白の皇国物語

白沢戌亥

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11巻

11-1

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 神々の御代みよであろうとも、彼ら龍の一族は今と何ら変わることなく生きていた。
 彼らはその強大な力を誇示こじし、我らが愛する大神たいしんバムハシードさえあなどり続けた。
 それを許されるだけの力が彼らにはあった。
 それを許容しなくてはならない理由が我らの神にはあった。
 何故なにゆえ、今に至るもその状況が改善されていないのか。我らは巨大な神の王国を作り上げ、それによって巨大な力を手に入れたのではないか。
 彼らはいまだ小さな国である。
 我らの力をもってすれば、彼らに我らが神の威光いこうを知らしめることが可能なのではないか。
 いな、それはいななのだ。
 我らが神は、それを望まない。
 我らの神は、それを望んではいない。
 神々は我らの知らぬ世界の真実を知っている。
 それゆえに、彼らと戦うことを恐れている。
 敗北することが恐ろしいのではない、神の子である諸君らを失うことを恐れているのだ。
 大神たいしんバムハシードは諸君らを愛している。愛するがゆえに、その屈辱くつじょくに耐えているのだ。
 我らはそれを忘れてはならない。
 我らはその大神たいしん御心みこころを信じ、あえて憎き敵に慈愛じあいの手を差しのべるべきだ。
 その先にこそ、我らが栄光はある。
 その先にこそ、我らの未来がある。


 ――神聖暦一八〇七年 第九十九代神帝しんていヴァリヤグ・ノート・ウォーリム



   第一章 いくさ終わり、次の戦へ



「はい、どっこいしょー」

 かけ声とともに円匙えんぴを振るい、砲撃でめくれ上がった土を手押し車に放り込む男たち。
 工兵科学校の学生たちである。工兵の第一歩を踏み出した彼らは、法的にはすでに軍人である。とはいえ、薄汚れ、くたびれた作業衣姿ということもあって、今の姿はとても軍人には見えない。しかし彼らは、軍の内において、ある一定以上の敬意を抱かれる存在であった。
 皇国陸軍工兵隊。
 工兵の仕事は、民間業者とともに道をひらき橋を架け、堤を築く平時の施設建設から、敵の放った弾雨の中を工兵用魔動式甲冑をまとって行軍の道を作る戦時の進軍路啓開けいかいまで、と多岐にわたり、重要である。
 その重要さゆえに、陸軍元帥げんすいを輩出することも比較的多く、今の元帥げんすいゲルマクスも、工兵科学校から騎士学校へと進み、後に戦闘工兵部隊を率いて戦場を駆け抜けた、一流の工兵指揮官だった。
 ゲルマクスは、やがて戦闘部隊を率いることになるが、その基礎が工兵であることに変わりはない。工兵出身らしい質実剛健しつじつごうけんむねとするねばり強い戦い方で、二十五年前の帝国戦では戦線を支えきり、時の皇王より直接賞賛を与えられたほどである。
 そういった背景もあり、皇国陸軍工兵隊は配属希望者が多い。
 また、民間の職人たちが徒弟を放り込んで修業の場とすることも少なくなかった。軍で充分に使い物になるならば、職人としての基礎はできたと看做みなされる。そうして軍での修業を終えた者たちが民間へと戻り、戦時には予備工兵として活躍する。皇国軍は総兵力の割に妙に兵の層が厚いと言われる所以ゆえんは、ここにあった。
 今、騎士学校第一演習場を直している部隊の中にも、そういった者たちは多くいた。

「それもういっちょ」

 熱で焼けげた土を円匙えんぴの刃先で崩し、手押し車に積み込む。

「よおし、運べ」
「あいよぉ」

 ぎっしりと土の詰まった手押し車は重く、冬の只中ただなかだというのに額に汗が浮かび、流れ落ちる。それでも工兵たちは顔色ひとつ変えることなく、仕事を続ける。
 彼らが土を大穴に捨ててくるまで、しばらく時間はあるだろう。
 工兵科学校第三期生ムラージャ・ハフマンは、その間少し休憩きゅうけいしようと首を回した。
 グキゴキと、大きな音を立てて骨が鳴る。

