったく考えていなかった。しかし、ゴルーツの口にした名前を聞いた瞬間に、恐ろしいまでの寒気に襲われる。

「ええと、レクト・ハルベルン殿。現役士官枠の候補生だと聞いています」
「えッ!?」

 腰囊ようのうから取り出した端末を取り落としかけ、あわててそれを救い出すタキリ。
 ゴルーツはタキリの様子をいぶかりながらも、続けた。

「先日、うちの実験機が迷惑をお掛けしまして……」
「あ、フガクの言っていた……って、えぇー?」

 タキリは端末を操作しつつも、思わぬ人物から、思わぬ名前を聞いて戸惑とまどった。
 彼女はこのときまで、レクティファールが騒動のただ中にいたことを知らなかったのだ。決闘騒ぎがあったことは知っているが、ちょうどそのときは別の軍学校に出かけていて、騎士学校にはいなかった。何より、総長ではない彼女に、事故の詳細な情報など与えられるわけがない。

「あー、ええと、分かりました。ご案内いたします」

 タキリは制帽を被り直し、役に立てて嬉しいやら、自分の知らない間に色々あって腹立たしいやら、でもそれを他人には知られたくないやらで、妙な具合に崩れそうになる表情を取りつくろってヘスティを見る。
 至極しごく申し訳なさそうに自分を見るヘスティに、タキリは逆に罪悪感を抱く羽目になった。


         ◇ ◇ ◇


 ふたりの女性が宿舎に向かって歩き始めた頃、レクティファールは少し長い休眠状態から目を覚ました。
〈皇剣〉の力を使わず、しかし〈皇剣〉の一部である自らの身体を使った結果生じた不具合を解消するため、身体が休息を要求したのだ。
 目を開けて、視界に表示された各諸元情報を確認し、レクティファールは自らの身体の損傷がほぼ回復していることを知る。
 損傷部位には治癒ちゆ魔法などが掛けられていると表示されている。それに加えて、〈皇剣〉本来の回復機能を用いた結果の快癒かいゆだった。

「早い早い」

 常人であれば後遺症に悩まされるであろう肉体の損壊も、〈皇剣〉の前では通常の損傷でしかない。さらに治癒ちゆ魔法と組み合わせれば、半日で全快だったのである。
 とはいえ、彼の正体を知らない候補生たちも疑問に思うことはない。
 なぜなら、軍人の損失を極限まで抑制することを目的とした戦場医療の発達によって、皇剣を用いずともレクティファールのような大怪我おおけがを負った兵士を、一日と待たずに回復させることができるからだ。
 ただ、それによって身体に大きな負担が生じるので極力おこなわないだけで。
 しかも、レクティファールの場合、人間種ではないという建前があるため、多少人より早く回復しても怪しまれることはない。

「――ぅん」

 自分以外の声が聞こえる。
 そこでようやく、レクティファールは自分の寝ている寝台に、誰かが顔を伏せていることに気付いた。正確に言えば、視界に表示されていた自分以外の周辺情報に目を向ける余裕ができた。

「フェリス?」

 薄暗い部屋の中でも、見慣れたその姿を見間違えるわけはない。彼はほんの一時ではあったが、この女性のために戦おうと思ったのだから。

「もみゅ」

 小さく身動みじろぎしながら寝息を漏らすフェリスは、いつものように机に座ったまま眠りこけてしまったときとはだいぶ違った表情を浮かべていた。
 眉間みけんに深く刻まれていたはずのしわはなく、よく見ればよだれさえ垂らしている。嫁入り前の娘としてはちょっとどうかと思われる姿ではあるが、不思議とレクティファールは、そんなフェリスに嫌悪感を抱くことはなかった。
 普段からこういう姿を見せてくれれば、もう少し友人も多いだろうに、と思うだけだ。

「ふぅむ」

 身体を起こし、あごに手を当てて考え込むレクティファール。
 そしてフェリスに手を伸ばすと、そっとフェリスの紅紫べにむらさきの髪をで、そのさわり心地を堪能たんのうする。

(む、個人個人で髪質というのは随分違うもので……)

