白の皇国物語

白沢戌亥

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3巻

3-1

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 プロローグ


 レクティファールがむくろ散らばる戦場跡を抜け、平原を進んでいると、前方に荷車を押す若い男女の姿が見えてきた。
 どうやら砲撃で陥没した道の穴に車輪を落としてしまったらしく、その車輪の下には石や木板が押し込んであった。

「大丈夫ですか」

 レクティファールがそう声を掛ければ、男女は何かにおびえるように振り返った。
 その様子にレクティファールは違和感を覚えた。しかし、こんな殺伐さつばつとした光景が広がる場所では無理もないと思い直す。

「お手伝いしましょう」
「……すまない」

 若い男は目深まぶか外套がいとうを被っており、女も擦り切れた服と薄い外套がいとうまとっているだけだ。
 着の身着のまま、そんな言葉が相応ふさわしい姿だった。

「私がこちらを押します。あなたはそこの木の枝で車輪を持ち上げてください。お嬢さんはそちらの手伝いを」
「は、はい」

 荷車の上には、軍の標札ひょうさつの付いた食料や生活用品が雑多に重ねられていた。いずれも連合軍のもので、レクティファールはそれを見て眉をひそめる。だが、それ以上の反応は示さなかった。
 先ほどの男の大陸語には、メルキトルなまりがあった。〈アルストロメリア〉や〈シェルミア〉地方で耳にするなまりだ。〈皇剣〉は男の言葉を聞いた瞬間、その出身地を推察してレクティファールに伝えてきた。

「では、いきます」

 言って、レクティファールは全身に力を入れて荷車を押し出す。
〈皇剣〉と合一化したからなのか、レクティファールの力はその体躯たいくからは想像できないほど強く、あれだけ重そうに見えた荷車は簡単に穴から脱出した。木の枝で車輪を持ち上げる必要もないほど、あっさりと。

「――」

 二人の呆然ぼうぜんとした様子に、レクティファールはやりすぎたかと心の中で反省する。どの程度の力を使えばいいのか、一つの経験として記憶に留めた。

「荷物は大丈夫ですか」

 レクティファールが訊くと、女は慌てて荷車の上に乗っている荷物を手に取り、あるいは箱のふたを開いて確認し始めた。男は荷車の側にしゃがみ込み、壊れたところがないか確かめている。車輪の止め具や発条ばね、金具を叩いたり、荷台の下に潜り込んでみたりと、男は慣れた様子で一つ一つ点検していく。

「荷車は大丈夫だ」

 点検を終えた男がそう言って立ち上がる。女も荷物に布を被せ、うなずいた。

「荷物も大丈夫みたいです、本当にありがとうございました」

 揃って頭を下げる二人に、レクティファールはうなずいてみせる。

「いえ、当然のことをしたまでです」

 それでは、と二人から離れようとしたレクティファールだが、前方から一台の魔動車が土煙を上げながら近付いてくるのに気づいた。車体にはいくつもの追加装甲が貼り付けられており、その形状から陸軍の軽装甲高機動車であると分かった。
 機動車は三人の前で止まり、数名の兵士が降りてきた。男と女が、おびえたように身体を寄せ合う。
 兵士たちに遅れて助手席から降りた大尉の階級章をつけた女が、レクティファールに写真付きの書類を提示する。レクティファールが素早く女性のえりに目を走らせると、そこには憲兵科の徽章きしょうがあった。

「失礼します、こちらの写真に写っている者たちを何処どこかで見かけませんでしたか」

 レクティファールが貴族軍の士官であると当たりを付けたのか、彼の背後にいる二人を警戒するような眼差しで見詰めながら尋ねてくる。兵士たちも剣やおおゆみを油断なく構えている。

「連合の脱走兵ですか」
「ああ、今分かっているだけでも、百はくだらない。まだ近くに潜伏していると思われるし。君も気をつけるといい」

 レクティファールが思ったよりも低姿勢だったからか、憲兵大尉はすぐに口調を変えてきた。
 相手よりも常に優位に振る舞うことは、憲兵にとって当然の行為なのかもしれない。
 レクティファールは憲兵大尉から書類を受け取ると、一枚一枚流れるような速度でそれを確認していく。
 周囲にいる兵士たちが、「あれで見えているのか」「魔導師なら速読くらいできるって話だぞ」とささやき合っているのが聞こえた。

