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第二部 第一章
第一話「同盟発足」3
しおりを挟む新生アルマダ帝国の中でもっとも豊かな者は、およそ帝族の本流か、彼らと深い関わりを持つ者たちだと言われる。
各領地において絶対的権力者として振る舞っている帝国貴族にとっても、それは変わらぬ現実として目の前にあった。
だが、人の欲とはどれほど巨大な壁であっても押し留めることはできない。帝国貴族の中には目の前の現実を変えるために様々な方法を模索する者たちも存在した。
そして、もっとも現実的に自分の立場を変えようとするならば、すでに帝族や他の貴族たちによって縛り付けられた国内ではなく、国外に目を向けるしかない。
オデューロ子爵ロメルはそんな思惑を胸に秘めつつ、自らの領地に進出してきた国内商人と邸宅で向き合っていた。
「このたびは子爵閣下の貴重なお時間をいただき、恐悦に存じます」
「挨拶などいい。このような辺境の地に、いったいなんの用だ?」
ロメルの言葉は謙遜などではない。
彼の領地であるオデューロ子爵領は、帝国領の中央南部の山間にあった。
子爵に与えられる土地としては例外的に広大だったが、それは単に価値の低い土地だからとも言える。
国防上、流通の要衝でもなく、鉱山収入が期待できる土地もない。
それでもオデューロ子爵家にとっては、六世代に亘る帝室への文武の忠勤の結果与えられた大切な土地だ。ロメルもかつては帝都の学園で学んでおり、この地が発展の見込みの薄い僻地であることは理解している。
それでも、自分が生きる場所はここにしかないのだ。
幸いなことに、僻地であること以外に大きな問題はない。
政府もこの地の税収を知っているからか、軍役などの負担もあってないようなものだ。
同じような収入でも、軍馬や兵器の製造に必要な資源が取れる土地となれば、領主に課せられる税も重くなるという。
だがどうしても、この土地になんらかの価値があるかもしれないと期待してしまう。それは先祖の努力ができるだけ価値のあるものであってほしいという願いからだ。
そんな期待が顔にでないよう、ロメルは意識してしかめ面を浮かべた。
貴族などこれくらい高圧的であっても不思議ではない。
「子爵様もご存知の通り、いま帝国では辺境開発が活発化しております」
「うむ」
活発化、確かにそう呼んでもいいだろう。
だがその内実は、戦争で負った傷を癒すための対症療法に過ぎない。
過剰なまでに軍備に国力を割き、軍を揃え、しかし敗北を喫した。その一度の敗北は小さな敗北を次々と生み出し、帝国の経済に深い影を落とすことになる。
先の見える領主たちはこれまで以上に領地開発に力を注ぎ、それらを蔑ろにしてきた領主たちでさえ慌てて実入りを増やそうとしている。
だが、領地開発というものが理想通りにいかないことを、多くの貴族は知らなかった。
彼らは大地であればどこでもどんな作物でも実ると思っているし、そこらにある山を掘れば鉱物資源が埋まっていると思っている。
そんな都合の良いことはあり得ない。
農作物は声高に適した土壌を要求するし、鉱物は神の気紛れに期待しなければならないのだ。
「そこで、子爵様の領地でそのお手伝いができないかと思い、こうして伺わせて頂いた次第です」
「生憎だが、この値にお前たち商人が求めるようなものはないぞ。それとも私が知らぬ間に、痩せた土地で育つ小麦でも作られたのか? 餌を食べずに成長する豚が産まれたのか?」
「いえ、そうしたものではありません。この地の山に道を通す許可を頂きたいのです」
「道だと? そんなものを作ってどうする?」
「あの山の向こうには、〈ゲルティゲン〉がございます。そこから帝都へ向かうには、大きく山を迂回せねばなりません。ですが山を越える道を作ることができれば、大きく輸送の時間を短縮できます」
〈ゲルティゲン〉は金と複数の宝石の鉱脈を持つ帝国の属領だ。
古くは帝王直轄領として栄え、現在は帝王の弟が大公としてその地を治めている。帝国領内に流通する宝石の二割はこの国から流れ込んだものだ。
国土こそ小さいものの、貴金属装飾品の輸出で潤っている。
