白の皇国物語

白沢戌亥

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8巻

8-1

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 果たして、〈アルトデステニア〉という国家をどう分類すべきか。
 そう生徒に問われたとき、私は常に同じ答えを返す。しかし、実のところその答えで私自身は納得できていない。

『彼らは法と秩序ちつじょを握る君主をあおぎ、開放された市場を持ち、強大な軍事力を備えた大国だ』

 同時期に成立した国々と比較しても、この国家の特殊性は群を抜いている。
 その特殊性から、『まがいものの国』と呼ばれたこともあった。
 この国が、同じ価値観を持つ者たちが集まって自然発生的に誕生したものではなく、異なる価値観を持った者たちが自分たちの不利を補うためにつくり上げたものだからだ。
 難民流民るみん、少数部族や、既存国家に異端者と呼ばれた者たち。
 彼らの唯一の希望。誰もが生きられる国。それが〈アルトデステニア〉。
 生きる。ただそのためだけにつくられたからこそ、この国は大いに繁栄したのかもしれない。
 建国された頃の価値観で考えれば、獣人は家畜で亜人は奴隷どれい流民るみんたちはだった。そんなが、どれだけの人々に希望を与えたのか、当時をこの目で見たことのない我々には想像することさえ難しい。
 現在、我々の国は如何いかなる種族も区別せず、平等に民としての権利を与え、義務を課している。
 我々の国と同じように、種族の平等をかかげる国はもう決して少なくない。
 だが、もっとも数多くの種族が暮らしている国は、今に至っても〈アルトデステニア〉だ。
 だから、私は生徒たちに重ねて言うのだ。
〈アルトデステニア〉は、ひとつのきっかけを作った偉大なる国であると。
 諸君らが、教室で机を並べて共に学び、食堂の大机に定食や弁当を広げて共に昼食を取り、図書室で頭を抱えながら共に試験勉強をし、運動館でひとつの球を取り合う。
 これが、あの国が君たちに与えた幸福であり、君たちがこれからも守っていく未来だ。
 理想論だと笑う者もいる。
 砂上の楼閣ろうかくだと断言する者もいる。
 だが私は、私の愛する生徒たちに明日も言うのだ。
 ようこそ、あの日先人たちが夢見た世界へ、と。


         ――――統一暦九九年初春 久瀬浜くぜはま高等学院学院長 一文字月久いちもんじつきひさ




  第一章 余波



 皆がすぐに終わると思い込んだが、なかなか終わらず――しかしたったひとつのきっかけであっさりけりが付いた争いは、後始末も含めて一段落し、すでに新たな戦いが近付いてきていた。
〈アルストロメリア民主連邦〉の下院議員選挙が、迫っているのだ。

「実際のところ、今回〝も〟皇国側の支援を受けた連中が優勢である。これはくつがえしようのない現実だ。彼らは浅慮だが莫迦ばかではない。皇国という使える手札があるなら使う」

 とある野党議員はそう側近に語り、深々と嘆息たんそくした。
 彼は、隣国から伸びる鎖を断ち切るために、皇国への出兵に賛成した。だが思惑は外れ、出兵は失敗。それにより彼はこの選挙で議席を失うだろうと誰もが予想していた。
 彼自身は無能ではない。むしろ優秀だ。
 世襲せしゅう議員でもなければ派閥はばつに属する族議員でもなく、己の知名度と才覚でその地位を得た。
 映画俳優出身の議員。イノーウィック・ノルディング。それが彼の世間での認識である。