「――ふむ」

 レクティファールの手が、一枚の写真で止まる。
 そこには、ウィリアム・ロールという、くすんだ金髪の士官の姿があった。

「どうした、何処どこかで見かけたのか?」

 大尉が身を乗り出す。同時に兵たちが気色けしきばんだ。彼らにとっては、ようやく手に入れた手がかりだ。
 だが、レクティファールはすぐに頭を振る。

「いえ、似た人を見かけたのですが、よく見ると別人ですね」
「――そうか、それは残念」

 大尉はレクティファールから書類を受け取ると、レクティファールの背に隠れるようにたたずむ二人と、荷物を積んだ荷車に目を向けた。
 視線に含まれた剣呑けんのんな憲兵に、レクティファールは内心肩をすくめる。誰が見ても同じように怪しむだろうなと思った。

「その荷物は?」
「この二人の家に連合の兵士が置いていった物資のようです。二人は最近まで少し離れた村に疎開していて、家に戻ったらこれが置き去りにされていたと」
「その二人は?」

 大尉の言葉に、二人がびくりと肩を震わせた。

「当家の使用人です。皇都があんなことになってしまい、私も軍務で皇都を離れていたので、暇を出していたのです」
「なるほど……」

 大尉はレクティファールと二人を見比べ、最後に荷車を一瞥いちべつすると兵士たちに撤収を命じた。
 憲兵隊も決して余裕があるわけではない。手を出すべき事案と、そうでない事案の区別を付ける必要がある。

「そうか、ご協力ありがとう。――次を当たるぞ、総員乗車」

 兵士たちが一斉に車に乗り込んでいく。大尉は自身も車に乗り込もうとしたが、ふと振り返ってレクティファールに小さく笑い掛けた。

「――君は、殿下に似ているね」
「ええ、最近そう言われるようになりました。迷惑な話です」

 レクティファールが答えると、大尉は声を上げて笑い始めた。そのまま車に乗り込み、窓からレクティファールに敬礼する。

「そうだろう。では、これからも頑張れ」
「ええ、大尉殿も」

 レクティファールも敬礼で応える。大尉は運転手に車を出せと命じ、軽く手を振って三人の前から去っていった。

「さて、私もそろそろ行きますか」

 レクティファールは魔動車が視界から消えたのを確認すると、その場を立ち去ろうとする。
 その背に、女の声が投げ掛けられた。

「ありがとうございます!」
「――皇都は色々な人がいますから、くれぐれも下町の裏通りには近付かないようにしてください。外国から逃げてきた難民も多いようですし」

 レクティファールはそんなことをつぶやきながら、再び平原を歩き始めた。
 背後から聞こえる荷車の車輪の音に耳を傾けながら。それがただの偽善と知りながら。


 しばらく平原を歩き続けたレクティファールだが、宿営地に向かう途中で横合いから大声が飛んできた。

「あ、そこの男ッ!」
「――?」

 そちらに目を向けると、医官らしい白衣を着たくれないの髪の女が、自分に向けて突進してきた。

「今ヒマ? ヒマね! ヒマに決まってる! じゃあ手伝いなさい!」
「お」

 その勢いをレクティファールの直前で殺しきった女は、頭の上で一つにまとめた髪を振り回して彼に迫った。そして返答する暇も与えず、拉致同然にレクティファールを連れ去る。
 レクティファールが抵抗する間もなく、女は平原を突き進んだ。
 上空の飛龍が慌てている気がしたので、レクティファールは背後の空を見て手を振った。
 女から敵意は感じないし、何より〈皇剣〉を持ったレクティファールを害せる者はそうそういるものではない。
 飛龍はレクティファールの合図に気付くと、これまでと同じように上空を旋回せんかいし始めた。それを確認し、レクティファールは女にたずねる。

何処どこへ行くのですか?」
「病院!」

 女はそれだけ言ってさらにレクティファールを引きった。
 引きらなくてもちゃんと自分で歩くと何度も言ったが、女は聞き入れなかった。というよりも、無視された。それこそ清々すがすがしいまでに。

「――うん、まあ、仕方がない」

 とりあえずレクティファールは諦めることにした。
 こういった物事に関する諦めの良さは相変わらずだった。最近女性関係で色々諦めることが多かったためか、余計にその傾向が強くなっている。
 そのまま女に引きられ、レクティファールの宿営地から丘一つ離れた場所に設営された天幕へと辿たどり着いた。天幕には、つたの絡みついた十字星の紋章があった。陸軍の医務衛生科の紋章だ。
 女は天幕の中に飛び込むと、いきなり叫ぶ。