「ふい~……」

 ぬぐいで汗をき取ると、彼は地面に突き立てた円匙えんぴあごを載せて、自分たち工兵科学校の学生が延々と土いじりをする羽目になった騎士学校第一演習場を見渡した。遠くで砲兵隊が重機を動かしているのが見えた。

「めんどくせ」

 こぼれた言葉は、彼の偽らざる本音であった。
 本来なら観客として『決闘』を観戦するだけのはずだったのに、それが何の因果か、こうして穴だらけになった演習場の補修作業をしている。
 確かに、演習場の保全維持は工兵科学校の領分であるが……
 建設重機数台を含め、工兵科の学生だけでも実に百二十名が出張っているというのに、まだまだ作業は終わりそうもない。

「そもそも、だ。掘り返し過ぎなんだよ、バカヤロウ」

 砲爆撃でも食らったかのように耕された地面は、そこかしこで大口を開けて彼らを待っている。
 これが、〈ガイエンルツヴィテ〉側の魔動式重甲冑が皇国側の魔動式甲冑に翻弄ほんろうされ、散々攻撃を外した痕跡こんせきだと、『決闘』を観戦していた彼は知っていた。
 その後、実験機が演習場にまぎれ込んでさらに破壊活動を継続。結果、演習場は工兵科学校の施設修復演習場となった。
 しかも、皇都に近いという理由で、民間に戻った予備工兵たちの技能維持訓練までおこなうことになり、工兵たちの数は今も増え続けている。
 それほどまでに、演習場は酷い有様ありさまであった。

「――ああ、だりぃ」

 ぼやき、ふところから取り出した煙草たばこに古式ゆかしい油式の点火器で火をつける。吸い込んだ煙の味と、吐き出した煙が空に上っていくさまは、現実逃避には丁度ちょうど良い。

「良い天気だなぁ」

 彼は結局、教官が怒声とともに投げ付けた金槌かなづちが後頭部をしたたかに打つまで、紫煙しえんくゆらせるのだった。


         ◇ ◇ ◇


 騎士学校の教官室の内、もっとも大きなものは、第一教官室という札を掲げている。
 各科の教官控え室や研究室とは別の、非常勤講師や実習生が机を並べているそこは、会議室に直接繋がる扉を持っていた。

「いい加減にしたまえッ!! この不祥事ふしょうじ、一体どのような形で決着させようというのか!?」

 その扉を貫いて怒号が響き、第一教官室にいた非常勤講師や実習生が思わず縮こまる。一部、軍歴の長い実習教官たちは、いつもと変わらぬ様子で仕事を続けているが、教官室の空気が張り詰めているのは事実である。
 顔を真っ青にした若い青虎獣人ルーガーの主計科女性教官が給湯室に逃げ、いつもならのんびり兵棋へいぎ演習の予備問題を作っている歩兵科の中年男性教官が、こそこそと寒い屋外に出ていく。
 中には、耳栓みみせんを詰めて仕事をしている鱗人ディノリアンの教官もいたが、その手はあまり動いていないようだった。

「我が校が使用する演習場に誤って進入した――これだけならば事故として納得しよう。無論、それなりの補償はしてもらうが。しかし、演習場に進入しただけではなく、殿下の名においてこの学校での修練をおこなう訓練生ふたりを危険にさらした! これは、あなた方が皇立機関であろうとも逃れ得ぬ責任だぞ!」

 どん、どん、と怒号の主が机をたたいたようだ。こちらの床まで、その衝撃が伝わってくる。
 魔族の中でも巨躯きょくで知られる赤爪族ルジェネニアの副学長が本気を出せば、会議室の机など木っ端微塵みじんになる。それを考えると、まだ理性的に怒っているらしい。

「しかも、その事態収拾に実験機を持ち出し、それを衆目にさらした。我々が関与すべきことではないが、あまりにも稚拙ちせつな情報管理ではないか?」

 今度は人間族の学長の声が聞こえた。
 こちらは静かな口調でほとんど聞き取れないが、学長就任以来一度も笑顔を見せたことがないと言われる人物だけあって、感情の感じられない冷たい声だ。