「だが、あの山々は帝国の要害。外敵から本土を守る壁だ。そこに道を通すということがどのような意味を持つのか、わからぬ訳ではあるまい」
古くからこの地を治めているだけあって、子爵家はこの土地の意味を良く理解していた。そのため簡単に頷くことはできない。
この国は常に戦時体制だ。少なくとも、法的にはそれを主張できるようになっている。
如何にこれまでの忠勤があろうとも、家の取り潰しや転封など難しいことではない。
「――帝王陛下のことでございます。ご存知でありましょう?」
「――――」
商人の言葉に、ロメルはわずかに驚いたあと、黙り込んだ。
帝王不予の報は貴族社会を駆け抜け、彼らの行動を促した。
まだ動くには早いと静観を選ぶ者が大半だが、あえて将来の大きな実入りを期待してすでに行動を始めた者もいる。
帝王候補が三人。それもほぼ横並びの状態とあっては先んじて動くことにも大きな意味がある。
ロメルは中央から距離を取っているためまだ目立った働きかけはないが、個人的な友人である貴族の中には彼に探りを入れるような手紙を送ってくる者もいた。
「子爵閣下は帝室への忠誠篤き帝国貴族の規範たる御方。このような時節に自らの利益となる行動を取ることに躊躇いもございましょう。ですが、お考えください」
商人は地図を広げ、街道の建設予定地を指で指し示した。
「この地に細いながらも整備された街道ができたとして、いずれの勢力の得になるということもございません」
「確かに……」
子爵の領地は、三人の帝王候補のいずれの領地とも関わりを持っていなかった。
仮に道を作ったところで、三人に睨まれる心配はない。むしろ帝室の利益のために行ったのだと弁明するだけの材料はある。
「いや、だが、時期尚早としか言えん。我が領だけのことではない」
「なるほど、確かにその通りでございます。わたくしどもとしても、閣下にご迷惑をおかけしようとは思っておりません。どうぞ、ごゆっくりご検討ください」
「そうさせてもらう」
「では、わたくしはこれで失礼いたします。なにかございましたら、遠慮なくお呼びください」
商人は最後まで温和な態度を崩さず、屋敷を辞した。
遠ざかっていく商人の馬車を見送りながら、ロメルは焦りを感じている自分に驚いた。
「やめろ、なにを考えている。余計なことをするな、ロメル」
お前は大望を抱くような器などではない。
ただただ、先祖伝来の辺境の領地を守り抜くことだけを考えればいい。
今でも領民たちは幸せな生活をしているではないか。豊かであることが幸福ではない。
自分にとって身の丈に合った生活さえできれば、それで人は幸せなのだ。
それ以上を望めば、欲は果てしなく大きくなっていく。いずれ、自分自身で抱えていられなくなるほどに。
「だから、余計なことは考えるな」
数日後、ロメルは商人を呼び、街道建設の許可を出した。
彼の忠誠心に陰りはない。だが、その忠誠心を向ける先が定まらぬ状況にあっては、彼の決断も致し方ないことなのかもしれない。
どれほどの誠意があろうとも、それ自体はなんの利益も生み出さない。どれほどの忠誠を持っていようとも、それだけでは誰も救えない。
もはや帝国には、彼らのような民に報いる余力は残されていなかった。
◇ ◇ ◇
後宮の改築は第一特別護衛旅団敷設中隊がその任を負っていた。
外部から工事業者を呼ぶことも憚られる場所であるため、後宮施設維持のための作業はすべて乙女騎士たちの手で行わなければならない。
ただ、彼女たちに職人並みの腕前を期待するのは難しい。
大きな彫刻や壁画などの大半は、後宮の外で作られたあとに分解され、再び後宮内で組み立てられるというのが常だった。
「メリエラ様、さきほど搬入と設置が終わったようです」
「ありがとう」
皇妃メリエラ。
現皇王レクティファールの妃の中では、第一妃リリシアと並んで広く知られた人物だ。
知られている理由については、レクティファールとの出会いから婚姻に至るまでの行状が出版され、人気を博したからだ。
その行状記ではリリシアが気難しく嫉妬深い少女に描かれていたが、逆にリリシアが作家に書かせて出版した自伝ではメリエラが粗野で嫉妬深く描写されており、現皇王家初の醜聞として知られていた。