「姉さん! 人手拾ってきたッ! 彼まだ暴れてる!?」
海星ヒトデ?」

 レクティファールのとぼけた台詞せりふにも突っ込みは無かった。
 それもそのはずで、天幕内は叫び声とうめき声を上げる多くの負傷者と、鬼気きき迫る表情でその間を飛び回る従軍看護師と医官がおり、まさに地獄の様相だった。せわしなく動き回る人々の中には、作業衣の衛生兵も交じっている。
 そんな地獄の中で、女の声に応えた者がいた。

「こっちだ!」

 大きく手を振って二人を迎えたのは、ここまでレクティファールを連れてきた女にうり二つの、ただし大きな眼鏡を掛けた女だった。

「よくやったファリエル! そいつにそこの白衣着せてこっち連れてこい!」
「了解、フェリエル姉さん! さ、とっとと脱げぇッ!」
「おおッ!?」

 剣帯と大外套がいとうぎ取られ、軍装の上着も奪われたレクティファールは、何故か近くに掛けられていた白衣を着せられた。無菌樹脂製らしい薄手の手袋を渡され、言われるがままにそれを着ける。
 ファリエルと呼ばれた女はその姿を見上げると、目を細めた。
 そこでようやく、レクティファールは女の身長が自分より小さいことに気付いた。メリエラと同じか、少し高いくらいか。
 そんな小さな身体でレクティファールを引きってきたということは、それなりに力のある種族なのかもしれない。
 女は細めていた目をさらに鋭く細め、にらみ付けるようにレクティファールを見た。

「あんたその軍服見る限り、どっかの貴族軍の士官でしょう? 応急処置のやり方ぐらい分かってるわよね?」
「いや、私は……」
「ファリエルっ!」

 先ほどの女性が、少し離れた場所で怒声どせいを発する。

「はいはい! 今行く!」

 ファリエルはレクティファールの返事を聞かずにその手を取って歩き始めた。
 何人もの患者たちの隙間すきまを歩いた。薬と消毒液、そして糞尿ふんにょうと汗の臭いが混じり合っている。
 そんな空気の中、血まみれの包帯を頭に巻いた一人の兵士がレクティファールに向けて、何か懇願するように口を開けていた。だが、ファリエルはそれを無視して突き進んだ。

「一人元気の良い重症患者がいてね。アタシたちだけじゃ押さえきれないと思って男手を探してたの」
「はあ……」

 確かに、男性兵士の力は目の前の女性よりもはるかに強いだろう。
 ここまでレクティファールを引きってきた腕力は大したものだが、火事場の莫迦ばか力に近いものなのかもしれない。

「ここよ」

 やがて、天幕の奥に辿たどり着いた。
 そこでは、一人の茶髪の男が大きな声でわめいていた。

「ふざけんな! 利き手取られて、これからどうやって生きていけってんだ!」
「ふざけてるのはそっちだ、大莫迦ばか者っ! もう右腕の壊死えしが始まっている、さっさと切断しないと命も無いぞ!」

 先ほどの女、フェリエルと呼ばれていた女医が男と言い合う。

「こちとらこの右手で自分の女食わせていこうって決めたばっかなんだよ! それを切れだぁ!? 再生魔法とかあるだろう!」
「再生魔法はもっと綺麗な傷にしか使えない! こんなぐちゃぐちゃな腕を再生したって無意味だ!」

 治癒ちゆ魔法には大きく分けて三種類ある。
 一つは、その対象の自己再生能力を増進して傷を治す再生治癒ちゆ魔法。
 一つは、その対象を傷を負う前の状態に復元する遡行そこう治癒ちゆ魔法。
 そして最後に毒物などの異物を除去する透析とうせき治癒ちゆ魔法だ。
 再生治癒ちゆ魔法はさらに細かく分ければそれこそ何種類もあって、その効果は切り傷を治す程度から骨や筋肉を繋ぐ程度までと幅広い。しかしその再生治癒ちゆ魔法は対象の治癒ちゆ力を増進させるだけで、治癒ちゆ力を上回るほどの大怪我おおけがには意味がないのだ。
 くさり落ちた腕を元の状態まで治癒ちゆさせることなど、大きな力を持つ一部の種族にしかできない。

「さあ、その大事な女に生きて会いたければ大人しくしろ!」
「だからふざけんなこのアマッ!」
「ほら、あんたも押さえるッ!」

 レクティファールは一緒に来たファリエルに促され、男の身体を押さえにかかった。
 思ったよりも男は元気そうで、レクティファールの身体を押し返そうと大いに暴れた。それだけ、相手の女性が大切なのだろう。