「――この申し出、どうする」

 彼は執務室の片隅にたたずむ秘書に問う。
 その声は低く、苦悩に満ち満ちていた。

「議員を続けるか、自身の矜持きょうじを守るか、選択なされるのは閣下かっかご自身です」
「そうだな……」

 秘書の言葉は彼の予想通りで、秘書もまた自分の言葉が予想されていることを理解していた。

「皇国は変わったのか?」
「変わったと見る者が多いようです」

 秘書は自らの伝手つてを駆使して集めた情報を口に乗せる。

「閣下と同じように皇国の影響力からの脱却を図っていた議員のうち、三割が皇国の提案を受け入れたと聞きます。その中には、あの国防族の首領もいるとか」

 現在の大統領顧問団――内閣を構成する議員のうち、国防長官を務める男だ。もっとも強く皇国への出兵を主張した議員で、イノーウィックも面識がある。

「あの男に矜持きょうじはないのか」
「己の地位を矜持きょうじとしている者もいるのです。そしてそれは、個人の価値観であって普遍ではありません。閣下の価値観も同じです」

 秘書の痛烈つうれつな返答に、イノーウィックが怒りを覚えることはない。
 議員になろうと思い立ち、生まれや性格に難があってもいいから懐刀ふところがたなとして優秀な人材を探してくれと方々ほうぼうに頼み込み、ようやく得た腹心ふくしんだ。妙に波長が合い、どのような意図で言葉を発しているか、察することは難しくない。

「我々は負けたのです、閣下」

 誰もが口にしたがらず、しかし冷厳と存在する事実。それがイノーウィックを打ちのめす。
 皇国からの撤退てったいを敗北と記録している公式文書はない。
 治安維持に関わる諸業務を皇国の現政権に返還し、名誉ある帰還を果たしただけというのが、連合軍の公式見解である。
 この軍事行動の名目は、国軍同士の武力衝突ではなく、単なる治安維持行動である。本来、勝ちも負けもない。それでも多くの連邦市民にとって、あの戦いは軍の敗北であるという認識だった。

「仕方がないと諦めて、議員として自分が成したいことも成せず消えるか。それとも、矜持きょうじを他国へと売り渡し、その走狗そうくとなることを――」
「売国の元議員となる選択肢も、ほこりある走狗そうくとなる選択肢もあるでしょう。皇国はそこまで我々に多くを求めない。そういう国です。結局は手に入れるでしょうが」

 求めずとも、自発的にみつがせるのが皇国という国だと秘書は暗に示した。
 皇国は老練な手管てくだで命脈を保ってきた。あれほど肥沃ひよくな国土を持ちつつも、決して多いとは言えない軍事力しか持たず、常に他国の強大な圧力にさらされてきた。それでもこうして発展を遂げることができたのは、ひとえにその国民性のためだろう。
 彼らは生き残るという一事に関して恐ろしく鋭敏えいびんで、辣腕らつわんだ。生まれた瞬間から生命を狙われるという経験がそうさせたのか、それとも生まれ持っての才覚かは定かではない。ただ、皇国が建国して以来、一度たりとも領土を失ったことがないのは、誰もが認める事実である。

「受けるしかないか」

 イノーウィック自身が皇国の鎖を拒絶しようとも、彼の後釜あとがまに座る議員は皇国の影響を濃く受けた者になるだろう。そうなれば、彼が矜持きょうじを持ち続けることにどれほどの意味があろうか。
 矜持きょうじは目的を果たしてこそである。そうでなければ、ただの自己満足に過ぎない。
 自己満足の果てに矜持きょうじを得るならまだしも、後生ごしょう大事に抱えていた矜持きょうじが自己満足に成り果てることは、彼にとって耐え難い屈辱くつじょくだ。
 イノーウィックにしてみれば、政治家とは政治を生業なりわいとしている者ではなく、政治を生きざまとしている者である。
 理想論だと笑うなら笑えばいい。しかし、それこそが民の求める政治家の姿だ。
 かてを得るだけなら俳優のままでいた。そんな彼が政治家になったのは、俳優では決して得られないものを得るためだった。