 動きやすいように、メリエラやリリシアよりも短く切り揃えられた髪は、毛先まですっと一呼吸ででることができる。それでいて男とは違うしっとりとした質感を失っていない。その感触が気に入ったレクティファールは、しばらく無言でフェリスの髪をでる動作を続けた。
 やがて、レクティファールの指先がフェリスの耳に触れると、ぴくりとその身体がねた。起こしてしまったらしい。

「ん!」

 やりすぎたか、と手を引っ込めるレクティファールの目の前で、ゆっくりとフェリスの双眸そうぼうが開く。開かれたばかりの金色のひとみ茫漠ぼうばくとして像を結んでおらず、しかし、レクティファールを捉えると、すぐに驚きを表す形へと変わった。

「ええっ!?」

 何故なぜそこまで驚く必要があるのかとレクティファールが疑問に思う間もなく、フェリスは座っていた椅子いすから転げ落ちた。
 何でレクトが、とか、いつの間に寝てたのボク、とか、あれ、ここって何処どこ、などと若干の混乱状態にあるフェリス。自分がどうしてレクティファールの部屋にいるのかなど、肝心かんじんな部分を思い出せないようだ。

「フェリス」

 そう言って手を伸ばしてみれば、うひゃあと尻餅しりもちをついたままかなりの速さで後退あとずさる。何故なぜだろうかと思って自分の身体を見てみれば、なるほど、上半身には申し訳程度の包帯しか身に付けていなかった。仕方なく手を引っ込めたレクティファールであるが、フェリスはそのままの勢いで壁際の本棚に後頭部を強打し、床を転げ回る羽目になった。

「うう~~……!」

 フェリスが、しばらく涙目でうなっている。
 その間に、レクティファールは手近にあった服を着ると、フェリスのかたわらに膝を突いて、彼女の後頭部に手を伸ばした。

「ひゃ」

 頭を抱え込まれる形になったフェリスが奇声を発する。
 抱え込んだ頭が急に熱を持ったような気がしたレクティファールだが、すぐに気のせいだと思い直す。それより今は、フェリスの頭が心配だった。

「うん、こぶになってるわけでもないですし、多分大丈夫でしょう」

 痛みが取れないようなら、医務室に行くべきでしょうが――そうつぶやいた彼の言葉は、フェリスの耳には届いていなかった。

「きゅう」
「おっとぉ……?」

 レクティファールは、人形のように倒れ込んできたフェリスの頭を支える。
 真っ赤な顔で目を回しているフェリスに、やっぱり当たり所が悪かったのかと首を傾げ、応急技能を持つパトリシアにてもらおうと、フェリスを抱えて部屋を出るのだった。


         ◇ ◇ ◇


 談話室に下りたレクティファールを出迎えたのは、パトリシアの驚きの声だった。

「あれぇ? フェリス寝ちゃったの?」

 厨房ちゅうぼうで鍋をき回していた彼女は、あわてて火を止め、レクティファールを促してフェリスを談話室の革椅子ソファに寝かせた。
 何処どこからか持ってきた薄手の毛布をフェリスに掛けると、パトリシアは再び厨房ちゅうぼうに戻った。

「もうすぐおゆはんの準備できるからねぇ」
「はい、何か手伝いましょうか?」

 そう厨房ちゅうぼうに向かってけば、「もうできるからいらないよぉ。でも、テーブルの準備だけよろしくぅ」との返事。
 レクティファールは四人分の食卓を整えた後、手持ち無沙汰ぶさただったので談話室に置き去りにされていた砲術の教本を開く。

「ルフェイルは何処どこかに出かけているのですか。あとオリガは」
「うーんとねぇ、ルフェイルちゃんは今回の『決闘』でけの胴元どうもとをしてた人たちからもらうものもらってくるって。それと、オリガちゃんは仕事が残ってるから研究所に戻るってさ」
「――――」

 金銭を遣り取りする賭博とばく行為は、賭博とばくほうによって国に認められた施設か、認定を受けた登録仲介役しかおこなえないことになっている。恐らく金銭をけた賭博とばくではないのだろうが、騎士学校という場所が場所だけに、さすがに外聞が悪過ぎやしないだろうかと心配になる。