「てめッ! 同じ男なら分かるだろうオレの気持ち! こいつら止めろ!」
「いや、確かに気持ちは少しぐらい分かるんだけれども……」
「じゃあ止めろよ!」

 男はレクティファールの顔面につばを飛ばしながらえた。切羽せっぱ詰まった、必死の形相ぎょうそう。たしかに、腕一つを失えば今後の生き方も大きく制限される。いつか、あのとき死んでおけば良かったと思うかもしれない。
 レクティファールはそれをぬぐうこともせず、男をじっと見た。

「でも今ここで治療を止めて、あなたが死んだら、その大切な人は誰かのものになりますよ」
「――んだとッ!」

 男は今度こそレクティファールをね飛ばす勢いで暴れ始めた。それを必死に押さえ込み、レクティファールは続ける。相手は怪我けが人だ。力を入れすぎないよう、細心の注意を払う。

「その人がどれだけあなたを想っていても、死んだあなたはもう思い出にしかなれない。未来のその人をどうこうすることは許されないことでしょう」

 そうだ、死者が生者に干渉することがあってはならない。生者が死者に引きられるようなことは許されない。乗り越えるしかないのだ。

「だ、だからって、腕なけりゃ畑だって耕せない! あいつにおぶさって生きて行けってのか!」

 男は最早涙目に近かった。
 だが、その言葉は先ほどまでの勇ましさとは反対に、酷く女々めめしいものだった。
 それが、何故かレクティファールのかんに障った。あの平原で見たむくろが、男の顔に重なって見えた。
 さらに、いつかの自分にも重なって見えた。メリエラを泣かせてしまった、あの頃の自分だ。
 それに気付けば、レクティファールの腹の底に煮えたぎる感情が湧いてきた。この男は自分と同じ過ちを繰り返そうとしている。

「――だったら、おぶさる前に、その左手で彼女を守り抜けよ、この莫迦ばか野郎!」

 レクティファールは、この世界に来て初めて怒鳴どなり声を上げた。
 あの聖都での会談でさえ、ここまでの怒りは感じなかった。

「右腕だけだ! 全身くさってないだろう! 外を見てみなさい! 全身腐って骨さらして、あの中の何人かはきっとあなたと同じ気持ちだったはずだ! きっと大事な人がいた! 全身全霊で守りたい人がいたはずだ! それをあなたは右腕一本無くしただけで子どもみたいに! それでも文句があるなら私の右腕を持って行きなさい! それで手術を受けるなら、今ここで私は右腕を斬り落とします」
「お、お前……」

 なんて莫迦ばかなんだ。
 男はぽかんとレクティファールを見上げた。
 周りを見れば、二人の女医が自分と同じような表情で男を見ていた。

「さあ! どうしますか!」

 レクティファールはいつの間にか〈皇剣〉をその手に握っていた。いつそれを握ったのか、憶えていない。だが、レクティファールはそれを自分の右肩に当てており、男がうなずけば瞬時にそれを振り下ろすつもりだった。
 二人の女性が固唾かたずを飲んで見守る中で、男はレクティファールとにらみ合った。
 自分の腕には、この莫迦ばかな青年の右腕と同じだけの価値があるだろうか。
 自分は腐りかけたこの腕に、どういった意味を与えられるのだろうか。

「――」

 彼は、ふるえるまぶたを閉じた。

「いいよ、そこまでやらなくても……」

 ああ、畜生。莫迦ばかに諭されて右手おじゃんだ。
 でも、左手一本あれば、あいつを抱き締められるよな。

「やってくれ、先生」

 左手あれば、あいつの涙ぐらいぬぐえるよな。
 ハーバー・フォスはたった一本残った左腕に、これからの残りの生涯すべてを懸ける覚悟を決めた。
 もう逃げ道はない。そう自分に言い聞かせて。


 男の手術はほんの二時間程度で終わった。
 レクティファールは魔法を駆使した手術というものを初めて見たが、彼がわずかに記憶しているかつていた世界の手術の方法よりも確実かもしれないと考えた。
 ただし、手術中のレクティファールは専門用語の嵐に〈皇剣〉という裏技で対応するのが精一杯で、手術の詳しい方法についてはあまり理解できなかった。
 手術が終わって眠ったままの男を手術室の外の寝台まで運ぶと、レクティファールはフェリエルとファリエルにもういいから出て行けと言われ――現在、天幕の外で大絶賛自己嫌悪中だった。

「おお……」

 頭を抱え、地面に置かれた木箱に座ってうめく男。
 はっきり言って場所的にあまりよろしくない。
 布一枚挟んだ向こう側でお世話にならないといけない人のように見える。