「では、そのむね先方にお伝えいたします」

 これで、彼の次の選挙での当選は決まったようなものだ。
 それが、皇国と手を結ぶということである。

「――――」

 秘書が静かに部屋を出て行くと、イノーウィックは机の引き出しから一枚の写真を取り出した。
 城を中心とした高層建築物――皇国の皇都を背景に、数人の若者が写っている。
 イノーウィックが皇国に留学していた頃の写真だ。まだ世間のなんたるかを知らなかった時代。祖国と皇国は永遠の友人であると信じていた。
 皇国の友人とは今でも手紙のやり取りがあるが、この写真の頃のように腹蔵ふくぞうなく接しているかどうか、自信はない。
 ただ、今でも深い懐かしさを感じるのは確かだ。
 当時は先代皇王の御代みよで、他国からの留学生を積極的に受け入れていた。中には皇国が費用を全額負担する特別留学生制度まであった。
 今なら分かる。皇国はそのような形で武力によらない侵略を行っていたのだ。
 人々の価値観の中に自分たちの存在、自分たちの価値観をまぎれ込ませるという方法で。
 かつて人々に排斥はいせきされた経験を持つからこそ、二度とそのようなことがないよう、原因を取り除こうと考える。それは決して不自然なことではない。
 現在、その目論見もくろみはある程度成功している。
 一〇〇〇年ほど前、種族間の寿命や見た目の違いは人々の心の中で大きな壁となっていた。異種族同士の婚姻こんいんなどもってのほかで、それを行った者は場合によっては生命を奪われることもあった。だが今は、すべてとは言えないが、多くの国でそのような価値観は払底ふっていされている。
 異種と関わる機会の少ないイノーウィックも、種族の寿命や外見の違いを意識したことはない。
 それらの価値観の変化こそ、皇国の目論見もくろみ、すなわち『武力によらない侵略』である。
 皇国は、どうやったのか?
 時代の変化を利用したのだ。時代の変化とは恐ろしいもので、人々が不変と信じている価値観さえ容易に変えてしまう。
 例えば、〈アルストロメリア民主連邦〉の国是こくぜたる市民主権を意識する者など、現在は誰もいない。あって当然、享受きょうじゅして当然と思っている。市民主権を勝ち取るために、過去多くの血が流れたことも、他人ごとだった。
 すべては時代の変化――つまり、世代交代が起こったためである。
 国民が世代交代することで、国家は定期的に脱皮をする。脱皮によって国家の考え方、思想が変化し、興亡こうぼうが生まれる。
 一〇〇〇年前は常識であったことも、時が経つにつれ非常識となっていく。勿論もちろん誘導すれば、であるが。皇国は実際にそれを成した。
 そのようなことを可能にした理由のひとつは、皇国が世代交代をしないところにある。
 何故なぜ、皇国は世代交代をしないのか?
 国家の中枢ちゅうすうにいる者たちは、長命種が多いゆえに代わらないからだ。
 建国当初の重鎮じゅうちんで今も国家に属している者は、少ないとはいえ皆無かいむではない。また、後進に道を譲っても背後から口を出すことは可能で、貴族制度などはそれをより円滑えんかつにするための機構ではないかと推測する識者しきしゃもいるくらいだ。
 その変化のなさが、他国の価値観を変えるのに役立った。皇国の価値観は変わらない。だからこそ、人材交流などを通じて、変わらない価値観を植え付ける『武力によらない侵略』を続けてこられたのだ。そして、侵略は今も続いている。

「一〇〇〇年の時をかけて、寿命や姿の差に対する我々の価値観を変えた皇国。自らの生きる場所をつくるためならば、まあいいだろう。だが、私は彼らの国としてのあり方まですべて容認するわけではない」