「我々としては――」

 教官室の面々はその声を聞きながら、自分に火の粉が降りかからないことを願うしかなかった。


「我々としては、今回の一件で特機研との信頼関係が揺らぐようなことはあってはならないと考えている」

 白と灰の交じった髪を油でで付け、細い銀縁の眼鏡を掛けた騎士学校学長ヘルマンの碧眼へきがんは、鋭くふたりの来訪者を見据みすえていた。
 ひとりは特機研総所長のゴルーツ・ブリュエン。もうひとりは、この一件を引き起こした実験機の開発者のひとりであるヘスティ・フリーガシンだった。
 ゴルーツは、ヘルマンと同じような背格好の持ち主であったが、このような状況下でも笑みを崩さず、黒々とした髪を適当に整えただけの姿で椅子いすに座っている。
 ヘスティは目の前に座る『鬼』の副学長ラウ・ディ・クルセイドの眼光に射竦いすくめられ、ろくに口を開くこともできない。先輩研究者や主席研究員を差し置いて、ゴルーツに指名されてこの場に来たが、何の意味があるのかと内心で上司をなじった。確かに当事者ではあるが、このような場において、若いというだけで嫌な顔をされたのは一度や二度ではない。

「信頼関係――ふむ、確かにそれを損なうことは、我々共通の上役であるお方への背信。わしとしても、それは決して望むことではありませんな」
「何よりも、そのお方が今回の一件を穏便おんびんに、いいや、可能な限り目立たず処理せよとおおせである。言われずとも、と言いたいところではあるが、こう言っていただけてお互い助かったとは思わんか?」

 ヘルマンは背もたれに身体を預け、大きく溜息ためいきく。
 ともに組織の長としてそれなりに顔を合わせる機会があり、相手の考え方などはよく知っていた。そして、お互いが決して敵対するものではないことも理解している。

「機密をたてに好き勝手。若い連中が聞けば憤慨ふんがいもするだろうが、我々はくさりかけのじじいである。今更いまさら汚名のひとつやふたつ、殿下と国のためならば喜んで被ろう。その上で、そちらの誠意をうかがいたい」

 ヘスティは、隆々りゅうりゅうとした体躯たいくを灰色の軍装に包んだ魔族の男――副学長ラウが、不満の一欠片かけらも見せずに押し黙っている光景を目にした。
 騎士学校側は、対応を事前に打ち合わせてあるのだろう。それに関しては、ヘスティは大いに助かったと安堵あんどする。今後の対応を協議すると言われてここに来た彼女だが、場合によっては自分に対する弾劾だんがいおこなわれるのではないかと不安に感じていたのだ。
 実際には、ふたつの組織の上にいる誰かの意思により、今回の決着は定められているらしい。

穏便おんびんに、ということは、少なくとも誰かの生命を奪うことはない。あのも、これからの研究には欠かせない存在。だったら、大丈夫――大丈夫)

 彼女は思考を巡らせてほっとした自分に気付き、途端に罪悪感にさいなまれた。
 今回の一件、負傷者が出ている。
 それは、彼女も顔を合わせ、言葉を交わし、励まされた相手であった。

(せめて、彼の容態だけでも教えてもらえたら……)

 自らの考えに没入していたヘスティであるが、ラウの赤銅色の目が自分をじっと見詰めていることに、ふと気付いた。
 まずい、悟られた? ――ヘスティは、魔族の中に相手の思考を読み取る能力を持つ者がいることを知っていた。ラウがその能力を持っていないとは限らない。

(あわわわわ……)

 ヘスティはその心の中でおおあわてにあわてたが、実際には、ラウにそのたぐいの能力はなかった。ただ、彼女よりも長い人生経験から、彼女の考えをかなり正確に推測している。

「そちらの彼女は、今回の事件を起こした機体の開発者だと聞いておりますが」

 ラウの言葉に、校長のヘルマンと総所長のゴルーツの視線がヘスティへ向かう。

「はうッ」

 思わず妙な悲鳴がこぼれる。ラウがあきれたような表情を見せた。
 ただ、相手が軍人ではないことを思い出したのか、小さく嘆息するだけであった。
 ゴルーツは、ヘスティを苦笑とともに一瞥いちべつし、ラウに向き直る。