「食券賭博とばくって言ってね、二千年前に初代陛下が始めたんだって。ちょっと前に国技にしようとかいう議員さんもいたらしいよぉ」

 賭博とばく行為を国技に、というのはなか冗談じょうだんであったが、皇国の場合、学校と名の付く施設ではよくおこなわれているらしい。無論、食券がある施設に限られるのだが、度が過ぎれば処分されることもある。

「ふ……」

 レクティファールは呼気を漏らし、項垂うなだれる。
 自分の戦いが余興に使われていたことに関してはそれなりに納得できた。だが、時折人から聞かされる初代皇王の為人ひととなりは、その都度彼の精神を大きくけずった。
 とはいえ、歴代皇王は全員が全員、何処どこか人としておかしいんじゃないだろうかと思われる部分がある。――それは本人が知らないだけで、レクティファールにも存在する。
 ちなみにレクティファールのおかしい点とは、ことあるごとに妃候補たちに後宮に立てこもられることだという。

「向こう一年間は食券に困らないなんて言ってたけど、そもそも食券の有効期限ってひと月だよねぇ」
「転売もできませんしね」

 教官たちも、食券の収受は若者のとして見逃してくれるだろうが、金銭まで絡めばすぐに動き出すはずだ。

「とりあえず、レクト君が無事で良かったよ。なんか変なことになるし」

 パトリシアはふわふわとした明るい口調で、レクティファールの無事を喜んでいる。
 騎士学校にいるだけあって、パトリシアも決して頭の回転がにぶいわけではないし、市井しせいの一般人よりも魔動式甲冑についての知識を持っている。だからこそ、性能的にくつがえしようのない差がある相手に競り勝ったレクティファールが、その無茶苦茶な戦い方から考えれば随分と軽い怪我で済んだことを喜んでいるのだ。
 もっとも、そのあとの騒動に関しては、避難させられてよく知らないのだが。

「無事ですけど、まあ、あとで色んな人には怒られるでしょうね」
「ああ、お父さんとか」
「うーん、養父ちちは喜ぶだけのような気もしますが……」

 怒ったとしても、無茶な戦い方に対して多少の文句が出る程度だろう。情けないとか、身熟みごなしが悪いとか、その辺りだ。
 問題は、それよりもおっかない人々である。

(カールは怒り心頭だろうし、フレデリックは確実に嫌味苦言、マリアは心臓を狙った針の一刺しで、アナスターシャは止めとどの一撃、と)

 さらに、皇城には宰相さいしょうと皇府という皇国の両輪もいる。今度の帰省では確実に諫言かんげんの雨あられだ。
 後半の騒動については、もう少し上手く立ち回れなかったのかと自問する部分はある。
 しかし、自分が上手く立ち回ったとしても、多くの者がその責任を問われることになるだろう。現に特機研に関しては、関係者の処分をおこなうという通知が、〈皇剣〉の通信領域に直接送り付けられていた。
 結果はそれなりのところに収まるだろう、とレクティファールは考えているが、果たしてどのように収束するかは、まだ分からない。
 そう、誰にどれだけ文句を言われるか、まだ分からないのである。

「まあ、頑張がんばって聞き流そうと思っています」
「だめだよぅ、心配してくれてる人のことないがしろにしちゃ」

 まさに正論であるが、人が一度に聞き入れることができる言葉には上限があるものだ。それを超えれば、聞き流すしかなくなる。

「む、では一応努力するということで」
「あはは、そうしてくれると嬉しいな」

 ようやく鍋の火を落とし、パトリシアは生野菜の準備を始める。楽しそうに厨房ちゅうぼうおどるその姿に、レクティファールは笑みを漏らし、この人の幼馴染おさななじみはどうしてあんな仏頂面ぶっちょうづらになってしまったのだろうと不思議に思った。こんな人が近くにいれば、普通はもう少し優しい顔立ちになるのではないか。

「不思議なものです」

 レクティファールはつぶやき、教本に視線を落とした。
 しかしすぐに、玄関の扉が開く音が聞こえてきて、再び顔を上げる。食堂に近付いてくる、どすんどすんという足音は、聞き慣れたルフェイルのものだ。

「――戻った」
「あ、おかえり、ルフェイルちゃん」
「おかえり」

 厨房ちゅうぼう横の扉から現れたルフェイルは、談話室で呑気のんきに自分の教本を読むレクティファールの姿に眉をひそめた。
 寝ていなくてもいいのか、とその視線が問いかけてくる。