 イノーウィックが思うに、この国と皇国ではそもそも根底にある考え方が違い過ぎるのだ。
 自分たちを守る藩屏はんぺいをつくるために立ち上がり、国家を得たことは同じだった。だが、自分たちはそのまま自分たちの手で国を運営することを選んだ。一方、彼らは自身らの価値観の違いを自覚したため、個を超越した価値観を持つ個人に国をゆだねた。
 ある意味、どちらも平等なのだ。
 全員が持っているからこその平等。
 全員が持っていないからこその平等。
 イノーウィックは留学の際、そのことを自らの目と身体で学んだ。
 皇国の民は義務を上回る権利を持とうとしない。権利というものに代価が存在すると、幼少の頃から教え込まれているためだろう。
 何かが欲しいのなら何かを差し出せ。幼年教育でたたき込まれるその価値観が、皇国社会を維持している。
 それが皇国二〇〇〇年の歴史を支えてきたのだと、彼は理解した。
 人が腕に抱えられるものは限られている。だから、何かを手にするなら何かを失うしかない。

「商人的な考え方だ。しかし、間違っていると断定できる者などいない」

 イノーウィックは写真を仕舞い、立ち上がった。
 背後にある窓へと近付き、連邦首都の摩天楼まてんろうながめる。
 都市としての防衛能力を犠牲ぎせいにし、発展とそれを民に示すことのみをひたすら目的とした街。
 要塞ようさい都市らしい皇国首都の質実剛健しつじつごうけんの作り物じみた都市構造とくらべれば、あまりにも雑多な印象を抱く。

「だが、人々の息遣いきづかいは感じることができる」

 この国は人々が自分たちの手でつくった。
 皇国は、ひとりの男がつくった。
 連邦とは成り立ちからして違う皇国は、何を理想とし、何を目的としているのか。
 二国の理想と目的は全く別種のもので、使用する手段と果てに至る過程もまた別のものである。

「――そういえば、私は皇国の望む未来というものを知らない」

 イノーウィックだけではない。連邦の誰も、皇国の望むものを知らない。

「勝てるわけもない、か」

 敵の目的を知らずに勝利することなどありえない。たとえ勝利したと確信しても、相手の目的がその先にあるのなら最後に待っているのは敗北なのだ。

「議員として生かされる人生を利用し、価値を見出す。面倒なことだな」

 イノーウィックは小さく苦笑を浮かべ、しかし腹の中にわだかまっていたおり霧散むさんするのを感じた。
 矜持きょうじを貫くことが勝利とは限らない。
 たとえ己の矜持きょうじが敗北しようとも、己の目的が十全じゅうぜんに達せられるのなら、それは勝利である。
 矜持きょうじは生きるための武器であり、り所であるが、それ以上の価値はない。あってはならない。
 だがもし、生命よりも価値がある矜持きょうじが存在するとしたら、きっと今手元にあるちっぽけな矜持きょうじすべて捨てる覚悟をしない限り、手に入らないのではないだろうか。

「一度、死んだつもりでやるしかない」

 この国に生きる民に明日の平穏へいおんを。
 それが皇国に屈することであったとしても、民がそれをとするなら何も恥じることはないのだから。


     ◇ ◇ ◇


 群青ぐんじょうの空の果てに輝く星々が、単なる化学変化の産物だと気付いたのは、皮肉にもそんな星々に誰よりせられた夢想家だった。
 彼らは星々が物理法則という秩序に従って天を巡り、輝いていると知って、胸をで下ろした。そのような答えに至ったのか。それは、どれほど圧倒的で、人々の手が届かないものであっても、何らかのかせめられているのだと知ったからである。
 しかし、多くの人々にとってそんなことは、何のなぐさみにもならない。
 圧倒的で、人々の手が届かない存在は、今も変わらず恐怖であり、絶望の対象となっていた。
 例えば、天災ひとつ取ってもそうだ。
 天災は、莫大ばくだいな生命をみ干し、それでいて何のむくいも受けない。
 そんな存在を前にして、人々は一時的に怒りを抱き、やがて空虚くうきょな絶望を抱く。
 怒りは別の方向に向かうこともあるが、絶望に指向性はない。何処どこかに向けることができないのである。
 己のうちに絶望が生まれたとしても、人々はそれから目をらして生きていくしかない。