「うおおお……」

 レクティファールは大いに自己嫌悪中だったが、その理由はそれなりに真っ当なものだった。
 あの男に対して言った言葉は、そのままレクティファール自身にも言えることだからだ。
 大切な人を放り出して、一人で勝手に悩んでいた。まず、彼女にこの気持ちを伝えるべきだった。あの心優しき龍の娘は、きっとレクティファールが頼れば喜んでそれに応えてくれただろう。
 一人で勝手に悩むということが、騎龍という生涯の伴侶はんりょであるメリエラへの裏切りだと、レクティファールはようやく気付いた。

「ああ、メリエラとリリシアとアリアとウィリィアさんの顔、もう見れないかもしれない……」

 彼が守らなくてはならない女はいつの間にか倍の数になっていたが、今回の戦場であのむくろを見たときは、彼女たちの存在は頭の片隅に追いやられていた。
 あの戦場独特の空気に当てられたのかもしれないが、レクティファール自身にとって守るべきものと、摂政として守るべきものが混ざり合っていたのは確かだ。
〈皇剣〉から流れ込んでくるおうとしての責務とやらに精神が圧迫され、同じ戦場で自分を守って戦ってくれたメリエラを放置してしまった。
 さらにはあの男に向けた言葉の稚拙ちせつさ。
 まるで子どもの道理ではないか。
 あれだけカールに守りたい人だと言い切ったメリエラたちのことを忘れ、真剣に誰かを守りたいとえた男をののしった。

「おぉう……」

 横に積んであった木箱にがんがんと頭をぶつける程度に、レクティファールは自己嫌悪に陥っていた。これでは先が思いやられる。彼は真剣に自分の態度を恥じていた。

「あああ……」

 レクティファールはしばらく頭をぶつけ続けた。

「お疲れぇ、お茶飲む……って何やってんのあんた!?」
莫迦ばかじゃないのか! 野戦病院来て怪我けがする奴がどこにいる!?」

 フェリエルとファリエルが磁碗じわんを持ってやって来た。しかし二人はレクティファールの奇行に目をいて驚くと、すぐにその身体を羽交はがい締めにした。

「うあぁ……私は莫迦ばかだぁ……」
莫迦ばかなのは確かだけど!」
「それを理由に怪我けがするな大莫迦ばか者!」

 二人に連行され、レクティファールは再び天幕内に引きり込まれた。


「で、その女連中に会わせる顔がないって自己嫌悪」
「さらにさっきの問題患者に言った台詞せりふでさらに自己嫌悪」

 二人の女医に頭の治療を施されたレクティファールは、先ほどの天幕の外で二人に事情を説明していた。本当は自らの恥をさらすようなことは言いたくなかったのだが、二人は医者でレクティファールは患者である。立場が弱いことはどうしようもなかった。
 何より、二人は陸軍の医官として戦場での心の病についても深い知識があるという。
 レクティファールの行動をその初期段階と考え、徹底的な治療を行うことが患者本人の意思を無視して決定済みらしい。

「あんた莫迦ばかね」
「う」
「大莫迦ばかだな」
「あう」

 さらに精神的追撃を喰らい、レクティファールは消沈した。医者がとどめを刺したということになるのだろうか。

「多分だけど、あんたの守りたい人って、そんなに弱くないでしょ。きっとあんたがへろへろになっても、少しだけでも自分のことを考えてくれた方が嬉しいと思う」
「それに不満があるなら、それはもう向こうが何とかするべきことだ。男に頼ってばかりの女なら、その時点でお前が気にするほどの女じゃない。信じられると思うなら最後まで信じろ」
「はあ……そんなもんですか……」

 もらった香茶こうちゃのどうるおしつつ、レクティファールは微妙な表情でうなずいた。
 正直なところ、女の気持ちは女にしか分からない。彼女たちの言うことを信じるしかなかった。

「気にするな、とは言わないし、無責任だから言えないけど、あんたがまず気にするべきは自分のこと。それができてから、あっちの心配した方がいいでしょ」
「自分のことで相手が苦しんでいたら嫌だろう?」
「確かに、それは……」

 嫌なことだ。あの優しい女性たちが自分が原因で苦しむなど、それこそ本末転倒だ。

「結局、人は自分以外のことを理解できない生き物なの。精神同調しても、それはあくまで同調しているだけで理解している訳じゃない。アタシらは双子でこれまでずっと一緒だったけど、やっぱり姉さんの考えは分からない」

 ファリエルが苦笑する。フェリエルも、妹の言葉に苦笑いで答えた。


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