白の皇国物語

白沢戌亥

文字の大きさ
434 / 526
第四章:万世流転編

第二〇話「准将の初恋」 その五

しおりを挟む

「大尉殿! お姉様に一体何を!?」
 怒った顔は本当にそっくりだ――レクティファールは自分に詰め寄ってきたアンヌを見てそう思った。
「まさか、何かふしだらなことを……!」
 レクティファールを汚らわしいものを見るかのような冷たい視線で見据え、まだ涙の跡を残したマリカーシェルを背後に庇おうとする。
 なるほど、確かにアンヌは良く出来た娘だ。
 状況に戸惑うことなく自分が下した判断に基づいて行動することができる。この上なく軍人向きな性格の持ち主である。ただ、軍人とはいえ士官として相応しいかどうかは分からない。
 軍の教育機関は士官候補生の性格矯正について偏執的とも言うべき研鑽を積んでいるからおそらく問題はないだろうが、少しだけ心配になった。
「アンヌ、大丈夫だから」
 その肩を押さえ、マリカーシェルが立ち上がる。
「お姉様」
「別に何かされた訳じゃないのよ。それに、その方にそんなことをする度胸はないから」
 マリカーシェルは苦笑いと共にレクティファールに視線を送る。
 同じことを何度も、何人にも言われた。レクティファールは正直に頷くしかなかった。
「ええ、実に不本意ながら」
 不本意なのは彼に手を出されない方だろうとは、マリカーシェルも流石に口にすることはできなかった。
「アンヌ、そろそろ時間でしょう? 日付が変わったら流石に始末書ものよ」
「え? あ、ああ!?」
 部屋の壁に掛けられていた時計を見て、アンヌが悲鳴を上げる。
 酒も幾らか抜けて正気を取り戻していた彼女だが、その顔色が一気に白くなる。
「お姉様、わたしはこれで失礼します! 大尉殿も、大変失礼しました!」
「アンヌ、大尉はここまであなたを背負ってきてくれたの。そのお礼も言わないと」
 マリカーシェルの言葉に、アンヌの顔色がまた変化した。
 今度は白から赤にだ。
「えぇ!? お姉様が運んでくれたんじゃ……」
 どうやらアンヌは、記憶が飛んでいる間にマリカーシェルによって運ばれたのだと勝手に思い込んでいたらしい。
 確かに、初対面の少女を背負って運ぶような人物はなかなかいない。
 その少女が酒に酔っていたのならば尚更だ。どこで話が拗れるか分かったものではない。
「自分から大尉の背中にしがみついてたでしょう? 起こすのも可哀想だから、そのまま運んで貰ったの」
「うえぇ……」
 アンヌは自分のしでかしたことにようやく気付いたらしい。
 これが一般の家庭であれば礼の言葉ひとつで済むかもしれないが、アンヌの実家はそうしたことに非常に厳しい。
 嫁入り前の娘がその日初めて会った人物の前で酔い潰れ、そのまま運んで貰ったとなれば間違いなく雷が落ちるだろう。
「お、お姉様……このことは実家には……」
 もしも実家に知られたら、士官学校卒業と同時に結婚などということになりかねない。自分の身を守れないような娘を世間の只中に放置しておくことは出来ないという判断からだ。
 俗世でろくでもない関係を構築するよりは、さっさと家庭に放り込んだ方が良い。このような考えは貴族社会ではまったく珍しくないのである。
「わたしは構わないけれど、同じことがあったらご実家に申し訳が立たないのも事実よ」
 マリカーシェルの言葉はこの上なく正しかった。
 アンヌの希望通りに実家に秘匿したとして、彼女がまた同じことを、今度は悪意ある人物の前でやってしまえば後悔だけでは済まない。マリカーシェルが慎重になるのも仕方がなかった。
「つ、次からは気をつけます。本当です!」
 アンヌは赤くなった顔色を今度は蒼に変えていた。まだまだ結婚など考えたこともないし、まだまだやりたいことは沢山残っていた。家庭に放り込まれるなど考えたくもない。
「どうなさいますか? 大尉」
 マリカーシェルはレクティファールにそう訊ね、アンヌはきょろきょろとふたりの間で視線を動かしていた。
 思わぬところで決断を迫られたレクティファールは、「まあ」と前置きをして告げた。
「あなたの前か、実家以外ではお酒を飲まないという条件で許してあげたらどうですか? 士官学校で飲酒が出来ないというのは十分に罰になると思いますよ」
 士官学校といえば、学生同士の酒精の入った大騒ぎが有名だ。
 もちろん酒が飲めない学生もいるため強制参加ではないが、そうした集まりは毎週のように開かれている。
 レクティファールの同窓であるルフェイルなどは、士官学校時代に大いに暴れ回った経歴の持ち主だ。また、義父であるフレデリックが招待されていない酒宴に潜り込んでは只酒を飲むという行為を自慢していたこともある。
「そうですね」
 マリカーシェルは頷いた。
 彼女自身はそうした宴に参加した経験はあまりないが、自制を覚えるという意味では妥当かも知れない。
「大丈夫? 今度やったら……そうね……」
 そこでマリカーシェルは少しだけ悩む素振りを見せ、レクティファールに視線を向けると悪戯っぽく笑った。レクティファールが今まで一度も見たことがない表情だった。
「わたしと一緒に皇王陛下の愛妾にでもなってもらいましょうか」
「げっ!?」
 アンヌが心底嫌そうな表情と声を上げ、しかしすぐに両手で口元を押さえる。
 士官学校の学生ともなれば、一応軍籍を持つ正規の軍人である。最高司令官である皇王に対する礼を失した態度は許されない。
 事実、マリカーシェルはじっとアンヌを睨み付け、その視線に晒された哀れな少女は嫌な汗を背中に感じた。
「――冗談で済むよう、行動しなさい」
「はい! 以後気をつけます! それでは失礼致します!」
 びしり、と敬礼をし、アンヌはばたばたと上衣を手にとって部屋を飛び出して行った。ふたりはそれを見送り、やがて互いの顔見て笑った。
「いやはや、躾の種にされるとは皇王冥利に尽きますね」
「ええ、本当に……」
 マリカーシェルは壁に掛けてあったレクティファール上衣を手に取ると、立ち上がった彼の背中にそれを当てる。
 レクティファールは袖に腕を通しながら、少しだけ小さな声で言った。
「私はどちらを望めばいいのでしょうかね」
 マリカーシェルはその言葉に対し、囁くように言った。
「あなたの望むように望まれればよろしいのです。陛下」
 そのときのマリカーシェルの表情は、彼女自身にも、もちろんレクティファールにも知られることはなかった。
しおりを挟む
感想 68

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

最難関ダンジョンをクリアした成功報酬は勇者パーティーの裏切りでした

新緑あらた
ファンタジー
最難関であるS級ダンジョン最深部の隠し部屋。金銀財宝を前に告げられた言葉は労いでも喜びでもなく、解雇通告だった。 「もうオマエはいらん」 勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。 ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。 転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。 勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。