「では、予定通りに」
「ああ、気を付けろよ」

〈新生アルマダ帝国〉南東部。
 人口八万ほどの都市〈グライフ〉の路地裏で、ふたりの男が言葉を交わし、別れた。
 共に薄汚れた工場労働者の風体で、街中まちなかでその姿を見ても記憶に残ることはないだろう。
 だが、その正体は単なる作業員などではない。
 反帝国・祖国独立運動を行う結社の連絡員同士だった。
 ふたりはそれぞれ別の方向へと歩き出し、自分たちの暮らす薄汚れた街の風景をながめる。
 やせ細った子どもが残飯をあさり、あかで汚れた顔を化粧けしょうで厚く隠した娼婦しょうふが道の端にたたずんでいる。路地の奥まったところには老人の死体が放置され、からすがその肉をついばんでいた。
 貧しい街だ。
 しかし、領主が暮らす中央部へ行けば、そこには小奇麗こぎれいな街並みが広がっている。
 多くの市民の富を奪い、まやかしの栄光を享受きょうじゅしているのだ。領主は市民がどのような生活をしているかを知ろうともせず、ただ帝都と自分の館を行き来するばかりだった。
 自分たちから巻き上げた金が、領主が出世のために帝都で行う活動の資金になっている。我が子がくさったごみの中から見付けた金属くずを売り、妻が身体を売って得た金さえも。
 そう考えるだけで、連絡員の口から抑えきれない憤怒ふんぬうめきが漏れた。
 自分たちが何をした。自分たちは亜人でも混血でもない人間だ。
 この国は、人のための国ではなかったのか。
 そんな疑問がやがて怒りとなり、静かに燃え広がっていった。
 だが、その炎は決して表には出てこない。治安維持組織が活発に動いているためだ。

「――日に日に我々の裏の仕事は厳しいものになっていく。それはつまり、帝国政府もまた苦しんでいることの証拠にほかならない」

 組織の寄り合いでそういった言葉が出るほど、帝国政府の反政府組織への弾圧は苛烈かれつになっている。
 原因が、対皇国戦の敗北にあるのはほぼ確実だろう。
 帝国政府は必勝を期して皇国領に侵攻した。予想以上の抵抗にあってグロリエ皇女の出陣という事態になったが、政府からすれば手札を一枚切ったくらいの認識であったに違いない。
 その証左しょうさに、グロリエ皇女麾下きかの部隊のうち、自動人形部隊が途中で足止めを食らっている。彼女が大きな手柄を立てることを嫌った者の仕業しわざだとされているが、そんな連中が出てくる時点で、帝国側のこの戦いに向ける意識の程度が知れるというものだ。
 皇国はすでに内乱で混乱しており、帝国軍には要塞ようさい突破の秘密兵器まであった。
 これで勝てないはずはない。誰もがそう思った。
 そう思った戦いに、負けた。

