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第四章:万世流転編
第十三話「神々の座」 その二
しおりを挟む八洲の人々は星船と呼ばれる存在について皇国よりも多くの情報を得ていた。
〈帝〉家の象徴にして世界最強の軍艦として認識されている〈天照〉が、彼らに多くの知識と情報をもたらしてくれたからだ。
「そもそも、〈天照〉は我らが祖先がこの地に訪れるよりも早く、この地にあった。都の眼前にある天陽湾に沈んでいたのだ。船から得た情報が正しいなら、天陽湾は〈天照〉の落下によって現在の形になったらしいが……」
『我国の遺跡群とはまた違った趣ですね。もっとも、黒龍公の城なども同じように我々がそこに住まうよりも早く存在したようですが、当時の記録など残っている筈もない。見付けた本人に訊いても埋まってたとしかお答え頂けませんでした』
義弟が通信の向こうで肩を竦めている様を見て、正周は小さく笑みを浮かべて杯を傾けた。数千年の寿命を持つ龍族であれば、人々が想像できないほどの過去の出来事も昨日のことと変わらない。
他国の史家が卒倒するほど気楽に歴史を語るのも、そのせいだろう。皇国では歴史を探求する学問があまり発達していないが、それは探求するべき過去があまりにも身近であり過ぎるからかもしれない。
「答えて頂けるだけよかろう。朕ならば徒に過去に触れるなと叱責されて終わりだ」
正周が仰ぐ八洲の神々もまた龍族と同じように悠久の命を持っているが、彼らは自分たちが知る歴史をおいそれと語ろうとしない。
彼らの歴史はそのまま、彼らの凋落の歴史でもあるからだ。人々の信仰という精神的な熱量を糧に生きる彼らにとって、それを失わせる可能性のある『歴史』は禁忌でしかない。この地の統治者である〈帝〉である正周とて、大多数の神々からすれば糧の一人でしかないのだ。
『義兄上もご苦労なさっているようですね』
「そうでなければ、其方と通信までして酒を酌み交わすことなどするものか。其方の国は我国の命脈を握っている。今更恥など感じはせぬよ」
正周とレクティファールは、〈天照〉の異相偏差を利用した立体通信装置を用いて互いの幻影と言葉を交わしていた。
正周は〈天照〉の自室に敷いた畳の上に座り、レクティファールは後宮にあるイズモ式庭園の茶室の中に座っている。両者の間には数千キロメイテルという距離があるが、かつて星の大海の中で用いられていた通信機構にとっては目と鼻の先だ。
また〈皇剣〉が星船の制御中枢に潜り込み、皇国側の端末としての機能を果たしている。
『命脈と仰るならば、それは我らも同じこと。東をイズモに抑えて頂かなければ、我々は常に四方を警戒しなくてはならない。――ただ、そちらの現状はこちらも聞き及んでおります』
レクティファールは酔えもしないイズモ酒を口に含み、義兄の言葉を待った。互いに手酌であるが、それ以外は直接顔を合わせて話しているのと何ら変わりはない。
〈天照〉の通信技術は、何の分析装置も持っていなければ、相手の姿が立体投影映像であると気付くことは不可能なほど精緻だった。
「道雅も良くやっているが、あれも若い。それに朕の意に諾々と従う者ばかりでもない故な。それに国外の動きと連動している兆候も見られる」
『確かに、帝国の間者が最近忙しなくそちらに出入りしているのはこちらも掴んでおります』
「其方の国と違って八洲は諸侯の寄り合いであるからな。どうしても隙は多くなる。その上、我が家は神々への信仰を守るため、国内で戦いを主導することができぬ。痛し痒しよ」
八洲での〈帝〉家の立場は、皇国で言うならば皇王家よりも四界神殿に近い。君臨はしても支配はしない。それがもっとも人々の信仰を集めるに相応しい立場なのだ。望んでのことではないとはいえ、人々を戦火に晒すことは、人々から信仰の精神を奪ってしまう。
皇国のように国の興りから完全な権力を有しているというのは、歴史の中では例外に属する。
そのため、〈帝〉家はもっとも力のある諸侯を執政として任命し、現実的な統治機構を率いさせる。現在では瀬川がその任にあるが、これまで何十という家がその役目を担ってきた。
『運が悪かったと言うべきでしょうか』
周辺国が示し合わせたように――実際にその通りかも知れないが――動き始めている点を見れば、レクティファールが自分たちの運の悪さを嘆くのも無理からぬことだ。
ただ、笑みを浮かべたレクティファールは本心からそう思っているようには見えず、正周もまた義弟と同じように苦笑を浮かべた。
「この世界に本質的な良運も不運もありはしない。ただ、その者が時流に適しているかそうでないかの違いがあるに過ぎぬ。時代に適した者が幸運と呼ばれ、時代に適応できなかった者が不運だと言われるだけよ」
『所詮は確率の偏りですか』
「うむ。我らがこうして顔を合わせていることも、所詮は時流に過ぎん。そこから何を成すかは当人たちが決めれば良い」
正周は父からその地位を受け継ぎ、大過なくその務めを果たしてきた。
唯一の懸念であった妹も然るべき場所に嫁ぎ、正周は自分の器がここまでではないかと思うようになっていた。
八洲という国は、大望を抱くにはしがらみが多すぎる。
「義弟よ。其方は世界が欲しいと思ったことはあるか?」
その問いは、自らの器を察した正周の、せめてもの足掻きだったのかもしれない。
自らは決して抱けなかった大望。それを義弟は持っているのではないかと思ったのだ。
それは多分に直感であったが、神々の末席に座る正周にはある種の確率走査の能力が備わっている。事実、彼の直感は正しかった。
『常に』
レクティファールはそれほど気負った様子もなく、淡々と答えた。
正周の方が虚を突かれたほど、あっさりとした答えだ。
「そうか、常にか」
その言葉は震えていた。
この地に君臨する大帝は、さも可笑しそうに肩を震わせている。
「良きかな、実に良きかな」
それはまさに、正周の心からの言葉だった。
世界を欲するなどという大言を当たり前のものとするならば、それを気負ってはならない。ただ気が向いて庭を散歩するかの如く当たり前のものとして認識しなくてはならない。
「それが済んだならば、〈天照〉で星々の世界でも見に行こうか」
『それもよろしいかと』
ふたりは揃って笑い、そのまま楽しげに酒を飲み続けた。
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