「医療班が待機していたおかげで、適切な応急処置と治療を受けられましたからね。この通りです」

 そう言って、レクティファールは両手を回す。
 ルフェイルはその様子をじっと見詰めていたが、やがてレクティファールに数十枚の食券の束を放った。

「分け前だ」
「どうも、とはいえ三食とも食堂では、パティの美味おいしいご飯が食べられなくなってしまうのですが」

 この量をひと月で消化するとなると、三食をすべて、学校の敷地内に幾つかある、食券の使える食堂でらなくてはならない。軍の施設ということもあって一部の食堂は終日開いているが、レクティファールとしては食べ慣れたパトリシアの料理の方が舌に合っている。

「誰ぞにくれても構わん」
「そうしますかねぇ」

 知り合いに配ればすぐにさばけるだろう。
 元々元手があるわけでもないので、さっさと使い切ってしまった方が精神的にも楽だ。

「明日にでも配るとします」
「好きにしろ」

 ルフェイルは上着をパトリシアに渡すと、すぐに手を洗って食事の準備を始める。
 そして、厨房ちゅうぼうから運んできた料理を並べ、お茶をれ、パトリシアとふたりであっという間にすべてを整えてしまった。
 さすが幼馴染おさななじみ、お互いの呼吸が分かっているとレクティファールは感心し、いまだ眠ったままのフェリスを起こすべく、その肩に手を掛けた。

「フェリス、夕食です」
「うぃー」

 揺らしてみれば、返答は意味を成さない単語。
 完全に熟睡しているのか、締まりのない顔で笑うだけだ。

「いい夢見てらっしゃるのですかね」
「勝ちいくさだからな」
「うちって、弱小班だからねぇ」

 班単位でおこなわれる兵棋へいぎ演習では負け越し、個人成績でもフェリス以外は平均以下。最近はレクティファールの参加で少し持ち直したようだが、それでも班の総合成績は下から数えた方が早い。
 そこに降っていたような勝利である。
 今回の決闘は、騎士学校内の実戦装備を使用した、個人戦闘技能及び後方支援部隊の能力考査訓練という名目だった。そのため、最優秀班である第〇〇八班相手に弱小班の第〇八九班が大金星だいきんぼしを挙げたということになっている。

「明日には訓練報告書という大敵が待ってるがな」
「はう……」

 ただし、訓練である以上それぞれの職分に応じた報告書の提出は義務である。
 ルフェイルとパトリシアは大いに頭を抱え、こういった分野に強いフェリスの早期復活を願うのであった。


         ◇ ◇ ◇


 三人の話し声に眠りを解かれたフェリスは、そのまま夕食をって報告書の作成を始めた。
 まず、四人揃って訓練統裁官から課せられた班としての報告書を数種類書き上げる。次いでフェリスは指揮官としての戦闘詳報、ルフェイルは管制官と砲術士官としての、パトリシアは整備と需品を担当する主計士官としての報告書に取りかかった。
 当然、レクティファールにも諸々もろもろの報告書の提出義務は課せられている。現役士官としての陸軍宛の報告書と、さらに魔動式甲冑装着者としての詳報や、魔法技能士官としての報告書も、提出しなくてはならない。量だけで言えば、レクティファールが提出するべき書類は、他の三人の報告書すべてを足したものより多いことになる。
 だが、最初に諸々もろもろの書類を書き終えたのはレクティファールだった。
 書類慣れとでも言うべきか、最初に必要な情報を用意して、すべての書類に共通する部分を作り上げて骨格とし、そこに各書類に必要な情報を肉付けしていくのである。
 軍で使用される書式は一通り〈皇剣〉に記録されているし、何よりもレクティファールはそれらの報告書を受け取る立場にいた。だから、どんな報告書が必要とされているか、自分なりに理解していたのだ。報告を受ける側が、どのような意図でどのような情報を必要としているか、その情報にはどんな要素をどれだけ含ませるのが適当か、その要素はどのような結果を元に分析すれば良いのか。形ばかり整っていても、欲しい報告が含まれていない報告書に意味はないのである。