「政府の混乱は大きく、我々の活動は大きく躍進することになった。帝国軍の再編と重なり、武器の密輸も人員の輸送もやりやすくなった」

 実は、その仕事には皇国や、皇国と友誼ゆうぎを結んでいる国々が手を貸している。帝国の物流は今、表も裏も彼らによって蚕食さんしょくされていた。
 まるで、腫瘍しゅようが血管に乗って身体の中を方々ほうぼうへ転移していくように、皇国という癌細胞がんさいぼうは帝国に侵攻している。
 帝国はそれに気付くことができない。
 これまで多くの戦争を勝ち抜き、多くの国土を得たがために、身体がぎだらけになっており、自らの健全な状態というものを知らないのだ。
 そんな帝国の縫い目から、皇国とその友邦は深く静かに浸透しんとうを続けている。帝国を四分五裂しぶんごれつさせる必要はない。ただ、その国力が十全じゅうぜん発揮はっきされない状態を慢性的まんせいてきに作り上げるだけでこと足りる。
 帝国は多くの人口を抱える大国だが、内部は常に不安定な状態で、軍事力というからによって形を保っているという説もある。
 強大な軍事力が国の安全を担保たんぽする。それは対外的なもののみならず、内部に向けられるものでもあった。
 その強大なからひびが入った以上、帝国という巨大な体躯たいくひずみが生まれるのも当然のことだった。
 そんなひずみのひとつが、各地で活発化しつつある反政府・祖国独立運動だ。
〈グライフ〉の反政府・祖国独立運動は、特に活発な部類に入る。
 その理由は、この都市が皇国に近く、新たに皇国領となった〈ウィルマグス〉の確かな情報を他の都市よりも比較的容易たやすく得られることにあった。
 彼らは自分たちの同胞どうほうが皇国にあってようやく、望んでいた当たり前の生活を手に入れたのだと知った。
 親兄弟が皇国にいる者も少なくなく、中には妻子を難民として逃れさせた者もいる。そういった活動を手引きする組織があるのだ。
 その組織は、彼ら〈グライフ〉の民が望むままに〈ウィルマグス〉の現状を教えた。
 復興のために多くの雇用が創出され、失業者の数は限りなく無に近い。働きたいと思いさえすれば、そして仕事さえ選ばなければ、誰もが何らかの仕事にくことができる。
 皇国の税は帝国とくらべて軽く、その税の使途も調べれば簡単に分かる。敵地であったからといって本国よりも税が重いということもないし、皇国の他の地域へと移り住むことも可能だった。
 それらの情報に、〈グライフ〉の活動家たちは大いに勇気づけられた。
 この事実を人々に広めるだけで、自分たちの行動の正当性を示すことができるからだ。
 一方で、現状の生活が苦しくとも死ぬよりはましだ、と思っている者もまだ多かった。そんな者たちにしてみれば、反政府・祖国独立運動など日々の平穏へいおんを乱す不安要素でしかない。
 万が一にも結社の構成員や協力者だと疑われたら、官憲かんけんにどんな目に遭わされるか分かったものではない。だから、現状を受け入れている人々は、彼らに近付こうともしなかった。
 そのため、活動家たちはこれまで、静かにして時期を待つしかなかった。
 人々の支持を受けられない反政府活動が決して報われないことは、歴史が幾つもの実例を示してくれている。ゆえに耐えた。
 一度しか好機はないと思っていた。
 帝国は、自分たちの体制を否定する者たちに二度も三度も機会を与えはしない。そのような社会を作り上げている。
 活動家たちは、いつか来るであろう一度きりの好機に備えて、ひそかに同じように現状に不満を抱き、変化を望む者を探し出し、少しずつ勢力を拡大していった。帝国への不平が弾圧の恐怖を上回る者も確かにいるのだ。
 それに、結束は固い。
 過激な行動に出たりしなければ、同じようにしいたげられている者たちが自分たちを売り払うような真似まねはしない。以前は自分たちの情報を流して小銭を得ようとした者もいたが、そういった者たちは共同体から排除されるようになった。
 そしていよいよ、風が彼らに吹き始めた。
 一度の敗戦。しかし、大敗といっていい負けいくさだ。
 帝都方面では貴族同士のいさかいが激化し、次期帝王を競っている者たちの間でも様々な争いが起きているという。
 好機だろう。しかし、まだ早い。
 秩序ちつじょに抵抗運動を行っても鎮圧されるだけだと彼らは理解していた。
 それゆえに、秩序ちつじょを持った叛乱はんらんを企図している。それも、帝国全土を巻き込んだ大規模なものだった。

「ここからさらに年単位の雌伏しふくが必要になる。だが、一〇〇年以上続いたこの苦しい日々が数年で終わるなら、耐えることもできる」

 彼らは領主の肥え太った姿を見て思うのだ。
 覚えていろ、いつかそのみにく贅肉ぜいにくを牛刀でそぎ落としてからすえさにしてやる、と。


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