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第五章:因果去来編
第三話「機械仕掛けの彼女」その二
しおりを挟むイズモ国内にある皇国政府の事務所、つまり大使館や公使館、領事館などは全部で四箇所存在した。
うちもっとも規模が大きいのが首都〈天陽〉にあるアルトデステニア大使館で、そこそこに広い庭園と三階建ての建物を土地ごと借り受けていた。
「え? お妃様? うちの? 本当に?」
最初にイズモ側から正体不明の『お妃様』について照会を受けたのは、イズモ渉外部からの窓口になっていた三等書記官だった。
彼女は日頃の激務で真っ黒になった目のまわりを化粧で隠しながら仕事を続けていたが、この日ばかりは自分の正気を疑った。
「そんな予定は聞いていないけど……」
彼女は通話機を保留状態にして大使館の予定表を開く。
そこには大まかな本国からの来客なども記載されており、イズモが『お隣お妃様』と呼ぶお忍びの皇妃行啓もそこには記されていた。
お忍びとは言っても、流石になんの警備態勢も敷かない訳にはいかないのだ。もっとも、これは皇妃たちを守るというよりも、彼女たちに余計なちょっかいを出して魔素に分解される不幸な存在を出さないための手段だった。
「室長、昨日今日にイズモに来る妃殿下っていらっしゃいましたっけ?」
予定表を閉じた彼女は、背後で今度開かれる周辺国財政担当閣僚会議の会場設営についてイズモ側担当者と丁々発止のやりとりをしている上司を振り向いた。
「どういうことだ? 誰かいらっしゃったのか?」
「それが、天陽の港で物珍しそうに入管を眺めている女性がいたとかで、しかも旅券を持っていないと」
「――おい、それ本当にうちのお妃様か?」
この騒動の顛末から考えると、このときの室長の疑問が騒動を未然に防ぐ最後の防壁であった。
いくらなんでも自分たちに黙って皇妃がイズモを訪れる可能性は低い。仮に旅行日程などが機密に属するとしても、少なくとも自分たちが受け入れ体勢を整える程度の余裕は与えられるはずだ。
「でも、向こうはそう言ってます。なんかもの凄く変な服を着ていて、見た目もイズモ人ではないし、どうやって帰ったら分からないようなことも言ってるらしいですよ」
「――ううむ」
室長は大いに悩んだ。
そして、相手が誰かを確認するくらいならば問題ないだろうと結論付ける。
「分かった。その女性のところに行ってきてくれ。皇妃殿下の顔をよく知っているイズモの方が言うのだから、きっとそうなのだろう」
このイズモ当局への信頼が、彼を余計な苦境へと追い込むことになる。
彼はイズモ人の『外国人』を見分ける能力について、もう少し疑うべきだったのだ。
皇国ほど多種多様な種族が暮らしているならば、多くの種族の見分け方を成長とともに学ぶことができる。
しかしイズモにはイズモ人以外の住人はほとんど存在せず、彼らの見た目も先祖の神族の特徴から三種類程度に分けられてしまうため、人種の見分け方など学ぶ機会はなかった。
結論から言えば、イズモ人が皇国人を見分けるとき、もっとも頼りにしているのは服装であり、外国人で皇国風の服装を纏っていれば、おおよそ皇国人だと認識されてしまうのである。
そして皇国風の服装というのは多岐に渡っており、イズモ人の認識は「なにか珍しい服装といえば、皇国の服」くらいの認識だった。
それを知らない室長はこのとき、イズモ側が顔写真かなにかで相手を確かめたものだと思い込んでしまった。それに皇国人ならば、写真がなくとも、皇妃たちの顔ならば見分けることはまったく難しいことではない。
そんな皇国人とイズモ人の認識の差が、この悲劇じみた喜劇を加速させる。
「はい。わかりました」
「一応、本国行きの船便には空きがあるはずだ。なんなら特等室を予約してお帰り頂こう」
「わたしも帰りたいです」
ぽろっと零れた書記官の本音に、室長は固まる。
そして秘書官の目がなにも映していない空洞になりかけていることに気付き、罰の悪そうな顔で頷いた。
「――来週、休んでもいいよ。里帰りでもしてきなさい」
「ありがとうございます……」
秘書官は頭を下げ、手提げ鞄を抱えて仕事場を飛び出して行く。
向かう先は港の入国管理局本部だった。
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