白の皇国物語

白沢戌亥

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第五章:因果去来編

第三話「機械仕掛けの彼女」その一

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 彼女は地球を知らない。
 なぜならば、彼女の素体である航宙艦の制御機構が組み上げられたとき、すでに地球は空間断層の向こう側に落ちてしまっていたからだ。
 延命技術の発達で一部に地球出身者は残っていたものの、当時の銀河連邦の一般市民は地球を歴史上の地名としてしか認識していなかった。
 ただ、銀河連邦平和維持軍は地球を含む太陽系の奪還を理由に予算のいくらかを確保していたし、政治家たちの中にもそれを題目にして選挙を勝ち抜く者がいた。
 だから、地球という場所が人々の記憶から完全に消え去ることはなかった。
 しかし同時に、現在の地球を知る者もいなかった。

 培養槽から身体を取り出し、思考殻に意識を落とし込み、彼女しかしらない通用口を通って艦の外まで出る。
 ここまでは非常に順調で、彼女はすぐにでも目的の人物に接触できると思っていた。それが甘い考えだと知らされたのは、目の前に異次元起源知性体の街を目の前にしてからだ。
「ここはどこだろうか?」
 帝都〈天陽〉の街並みは、非常に雑多である。
 港湾区画ならばなおさらで、軍用区画と民生区画の境界を水中に身を潜めて突破。そのまま貨客船の乗客に紛れ込んで入国管理局まで移動し、そこで彼女は先の一言を口にした。
「旅券らしきものを見せているところをみると、あれはやはり入管か。しかし――どうやってあれを通過すれば良いのだ?」
 彼女の中にある行動法規は、可能な限り相手国の法に従うよう設定されている。
 他方、その法律について詳しい情報はない。
「むむ……」
 だが、決して彼女が欠陥品であったり、あまつさえぽんこつと呼ばれる存在という訳ではない。強いて理由を挙げるとするならば、銀河連邦には『異国』というものが存在しなかったのだ。
 地球脱出以降、国境という単語は歴史になった。
 彼らは出身国ごとに集団を作りはし、生存領域を設定するまではしたものの、法律については最高法規である銀河連邦憲章のみを定め、それ以外は各生存領域ごとに適した法を設定した。
 その中に、国という概念はなかった。
 敢えて言うならばその生存領域こそが国であったのだろうが、当時の入境審査といえば個人情報の照合と検疫で、それはたとえ自分が生まれた生存領域に戻ってくる場合でもまったく変わらない手順で行われる儀式だ。
 地球脱出を行った人々には何か強い精神的外傷でもあったのか、頑ななまでに国という概念を想起させることを避けようとしていた。
 自分たちは同じ人類で、同じ目的を持つ仲間だと言い続けた。
 地球発祥の宗教は学問の対象としてのみ生き残り、肌の色や髪色などの外見は外科的医療技術の発達で衣服と同じようにその日の気分で変えるものになった。
 そうした時代の人々にとって、『国』とは『大昔にあった生存領域に似たなにか』である。
 彼女にとってもそうだ。
「なぜ、入境審査があれほど厳重なのだ? 手のひらに埋め込んだ市民証をゲートに翳せば終わりではないのか?」
 彼女の中にある入境審査は、市民が様々な形の審査門を軽やかに通過していくものだ。そうでなければ出社もままならない。
「むむ……ここは自動ゲートがないほどの田舎なのか?」
 実際には、この地ほど入国審査が自動化されている国はない。
 隣のアルトデステニアがそれに次ぐ程度である。
「あの……お嬢さん? そこでなにをしていらっしゃるのですか?」
「む」
 彼女が慌てて振り返ると、そこには揃いの制服を着た警衛の姿があった。
 彼らは明らかに困惑した様子で、耳元の通信機から指示を受けながら彼女に接している。
「えー、本部本部、入管前で不審な?――不審じゃない? そうなの? ええとなんて言えば良いんだ?」
「え!? あー、うん、隣の国の陛下のお妃様っぽい人?」
「ああそれだ! なんかそんな雰囲気がある! 最近また来てたみたいだし、置いてきぼり食らったんだろう」
 もしもここにその隣の国の陛下がいれば、濡れ衣だと同行している皇妃に全力で言い訳をしたことだろう。
 ただ、毎度違う皇妃を伴って自国を訪れる隣国の君主というものが存在するイズモの一般的な民衆の認識として、『美しく』、『珍しい服装』で『イズモ人じゃない』、『高貴そうな雰囲気』の女性は、だいたいその人物の関係者だろうという先入観があった。
 そのお妃様たちはイズモに来るたびにお忍びで各地に出没するため、今回もそのような状況なのだろうと誰もが思った。
 のちに“帝”正周がこの一件を知って頭を抱えることになるが、民の認識が変わることはついぞなかったという。
「あの、たぶん旅券とかお持ちじゃないですよね?」
「ああ、持っていない」
「ですよねぇ、普通お妃様ご自身が旅券とか持ち歩きませんよねぇ。おい、やっぱりそうっぽいぞ、大使館に連絡してもらえ」
「本部本部ー、本日のお隣お妃様確保ー、そちらにご同行願い、お土産をお渡しする形でどうでしょう?」
《本部了解。――おい、長官用の果実寒天用意しとけ、お隣お妃様がくるぞー、超美人らしいぞー!》
 わぁい、という通信機の向こうの声を聞きながら、警衛は彼女に言う。
「あの殿下? ご同行願えますでしょうか?」
「ワタシには探し人がいるのだが……」
「ああはいはい、その探し人のところにこちらの方でご案内しますので」
「む、それは助かる」
 このまったく噛み合わないにもかかわらず、互いに目的を完璧に果たしきった両者は、それぞれが勘違いをしていたことにこのさきずっと気付くことはなかった。
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