「フリーガシンと言えば、おそらくおふたりもご存じでしょう」
「あのフリーガシン博士の?」
「はい。孫ですな」

 ゴルーツの返答に、ヘルマンとラウの態度が少しだけ軟化なんかする。
 彼らふたりは、ヘスティの祖父がおこなった自動人形の技術革命の恩恵を受けた世代だ。数におとる皇国軍が少しでも戦域全体の戦力底上げを図ろうとした時代、それを自動人形という分野で実現させたフリーガシンの功績は大きい。

「どんな技術も、最初は失敗と反発を生むものです。今回の一件、ひとつ、後世の財産とすることで勘弁かんべん願えまいか? 無論、必要な補償はさせていただくし、我々にできることならば、そちらに今まで以上の協力をおこないましょう」

 ゴルーツの言葉は、特機研が騎士学校に対して、これまでよりも多くの技術と知識を提供することを意味している。
 こうした技術提供は、騎士学校にとって大変有益だが、同時に特機研内部においてもそれをする意味は大きい。
 高度な技能を持つ技術者が、自分をある種の芸術家だと思い込むようになれば、それは技術の衰退すいたいと同義である。技術とは、人々の手によって使われることで、より高度な姿へと変わっていく。使われ、壊され、再生され、みがかれていくのだ。
 特機研が特殊な立場にいることは事実だが、それが特権だと思い込む者が現われては困ってしまう。
 特機研も騎士学校も、皇国という国家の一部であり続けなくてはならない。優劣があってはならない。いがみ合ってはならない。
 皇国には、そんなことを許す余裕などありはしないのだ。

「はぁ――分かりました。学校理事会にはこちらから報告しておきます。皇府閣下が望んでおられるとなれば、彼らもこれ以上騒ぎはしないでしょう」

 皇府が望むとは、すなわちその上に座する存在がそれを望んでいるということに他ならない。己の利を求める者が、それ以上の追及をできようはずもなかった。
 今回の一件を自らの利益拡大に利用しようと躍起やっきになっている勢力が、お互いの組織にいる。
 ゴルーツの下にいる四人の所長。各特機研支部を統括とうかつする彼らは、自らが総所長となるための布石として今回の件を用いるべく動いている。
 また、各軍の退役軍人や予備役軍人などが属する皇国軍教育理事会の中でも、自らの発言力強化を目論もくろんでこそこそと動き回る者がいた。
 彼らのことを、皇王府や元帥げんすいが知らないはずはない。
 組織の新陳代謝のために存在が許されているそれらの者たちだが、行き過ぎれば淘汰とうたされるのが運命だ。
 しかし、今回はそこまでする必要ないと判断された。
 それぞれ組織内部で好き勝手に行動している者たちに、太く強靱きょうじんくぎを刺すだけで十分である。これからの組織運営に際し、彼らの干渉が少しでも減ればそれでいい。
 組織の引き締めに利用するというのは、今回の一件の落としどころとしては妥当だとうであった。

「お互い、やんちゃな連中には苦労させられますなぁ」

 ゴルーツは苦笑しつつ、ヘルマンを見遣る。
 その目は探るような光を多分に含んでいたが、向けられた相手はこれといった感情を見せることはなかった。
 特機研は騎士学校と敵対しないだけで、味方ではない。互いを利用し合う関係こそ、平時の組織の正しい姿である。
 馴れ合いによって組織がくさることはあってはならない。それが国防に属する集団であれば、なおのことだ。

「まあ、こういった教育研究分野は五年、十年、あるいはもっと長期間で、ひとつの成果を出すところです。結果として権益が形成されやすい。なにせ、隠れ、引きもっていても、最終的にお上の求める結果さえ出せば、何も言われないのですから。これは当然、風通しも悪くなるというもの……」

 特機研には、複数の商会が後援をおこなっている。そのいずれもが、自動人形そのものの生産や、兵装を取り扱う商会だ。動く金は莫大ばくだいで、得られる利益もまた巨大。
 騎士学校もまた、高級軍人を育てるという役割があり、ここから巣立った者は将来軍に大きな影響力を持つ可能性がある。将来まで待たずとも、候補生の中には軍や軍務院の高官子弟が相当数存在する。
 特機研と騎士学校。双方ともに、既得権益の奪い合いからは逃れられない宿命を背負っていた。