「ふ、ふふ、ふふふ、毎日毎日書類山脈を踏破し続けた私をあなどるなよ……」
「れ、レクト君が怖い」

 パトリシアなど、レクティファールの発する黒々とした雰囲気におびえ、涙さえ流してルフェイルの背に隠れている。たてにされたルフェイルも、レクティファールのあまりの変わりように腰が引けているし、フェリスも血色が良いとはお世辞せじにも言えない顔だ。
 レクティファールは以前、内乱の混乱によって文官の多数を失った皇城で仕事をしていた。圧政に加担することで自分の命が危ないと判断した文官もいれば、義侠心ぎきょうしんから民を苦しめる政府の方針には従えないという官僚もいた。彼らは揃って、職を辞したり辺境に落ち延びたりしていたから、凱旋がいせんしたばかりのレクティファールのもとにあったのは、現状を維持するので精一杯の官僚機構だけだった。
 自分に従う貴族や皇王府から人を出して何とか復興を始めたが、やはりというか、文官不足はレクティファール個人に大きな負担を掛けた。
 その後、宰相さいしょうとなったハイデルから『旧支持貴族派の遺臣を文官・武官として登用する』という策を献じられた。レクティファールは、その意見をれて支持貴族遺臣の内、経験が豊富で現政府に対して協力的な者を国の文官や武官として受け入れた。
 お陰で、官僚不足という国家として最大級の危機を乗り越えた。国内が落ち着いて野にくだっていた高級官僚たちも復職し、現在の皇国官僚の質と量は、皇国史上最高の水準にあると言っていいほどだ。官僚不足の時期に実力第一の気風が各部門に生まれ、それが今も継続していることも大きい。とはいえ、官僚機構というのは、醸成じょうせいされれば自然と堅牢けんろうになっていくものだから、いずれ今のような柔軟じゅうなんさは失われていくだろう。そうなったらまた、何らかの形で柔軟じゅうなんさを与える必要があるかもしれない。
 ともあれ、レクティファールの書類決裁能力は、ハイデルやルキーティも認めるところだ。最強兵器である〈皇剣〉を書類決裁のために活用したと知ったら、当時の開発者たちは頭を抱えて苦悩するだろう。だが、使えるものは反逆者でも世界をほろぼす兵器であっても使うのが、レクティファールである。

「さて……と」

 レクティファールは、自分の書類を書き上げてフェリスに決裁印をもらうと、すぐにルフェイルとパトリシアの助けに回った。フェリスはまだ自分の書類に掛かり切りで、ふたりを手伝う余裕はない。
 とりあえず、ルフェイルの書いた下書きを確認し、レクティファールは深々と溜息ためいきいた。莫迦ばかにされたと判断したルフェイルの額に青筋が浮かぶ。
 しかし、ルフェイルが何か文句を言う前に、レクティファールが平坦な声音でその名を呼んだ。

「ルフェイル」

 ルフェイルの背筋に冷たいものが走る。

「書き直し」
「な、なんだと」
「〈蒼海の月ラ・グ・モント〉は個人専用の魔動式甲冑だから、それを基準に戦術を研究しても、あまり意味はないよ。こう言ってはなんだけど、個人で魔動式甲冑を用意するような人たちは、ほとんど前線に出ない。軍の主力魔動式甲冑は、あくまでも個人用に調整された量産型なんだから」
「お」
「あと、〈ヴォルスンガ〉級の魔道式重甲冑に対抗するために、同等の性能を持つ重甲冑を開発するというのも難しいと思います。でも、砲と甲冑を一体化させた砲兵型魔動式甲冑で、砲兵部隊の機動性を向上させるっていうこっちの提案は、なかなか良いと私は思う。砲兵型とはいえ基本構造は通常の量産型と同じだから、費用対効果も良いし、整備も全く新しい魔動式甲冑よりはやりやすい。――ということで、こっちの対重甲冑用重甲冑は置いておくとして、砲兵型の量産型魔動式甲冑について色々書いた方が良いかと」
「ふむ、それなら俺でも書けるな」

 対魔動式重甲冑用の砲術も色々考えていたルフェイルだが、砲兵型魔動式甲冑というのは、対重甲冑相手でも効果を発揮できるかもしれない。レクティファールから添削てんさくされた下書きを受け取ると、早速新たな下書きの作成に取りかかった。


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