394 / 526
第四章:万世流転編
第十三話「神々の座」 その二
しおりを挟む八洲の人々は星船と呼ばれる存在について皇国よりも多くの情報を得ていた。
〈帝〉家の象徴にして世界最強の軍艦として認識されている〈天照〉が、彼らに多くの知識と情報をもたらしてくれたからだ。
「そもそも、〈天照〉は我らが祖先がこの地に訪れるよりも早く、この地にあった。都の眼前にある天陽湾に沈んでいたのだ。船から得た情報が正しいなら、天陽湾は〈天照〉の落下によって現在の形になったらしいが……」
『我国の遺跡群とはまた違った趣ですね。もっとも、黒龍公の城なども同じように我々がそこに住まうよりも早く存在したようですが、当時の記録など残っている筈もない。見付けた本人に訊いても埋まってたとしかお答え頂けませんでした』
義弟が通信の向こうで肩を竦めている様を見て、正周は小さく笑みを浮かべて杯を傾けた。数千年の寿命を持つ龍族であれば、人々が想像できないほどの過去の出来事も昨日のことと変わらない。
他国の史家が卒倒するほど気楽に歴史を語るのも、そのせいだろう。皇国では歴史を探求する学問があまり発達していないが、それは探求するべき過去があまりにも身近であり過ぎるからかもしれない。
「答えて頂けるだけよかろう。朕ならば徒に過去に触れるなと叱責されて終わりだ」
正周が仰ぐ八洲の神々もまた龍族と同じように悠久の命を持っているが、彼らは自分たちが知る歴史をおいそれと語ろうとしない。
彼らの歴史はそのまま、彼らの凋落の歴史でもあるからだ。人々の信仰という精神的な熱量を糧に生きる彼らにとって、それを失わせる可能性のある『歴史』は禁忌でしかない。この地の統治者である〈帝〉である正周とて、大多数の神々からすれば糧の一人でしかないのだ。
『義兄上もご苦労なさっているようですね』
「そうでなければ、其方と通信までして酒を酌み交わすことなどするものか。其方の国は我国の命脈を握っている。今更恥など感じはせぬよ」
正周とレクティファールは、〈天照〉の異相偏差を利用した立体通信装置を用いて互いの幻影と言葉を交わしていた。
正周は〈天照〉の自室に敷いた畳の上に座り、レクティファールは後宮にあるイズモ式庭園の茶室の中に座っている。両者の間には数千キロメイテルという距離があるが、かつて星の大海の中で用いられていた通信機構にとっては目と鼻の先だ。
また〈皇剣〉が星船の制御中枢に潜り込み、皇国側の端末としての機能を果たしている。
『命脈と仰るならば、それは我らも同じこと。東をイズモに抑えて頂かなければ、我々は常に四方を警戒しなくてはならない。――ただ、そちらの現状はこちらも聞き及んでおります』
レクティファールは酔えもしないイズモ酒を口に含み、義兄の言葉を待った。互いに手酌であるが、それ以外は直接顔を合わせて話しているのと何ら変わりはない。
〈天照〉の通信技術は、何の分析装置も持っていなければ、相手の姿が立体投影映像であると気付くことは不可能なほど精緻だった。
「道雅も良くやっているが、あれも若い。それに朕の意に諾々と従う者ばかりでもない故な。それに国外の動きと連動している兆候も見られる」
『確かに、帝国の間者が最近忙しなくそちらに出入りしているのはこちらも掴んでおります』
「其方の国と違って八洲は諸侯の寄り合いであるからな。どうしても隙は多くなる。その上、我が家は神々への信仰を守るため、国内で戦いを主導することができぬ。痛し痒しよ」
八洲での〈帝〉家の立場は、皇国で言うならば皇王家よりも四界神殿に近い。君臨はしても支配はしない。それがもっとも人々の信仰を集めるに相応しい立場なのだ。望んでのことではないとはいえ、人々を戦火に晒すことは、人々から信仰の精神を奪ってしまう。
皇国のように国の興りから完全な権力を有しているというのは、歴史の中では例外に属する。
そのため、〈帝〉家はもっとも力のある諸侯を執政として任命し、現実的な統治機構を率いさせる。現在では瀬川がその任にあるが、これまで何十という家がその役目を担ってきた。
『運が悪かったと言うべきでしょうか』
周辺国が示し合わせたように――実際にその通りかも知れないが――動き始めている点を見れば、レクティファールが自分たちの運の悪さを嘆くのも無理からぬことだ。
ただ、笑みを浮かべたレクティファールは本心からそう思っているようには見えず、正周もまた義弟と同じように苦笑を浮かべた。
「この世界に本質的な良運も不運もありはしない。ただ、その者が時流に適しているかそうでないかの違いがあるに過ぎぬ。時代に適した者が幸運と呼ばれ、時代に適応できなかった者が不運だと言われるだけよ」
『所詮は確率の偏りですか』
「うむ。我らがこうして顔を合わせていることも、所詮は時流に過ぎん。そこから何を成すかは当人たちが決めれば良い」
正周は父からその地位を受け継ぎ、大過なくその務めを果たしてきた。
唯一の懸念であった妹も然るべき場所に嫁ぎ、正周は自分の器がここまでではないかと思うようになっていた。
八洲という国は、大望を抱くにはしがらみが多すぎる。
「義弟よ。其方は世界が欲しいと思ったことはあるか?」
その問いは、自らの器を察した正周の、せめてもの足掻きだったのかもしれない。
自らは決して抱けなかった大望。それを義弟は持っているのではないかと思ったのだ。
それは多分に直感であったが、神々の末席に座る正周にはある種の確率走査の能力が備わっている。事実、彼の直感は正しかった。
『常に』
レクティファールはそれほど気負った様子もなく、淡々と答えた。
正周の方が虚を突かれたほど、あっさりとした答えだ。
「そうか、常にか」
その言葉は震えていた。
この地に君臨する大帝は、さも可笑しそうに肩を震わせている。
「良きかな、実に良きかな」
それはまさに、正周の心からの言葉だった。
世界を欲するなどという大言を当たり前のものとするならば、それを気負ってはならない。ただ気が向いて庭を散歩するかの如く当たり前のものとして認識しなくてはならない。
「それが済んだならば、〈天照〉で星々の世界でも見に行こうか」
『それもよろしいかと』
ふたりは揃って笑い、そのまま楽しげに酒を飲み続けた。
0
お気に入りに追加
2,911
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。