「ですのでここらでひとつ、陰干しでもいたしましょう」
悪食あくじきの虫が食い荒らした組織など、後世の笑いの種になるは必定。――分かりました。こちらもせいぜい努力しましょう。掃除そうじはあまり得意ではありませんがね」

 宿命を少しでも軽くしようというゴルーツの提案は、ヘルマンによって了承された。
 結局のところ、この一件でもっとも割を食う羽目になったのは〈ガイエンルツヴィテ〉の大使で、彼はその不手際を責められ、本国に呼び戻された挙げ句、公職を失うことになる。
 その立場を利用して様々な利益供与を受けていた彼は、他者の利益のかてとなって消えていった。


         ◇ ◇ ◇


「さて、面倒事は片付いた。フリーガシン君、よく頑張がんばったね」

 会議室を後にしたふたりは、騎士学校の敷地内を並んで歩いていた。
 ちょうど講義の合間だったのか、周囲には多数の候補生たちがいる。
 しかし、これといってふたりに注目する候補生はいない。騎士学校では外部の講師が訪れることなど珍しくはないし、ふたりがまとっている外套がいとうが軍の官給品と同じものであることも、彼らを周囲に溶け込ませる要因である。
 周りの候補生たちを見るゴルーツの目は、教え子を見守る教師のようであった。事実、彼は若い頃に皇都の学校で教鞭きょうべんっていた。教員を続けながら発表した論文がフリーガシン博士の目に留まり、彼の助手として招かれたのである。
 そういった事情もあり、ゴルーツはヘスティとリヴィの姉弟を、公人としては他の職員と同じように扱うが、私人としては人一倍目を掛けている。今も、ふたりでいるためか、私人としての顔を見せていた。

「何なら、例の候補生のところに顔を出してくるといい。今日はもう、研究所に戻らずとも構わないよ?」

 ゴルーツはくだんの候補生の正体を知っていた。
 知った上で、ヘスティを向かわせようとした。あの青年であれば、ヘスティを誰の孫であるという風には見ないと分かっていた。
 摂政せっしょうの立場からすれば、如何いかに皇国に多大な貢献こうけんをなした人物の孫とて、ただの人でしかない。

「そういうわけには……研究室のみんなにも迷惑を掛けましたし」
「今回の件は、実験の最中に起きたことだ。なら、その実験に関わった者全員で負うべき責任だよ。彼らはその責任の代価として、研究所に所属して俸禄ほうろくを得ているんだから」
「ですが……」

 自分を認めてもらいたいという欲求が、自己を過信する結果になる。
 ゴルーツは自らの経験から、この若い研究者がある種の自己陶酔とうすいひたっていると判断した。
 それは決して悪いことではないが、正しいとも言い切れない。他者視点の『人の価値』は状況によって変化するが、己が己を鑑定かんていする『自らの価値』というものは、大きく変化することがない。
 そして『人の価値』と『自らの価値』の乖離かいり軋轢あつれきを生み、反発を作り出し、組織に不和の種をく。ゴルーツは人を評価することが多い分、自分に対してもそれなりに客観的な評価をくだすことができるが、ヘスティはそうではない。
 周囲は彼女を分不相応なまでに評価することが多いし、彼女自身がその評価に引きられている面もある。これもまた、価値の乖離かいりだ。この場合は、評価と実像の乖離かいりということになるが。
 他人の評価など気にせず、自己の評価のみで生きていける〝鬼才〟なら乖離かいりは起きない。ただ、周囲との協調が難しくなるだけだ。

(フリーガシン博士も、かなりの変人の部類に入ってたからなぁ)

 そちらの才能は、ヘスティではなく弟に振り分けられたらしい。あの青年は、他者の評価など欠片かけらも気にすることなく自分の道を進んでいる。優秀な姉がいても気にしない。姉とくらべられても気にしない。自分が好きなことをしていられればそれでいいという価値観の持ち主である。

「他人の責任を背負うことは、無責任と同じだよフリーガシン君。他者にも、もちろん自分にも、適正な責任を与えるのが本当の責任者だ。ただ背負うだけならそれは、そうだね……単なる自己満足というものだよ」

 背負うだけ背負って、勝手に転ばれては意味がないのだ。
 責任者は全体の責任を負うが、それ以外の者は責任者を支えるという責務を負う。組織に組み込まれた瞬間に、誰もが何らかの責を背負うのだ。ただしその責は、気軽に転嫁てんかできるものではない。それは、各人が自覚しなければいけないことだった。

