白の皇国物語

白沢戌亥

文字の大きさ
上 下
435 / 526
第四章:万世流転編

第二一話「浅間のルコ」 その一

しおりを挟む

 八洲の人々に『座』と呼ばれる場所がある。
 別位相に存在するもうひとつの惑星とも言うべきそこは、四界と現界の中間地点として『創られた』。四界の力を現界に反映する際、現界に対する影響を抑え込むための緩衝世界だ。
 そこでは現界よりも四界の影響が大きく、そこで暮らす者たちは総じて神と呼ばれるに相応しい力を持っていた。

「だが、我々は自分たちだけでは生きていけない」
 霊山〈扶桑〉。その頂にある社に、ふたりの男が居た。
 黒の瞳と髪は八洲人の特徴そのままだが、彼が纏う衣裳は今ではほとんど廃れてしまった古式ゆかしい八洲礼装だ。
「それを知っていながら、父上は何を考えているのだ。このままでは我らの力は衰える一方ではないか!」
 太刀を佩いた男が気炎を上げ、もうひとり、槍を携えた男はそれを黙って聞いている。
 彼らは共に八洲軍神群の一翼を担う武神で、それぞれカシマ、カトリと呼ばれていた。祖神〈天〉の息子で、『座』随一の実力者である。
「下界にいる我らが同胞を見ろ! すでに往時の力はほとんど残っておらず、機械仕掛けの船に頼り切る有様! 龍国の王と相対するだけの力量もない」
 彼らの視線の先には、霊山を孤島にした雲海が広がっている。その下にはかつて自分たちと袂を分かった同胞の子孫が暮らす国があった。
 その同胞たちは、かつての力と技術を失い、ふたりがいる『座』に足を踏み入れることさえ困難だと言われている。
「しかし、彼らが現界に存在するからこそ我々は存在していられるのだ。それに、力を失ったというならば我々も同じではないか」
 そうカトリがカシマを茶化す。
「この世界から我々を守っているのは、我々の存在を肯定する現界の人々の意識。彼らから忘れられたら最後、我らはこの世界に否定され、消滅するしかないんだぞ」
「分かっている! だが、その意識――信仰心さえ最近は弱まる一方ではないか!」
 そうカトリを怒鳴りつけ、カシマは己の手のひらを見る。
 夜眠れば、その手のひらが透き通っていく悪夢を見る。
 自分の存在が否定され、解され、この『座』の世界に溶け込んでいくのだ。
「それもこれも、あの女のせいだ」
 カシマは犬歯を剥き出し、血走った目で雲海を睨め付ける。
「あの狐女が我らの品位を貶め、人々から信じる心を奪った! 父の信頼を裏切っただけでは飽き足らず、今では龍国の王に嫁いでいるというではないか!」
「それは下界の同胞が決めたことだ。忘れたのか?」
「忘れてなどいるものか!!」
 空間を斬り裂くカシマの哮声に、雲海に一本の裂け目が生まれる。
 その下には鬱蒼と木々が生い茂る原生林があり、そこにある湖に現界の姿が映っていた。
「同胞が力を失ったこと、確かにそれは我らの身代わりとなったと考えることもできる! だから彼らを守護するという役目を疎んじたことはない! しかし、あの女は別だろう!? 我らは崇められねばならない! 我らは傅かれなければならない! そうでなければ、我々は力を失い、現界の民に力を貸し与えることさえ出来なくなる!」
 カシマは現界の人々を愛していた。
 自分を肯定し、頼る姿は息子や娘のように感じていた。
 そして、それに応える自分を何よりも誇りに思っていた。
「だから、あの女が許せんのだ!」
 太刀を引き抜き、雲海の遥か彼方にある一点を指す。
「――――」
 カトリはその鋒の先を見詰め、そこにある巨大な雲の塊を視界に捉えた。
 天空遙か彼方から降り注ぐ四界の力が、さながら嵐のように荒れ狂う危険領域。
〈禁域〉。
『座』に暮らす者の中で、そこに生身のまま立ち入ることができる存在はいない。
 カシマたち八洲神群だけではない。如何なる神群にも例外はなかった。
「あの〈禁域〉の下で、あの女は安穏と暮らしている」
〈禁域〉の真下には、彼らが龍国と呼ぶ場所があった。
 かつてこの世界を造り直した際、世界再構築の基点として設定されたそこは、今も当時の力を維持したままの原初龍によって守護されている。ここを失えば世界の均衡が崩れ、四界どころか現界や『座』さえ互いに衝突し、砕けてしまう。
 だからこそ、強大な力を持つ神々さえ〈禁域〉には近付かない。
 しかしカシマからすれば、忌まわしい堕神と化した妹が〈禁域〉を盾にして隠れ暮らしているようにしか感じられなかった。
「瑠子め、我らが何もできぬと思ってのうのうと暮らしているのだろうな!」
「――さてな」
 妹を神群の汚点と見るカシマに対し、カトリはまったく違う考えを持っていた。
 瑠子が堕神となった理由は、瑠子本人ではなく自分たちにあるのではないかという考えだ。
 しかしそれは、八洲神群の中では異端の見解である。
 神群の大半は瑠子を同胞の一族を誑かした悪神と見ており、カシマなどはその最右翼である。双子の弟がそう考えてしまう理由も理解できるため、カトリも自分の考えを広めようとは思っていなかった。
(それに、父上たちはあの頃のことを思い出したくないのだ。思い出せば、自分たちの罪を目の当たりにする。助けを求めたあの娘を見捨てたという罪、そしてその罪から目を逸らし続けているという大罪)
 当時の真相を知っている者は少ない。
 あの当時はまだ信仰心の絶対量が少なく、多くの神が力を失っている状態だった。
 表の武神として名の知られていたカトリは当時から力を持っていたが、カシマは半ば封印されているようなものだった。だから、当時のことは神群の多くが信じているようなことしか知らず、妹に対する隔意も強い。
(陽国の神群との戦いで俺がこの地を離れていなければ、あいつを助けられただろうか?)
 父の言い付けを守り、決して同胞たちを害することをしなかった妹。
 自分が心身ともに傷付けられようとも、彼女は決して現界の者を傷付けなかった。
 そしてその結果、総ての罪を背負わされ、封じられた。
(瑠子、せめてそこで幸せに暮らしてくれ)
 だが、カトリのその願いはあっさりと潰えた。

 現状を倦む八洲武神群を率いてカシマが現界の龍国へと向かったと聞いたとき、カトリは己の罪を嘆き、自らの存在理由を見失った。
しおりを挟む
感想 68

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛なんてどこにもないと知っている

紫楼
恋愛
 私は親の選んだ相手と政略結婚をさせられた。  相手には長年の恋人がいて婚約時から全てを諦め、貴族の娘として割り切った。  白い結婚でも社交界でどんなに噂されてもどうでも良い。  結局は追い出されて、家に帰された。  両親には叱られ、兄にはため息を吐かれる。  一年もしないうちに再婚を命じられた。  彼は兄の親友で、兄が私の初恋だと勘違いした人。  私は何も期待できないことを知っている。  彼は私を愛さない。 主人公以外が愛や恋に迷走して暴走しているので、主人公は最後の方しか、トキメキがないです。  作者の脳内の世界観なので現実世界の法律や常識とは重ねないでお読むください。  誤字脱字は多いと思われますので、先にごめんなさい。 他サイトにも載せています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。