なお、この出版にあたってレクティファールは一切の干渉を行わないことを内外に宣言しており、妻たちの争いに巻き込まれないよう徹底した中立主義をとっていた。
この行動に事情を知らない一部の者たちは無責任だという声を上げたが、少しでも現皇王家を知る者は、レクティファールの行動を支持していた。
リリシアとメリエラはレクティファールに関わることだと、体面を取り繕うということができない。万が一にもレクティファールが仲裁するということになれば、どんな結果になるにせよ次の争いの種を蒔くことにしかならないのだ。
そうなれば、勝手に落ち着いて鎮火するのを待つしかない。
幸いなことに他の皇妃たちの取りなしはそれなりの効果を見込めるので、レクティファールはこのふたりの争いに関わることをここ数年やめていた。
その成果か、メリエラとリリシアの争いの頻度は下がっており、皇王家家臣団は胸を撫で下ろしていた。
「殿下が彫刻に興味をお持ちとは、存知上げませんでした」
メリエラが外部の彫刻家に作品を依頼したのは、半年ほど前のことだ。
それまで美術品を見ることはしても、自ら依頼を出して作品を作るということはしてこなかったし、芸術家への支援も彼女個人ではなく皇王家としてのみ行っていた。
そんな彼女が彫刻家に作品製作を依頼したのは、果たしてどんな心変わりがあったのだろうか。
乙女騎士たちの間では噂になっていた。
メリエラは担当の乙女騎士を連れたまま、後宮のなかで彼女に割り当てられている区画の中央部にある広間に向かう。
その中心に、注文した彫刻は設置されていた。
横臥する青年に膝を貸す女性の彫像。端的に言えばそのような作品になる。
ただ、誰かに見せるためのものではないためか、作品の題名などはどこにも記載されていなかった。
「これは、どういった作品なのでしょうか?」
「そうね、備忘録といった感じかしら」
「備忘録、ですか?」
「ええ、長く生きる私が、けっして忘れてはならないことを忘れないようにするための、備忘録」
彫像を見詰めるメリエラの表情は、ここ数年の中では一際穏やかに見えた。
常にリリシアとの諍いを繰り返し、義姉妹たちに宥められる日々。龍族の性質なのか、悲的興奮に陥るようなことはないものの、乙女騎士たちの間では、扱いにくい人物として認識されていた。
特に新たに配属された乙女騎士にとっては、リリシアとメリエラの争いとそれに起因する不機嫌なメリエラの存在は悩みの種で、相談窓口に寄せられる職務上の相談の上位を占めている。
「そういえば、リリシア様も……」
そういって、乙女騎士は失敗したというように顔を顰めた。
メリエラの前ではリリシアの名前を出さないというのが、若手乙女騎士にとっての基本だったからだ。
その基本を怠った自分を心中で罵った彼女だが、迂闊に頭を下げることもできない。皇妃の名前を出してそれが間違いであったと謝罪すれば、それはそれで別の問題となってしまう。
「あの子もなにか頼んだのでしょう。私と同じものだとは思えないから、絵画かしら」
「え?」
「あら、違うの?」
「いえ、その通りです。同じく、リリシア様の区画にある中央広間に本日飾られました」
「そう、きっとこの彫像と似た雰囲気の絵でしょうね」
メリエラはそっとリリシアがいるであろう区画の方角に目を向ける。
その目には一切の敵意はなく、むしろ親しみさえ窺えた。
「あの子も私も、こういうところは似ているのよ。女々しくて、でも怖がりで、こんな形でしか自分を安心させられないの」
「――はい」
無論、若い乙女騎士にメリエラの言葉の真意など理解できない。
だから、曖昧に頷くことしかできなかった。
「あれから三年だものね。区切りとしては悪くないわ。私も、彼女も」
メリエラはそう言って彫刻に背を向ける。
乙女騎士はそれに続きながら、もう一度だけ彫刻を振り返った。
そこに刻まれた青年の顔は、どこかで見たことがあるような気がした。
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