「――はい」

 上司にたしなめられ、すっかりしょげ返ったヘスティ。

「ハルベルン君と言ったかね。今回の一件で君を助けてくれたのは」

 ゴルーツは若い女性を落ち込ませたことに少しだけ罪悪感を抱きながら、殊更ことさら明るく言った。

「はい……」

 肩を落としたまま答えるヘスティ。
 どうにも心ここにあらずといった風である。

「では、今度そのハルベルン君を招いて食事でもしよう。特機研を代表して謝意を伝えたいからね」
「はい……」

 やはり、ヘスティはぼんやり答えるばかりだ。
 ゴルーツは、はてどうしたものかと少し考え、ひとつ彼女を試すことにした。

「もちろん、そのときはわし見繕みつくろった禮裳らいそうを着てくれたまえ」

 礼を失さない程度に肌を出すのが、士族以下では一般的な、若い女性の夜の禮裳らいそうだが、ヘスティはそういった食事や夜会の場にここ数年出たことがない。
 その数年というのは、彼女が子どもの頃以来ということであり、その当時を知るゴルーツは一度で良いから、成長した彼女に禮裳らいそうを着せてみたいと思っていたのである。
 彼は、そういった茶目に関しては妥協しない。攻め口が見えれば、一気に攻め落とすのが身上だった。
 そのゴルーツに、ヘスティはすきを見せてしまったのである。

「はい……ってえええっ!?」

 さすがに今度は気付いたようだが、ぼんやりしたままだったとしても、一度口にした返事を取り消すのは難しい。別段、だまされたわけではないのだ。

「よしッ」

 ゴルーツは、その場で拳をぐっと握って勝利を喜ぶ。
 困惑したヘスティをよそに、彼は嬉しそうな表情で歩調を速めた。

「ちょ、総所長! 駄目ですって! わたし研究ばっかりでそういうのは!」
「何もこれからも夜会に出ろとは言わないよ。そういう場だとうるさいのがいるしね。でもほら、恩人に礼を尽くすと思えば、納得もできるだろう?」
「うっ」

 そう言われてしまえば、ヘスティに返す言葉はない。
 禮裳らいそうは相手に礼を尽くすための衣裳いしょうである。
 夜会であれば主催者と参加者に、自らが招待主となるならば招待者に、それぞれ礼を尽くすのが当たり前だ。

「何、その辺はわしもよく分かっている。何なら君の弟も連れていくといい」
「リヴィも……」

 ゴルーツの提案に、ヘスティが考え込む。
 彼女は、それならばいいかもしれないと思い始めているが、そもそも弟が参加するかどうかはまだ決まっていない。ゴルーツが知る限り、あの弟は普段の言動と物腰に反して、場の空気が読める。読んだ上で、あえて無視するのが常であるだけだ。

わしが彼を呼ぶと言えば、まあ、出てこないだろうな。来ても、顔見せ程度でいなくなるだろう)

 姉に気を遣うためではなく、面倒から遠ざかりたいがためにそうするに違いない。

「り、リヴィも一緒なら……がんばります」
「そうかそうか! では手配するとしよう!」

 一緒に誘いはする。しかし、その結果まではゴルーツの責任の範囲ではない。
 彼は一度たりとも、リヴィを参加させるとは言っていないのだ。

「いや、楽しみだな、うん」
「――あ、待てわたし、服だけじゃまずいんじゃない? まずいよね、やっぱりまずいよ!」

 軽やかな足取りで歩道を進むゴルーツと、ぶつぶつと自問しながらそれを追いかけるヘスティ。
 そのふたりは、あまりにも目立っていた。
 目立っていたがために、彼女を呼び寄せてしまった。

「あの、もし、そこのお二方」

 ゴルーツとヘスティは、警衛にでも見咎みとがめられたかと振り返ったが、そこにいたのは候補生の軍装をまとった女性である。
 ゴルーツは、その顔を知っていた。

「おや、あなたは総長の……」
「いえ、『元』総長です。ゴルーツ・ブリュエン特機研総所長殿」

 彼女――タキリ・イチモンジは、感情の見えない表情でそう言った。


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